ロンドン留学物語<1>〜人生を謳歌するフランス人シングルママに気付かされた幸せの秘訣〜

次話: ロンドン留学物語<2>〜911、そして日本から遠く離れて感じた孤独と恐怖の体験〜

<皆さんこんにちは。今回はロンドン留学時代の話を、旅行記やエッセイのように書きたいと思いました。ダイジェストで面白い所だけまとめるのではなく、空気感や、細かいディテールまで表現したいと思っているので、ちょっと長くなります。興味のある方は、紅茶でも飲みながらのんびり読んで頂ければと思います。>


2001年9月

初秋の肌寒い空気の中、私は、ロンドン・ヒースロー空港に降り立った。
日本から約13時間の空の旅だった。
私は24歳で、大学を出て3年近く勤めた会社を辞め、語学留学のためにロンドンへ渡った。
「海外に住んでみたい」
長い間夢見続けてきたことを実現できるのは、まだ20代の若いうちだと思ったからだ。次の会社に入った後は独立すると決めていたので、一社目を終えた今が最初で最後のチャンスだ。


"どうしてロンドンにしたの?"

とよく聞かれるが、それは自分がデザイナーであることに関係しているのだと思う。イギリスには有名なデザイナーやデザイン事務所が多くあり、Neville Brody、The Designers Republic、Northなど、私が惹かれるデザインはほとんどがイギリスのものだった。
またロンドンには小さなギャラリーが多くあり、アート全般が好きなので、それをまわるのも楽しみだったし、またマーケットや歴史的な街並みなども惹かれた理由だ。

アメリカ、カナダ、オーストラリアなどの選択肢もあったはずだが、実際頭を掠めもしなかったのだ。迷わずロンドンに決めた。なるべく東京とは違うところに行きたかった。


到着

空港に着くと、出口には人の名前の書かれたプラカードを持った、たくさんの出迎えの人たちがひしめいていた。私はその中から、自分の名前が書かれたカードを探した。

日本で学校を申し込むときに、ホームステイ先まで送迎のTaxiを頼んであった。このとき私は英語が一切話せなかったし、外国に住むのも初めてだったため、自力でホームステイ先に辿り着ける自信がなかったからだ。

プラカードとTaxiのおじさんを見つけ、恐る恐る近づいた。
「ハ、ハロー」
旅の会話帳で飛行機のなか、散々練習してきたのに、外国人を目の前にすると途端に緊張してしまい、挨拶をすることだけで精一杯だった。おじさんは慣れた様子で小さく頷くと、自分のTaxiのところまで先導してくれた。私はスーツケースをゴロゴロ引っ張りながら、おじさんの黒いTaxiに乗り込んだ。座席に座った途端、長旅の疲れがどっと出て来た。これから初めて会う外国人家族のところへ行き、今日からそこで暮らすのだ。なんだか考えただけで自信がなくなり、心細くなってきた。

ロンドンは交通機関によって大まかに6つのゾーンに分かれている。Zone1は文字通り中心部で、そこから波紋のようにZone6まで広がっている。日本人が選ぶ語学学校というのは、ほとんどZone1か2にある。やはり中心部に近いほうが色々便利だろうし、何より楽しめるからだろう。

しかし私が選んだ学校は、Zone4にあった。Zone4というと、完全なる「田舎」とまではいかないが、充分「郊外」で、都会的なものは何もない。留学ガイドを買って、各学校の日本人率を調べ、あえてゼロに近いところを選んだ。ロンドンにまで行って日本人とつるんでいたのではしょうがないだろうと思ったからだ。それに都心ではないぶん、学費が安かった。3年働いてやっと貯めたお金を全部つぎ込むのだ、出来るなら節約したい。

調べてみると、イギリスの語学学校には私立と公立があった。日本人の多くが通う、中心部にある学校はほぼ100%私立で、学費も高い。もちろん家賃や食費などの滞在費も高い。公立というのは、高校に行けなかったイギリス人が、無料で高校の授業内容を学べる場所でもあった。ということは、地元のイギリス人と同じ校舎で勉強出来るということになる。英語上達にはネイティブと友達になるのが一番という鉄則を思い出した私は、一石二鳥!と膝を打ち、迷わず公立を選んだ。ロンドンにはたった二校しかなかった。

ホームステイ先は学校の方で用意してくれた。事前に一度だけ手紙のやりとりをした。フランス人の家庭で、子供が3人いるという。ちなみに語学留学"あるある"で「ホームステイ先がその国の人間ではない」というのがある。ロンドンは「人種のるつぼ」と呼ばれ、様々な人種が暮らしている。私の友人はインド人宅にホームステイしていて、毎日の食事がカレーしか出てこなくて辛い、となげいていた。私はそれまで、24年の人生でフランス人に出会ったこともなければ、話したこともない。英語は通じるようだけど、どんな人達なんだろうとドキドキしていた。毎日フランス料理が出てくるんだろうかと、トキメいてもいた。思えば家族以外の人間と同じ屋根の下に住むのも初めてだ。

