就活失敗して内定がもらえなかったからMBAにいったらスゴイことになった話


プロフィール



小森雅(こもりみやび)。1988年生まれで神奈川県出身。日本大学、商学部卒。大学3年から4年にかけて就活をするも全滅し、逃げ道として一橋大学大学院のMBAに進む。そこで大量の情報をインプットし、毎日優秀な人と議論し、課題をこなすことで実力を身につけ、2度目の就活では一流企業から複数内定を獲得することに成功。


はじめての就職活動



志望動機なんかねーよ


大学3年、後期の授業が始まり、10月になった頃、また学内で就活セミナーの告知がなされていた。「全員参加」とある。これは出席しないとまずいのだろか。正直、行きたくなかったが、全員参加の文字が気になる。友人の増川はバイトがあるから行かないという。なんと不真面目な。

不安だったのでとりあえず出席したみたところ、自己分析から面接までの一連の流れを説明してもらえた。

「まずは自己分析をして自分を知りましょう。エントリーシートは企業へのラブレターです。面接で相手の目を見ると緊張する人はネクタイの付け根をみるといいでしょう。」

あまりピンとこない。自分はあと数年で何の職業につくのだろう。返却された自己分析シートを見ると、上昇志向が強いが、行動が遅れがち。金融業界でアナリストやファンドマネージャーについたり、コンサルを仕事にするのが向いており、営業は向いていないということだった。

営業が向いていないのは自分でも思っていたし、調査結果にはおおむね納得。しかし、ファンドマネージャーって何をする仕事なのだろう。エントリーシートの志望動機をどう書いていいのかが分からない。「給料がよくてなんとなくかっこいいイメージだからです」なんてかけないしな…。

悪戦苦闘している間も増川は何もしていなかった。

「お前セミナー一回も言ってないんじゃないの?」

「うーん、まっ大丈夫っしょ!」

楽観的な性格が裏目に出ていた。増川は大手から内定が貰えることはないだろうな


就活本格化


冬の足音が聞こえ始めたころ、企業セミナーにもいくつか出るようになった。一応志望業界は金融とコンサル。

いつものようにPCでネットサーフィンをしていたとき、奇妙な現象に出くわした。

「セミナーの予約を開始しました!」

たまたまメールの画面を開いていて、新着メールに3秒ほどで気付くことができた。志望度の高いコンサル会社からのお知らせなので、是非出席しておきたい。速攻でログインIDとパスワードを入力し、予約画面にうつったところ衝撃的な画面が表示されていた。

「月曜日…満席。火曜日…満席。水曜日…満席。木曜日…満席。金曜日…満席」

全部、満席じゃないか!すぐにログインしたのに、ここまで競争は激しいのか。

2ちゃんねるのスレではやはり、話題になっていて「予約できなかった」、「満席だった」というレスが並んでいた。もっと早くログインしないといけないのか。

競争の熾烈さを思い知った僕はPCのメールを携帯に転送するようにして、家にいるときは常にPCをつけっぱなしにすることで、すぐに気付けるようにした。

「ピロロロ」

来た!TVを見ていた僕はすぐにPCに向かいログインした。

「満席」

またか。一体どうしたらいいんだ。

こんなことが何度か続いてさすがにおかしいと思い始めた。企業はもっと枠を増やしてみんなが参加できるようにしないといけないんじゃないか。


このときの考えはとんでもない勘違いだった。このとき裏では学歴フィルターなるものにひっかかっていたのだ。


面接は茶番


正直なところ、質問会では何を聞けばよく分からなかった。

「一日のタイムスケジュールを教えてください」

「この会社に決めた理由はなんですか」

周りの人もありきたりで、就活指南書に書いてあるようなことばかり聞いていた。こんなので選別されているのか。どういう質問をすれば高評価なのだろう。腑に落ちないことが多かった。


面接では、周りの人がすごい経験を語る中、自分はサッカーサークルで練習を頑張って仲間と努力する姿勢を見につけたという平凡なアピール。なんとかしないといけないと思いつつも、特段威張れることもない。こんなことならせめて資格としてTOEICの勉強でもしておけばよかった。何も誇れるものがないとは。

いっそのことバイトリーダーなどと捏造しようかと思った。しかし、バイト経験なんて駐車場で交通整理を短期でやったことと、居酒屋しかない。居酒屋も1ヶ月もたたないうちに面倒くさくなってばっくれたし。

後悔は尽きない。面接に落ちるたびにこの後悔の念は強まって入った。大学生活をもう一度やり直したい。

俺ってダメ人間だな。もっと大学1年のときから活動しておけばよかった。


内定ゼロ


3月の4週目、勝負の週だった。この時期に4月1週目の面接予約がどれだけ入れられるかで結果が決まる。2ちゃんねるの就職板では「電話きた!」「俺もきた」と立て続けに書き込まれ、自分も電話機を握り締めて、各社からの連絡を待ったが、結局こなかった。1社も来なかったのだ。


