進学校に通っていた男子高生が、ドロップアウトして上京しフリーランスエンジニアとして働く話。(1)

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女の子達からいじめられてた小学生時代

僕は小学校の時に、周りの友達(特に女の子)からいじめを受けていたこともあり、中学受験して皆と同じ中学校に自分は進学しないと決めていた。
小学校当時の自分はというと、ピアノ、水泳、野球と様々な経験をしてきたが、結局どれも最後までは続けなかった。ただ、勉強にだけはすごく自信があったし、学校のテストや成績もずっと1番だった。だから、自分は皆と違う学校に行って勉強するんだ、とそう決めていた。女の子からいじめられてたこともあり、女の子のいない男子校に通おうと思っていた。

失敗した中学受験

とにかく塾で意識の高い友達たちと、楽しくやりながらも勉強に励んでいた。母親にもサポートしてもらい、自分の成績は塾内でも急激に上がっていくのが結果としてちゃんと出ていた。
そして、小学校6年生。学校の友達は今年で卒業だ、とか言っている中、塾の友達の間ではこの話題でずっと持ちきりだった。そう、「志望校」の話だ。
僕が当時決めた志望校は「東大寺学園中学」。関西圏では、誰もが知っている日本一の東大合格者数を誇る「灘中学校・高等学校」の次に継ぐ奈良県の私立名門校だ。
東大寺は灘には劣るものの、京大70人、東大24人(※2013年のデータです)の合格者を誇るほどの進学実績であったし、奈良の「高の原」という田舎にあり、駅からは遠いものの見学に行ったときには落ち着いた場所でのびのびとしている感じがあった。そして何よりも、東大寺が掲げる「自由な校風」というのにお調子者の僕はとても気に入ってた。

(ここにいけばエリート達の中で意識高く勉強していけるし、好き放題楽しめる...!)
正直、東大寺以外は目になかったし、東大寺に落ちたら自分は普通に皆と同じ公立中学校に進学する、というくらいの勢いでずっと勉強してきた。
基本的に塾ではお調子者だったので周りの先生たちから度々怒られることもあったが、受験まで半年を切ったときには猛勉強していた。
1月某日。東大寺の入試結果発表。結果は、残念なことに、自分の受験番号は無かった。
どうして?あれほど入試問題解いたときも手応えあったし、得意の算数なんてほぼ満点に近いはず...。
落ちた理由がわからなかったし、目の前が真っ暗になった。
そして約2日後に届けられた入試の得点結果(※不合格者の者のみに送付される入試結果)を見ると、算数は90点台をたたき出していたものの、国語が50点しかなかった。あと何よりも、合格最低点のところをみると、自分の得点よりあと6点高ければ合格していた。国語で記号問題2問を合わせれば合格できている結果だった。
これにはさすがの自分も、泣いた。
結果、自分はすべり止めで受験した中学校に進学することになった。
大阪にある「清風中学校・高等学校」というところだ。

絶望に満ち溢れてた清風中学校時代

正直すべり止めで受ける学校なんて興味がなかった自分は、塾(大阪・上本町)から近く、気軽に受験できそうな学校、という理由だけで清風中学校のパンフレットを請求して、願書を出していた。
パンフレットには、「灘中学校受かったけれどもそれを蹴ってこの学校に入りました」なんていう先輩(※後にちゃんと東大合格していました)が載っていたし、京大にも毎年20人近く行っていたので、そこそこ進学実績のある学校なんだな、程度にしか見てなかった。これの選択が後で大きな誤りと後悔することなんて知らずに...。
4月1日。清風中学校で入学式を迎えた。そこには同じ塾で1つ下のクラスに通ってた友達もいたりした。最初はその友達とずっと話していたりした。
入学式での校長先生の話。ぼーっとして聞いていたのだけど、いろいろ聞いてみると自分はとんでもない学校に入ってしまったかもしれないと今更になって気がついた。
まず、僕が東大寺でも求めていた「自由な校風」とは正反対の学校であるということ。
「仏教を中心とした宗教による教育を実施する」なんていうわけのわからない建学の精神を掲げて、年に1回の修養行事(1年生は高野山で風呂なし3日間で寺にこもって修行をする)を行うと言い出したり、毎朝(月曜日〜土曜日)校長先生の話を聞くための朝礼があったり、その朝礼で毎朝般若心経というお経を唱えたり、校則違反したり悪いことをした人にはその般若心経を半紙に書かせる「写経」を行わせたり... なんなんだこの学校は・・・。どうして自分はこんな学校に入ったんだ。最初からそんなモチベーションだった。
次に、生徒の質が上から下までバラバラすぎること。
僕が東大寺に入りたいと思ってた一つに「意識の高い友達が多くいるから」というのがあったけど、この学校に関してはそうではなかった。もともと東大寺よりも進学実績がないことは明白であったが、如何せん1学年450人もいるマンモス校であることが入学してわかったのだ。さらにその450人の中でも理3コース、理数コース、標準コース、というレベル別でのクラス分けが行われていたので、生徒全体としてのレベルは、本当にバラバラであった。
これからどうなっていくのだろう...最低でも阪大くらいには行きたいよな...なんて考えてた自分だったが、入ってしまったものは仕方ないし、とりあえずクラスの友だちと仲良くなることから始めよう、というところからスタートした。
その結果、お調子者だったので友だちと悪ふざけしては、学校からの罰「写経」に食らう日々であったが、楽しい時間は過ごせたし、今でもいい友だちを持ったな、と思った。
しかし、その一方で自分は学校からも、家族からも孤立していくのが目に見えてわかった。元々学校をはじめとする担任の先生たちとは仲が悪いどころの話ではなかったので、学校側からするとかなりツンツンした生徒で問題児であった。しかし、宗教にハマり清風の建学の精神を愛してしまった親は、完全に学校派であり、学校に洗脳されていくのがハッキリと見えていた。
いつの間にか自分の居場所は、学校にも家にもなかった。ただあるとしたら、学校の友だちと外で楽しくやってるくらいだった。

読んでよかった
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自分の性格と違う学校に入ると辛い、という実体験してますので激しく同意できます。

そうだったんか。。

柏木 祥太

【概要】 就職というものををしたくない人。就職の為に大学行く,いわゆる大学が就職予備校となってしまっているこの情勢に常に疑問を持ちます。新しいことを学ぶのは好きです。

柏木 祥太さんが次に書こうと思っていること

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