「外国に住む」ということは、当時の私にとって、完全に未知の世界だった。


Taxiがホームステイ先に着いた。
私は乗り物酔いするので、そのときも2時間ほど車に揺られ、相当気持ち悪くなっていた。何度も車を止めてもらいたいと思ったのだが「気持ち悪い」という英語すらわからなかった私は、運転手に話しかける勇気もなく、ひたすら後部座席で吐き気とたたかっていた。着いた時はヨレヨレの状態だった。

Zone4なので、さすがにロンドンといえど、田舎の風景が広がっていた。ステイ先は一般的なデタッチドハウスのひとつで、家は細長い作りをしていた。京都の長屋のようなかんじ。Taxiの運転手が降りて、家のチャイムを鳴らしてくれた。中から、小さな可愛らしい女性が出て来て、笑顔で出迎えてくれた。30代後半〜40代くらいだったのではないかと思う。


新しい家族との出会い

彼女はキャロルといって、ランドレディ(家主)だった。何やら笑顔で話しかけてくれるのだが、英語が30%くらいしか聞き取れない。こんなときはとりあえず笑顔だ。←とっても日本人!

玄関を入ると、キャロルからこう聞かれた(と思う)。

「今回、留学生を2人受け入れる予定なの。あなたと、もう一人中国人の男の子。あなた、ラッキーよ。先に着いたから部屋を好きな方選んでいいわよ」

家は2階建てだが、2階は3人の子供と、もう一人日本人の留学生が住んでいてすでに満室。キャロル自身は屋根裏部屋に住んでいた(これがまたおしゃれな天窓のある素敵な部屋なんです)。私と中国人の男の子に割り振られたのは1階の2部屋。ひとつは、玄関入ってすぐ右手、8畳ほどの広い部屋で、大きなクローゼットと、可愛らしい机と椅子のセット、快適そうなベッドがあった。出窓は通りに面しているが家自体が壁で囲まれているので、外から丸見えになることはない。ただ、広い分お高かった。2食付いて一ヶ月の家賃、9万円。食費込みだと思えば、東京都心に比べたら安いのだろうか。

もうひとつの部屋はその隣の部屋で、4畳くらい。小さなベッドと小さな机があるが、とにかくせまい。そして部屋が細長い。ドアが2つあり、もう一つのドアは小さな中庭に続いていた。こちらの部屋は同じく食費込みで6万円とのこと。

うーん・・・やっぱり広い方だよね? 4畳じゃなぁ、せっかくの「外国暮らし」なのに息が詰まってしまいそうだし。それにしてもあと1日到着が遅かったら、選択肢がなかったのかと思うとぞっとした。あぶなかった!

しかし絶妙なさじ加減で高い。声を荒らげるほど高くはないが、ん〜〜〜と唸り声が出てしまう程度には高い。絶妙だ。このときは知らなかったが、後でキャロルの人生設計そのものがこの絶妙さの上に成り立っていることを発見することになる。

とりあえず選んだ部屋で荷解きをして、少し寝かせて貰った。
到着したのが午後2時頃で、起きたら4時頃になっていた。キャロルが部屋を覗いて、
「起きたかしら?これから子供達を迎えに行くんだけど、犬の散歩もあるし、一緒に行く?」と聞いてきたので、私は二つ返事で付いていくことにした。空港から直行で来たので、まだ自分の住むことになるエリアがどんなところか、まったく見ていなかった。寝たことで少し体力も回復し、新しい生活の始まりに、とてもワクワクしていた。

家を出る準備をしていると、一番上の女の子が帰って来た。
・・・絶句するほどの美人だった!まだ14歳だけど。長いストレートの明るいブラウンの髪に青い瞳、ちょっとゴスの入ったメイクをして、男物の黒い大きなパーカーを着ていた。背は私と同じ、160cm弱といったところ。なんでもないパーカーなのになぜあんなに着こなせてしまうのか。モデルのように造作の美しい顔をしていた。

すんごいキレイな子だなぁ、と思わず見とれていると、
「ハーイ!私はMC。よろしくネ」
と意外にも14歳らしく、はにかみながら恥ずかしそうに話しかけてくれた。好奇心いっぱいの瞳と、いたずらっぽい笑顔を持ち、子供っぽさと大人らしさが同居していた。
この最初の印象はよく当たっていた。のちのち彼女とはよく遊んだのだが、子供のようにいたずらが好きで、よく一緒に同じ屋根の下の留学生にいたずらを仕掛けたり、かと思えば深夜に2人でお茶を飲みながら真剣にガールズトークをしたり。10歳近い年の差があったのに、彼女とはとてもウマが合った。