みんな忙しいはずの4月初旬の予定はゼロ。つまり、採用が進んでいた企業は全部面接落ちだった。これには精神的にまいった。あれだけ忙しく大量の予定を詰め込んで、足が棒になるまで歩いて、ご飯も食べずに就活した結果が、ゼロ。すべては意味がなかったのだ。


白い目



4/3、大学の授業説明会やゼミの集まりにいかなくてはならなかった。気まずいな。なんて言おう。

「おー久しぶり!」

 同じゼミの女の子に明るい感じで話かけられ、就活がうまくいっていることが直感でわかった。

 「お、久しぶり」

 続々とゼミ生が教室に集まる中、どこから内定を貰ったかという話で盛り上がっていた。

「俺、損保ジャパンとニッセイ」

「マジー?私もニッセイだよ」

てめーそこ俺が落ちたところじゃねーか。

「俺は日立」

「メガバンはいないのかな?」

「はーい三井住友とみずほ」

ゼミ長が返事をして、周りからおーと声があがった。

「小森は?」

「いや、まだ」

「あぁ…」


MBAを見つける


インターネットで「就活失敗 進路」と検索してみる。いろいろなページをみたところ、公務員、大学院が有効で、中には起業する人もいるらしい。起業といってもアイデアなんてないからなー。大学院ってどういうところなんだろう。

 自分は文系だから、院に進むことは全く考えていなかった。そもそも学部時代も勉強はしてこなかった。楽そうな授業を選んで適当にレポートを出してなんとか単位をもらう程度。

そもそも大学院ってどういう選択肢があるんだろう。調べていくうちに、大学院の中にはロースクールのようにちょっと特殊な進路があることが分かった。商学系だとMBAやアカウンティングスクールというものがあるらしい。MBAってなんだかかっこいい!Master of Business Administrationの頭文字をとったもので、日本語だと経営学修士というのだとか。

これこそが自分の求めていた武器なのではないか。何もアピールすることがなかった自分はMBAに進めば、生まれ変わることができるんじゃないか。希望の光が見えた気がした。


国内MBAの受験としては9月に筆記試験と面接を受けてからすぐ10/1に合否が発表される。今からでも間に合う!気持ちは一気に傾いた。


就活よりも厳しい面接


MBAの中で一番評判がいいのは一橋。ここに行くしかないと猛勉強を始めた。筆記は英語は簡単。鬼門の小論文は運よく書くことができた。過去問では、問題文の意味すら理解できなかったのに、ラッキーとしかいいようがない。


一橋MBAの面接はアカデミックな圧迫面接で有名で実際にそうだった。番号を呼ばれ、教室に入ると3人が横一列に並んで座っている。もうその光景を見ただけでものすごく威圧感を感じる。見た瞬間に相手の力量を思い知らされる感覚。

名前を言い軽い自己紹介を済ませた後は、この3人からの攻撃が始まる。

「どういう研究がしたいの?」

「その研究意味ないんじゃないの」

「大学で一番面白かった科目はなに?」

「君はポジショニングビューとリソースベーストビューどちらを支持する?」

「大学の成績悪いねー。何で?」

「お金儲けしたいだけじゃないの?」

「あなたをとることで生まれるうちにとってのメリットってなんなの」

直球すぎる質問の連続。就活では一応、お客様扱いで丁寧に接してもらうことが多かったけど、大学ではそうじゃないらしい。


これは落ちたかもしれないな。



合格



10/1はいつもより早く目が覚めた。合格発表の日だからだ。発表の時間まであと4時間もあるので、御飯を食べ、テレビをみて過ごすが、そわそわして全く落ち着かない。テレビでの会話は頭に入ってこず、考えるのは受かったかな、落ちたかなということばかり。他の受験者はどういう人だったのだろう。日大という学歴じゃ無理かな。

時間になり、インターネット上で発表された受験番号を祈るような思いでそーっと見ると自分の番号を見つけた。合格したのだ。何かの間違いじゃないかと思い、何度も何度も受験票の番号と照らし合わせて確認した。いったんPCのブラウザを閉じた後、なにかの間違いで自分の番号が消えていたらどうしようと心配になり、携帯カメラで撮影しておいた。

このときの嬉しさは筆舌に尽くしがたい。少し前まで周りから就活落伍者として白い目で見られていたのが、一気に逆転だ。一橋大学大学院、商学研究科、MBA(経営学修士)コース。実に心地よい響きだ。

