人生設計なんてあるようでどこにもなかった。(1)

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最初に方向転換の決断


海外に住む。

(いやいや、リゾートに行く訳でも行けた訳でもないんですが)


そんなもの、わたしの「人生設計」にはありませんでした。
というより、今のダンナさんと結婚するという選択肢は
結構 急にでてきて、
結婚というコミットメントをしたとたんに
私の人生は急展開をし始めました。

今ダンナさんの仕事でアメリカにいる訳ですが
(ありがちですがダンナさんも医者です)

結婚を考え始めた頃
「冷静に考えて、
二人で日本で仕事を続ける
よりも
ダンナさんに思うように世界中で働いて貰う
ほうが
明らかに社会に与えるよい影響がある」
と思ったのです。

ダンナさんは学生時代にアメリカの免許試験に通って
日本の研修を終えて渡米してしまってました。

もちろん医者5年目の私
私にも研修医漫画にあるような
ストレスだってあったわけなんですが

ま、とにかく
結婚してこどもを持つなら
私は時間の自由を
家族のためにかんがえたほうがいいな、というのは
結婚を考え始めた頃からのことで

私立の医学部に出して貰って
なんてこという!という非難も
絶対あるだろーな、と思いながらも
なにせ自己評価の低かった私
その分ダンナさんのやりたい仕事を
やらせていこう、と
密かに決意したのです。

(なんて書いても、
本人は「うそだろー」というでしょうが)

でも ぎりぎりまでやれることはやって・・・

と仕事を妊娠7ヵ月の時まで続け
9月になったらダンナが身重の私を迎えに来て
アメリカに引っ越し、の予定でした。

さいしょからばたばた


9月。。。。それも2001年
なにがあったか覚えていらっしゃる方も多いかと。

仕事から帰って
既に引っ越しの段ボールを作り始めた部屋に戻ったのは夜10時頃
浮腫んだ足を休ませようと(もうすぐ8ヵ月、って時ですから)
ベッドに足を投げ出し、TVをつけました。

気付いたら映画が・・・・?
いや、これ、チャンネルはNHK?

チャンネルを変えて
変えて 変えて
やっとなにが起こっているか理解しました。

2001年9月11日
二機目の飛行機が
ワールドトレードセンターに突っ込んでいきました。


ダンナさんはマンハッタンに住んでいました。
もうすぐ内科専門医が取れる、という時期で
一応アッパーウェストという 
その地からは結構離れたところに住んでいたはずだけど
当然のように 電話は通じず
メールを送るしかなかったのですが
インターネット接続があるかどうか不安で
殆ど使ったことのなかったファックスで
元気なら連絡してとメッセージしました。

母体がストレスを感じると
「お腹が張る」というのは本当なんだなと
妙に静かに考えていたのを覚えています。

んーもう迎えに来る帰国日なのに
飛行機のチケット、振り替えてくれるのかなとか
お金かかるのかなとか

そんな下らないことを考えていました。


多分歴史上一番静かなNYCへ引っ越す


まぁ 短く話をまとめると
ダンナさんは元気で
ただ「非常事態コール」がかかって
医療者は全て持ち場(病院)へ招集されてたとか
(この時の話は本人がそのうちするだろうし
あるいは同じ時期NYCにいた他のお医者さんが
既に本に書いているから私は書きません。)

3日後にようやく
電話がきた・・・・んじゃなかったかな?
(覚えてないんですけど)

彼の帰国は飛行場の閉鎖などもあり
1週間ほどずれたと思います(うそかも。覚えてない。)
そして予定より2週間くらい遅れて
大きなお腹をした私とダンナさんと
NYCへ引っ越した訳です。

実際8ヵ月に入っていたのですが
カウンターでは7ヵ月と言い張り
(もっと言われたら、私もダンナも医者だから!と粘る気で)
無理矢理みたいにして 乗ったんじゃないかな
カウンターのJALのおねえさん ゴメンナサイ。。。
白状すると私はお産が苦手で産婦人科を諦めたし
(だってー本当に何が起こるか分からないんだもの)
ダンナは完璧内科のひとでしたから。。。。

マンハッタンまでのタクシーでは
見えなくなったワールドトレードセンターを
一生懸命探してみたけれど
まぁもともと高層ビル群
分かる訳もなかったんですけどね。

そんな感じで
私のニューヨークの生活は
多分歴史で一番静かな
感謝祭・クリスマス時期を迎えようとしている
不思議な時に始まりました。

で、いきなり話はすっ飛ばして

自伝じゃないので
このへんはすっ飛ばします
長女をマンハッタンの病院で生み
半年後 これまたダンナのフェローシップのために
(フェローシップ:専門課程のこと)
ユタ州ソルトレイクシティへ引っ越し

ソルトレイクオリンピックの直後で
いろいろ オリンピックのために手を入れられた街は
評判以上にキレイでなかなか住み心地よく感じました。


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たかな ともこ

医師から専業主婦、ボランティア組織地区代表。チャレンジし続ける今日この頃。2児の母。

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