とりあえず、キャロルとMCと私と3人で、下の2人の子供を迎えに行くことになった。茶色のラブラドール・レトリバー「チョコレート」も一緒にお出かけだ(可愛い名前!)。家から15分くらいの学校に着くと、校門にはわらわらと子供たちがお迎えを待っていた。

そして、まず7歳の女の子Pちゃんが走り出て来た。これまた可愛い!!そしてノロノロと面倒くさい(ふり)をして8歳のJ君も出て来た。これまた可愛い!!!

Pちゃんは、MCより更に明るい、ほぼブロンドの髪に青い目。好奇心いっぱいの大きな目で、まだまだやんちゃ盛りの幼い顔つきをしていた。

J君アッシュがかった明るいブラウンの髪に青い瞳。理知的な顔立ちで、妹に比べて大人しい印象。いつもにや〜っと笑う、可愛らしい男の子だった。そう、キャロル家は美男美女一家だったのだ。

みんなで歩いてマーケットを通って帰ることにした。

この街には、ロンドン一長いマーケットがある。平日は普通の商店街が続くストリートだが、週末になると、長い道の両端に屋台がこれでもかと立ち並ぶ。アンティークの食器から、ケバブから洋服、CDや本など、フリーマーケットがずらっと出店されるのだ。そしてその更に脇にはいつもの商店街のお店があるわけで、カフェ、CDショップ、スーパー、洋服屋などが軒を連ねる。一帯が週末は壮大なマーケットになるのだ。

このマーケット、どのくらい長いかというと、駅からスタートしてマーケットの終わりまでゆっくり歩いたら1時間以上かかる長さ。結構な距離だ。

日本ではまだまだ残暑が厳しかったけど、ロンドンはもうすっかり冬支度の頃で、とても寒かった。冬服を日本から送ったのだがまだ着いていなかったので、マーケットでとりあえず大きめのパーカーを買った。MCのマネをして、ちょっとダボっとした黒のパーカー。MCはかわいい!って言ってくれたけど、もちろん彼女ほど着こなせてない。



家族紹介

家に戻ると、皆で小さな庭に出てくつろいだ。イングリッシュガーデンは日本でも有名だと思うが、イギリスの家はどこも庭がある。そして、それぞれが思い思いの花や植物を植え、ガーデニングを楽しんでいる。

庭で皆でお茶をしながら、MCが言った。

MC
オーケー!じゃあうちの家族を紹介するわね!
サンキュー!
MC
まずね、うちにはパパはいないわ。ママだけ。
あ、そうなの?どうりでお父さんいないなぁと思ったよ。
MC
そして、私と、下の2人はパパが違うのよ。私はフランス人のパパで、この2人はイギリス人のパパがいるわ。
お・・・・?あ、そうなんだ?

そう、キャロルはシングルマザーで、違う男性との間に出来た3人の子供を育てていた。
私は、日本でそんなに複雑な家庭環境の人に出会ったことがなかったので、少々戸惑っていた。日本で同じ状況だったら、相当大変なんだろうなと思うでしょう・・・

それが!詳しく聞いてみると、ここイギリスでは全然大変じゃないのでした!(少なくとも金銭面は)


以下、大変じゃない理由。

1)子供3人のシングルママ、国から手厚い保護が出てます。

2)2人の父親から毎月養育費を貰っています。

3)毎週末、子どもたちはそれぞれの父親のところに泊まりに行きます。

4)常時2〜3人の留学生を泊めているので、結構な収入があります。

イコール、

・キャロルは仕事をする必要がありません。

・1,2,4をご覧の通り、仕事しなくても相当な収入があります。

・週末は独身と同じ、子供の世話をする必要がありません。毎週彼氏と遊び歩けます。

・時間がありすぎて(?)私と同じ学校の「アートクラス」に通ってます。もちろんタダで。


なので、日本のシングルマザーの「悲壮感」はどこにもなく、キャロルは人生を謳歌していました!!

むしろこんなことまで言ってました。

子供ってかわいいわぁ〜私、次は黒髪の子を生みたいわ♡結婚?してどうするの??

どうですか日本の皆さん!!

というか女性の皆さん!!

