母を自宅で看取り天涯孤独になった瞬間の話。⑦

1 / 2 ページ

前話: 母を自宅で看取り天涯孤独になった瞬間の話。⑥
次話: 母を自宅で看取り天涯孤独になった瞬間の話。⑧

2003年8月28日 last 13 day


昨日から母はオムツをつけた。
もう自力ではトイレに立てないからだ。
見ていて悲しい。
元気であった姿を知ってるし、元々おしゃれに気を使う人だったのに、本人から、「もう動けないからどうでもいいよ」と投げやりに言ってきた。
もうそれぐらい倦怠感が強いようだ。
それでも母の希望もあり、祖母に下の世話をお願いしていたけど、朝方ベッドのシーツが汚染しており、交換に時間がかかりそうだから俺も手伝った。
仕事から慣れているからすぐに交換できたが、
「こんな情けない姿を・・・」と母も悲しそうだった。
「どんな姿でも俺は母さんが好きだよ」と言ったら、「ありがとう」と小声で返事をした。
しかし、ずっと目は瞑ったままだ。
朝ちょっと意識がある時、母が友人のおみさんに別れの電話をした。
声も小さく、すぐ切った。
「来て良い?って聞いてきたから、『だめ』って答えた」としんどそうに答えた。
そしたら、朝9時ぐらいにあわてた様子でおみさんが来てくれた。
さいたまから来た友人といい、おみさんといい、その行動に目頭が熱くなる。
殆ど返事も出来ない母をみておみさんは別の部屋に行き、声を殺して泣いていた。
でも、おみさんも看護師なので現在の母の身体状況と体調を説明したら、「今日は私が一日看ててあげるから休みな」と言ってくれた。
お言葉に甘えて、昼食を食べに外出した。
もう、母はだれかに会うだけで相当疲れる様子だ。
ずっと眠ってる。
「もう、早く死にたい」と本気で言ってる。
往診予定だった医師に断りの電話と現在の体調の報告すると、「尿もまだ500mlでてるし、今日・明日では死なないと思う」とのことだ。
ゆっくりと眠る安らかな時間が今は一番だと思う。
そういう時間が増え、そのまま死ねれば本望なのだろうか・・・

2003年8月29日(金) last 12 day


朝祖母に謝った。
「自分も余裕なくていらいらして、やり場のない怒りをぶつけてしまってごめんなさい。最後までしっかり母を看ていこう」と。
祖母は「いいんだ、知ってんだ。あんたも私みたいな口は悪いけど心は優しい嫁と結婚しなさいよ」と訳わからんことぬかしてた。
しばらくして、「あんたは勇者だ。あたしなら自分から謝ったりできないもん」と言っていた。
「そんなんで勇者かいな」と思いつつ、精神科の仕事をしていると、自分と相手の関係を振り返り、自分の内面の感情を認め反省して、新たに行動につなげるってことを習慣として行っている、頭にカッときても冷静に考えたり出来たのかもしれない。
自分の感情を認めるのってすごくしんどいけど、確かに勇気のいることかもしれない。
まあ、勇者とはほど遠いけど。
今日訪問看護ステーションの所長がきた。
やっぱりすごかった。
何をするわけでもなく、2時間家で雑談してくれた。
実習でお世話になった家のその後、所長が母と話してたこと、最近の学生の話や家族の話。
すげーと思ったのは、本当に所長は人間の存在を大事にしてる。
側にいるだけでとても安心する。
それは母も俺も一緒だった。
所長がいてくれ、話してくれて気分転換にもなったし、安心して時間を過ごせた。
「今日は私はお家に来て、何もしてませんよ。ダッツをごちそうになっておしゃべりしただけよ」って笑顔で帰っていった。

でも不思議ととっても「看護された」って感じだ。

人間はそこ存在するだけで周りに大きな影響を与えてるんだと改めて学んだ。
やっぱりすげー。

ストーリーをお読みいただき、ありがとうございます。ご覧いただいているサイト「STORYS.JP」は、誰もが自分らしいストーリーを歩めるきっかけ作りを目指しています。もし今のあなたが人生でうまくいかないことがあれば、STORYS.JP編集部に相談してみませんか? 次のバナーから人生相談を無料でお申し込みいただけます。

著者のTakai Reiさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。