雨戸、閉めやなあかん
伊勢湾台風が母にとって心の傷となっている。
半世紀前の当時とは比較にならないほど住宅環境が進化し、堅牢な造りとなっている今も、風雨が強まると聞けば、
「雨戸、閉めやなあかん。」
口癖のように言う。
一九五九年、伊勢湾台風では五千人を超える犠牲者が出た。風速四十五メートルを超える暴風が吹き荒れ、高潮により沿岸の家屋は軒並み浸水した。
当時はテレビが普及していなかった。
ラジオの予報通りに台風は通過した。しかし、防災意識が希薄であった家は被害を最小限に食い止めることができなかった。
「この鳥羽の家も屋根がなくなったんや。家の中から人の手で雨戸を押さえて守ったけど、風がいっぺんに吹き込んで雨戸も屋根も飛ばされたんやで。」
今でも母は思い出すように言う。
父の没後、一人暮らしとなった母はさらに警戒感を強める。
強い台風が来ると聞けば、
「雨戸、閉めやなあかん。」
僕に電話をしてくる。
「雨戸、雨戸とうるさく言わんでも、わかっとる。」
時折、僕が反抗的に言っても、
「あんたの家は非常用袋を用意しとるのか?非常食やペットボトルの水はリュックの中に入っとるか?この頃は、電池が要らん発電できる懐中電灯やラジオもあるんやで。あんたは大事な家族を守らなあかんのやで」
さらに加速し、僕は閉口する。
「いつまでも伊勢湾台風ひきずらんでもええやろ。」
それでも母は繰り返す。
「台風が来る。雨戸、閉めやなあかん。」
伊勢湾台風のときの母の最大の出来事に気づくまで、僕は適当に聞き流していた…。
そのとき、母は二十四歳だった。
妊娠していた。初産だった。僕を身ごもっていた。 母が、命がけで守ったのは僕だった。
「雨戸、閉めやなあかん。」
この頃、僕は家族に言っている。
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