イギリス、すげぇ。と、度肝を抜かれました、本当に。
(イギリスがすごいわけじゃないのかもしれませんが)

しかもキャロル、めっちゃ楽しそうなんですよね、毎日。

男手が必要なときは、近所のサンタクロースと同じ風貌をした、やもめのおじいさんに何でもお願いしてました。そのおじいさん、キャロルに気があるようで(他のご近所さんから聞いた)言ったら何でもやってくれるそうです。さすがフレンチ女子!男性を操るすべを心得てらっしゃる!!!!そして別にマッチョな黒髪の彼氏がいますからね。

こんなシングルママ、日本で見たことないです。

皆さんすごく大変な思いをして子育てしてますよね・・・

行政の違いもあるし、お国柄もあるだろうし、もちろん大変なこともあったかとは思うのですが、それにしてもこの違い。なんだか膝から力が抜けそうじゃないですか?

しかも更にこのキャロルの絶妙さは続くんです。

留学生を受け入れてることで、もちろん収入にもなっているのですが、更に良い影響がこの家族にはあるんです。子供の遊び相手ですね。さらに、色んな国の留学生が来るので、子供が国際的になり、人見知りをしなくなっていました

でも留学生の食事のお世話は結構大変なんじゃない?と思いますよね?

いえいえいえいえ。

朝は棚のシリアルを適当に取り、冷蔵庫のミルクを適当に飲み、クロワッサンや果物がキッチンにあれば自由に食べて良いという完全なるビュッフェです。

そして夜は冗談のような食事が出ていました。

ある夕食のメニュー:ゆでたパスタにケチャップをかけたもの。付け合せ:ポテチ☆

別の日の夕食メニュー:サンドイッチ。付け合せ:ポテチ☆

まさかの、ですよ。まさかの手抜き?w

私の「もしかして毎日フレンチが食べられるんじゃないか」という淡い期待は打ち砕かれました。

実はこれはもう一人の留学生からクレームが行ったらしく、学校からの紹介のステイ先なので、問題になってしまいました。私は学校で呼び出され、恐る恐る会議室に行くと先生方10人くらいがいて、ヒアリングされました。ごはんは何を食べているんだと聞かれ「サンドイッチとポテチとか?」と首をかしげると、その場のイギリス人全員が

先生
オゥ、ノー・・・・・!!!

とため息ついてましたw

最終的にキャロル一家は学校からの紹介を受けられなくなってしまうのですが、実際は彼女たちにあまり影響はなかったのです。なぜなら、今まで何十人も留学生を受け入れて来たので、その口コミだけで間借りをしたい人が来るので、その後も困ることはなかったようです。


キャロルの幸せの秘訣

さて、キャロルは、果たしてラッキーなだけでしょうか?

私は、キャロルの生き方を見て色々気づいたことがあります。

・自分の幸せ最優先。自分が幸せでいると、周りも幸せでほがらかに過ごせる。
・周りの目は気にしない。やりたいことを自由にやる。
・オープンでいる。
・素直に助けをもとめ、うまいこと人に助けて貰う。

日本で暮らしていると、自分だけ幸せというのはいけないんじゃないか、とか周りの目が気になってやりたいことが出来ない、言いたいことが言えない、ということが多いような気がします。

キャロルのように「自由」なタイプは、きっと近所の奥様から悪口を言われたり、妬まれたりするのではないでしょうか。「普通」の「常識」から外れてるから。

でも、私はそれこそ幸せに生きる秘訣なんだと思いました。まわりの目は気にせず、自分がしたいと思ったことをする。楽しい毎日を送る。そうすると、やっぱり子供も楽しいし、ハッピーな人たちが周りに集まって来るんですよね。そしてやなこととか、失敗があっても、いちいち落ち込まずに「なんとかなるさ」の姿勢でいると本当になんとかなったりします。

未来のことを気にしすぎず、過去にもとらわれず、常に「今」を生き、オープンでいること。人に対しても、情報に対しても、オープンでいると、色々いいものが流れて来るように思います。

そして、人に頼ること。ときには人に頼ることが難しいと思うときもあると思いますが、素直に助けを求めると、まわりは気持ちよく助けてくれたりするのではないかと思います。頼れない、と決めているのは自分で、案外頼って欲しいと思ってくれる人は周りにたくさんいるかもしれません。

キャロルは「幸せの達人」なんだと思います。あんなに色んなことが絶妙に「うまくいってる」人を、私はあまり見たことがありません。

そんなこんなで、キャロル一家にホームステイしながらのロンドン生活のはじまりです。この後約一年滞在したのですが、5ヶ国の男性から告白されたり(!)、切ない恋をしたり、家を出て友達5人とシェアハウスで住むことになったり、皿洗いのバイトをしたり、8万円スラれたり・・・そしてこの後すぐ、911をイギリスで迎えることになります。

それはまた、続きで。

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ロンドン留学物語<2>〜911、そして日本から遠く離れて感じた孤独と恐怖の体験〜

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