正月、僕はマニラで死にかけた
海外旅行、トラブルは突然に・・・
2013年1月1日、僕が気づいたときにはもう夜になっていた。
しかも場所は新千歳空港だ。
一体いつ新年が明けたのだろうか。
大晦日から正月という年が変わる節目の丸1日の記憶が全くなかった。
これ以前の記憶は12月31日の夕方まで遡る。
僕はマニラにいた。
年末年始の正月休みを利用して僕はフィリピンのマニラに一人で観光に来ていた。
北海道に住んでいた僕は、新千歳空港から出発し、12月27日の夜にマニラに到着した。
そこで5泊して正月の昼に現地を出るという日程であった。
27日は夜遅く着き、1月1日は朝出るので、実質丸4日間の日程という感じだった。
なんでマニラにしたのかというと、特に理由はない。
札幌からわりと安く行けるところを探してチケットがあったからという程度だったと思う。
エルミタ地区を拠点にマラテ地区やマカティ地区、パサイ地区などの中心地域を一人でプラプラと街を歩き回ったり、観光地に行ったり,ジプニーに乗ってショッピングモールに行ったりして適当に過ごしていた。
マニラはそんなに見所の多い感じには思えなかったが、暖かい所というだけで僕には十分だった。
とにかく冬の北海道は寒すぎて、僕はもう死にそうだったのだ。
とあるフィリピン人との遭遇
マニラは治安が悪いと聞いていたが全くそんな素振りはなく、むしろ平和すぎるくらいに思っていた。
そんなこんなで12月31日も街を散策していた。
すると、ちょうど昼になった頃だったと思う。
50歳くらいの夫婦が僕に道を尋ねてきた。
みたいな会話がなされた。
おばさんの方はフィリピーナらしく非常に愛想のいい人でなんとなくの話も弾む。
ささやかながら現地の人とコミュニケーションが取れてちょっと嬉しいなと思っていた。
少しの油断が予想外の展開を生む
夫婦は正月のためにチャイナタウンで買い物をするから、せっかくなら一緒にチャイナタウンまで行かないかと言ってくる。
僕は特に予定はなかったし、まあこれも何かの縁かなくらいに思って一緒にジプニーに乗り込んだ。
チャイナタウンでふらついた後、一緒に昼食を取ろうと言ってきた。
このとき、チャイナタウンで何も買ってないことにもっと注目すべきだったが、そのときの僕は何も考えていなかった。
そして3人で近くのボロい店で軽くメシを食った。
このとき店にはとんでもなくボロボロのカラオケがあって、なぜかカラオケが始まった。
おばさんはどこで知ったのか高橋真梨子の「for you」を歌っていた。
向こうでも有名なのだろうか。
ただし歌は信じられないくらい下手だった。
おじさんも何か歌っていたが、当然歌は下手だった。
外国人が歌が上手いというのは幻想に過ぎないようだ。
と、ここで謎のおばあさんが現れ、合流する。
僕は英語がいまいちわからないのでなんとなくしか理解できなかったが、どうやら親戚の人みたいだ。
もちろん今となってはそれも怪しいものだが。
ばあさんはやたら小柄で戦闘力ほぼゼロみたいな感じだった。
ここまでの登場人物3人全員がとてもじゃないが悪い人には思えなかったので、僕の警戒心も和らいでいた。
しかし、忘れてはならなかった。
ここは治安の悪い地域、マニラなのだ。
気づくと彼らのペースに呑まれていた・・・
この後の流れはよくわからないのだが、ワゴン車でおばさんの弟家族なる一家が現れ、一緒に出かけようと言われる。
もはやこの展開がわけわからないのだが、なぜか言われるがままに車に乗せられてしまった。
これが最大のミスだった。
なんとなく空気を作られるとそれを打破できない。
NO!と言えない日本人の真骨頂を見せてしまった。
これでまたカモにされる日本人が増えるかと思うと日本人全員に謝罪したい気分だ。
それから車はもはやどこかわからない住宅街にたどり着き、その人たちの家に入った。
