休学中の大学生が、縁もゆかりもない地方都市でバーテンダーをしてみた話 - 2 -

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お仕事がはじまりました


9月末から移住、お仕事がはじまりました。夜の世界へと足を踏み入れます。
お店は基本的にマスターであるMさんと従業員のYさん2人で回しているとのこと。

Mさんはバーテンダー歴25年、格闘技とハードロックが好きな40代の独身男性。
Yさんはバーテンダー歴10年、高血圧でナルシストな30代の独身男性。
もう、キャラ濃過ぎるわけです。

週末には愛媛大学や松山大学の学生がアルバイトに来ていました。
カウンター10席、最大6人座れる個室が3つと、BARの中では大きなお店です。

そして、このお店はいわゆるコンセプトバーでした。中世ヨーロッパをイメージして作ったんだとか。

            一番人気はブラッディメアリー

甲冑があったり、昔の武器やらなんやらが飾ってたり。
カウンターのバックには大きな「ナポレオンの戴冠式」の絵。
お手洗いは「マリーアントワネットの生涯をイメージして作った」などと…。
BGMはマスターお好みのハードロックをクラシックバージョンにしたもの。
美味しいのはもちろん、もう、お店自体も超個性派…!

松山市民みんな大好きというよりは、好きな人は好き、知る人ぞ知る…という感じでした。なかなか入りづらいお店です。

MさんとYさん、2人に挟まれたわたしの仕事は、掃除と洗い物と接客でした。
お客さんに君が作ったのを飲みたい!と言われたら、お酒をつくるという感じです。
15時半に出勤して、2時間近くかけてお店を隅々と掃除、それからオードブルであるチーズの準備、洗い物。
19時に開店。おしぼりとメニューを出してオーダーを聞き、洗い物をし、オードブルを出し、接客。
3時に閉店。お仕事中はお酒を飲まないので、ここでようやく飲ませてもらいます。カクテルの作り方を教えてもらったり、テイスティングしたり、片付けをしたり。
なんだかんだと、5時くらいに毎日帰っていました。早く終われば4時くらいだったし、6時くらいのときもありました。

想像以上に、ハードな日々。疲れて寝て起きてご飯を作って食べて支度すれば、あっという間に出勤時間でした。
それでも、心から本当に、とっても楽しかった。お客さんと言葉ひとつ交わすだけで、飛び上がるほどに。

初日に「お姉さんこの業界何年目?」と聞かれたりして、Mさんと爆笑した思い出も。

生きることは働くこと、の飲食店経営


         実際のお店のカウンターです。お客さん撮影

オープンしてちょうど20年経つので、わたしとお店は同い年でした。
わたしが生まれてからここへ辿り着くまで、Mさんはバーテンダーとしてこのお店を切り盛りしていたことになります。

Mさんはよく「僕はこの仕事しかやったことないから」と笑っていました。他のことを知らない。
それでも、死ぬまでやり続ける仕事だと。僕にはこれしかないのだと。
Yさんはわたしに、「ふつうに大学出て飲食就く子って理解できんのよねえ」とも言っていました。

継続。同じことを、毎日、少しずつ工夫しながら。飲食というのはそういうものでした。

飲食店で働く方もお店によくいらっしゃいましたが、彼らは彼らで「ふつうに会社員とか絶対ムリ。派閥とかめんどくさい」「飲食はがんばったらがんばっただけ儲けられるでしょう。会社員はある程度一定だし、やる気起こらんよ」なんて言っていて。

わたしは特別飲食業界に興味があったわけではないのですが、やはりなんというか、地方都市だからか、経済が一定の小さな界隈で回っている感じがしてならなかったのです。
今まで時給でもらうアルバイトでしかやっていなかったので分からなかったことなのですが、あれはなんて良いとこ取りの働き方なんだ、とも。
お店を継続させるために、もっと地味な作業が違う時間で行われていることを知りました。

「生きることは働くこと」と言えちゃうような、生活に密着した働き方、飲食店経営。週休2日なんてあり得ないですもの。
会社員のお客さんが「ぼくらは会社がなくなったら終わりだからねえ、マスターはスゴイよねえほんとに。甘えてるんだよぼくらは」と言っていたのが印象的です。

バーテンダーの接客

   仕事中は飲酒禁止。パフォーマンスが落ちるから、という徹底振り。

バーテンダーというのは、お酒をつくる仕事だと思っていました。
それだけならば、わたしは「バーテンダーやってきました!」とは言えないかもしれません。
だけれどすぐに、お酒というのはバーテンダーの一部分に過ぎないことを知ります。

仕事が始まってすぐ、Mさんはわたしに接客の仕方をみっちり教えてくれました。
Mさん曰く「お客さんがバーに来るのは、話をしたいから」だと。
お客さんが話したいことを引き出す話術が必要なのだと。

もちろん、家族や出身や学歴や仕事などという、プライベートにあたることを聞いては駄目。
そういう話題をいかに「聞かず」に、引き出すかということです。お客さんが自ら言えば、それを拾っていいのだけれど。

お客さんが話したいこと、というのは、大きく3つに分けられるそうです。
自慢、愚痴、過去の思い出。つまり自分のことを喋りたい、ということ。

複数人で来たお客さんに対してはなるべく邪魔をせず、が大前提。
おひとりで来たお客さんに、この接客が求められました。

Mさんはわたしにこう言ってくれました。
Mさん
高原さんは日本を回ったり、東京の学生だったり、話すネタに溢れてるやろ。しかも初対面でも怖じけず喋れる人やけん。余計に、だからこそ、聞く力を持ってほしい
常連さんから出張でふらりと立ち寄った一見さんにまで、この接客を心がけること。これが私の、主な仕事でした。

