2013年最後の日に語るべきこと。人はその時になるまで気づかない。

後悔というものは、し始めたらきりがない。


それは父の最後の日・・・


その日私はいつもよりも4時間も早く目が覚めた。

このことがその後、私を苦しめることになる。


この写真は、年末帰省中に見つけた写真を再撮影した物。若き日の父と。


-父を最後に見た日の朝-


平日の朝というものは、大概バタバタしているもの。

両親と離れる日

その日も結局は出かけるころにせわしなくなってきた。


私はひとりっこで、両親の関心を一身に受けてきたために

その反動で大学を出ると同時にひとりで暮らし始めた。

しかし、この日に限っては、仕事の関係で四国徳島へ立つため

部屋を引き払い、身ひとつで実家に身を寄せていたのだ。


私は自分の飛行機に合わせて家を出ることにしていたのだが、

父は出勤の時間を私に合わせたようだった。


私の実家は東京都のマンションの一室。

中年男性の朝のよくある風景と同じく父にもゴミ出しの仕事があった。

その日はペットボトルの日。腐るものではない。


しかし私はこの別れの日にまでゴミを出しに行った父に対して、幼稚にもすねてしまい父を待つことなく先に駅に歩き始めたのだった。


最後の父の姿は逆のプラットホームの上にあった。

私の側の電車が先にくる様子だったので

「もう行くね」と指をさし合図を送ると「行け」と合図を返してきた。


これが父と交わした最後の意思疎通となった。

それは感謝の言葉ではなく、単純な非言語コミュニケーションだった。


私は降りる駅に合わせて乗車車両を選ぶため歩き始めた。

電車が入ってきた。電車に乗る。動き始めた。

最後に手でも振ってやろうと、父を探した。


ホーム上の父は、動体視力が特に優れているわけではないので

動く電車の中の私を見つけ出すことができず

あたふたと首を動かしていた。


その姿は滑稽であり、愛らしかった。

まあ、あとでメールでもすればいいか・・・

その時はそう思った。



-父の最後の日-


私は東京を離れるのは嫌だった。

だからと言ってまさかわずか1週間で再び東京羽田空港に舞い戻り降り立つとは思ってもみなかった。


それは11月の寒い日。この年は特に寒い冬だったと言う。


徳島へ来て最初の週末。

家の周辺になにがあるのかも気になっていて

今日は一日かけて探検をする予定にしていた。


その高揚もあったのか、その日はいつもより4時間も早く目が覚めてしまった。

快晴だった。


近況報告のために実家に電話でも入れるかな。電話を手に取った。

もしかしたら電話帳で父の番号を表示までしたかもしれない。

実家の朝は早い。この時間でも十分に起きて生活を始めているはずだ。


そんなことも思いつつ、しかしながらここに来てなおも両親に依存しているように感じた私は「あとでしよう」と考え直しその時は電話をしなかった。

それは零コンマなん秒という一瞬の判断だった。


洗濯を済まし、私は当時はまっていたテレビゲームを始めた。

せっかく早く起きたのにテレビゲーム?と思われるかもしれないが、

それほどに時間に余裕を感じるほど、早く起きたのだ。


朝、目が覚めてから数時間経った。

洗い終わった洗濯物を干し終わった後だっただろうか。

父から電話がかかってきた。

手間が省けた。


しかし、出たのは母だった。

父の携帯電話から母が電話をしてきたのだ。

・・・不思議なことだが、私はそれから母が話すことをすでに知っていることのように受け入れることができた。


なんにしても一刻も早く母のもとへ。

とは言っても、最も早く帰る方法として飛行機の時刻に依存する。

じたばたしてもしかたがない。


東京へ帰るとなれば、すぐにでも会社に連絡をしなくてはならない。

しかし今日は日曜日だ。

私は唯一知っていた東京の支社長の携帯電話に電話を入れた。


事の次第を伝えると「大丈夫か」などと声をかけてくださった支社長は

最後に、こう言った。


「冷静やな・・・」



私は、ハッとした。

私は父の死になにも感じない冷血な人間だったわけではない。

私はこの日のことを、なんとなく予期していたのだろう。


そう、ずっと前から。

いつの日かこんな日が来ることを。


その日は突然やってくる。

その時、執着してしまうのか。「ごくろうさま」と送り出せるか。


タクシーに飛び乗り空港へ向かった。

空港の売店で父の好きなうどんをお土産に買った。

四国のおいしいうどんだ。


私が泣いたのは、準備万端整えて

トイレの個室に入った時だった。

朝、起きた時に電話をしていれば父と話すことができた。恥ずかしながら、私はこの時初めて過ぎた時間を巻き戻すことができないことを知った。



こんな私にお役に立てることがあれば幸いです。

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