ゼミで先生とみんなに報告すると、ゼミ生は驚いていた。

「受かったの!?」

「すごい!!」


地獄の日々

一橋MBAは超スパルタだった。大量の課題におぼれ、目の下にクマをつくりながら、グループワークをこなし、ディスカッションをこなし。




レポートは毎回採点されるから皆必死にA評価をとりに時間ぎりぎりまで推敲を重ねる。優秀な人達が死ぬほど勉強しているのだから、周りについていくので大変だった。



それでも、数ヶ月たって授業が終盤になり始めたころ、自分に実力がついたように感じ始めた。


強制的に予習される仕組み。授業では発言しないものは評価されないし仕組み。グループで勉強させられる仕組み。全てがうまく設計されていた。


これまでの人生で一番勉強した濃い半年だ。勉強の中では、資産運用に興味を持つことができた。それまで、とくにやりたいことがなく、惰性でやっていた就活とは一線を画して、自発的に動けるようになっていた。いや、動きたいと思っていた。
運用の仕事がしたいのだ。

改めて、就活で自分の実力を試してみたい気持ちで心が震えた。



2度目の就活は楽勝

はじめにインターンシップの採用活動に挑んだのは大○証券だった。書類審査が無事通り、グループディスカッションでは類まれな知識と頭の回転を見せ付けることに成功。

大げさに書いているように思われるかもしれないが、周りを圧倒していたと思うし、グループディスカッション終了後に「すごいですね!」、「大学はどちらなんですか?」、「何でそんなに知識があるんですか?」と複数の人から聞かれた。



日大時代では考えられなかったことだ。MBAに在籍しているということを伝えると、感嘆の声が上がるのは気持ちよかった。正直、採用活動で行われるグループディスカッションなんて、お遊びのようなものだ。日々、授業でディスカッションしてみっちり鍛えられているMBA生には超イージーモード。


MBAに入ってから変化したのは前述した面接だけではない。如実に違いが現れたのはエントリーシートだった。以前はサークルで練習に明け暮れた結果、仲間と結果にむかって努力する姿勢を身につけたというどこにでもありがちで、何の差別化もなされていない文章だった。自分が人事部だったらこういう付加価値のない文は山ほど見て、飽き飽きするだろうなと思いつつも、他に書くことがないからしかたなくそうしてきた。

しかし、経営学の素養が身について、そこらの社員よりも詳しくなった自分は、超一流の文章がかける。業界に対する知見、将来予測を前提として書いたうえで、大きなビジョンを語る。自分の思いを熱く語れるようになり、一流の書類が書けるようになっていた。


その後、書類選考で落とされることは一度もなくなった。少し前までは通過率50%くらいだったのに。一橋MBAの希少性が評価されているのか、自分の文章のレベルが上がったからかは定かではない。どちらもなのだろうか。

内定獲得

3月に入ると、4月の面接の予約が次々と入り始めた。2年前はスケジュール帳が真っ白で胃が痛くなっていたな。実力がついたという自信は確信にかわりつつあった。手ごたえを感じる。落ちる気がしなかった。

表向きの内定解禁となる4/1。朝9時にコンサルの面接に行き、昼には電機メーカーと銀行、その後は証券会社…と休みのない日となった。

もう移動だけで足がものすごく疲れたし、自分に自信ができたと言ってもやはり面接で頭をフル回転させていると疲れる。

一日の予定が終わって、吉野家で夜ごはんを食べていたとき、携帯がなった。あわてて水を飲んで電話にでる。

「もしもし、本日は面接にお越しいただきありがとうございました。」

コンサルからの電話だった。

「こちらこそありがとうございました」

「小森さんには是非弊社で働いていただきたいので内定をおだしすることになりました」

きた!ついに念願の内定だ。安堵のため息がでる。まさか面接を受けた当日に合格通知が電話でくるとは思っていなかった。



その後もこっそりと就活を続けた。
4月の2週目に入ると最終面接ラッシュとなり、握手して内定を貰いまくった。

少しやりすぎたかなと思ったものの、とりあえず貰えるものは貰っておけ精神の下、自分の優秀さを確認したい気持ちもあってコンサル・メーカー・証券会社・銀行・保険と各方面から内定を貰った。

最終的には資産運用ができる保険会社を選び、そのほかは電話で内定辞退をした。




だめ大学生だった僕が内定ゼロから複数内定を勝ち取るまでに生まれ変わることができたのは、秀逸なMBA教育を受けることができたからだと思っている。

このような経験を多くの人に伝えたいと思い、出版社にアプローチをかけたところ、本を出すことになった。

内定ゼロからの大逆転~国内MBAにいったら就活が生まれ変わった~

http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00HZ05IBY/


最後に、ときには厳しくときにはやさしく指導してくださった一橋大学の先生方、ありがとうございました。



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