お喋りが盛り上がって、帰り際「楽しかったです」と言ってもらえたときは本当に嬉しかった。
何を言っても聞いても鳴かず飛ばずで、きまり悪そうに帰るお客さんには、申し訳なくて悔しかった。
どう切り出そうか、どうしたら引き出せるか。思いがけなく、私はそんなことを学んでいました。

社会の黒子


会社員の愚痴を聞き、不倫を生暖かく見守り、学生の恋の相談に乗り。
お客さんたちそれぞれの夜を、素敵なひとときにかえていきます。
そうして迎える現実の朝が、少しでも良いものでありますように。

東京のバーテンダーと、地方都市のバーテンダーはまた少し違うのかもしれませんが。
バーテンダーとは、街の歯車をうまく回していく「社会の黒子」なのかもしれません。
外から見れば、あんなに華やかな職業なのに、ね。

新しいお酒と出会う毎日

         アイラウイスキーテイスティングの様子

とはいえ、もちろんお酒に詳しくないといけません。...というか、私はお酒を勉強しに来ていたわけです。
安くてキツい日々の代わりに、毎晩閉店後にMさんとYさんからお酒を学びました。

お酒の世界は広くて深くて底抜け。短い期間、学んだことはほんの上辺を触る程度だったと思います。
Mさんはわたしによく、「僕らは扉を用意しただけ」と言っていました。その先は、これから続く長い飲酒生活で育んでくれ、ということ。
入り口がなければ、知ることもなかった世界のことです。

カクテルは、レシピが全く一緒でも、作り方によって全く違うと知りました。スタンダードカクテルのレシピを覚え、作り、時には抜き打ちテストも。
ほぼ毎晩、ワインを飲んでぶどうの品種当てをしました。個性豊かなビールに数多く出会いました。
ウイスキーのストレートなんて、松山に来るまで美味しいと思う日が来るとは夢にも思いませんでした。
「負けテキ」という、テキーラ一気飲みはもったいなすぎることも。
シェリーやラムやコニャックアルマニャックカルバドスなどのブランデーやリキュールや、そのほかいろんな、ありとあらゆるお酒のこと。

人間、興味があるものに対しては知識をスポンジのように吸い込むのだなあと自分で感心してしまいました。
つまるところ、お酒が好き、という漠然な想いから、お酒の楽しみ方を知り始めた、という感じです。

「自分は何も知らない」ということ。世の中のお酒をすべて知るなんて絶対不可能であること。
だから、選り好みなんかしないで、こんなものもあるのか!なんて試し続けること。
安いお酒は悪ではないこと。高いお酒が正義でもないこと。すべてを楽しめる気持ちを持つこと。


そんなようなことを、学びました。目の前は扉ばかりです。

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お酒だけではなく、オードブルで用意していたチーズも、メニューにある葉巻も、たっぷり学ばせてもらいました。
葉巻...香り高くて、お酒のアテにぴったりです。煙草とはまるで違う!
知らない世界に偏見を持つことが、どれほど損なことかと思い知らされました。

松山のホンモノの味を求めて


お仕事を始めてすぐ、Mさんはわたしに提案しました。
Mさん
松山に昔からあって、街の人が小さな頃から食べているソウルフードにぜひ挑戦して欲しい。美味しいか美味しくないかは別としてね。そしたら東京に帰った時、松山出身の人に会ったら、いろいろ喋れるやん
Mさんは山口県出身、松山歴20年。Yさんは宇和島出身、松山歴10年。
地場の人である常連さんにも協力してもらい、わたしのソウルフード探訪が始まりました。

松山のソウルフードは、甘い。上白糖が必需品なのです。
例を挙げるとすれば、

甘辛大盛りミートソースの「でゅえっと」、

甘すぎてカレーらしいスパイスが全く感じられない「デリー」、

砂糖漬けのチャーシュー「瓢系ラーメン」、

甘いくせに醤油が薄口でもう砂糖出汁でしかない鍋焼きうどん「アサヒ」

などなど…。他にも、昔からある定番グルメを制覇していきました。

シソを使ったパスタを「バジリコ」と呼ぶイタリアン「シシリア」

豚骨の匂いがするのに出汁は鶏ガラのラーメン(しかも店の名前も豚)「豚珍行」

安くて多くて味が野暮ったくて、おじさん達が愛してやまない「野咲」

生姜が効いてて絶品!な唐揚げを出す定食屋さん「ゆう源」

松山の和菓子最高峰で手土産の定番「みよしの」

松山では、食に関することがほとんど全員通じる共通言語でした。
「なるほどね、確かにあそこはソウルフードだ」「◯◯は行った?」「あれは甘くて食べられなかったなあ(笑)」なんて、一気に会話が花開くのです。
これは小さな街だからこそだなあ、と。他にも美容院や医者の評判などは、個人差はあれど、誰にでも通じる話題でした。

じゃこ天だの鯛飯だのという観光フードではない、本当の地場の味。
触れられて、松山の人と共有しあえたのは、財産になりました。

ちなみに、それからは第2ステージ「美味しいか美味しくないかは置いといて、松山で流行ってるお店」第3ステージ「プロが認める松山で本当に美味しいお店」がありました。この辺は割愛します。



だんだんと街が立体的になり、常連さんとも打ち解け、新しい生活が形成されていく充実した日々。
それでもわたしは、激務と寂しさの中で、ある決断を下すことになります。

ここまで書いておいてなんですが、この話はあんまり美談ではなく、どちらかというとかっこ悪い話です。
もしご興味があれば、最後まで読んでいただけると嬉しいです。次回が最後です。

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休学中の大学生が、縁もゆかりもない地方都市でバーテンダーをしてみた話 - 3 -

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