とはいえ、場は非常に和やかで、現地のビール、サン・ミゲルを飲んだ。
サン・ミゲルは日本のビールと比べてもかなり飲みやすい。
ここまでくるともうすべてが怪しいし、冷静に考えれば何も口にすべきではない状況だが、目の前で瓶の栓を明けていたし、みんな飲んでいたので僕もビールを少々飲んだ。
それからは多分30分もしなかったと思う。
そこで、ジ・エンド。
意識はなくなり、次の瞬間はもう日本にいたというわけだ。
空白の1日間
おそらく飲んだビールになんかよくわからないけど意識がもうろうとするような薬を仕込まれていたのだろう。
たしかに僕は酒は強くないが、ビール1杯くらいでどうこうなるほど弱くもない。
そのとき持っていたバッグと財布はなくなっていて、というか完全に盗られていた。
カードや現金、iPadにウォークマンなどを失ってしまった。
なぜかiPhoneは無事だった。
彼らなりの優しさなのか、それとも少しは良心の呵責があるのか、はたまたズボンのポケットに入っていたのが気づかれなかっただけなのかは不明だが、これは助かった。
iPhoneには僕が撮ったと思われる映像が残っていた。
新年の幕開けを祝う花火が打ち上げられている模様を撮ったものだった。
それは手ぶれがひどくて、ほんの数秒の映像だった。
そういう状況でも僕は花火の映像を記録に収めたいと思ったのだろうか。
他にもよくわからない写真を何枚か撮っていた。
さらにはなぜか手を少し怪我していて血が出ていた。
どうやらどこかで転んだみたいだが、全く記憶にない。
一体どうやって帰国できたのか?
僕が唯一救いのあったところはパスポートと現金の一部をホテルに置いていっていたことだ。
これによって帰国は出来た。
しかし、翌日朝起きて空港まで行って飛行機に乗って、しかもソウルで乗り継いで札幌まで帰ってくる、という複雑な動きを意識のない状態でやってのけたということになる。
これは我ながら本当にすごいと思う。
空港までどうやっていったのかすら覚えていないのだ。
人は追い込まれると驚くべき力を発揮するものである。
すべては台本どおりか?
旅の終盤でもはや何が何だかよくわからないことになってしまい、悪い夢でもみているようだった。
思えば、始めからそういうストーリーのパターンが用意されていたのであろう。
若い男が最初に現れると怪しさしかないので、まずは戦闘力の低そうな人物を登場させておいて、とにかく相手をリラックスさせて警戒心を解く。
そして、なんとなく断りにくい空気を作って車に乗り込ませればあとは一丁あがり!みたいな安っぽい台本だ。
こんなのに引っかかるとはとんだ世間知らずだが、なぜか不思議とそこまで怒りは湧いてこなかった。
僕の中では多少なりとも怪しさは感じていたし、違和感はあった。
それでもどこかこの人たちを信じてみたいという感情があったのだと思う。
見事に裏切られたわけだが。
まあ、こういう経験もありかな
それでも、何事もなく確実に安全な旅をするよりかは、少なからず印象深い旅になったのは事実。
まあ、こういうことが一生で一度くらいあってもいいかな程度に思ってしまった。
とはいっても、命があってよかった。
それに尽きる。
僕は確実に運がいい。
またいつかフィリピンに行ってみようと思う。
もちろんそのときは細心の注意を携えて。
ちなみにこのとき盗られたバッグには車のキーが入っていた。
僕は新千歳空港まで車で来ていて、その日の電車では帰れない所に住んでいたので、結局空港に泊まることになってしまった。
新年明けて初日の夜を空港で過ごすという謎の体験をするはめに。
そして、2日に家に帰り、3日からは仕事が始まった。
今年はいつもとは違う1年になりそうだなと思った。
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