サバンナのど真ん中で家族そろって遭難

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子供の頃、一家でケニアに旅行に行った時のこと。
当時の私と弟は、どうしても野生のライオンを直に見たい、という思いがあってそのケニア旅行をとても楽しみにしていた。そのためなら、現地に向かうための、とんでもなくアクロバティックな飛行をするセスナ機にも、ゲロ袋を握りしめながら必死に耐えもした。
さて、一度サバンナに行ったことのある人ならわかると思うが、あそこにはコンビニも自動販売機もないのである(当然!)。しかも炎天下の灼熱地獄。「コーラが飲みたい!」とダダをこねては母親をぶち切らせてたのも今となっては良い思い出。
しかも、あれだ。ツェツェバエ。
こいつは眠り病を媒介するという恐ろしい生き物で、むき出しの肌を見つけては、"歯"で噛み付いてくるのだ。これが痛いのなんのって。
そんな過酷な環境に都会のもやしっ子があっという間に根を上げたとしても、無理はないというもの。
しかし、トラブルはそれだけではなかった。
サバンナでのクルージングは現地のガイドが運転するジープに乗って、サバンナのあちこちを見せてもらう、というわりとプレーンな方式だったわけだが、観光の途中、いきなりタイヤがパンクした。
しかもガイドで黒人の兄ちゃん達、こともあろうか、タイヤの替えはない、とか言いよる。今になって思えば、危機管理の欠如にもほどがあると思う。
ガイドの兄ちゃん達は何やらお互いに話し合っていたが、その後、オレたち一同をとある貧相な小屋のそばに案内した。
枯れ草で葺いた、人が住むにはあまりにも小さな建物である。
すぐそばには高い木が一本立っていて、張り出した枝から一本のロープがぶら下がり、その先に何かの固まりが結わえ付けられている。
ガイドにあれは何だ、と聞くと、羊の肉だ、とのこと。羊の肉? 人の手も届かない場所に? 何のために?
やがてガイドたちは、そこで待っていろ、助けを呼んでくるから、と言い残し、自分たちだけサバンナの地平線に消えていった。
サバンナのど真ん中で、丸腰で取り残される日本人家族一行。その時の心細さと言ったら・・・。
考えてみると、オレたちのために銃とかを残してくれても良かったんじゃないかとも思えるが、オール日本人な家族に銃が扱えるわけもないし。
そのうち日が落ち、夜になった。
森の奥から響き渡るホエザルたちの群れの声。草木の間を飛び回る、日本ではすっかり珍しくなった蛍の火。空を見上げれば、つかみ取れそうな満天の星空。今でも不思議だが、そういったひとつひとつのことをまるで昨日の事のように覚えている。
たぶん、ここで家族そろって死ぬんじゃないか、ということを子供心に考えていたからだと思う。実際、母親にそんなことを言ったら、ものすごく叱られた。たぶん、母親も不安で仕方がなかったんだろう。
結局、夜半すぎに、救助のジープがやってきた。そのときに見えたヘッドライトの光がどれだけ嬉しかったことか・・・。
宿に帰り着いた後、私と弟は極度の緊張と疲労のせいか高熱を出して寝込んでしまい、その日以降、宿から一歩も外に出ることができなかった。そのため、とうとう野生のライオンは見れずじまい。
そして、トラブルにもめげずピンピンしていた父親が家族を残して一人でライオンを見に出かけたと知った時は・・・、弟と二人そろって泣きながら抗議をしたものだ。しかも、父親が埋め合わせに、と撮影した写真がこれまたすべて逆光、ライオンだか何だかわからない、という始末。やれやれ。
さて、最後に怖い話を。
私たち家族が救助を待つ間、身を寄せていた小屋は何のためのものだったか、想像つくだろうか?
その小屋は、羊の肉をつかって猛獣をおびき寄せ、その行動の一部始終を観察するための場所だった、ということが後で判明。
そうとは知らずに、夜中そこに立っていた私たち・・・。
・・・生きているって素晴らしい・・・。
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ある意味命がけの凄い体験をされましたね。私も野生のライオンを見てみたいですが、ケニアまで行く余裕が無いので、サファリパークの車から見るだけで我慢しておきます。

藤井 拓也

Talknoteという会社で働くプログラマー。

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藤井 拓也

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