メキシコで出会った腕のない少年の話

忘れもしない1999年の夏、メキシコに約2ヶ月ほど滞在しました。大学の短期留学制度を活用し、最初の一ヶ月はメキシコシティーの南に位置するオアハカでの語学学校とホームステイ。残りの一ヶ月をかけてメキシコを旅しました。

今のメキシコがどのような国になっているのかはわかりませんが、とにかく文化の違いに驚く毎日。自分にとっての常識が、この国にとっては全く常識じゃないと体感することもしばしば。一例として、メキシコに渡航する前に、こんな形で違いを教えられたものです。

日本の昼食 = メキシコの朝食
日本の夕食 = メキシコの昼食
日本の朝食 = メキシコの夕食

これは、食事の量の差です。日本では夕食でがっつり食べる傾向があると思いますが、メキシコでは昼食がそれにあたります。メキシコの夕食は本当に軽い食事で、量としては朝食のような感じでしょうか。昼食のあとにはシエスタ(お昼寝タイム)もあり、郷に入っては郷に従えで、午後の快適な睡眠を楽しんでいたものです。

腕のない少年を作る観光客

オアハカという街は、滅多にアジア人を見かけることがありません。日本からの観光客は、比較的メキシコシティーのような大都市やカンクンのようなリゾート地にいくのでしょう。なので、街を歩いているだけで日本からの留学生はとにかくよく目立ちます。ドラゴンボールが当時流行っていたこともあり、坊主頭だった私は「クリリン!」と叫ばれたりもしました。
そんなオアハカの街中をホームステイ先のホストファミリーと歩いていたときの出来事が今でも頭に焼き付いています。街中にはそこかしこに身体の一部に障害がある子供たちが座っていて、物乞いをしていました。その隣には親らしき大人がいて、この子供たちのためにお金をくれないか、と声をかけてきます。

そのなかに、腕のない子供がいました。どこかうつろにみえる眼も片方が義眼。その子の隣にいる親らしき大人がしきりにお金を要求してきます。あまりに要求がしつこかったのと、その子の様子を見てか、隣にいた友人がお金を取り出そうとした瞬間に、ホストファミリーが厳しい口調で止めました。

「そうやって外からきた人たちがお金を渡すから、この子のように腕のない子が生まれるんだ。絶対にあげてはいけない。メキシコのために絶対にあげてはいけないんだ。」

最初は咄嗟にその意味が理解できず、友人も戸惑っていました。
少し寂しげな面持ちでそう語ったホストファミリーは、

「お金をもらうために、生まれてすぐに腕を親が切り落とす。こんなのを続けてはいけない」

と、その背景を教えてくれました。
いつも優しく、常に笑顔で決して厳しいことは言わないホストファミリーの突然の厳しい口調に、私も驚いたのを覚えています。

家に帰ってからその話について触れることはありませんでしたが、20歳そこそこの若造には充分過ぎるほどの厳しい現実であり、考えさせられる体験でした。

何が正しくて何が悪いのか。未だに忘れられない夏の出来事。

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