「社会」の常識

二度目で戻ったアメリカ
それも土地勘のあるところというのは
ある意味かなりリラックスして生活を始められました。
もちろん、学校システムとか
義務になっている就学前の予防接種とか
正直わからないことだらけでしたが。

日本でも一般常識といわれるものを
あまり持たない(必要とされない、あるいはやや違う一般常識の中で)
生活をしていた自覚はありましたが
それこそ「無知」がスタート地点で当たり前
尋ねて電話をして調べて
やっとこんなかんじ?という答をみつけて
ということを繰り返す日々でした。

合衆国だから州の法律がそれぞれとは知っていたけど
結構 いろんな生活に近いところの情報が
州によって違うため
ネットで調べたものをそのまま、というわけには
なかなかいかないしね。

近くの学校に入りたい時は
その学校に「公共料金の請求書」なんかを持って
(その住所に住んでいる証明にね)
入れてください、って行くんですよ?
そこで在学表みたいなのをかき込んで
あれば出生証明書と 予防接種証明書(こちらは必須)
それでおしまい。

スクールバスへどうやって乗せたらいいか分からなかったら
お隣のひとが私とこどもを連れて
バス停に行ってくれて
スクールバスの運転手に
「この人達、隣に越してきたの。この子をこれから乗せてね」
それでお終い。。。。。

いや、合理的と言えばそうですけど・・・・

非常識から始まると
世の中にはたくさんのルールがあるなぁと驚くモノです。


そしてひたすら自信喪失


そんなわけで 最初のうちはまたとても忙しく
絶対やっておいたほうがいいと言われたので
学校のボランティアもしていて
簡単な授業のお手伝いですけどね

この地でライセンスを持たない私は
自尊心から逆に自分を医者とは呼べず
たくさんの友達もネットワークもなく
(今になるとわかるのですが
高校の同級生っていろんな世界にいるから
一度再会とかすると 凄いコネクションになりますよね)

I am Nobody

となり、自信もなくなり、
大体英語での意思疎通も簡単じゃない・・・・

一時期は
子供達を無事に育てるのが自分の仕事と言い聞かせたり
その割に 社会に入っていけない自分に苛ついて
そうだ、せっかくだから趣味でも拡げてみよう
と、まぁ、
ありがちな中年ママになっていきました。


1つ はっきり言っておきたいのですが
主婦(夫)業って世界を支えている根幹だと思っています。
問題なのは それを十分に評価するものがないこと

外で働いてくる男性(女性)には
もちろん 家を守ってくれている
皆が気持ち良く暮らせるよう気を配ってくれている
彼女ら(彼ら)に感謝はあるでしょう
それをいつも表現する人も
アメリカには結構いますね
(それも大事な事だと思うんですよ)

ただ私自身の中には
他人を蹴落として得たキャリアを置き去りにしたという後ろめたさ
何度も書き換えたはずの人生設計が
結局どれもきちんと行えてこなかった中途半端さ
必要以上に社会から認められてしまう立場から
なんの経験も知識も常識すらもない
Nobodyになってしまった という恥ずかしさ
そんなものがぐちゃぐちゃになり
「次の社会を作っていくこどもを育てている」ということが
見えなくなることがしばしばだったんですね。


お仕事でアメリカという方、奥様を大事にしてあげてくださいね

男性だからとか女性だからだとか
言うのではないですが
ご家族と一緒に海外に、という女性の中には
お仕事やキャリアを諦めてという人も少なくないと思います

そこにきて さらに ビザのこと。
特に9.11以降 付帯者ビザ(J2とか、H2Bとか)には
Social Security Number (SSN, 年金番号)が貰えなくなりました。
SSNがないということは
「あなたの居場所はここにはないんだよ」みたいなもの。

そうとは書かれていませんし
ITINというこれの代わりになる番号も貰えます。
が、実際ITINはなんにも使えないと言って良いほどで
ユタでは運転免許もとれません。
取れるのは「許可証Privilege」だけです。
そしてこれは身分証明にもならない。

I feel I am nobody
なところへ
Yeah, you Are Less than nobody.
と言われてるみたいなものです。

ついでにいうと
こんな細かい法律のこと 普通のひとは知りませんから
下手すると問い合わせの電話も
SSNがないと話せないわ と門前払い
これで「日本人として自信を持て」なんて
冗談でしょう?の世界です。


なので 今 駐在のかた
これから駐在になる方 起業でアメリカに来る方
どうぞご家族のこういう気持ち
すこし分かってあげてください。
これ、もしかしたら奥様が
「失礼しちゃうわ、今日も話もさせて貰えなかった」
と愚痴ってる、にしか聞こえないかもしれませんが
結構 これって深層心理に毒を撒くが如く
じわじわ くるんです。

そこに差別なんかが加わっちゃうと
もう最悪な経験になります。
私も何度も凹みまくったなぁ・・・・


やっと、「私が起業を目指した」時期に

少し話がずれましたが
戻ってきて最初の2年くらいで
生活には慣れていくのに
どんどん辛くなる という
とんでもない状態になっていきました。

セルフエスティーム(自己価値観)なんて
マリアナ海溝、アリューシャン海溝より低いところにあったかも。



そのころ ダンナさんが
私をあるセミナーに誘ってくれました。
3時間ほどの無料セミナーは
ロバート・キヨサキの写真つきの紫基調のポスター
もちろん ロバートは来ませんよ?笑

ダンナさん、私が医学生になった頃に
金持ち父さん、貧乏父さんの本に
いたく入れ込んだことなど知るよしもなく。

憧れた不動産投資家への道がある
それも憧れた著者のつくった教育プログラムで!

その時の私、E/S/B/IのEにもなってなかった訳ですが
ナイナイ尽くしだったからこそでしょうね
15年以上を経て手許に来た「チャンス」を
使わないでどうする!と飛びつきました
非常識から始めた強さだけはあります
もっと知らない世の中が知りたい
それだけでした。




読んでよかった
このエントリーをはてなブックマークに追加
このストーリーをブログ等で紹介する

たかな ともこ

医師から専業主婦、ボランティア組織地区代表。チャレンジし続ける今日この頃。2児の母。

たかな ともこさんが次に書こうと思っていること

|

たかな ともこ

医師から専業主婦、ボランティア組織地区代表。チャレンジし続ける今日この頃。2児の母。

たかな ともこ

医師から専業主婦、ボランティア組織地区代表。チャレンジし続ける今日この頃。2児の母。

たかな ともこさんの他のストーリー

  • 不動産投資をやると決めた(3)会社を興す

  • たかな ともこさんの読んでよかったストーリー

  • 素晴らしいサービスと素晴らしいチームとの出会い