恵まれない立場からの逆転話が多いのはなぜだろう?

みんなみんな、喋りたがりだ。


STORYS.JPに登録してみた。
もともと文章を書く事は好きで、自分のことを書け、と言われたらある程度の文量は書けると思うけど、書くシーンはあまりないよな…と思いながら卒論とにらめっこしていたところでこのサービスを見つけた。
これなんて私のためのサービス……!と思って登録してみた。Facebookとの接続が必須なのはちょっとめんどくさいなと思いつつ登録完了。STORYS.JPのトップページを観て、あることに気がついた。
「偏差値○○から△△に合格……」
「不登校からの……」
「会社をクビになった自分が……」

お、おお……?
「逆境を乗り越えてからの成功話」ばかりじゃないか……。
しかも、トップページに表示されているってことは、読む人が多いってことなんだろうか…(よくわからないけど)。
この手のタイトルしか並んでない状況がちょっと不思議に感じた。
ので、
「ただの成功話」と「逆境からの成功話」
なぜ、後者が巷に多いんだろう?ということを考えてみた。

身近に感じるから?


ひとつ考えたのは、「親近感」。

「中学も高校もこつこつやって好成績おさめて、東大いってMITにも留学しました。」
って人と、
「中学も高校も劣等生だったけど猛勉強して、東大受かりました!」
って人。どっちが身近に感じるのかという話。

前者については「あーもともと頭良くて努力家だったんだなー。」で終わるけど、後者については「すげーなー。自分も出来ない子だけど、がんばればもっとなんとかなるのかな。」っていう希望も、もしかしたら持てるかもしれない。
あと、出来る人が単純に面白くないって人は、出来ない人の逆転劇が面白いっていうところもあるのではないだろうか。

私だって頑張ったもん!


あとは、「自分の頑張りを聞いて欲しい」っていう感情。
これは読み手が書き手に変わる時にはたらくものだと思う。

逆境を乗り越えて、成功したという体験自体が、その人を成長させてくれる。
だけど、その成功体験による達成感は時間を置くと薄れてしまう。
普段はそれでもいいけど、他の人の成功話を聞いた、または読んだときに、
「あの時、私も頑張ったなぁ。」と思い出す。
そして、思い出すと、「だれかに聞いて欲しい」という気持ちになるのは自然なことではないだろうか。
「私の頑張った話を聞いて、あわよくばなにか反応してほしい」という欲求が、結果としてその人にもその人の武勇伝を書かせるのだと思う。

そうやって物語が広がっていく。


ブログとか、ツイッターとか、ニコ生とか、自己を発信するツールはどんどん新しく作られていって、そこに水が合った人たちが根付いて、自分のことを知ってほしいっていう気持ちを抱えて日々いろんなことを発信している。
STORYS.JPは、字数制限に囚われずに自分を主人公にした物語を書けるツールだ。
他人の物語を呼び水に、自分の物語を書いたり、または自分の物語が、だれかが物語を書くきっかけになったりして、物語の広がりを楽しむことができる場所だと思う。
そんな気持ちで、今日からSTORYS.JPを使い倒していこうと思う。

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