管理人さんが亡くなった後にしたこと。

人気サイトの管理人さんが無くなった後のチャットは、どこかぽっかり心に穴が空いた感じでした。

いつもなら、忙しくても定期的に更新される記事や情報が、当然ながら更新されず、毎日書かれていたBBSのレスも書かれないまま、多くの人たちが遊びに来ている。

チャットの常連さんからは、


チャットの常連さん
もうこれから、人が徐々に来なくなるのかな?

などという会話も出ていました。

毎日のように思い浮かんだ管理人さんの死に顔

毎日のようにチャットをしていても、思い浮かぶのは葬式の管理人さんのツヤツヤとした顔。今までこのチャットに本当にお世話になって、沢山の友達が出来て。

今までの自分は、勉強や偏差値しか考えて来なかったのに、世の中が狭くはないことを教えてくれたこのチャット。

みんなの代表として、葬儀に出向き、管理人さんに挨拶をした自分だからこそ、何かできることはないだろうか?

そんな風に思って、この滞っているサイトを引き継ぎたい、そう思ったのでした。

後日、管理人さんの実家に勇気を出して訪れてみました

葬式で頂いたお返しの住所を手がかりに、19歳の私は電話を掛けて仏前にご挨拶をさせて頂きたいと伝え、ご両親に挨拶にいくことになったのでした。

今思うと、「なんてわがままなことを言ってしまったんだろう」

亡くなった彼のご両親に挨拶をして、「息子さんが作られたサイトを引き継がせて欲しい。データをもらえませんか? このサイトにはまだ沢山の常連さんがいるんです」と伝えました。

そんな一方的な想いをご両親に伝えていたと思います。

お母様は、ただ自分の話を聞いてくれてましたが、お父様は私の話に全く耳を貸さず、テレビに顔を向けたまま一度も私の方に顔を向けてくれませんでした

30分から1時間程度は話したでしょうか。お母様が一言、


管理人さんのお母様
何年か経って、私たちの心が落ち着いたら、またいらして下さい。

そんな風に話してくれました。

自分にとっては、生きるきっかけをもらったサイトが廃れて行ってしまうことの悲しさばかりを伝えていました。当時の自分はご家族の気持ちを考えることも出来ず、ただ、自分の想いばかりを伝えていたんだと思います。

帰りがけ、お母様にさようならを告げて帰る際に、お父様はやはりテレビに向かって私に一言も声を掛けず、その背中の寂しさが、最愛の息子を亡くした悲しみの深さを物語っているようでした。

まずやったのは、1000通のメールを出すこと

その後、なぜか不思議な責任感みたいなものにかられていました。

人気サイトに訪れる人たちは、頻繁にされていた更新が全くされなくなり、不思議な違和感が漂っていたからです。管理人さんはどうしたの? ここんとこ全然更新されてないね、そんな話題がチャットやBBSに出てくるようになりました。

自分だから知っているその理由

管理さんは既に亡くなっていて、それを自分はネットの関係者として見送った。そんなことを伝えたいにも、どう伝えたらいいか、分からない。

チャットを通じて知り合った人や、BBSに書き込みがあった人、リンクで辿って行き着いた管理さんの知り合いの人、総勢1000名近くだったでしょうか。一つ一つ辿って行った連絡先を手元に置いて、一人一人にメールをしたのでした。

一人一人にメールで伝えた彼が亡くなったこと

一人一人がどこか変な感じを覚えて、その理由は管理人さんが既にこの世にはいないことであること。それを伝えたくて、19歳の自分はなぜか不思議な使命感にかられて、彼に関係する全ての人たちにメールを出したのでした。

総勢1000通近くのメールを当時使っていたhotmailから出していました。水知らずの人にメールを出すわけですから、ほとんどは返信がない訳ですが、中には、


管理人さんの知り合い
わざわざ教えてくれてありがとう。さぞ、大変だったことでしょう。

と返してくれる人も少なくありませんでした。けれども、中には、


管理人さんの知り合い
そんなこと、見ず知らずの君に言われたって信じられる訳がないよな。

という返信もいくつかありました。

1000通も送っていると、こうして事実をみんなに伝えることが、果たしていいことなのかどうか悩むこともありましたが、なぜか最後までみんなには伝えたい、そんな気持ちが湧き出ては、自分だから知っている事実を伝え続けたのでした。

1000通のメールを打ち終えて、思ったことは、

亡くなった管理人さんのためでなく、これは自分の気持ちの消化なんだ

と考えるようのなったのです。メールを1000通も打つことは、彼の死を伝えたいということではなく、多分、自分のモヤモヤとした気持ちを吐き捨てたかったんだ、と思うようになりました。

データを引き継げないなら自分でサイトをやってみよう

ご両親からサイトのデータを引き継げないと分かり、それからは、彼のサイトを自分で引き継ぐためには、どうしたら良いかをひたすら勉強しました。

管理人さんのHPからWEBの基礎を勉強しました。

目の前にあるお手本を元に、このサイトがどのような構成で作られているかを勉強しました。今まではお客さんとして遊んでいたサイトが、HTMLと言う英語のような言語で構成されており、また色使いもとてもキレイに配色されていて、管理人さんがされていた高度な技術を反復するように再現して勉強していったのでした。

復元サイトを作ってからは

かれこれ半年くらい掛かったでしょうか。

管理人さんが作っていたサイトの作り方を勉強して、できるだけ雰囲気を抽出してサイトを構成したのでした。更新されていなかったサイトから、昔の常連さんが懐かしく訪れて来てくれて、とても嬉しい感じを覚えました。そんなサイトを2年位運営していき、徐々に訪れる人も多くなって行った中で、自分が大好きだった詩のHPを開設したり、新しいHPを作るようになっていきました。

ネチケットってな〜に?! というサイトの開設

大学3年(2002年になると)、チャットに訪れる人の年齢も明らかに低年齢、小中学生の数がワッと増えるようになりました。今までは、20代〜40代が多かったチャットに子どもたちが突然なだれ込んでくるため、挨拶もせずにため口での会話が頻繁になされるようになったのです。


チャットの常連さん
最近、子どもが増えたな。昔と違ってなんか喋りづらいな。

という、声が出て来て、昔から来てくれていた常連さんたちも少しずつアクセスする率が減って行きました。

インターネットの世界にはまだ決まり事が確立していないんだ。

そう感じて作ったのが、「ネチケットってな〜に?!」というサイトでした。


学校や家庭ならば普通に大人が教えてくれることが、インターネットの世界では、まだ誰もそれを教えてくれていない。ならば、自分がインターネットのマナーのサイトを作ってしまおう、そう考えたのでした。

チャットのサイトは、あくまで亡くなった管理人さんから引き継いだサイトでしたが、このサイトは自分から作りたい、世の中にはまだない内容だ、と思い着手したサイトだったのです。

ルビを振って読みやすいようにしよう

亡くなった管理人さんがやっていた小中学生にも分かりやすい言葉で返信をしていたのを思い返し、このサイトでは感じにルビを振ることで小中学生でも読みやすい内容にしようと思ったのでした。

思いがけない反響をもらい

いつしかこのサイトのアクセス数はみるみる数を増やし、あっという間にのべ20万件を越えました

みるみるメディアから取り上げれていき

そのうち、Yahoo!の本日のおススメや、週間アスキーさんにも取り上げてもらうようになり、このサイトを作ったことで、人生の22年間で得られなかった感情が芽生え始めました。

勉強でも偏差値でも学歴でもなく、自分が社会と繋がっている

社会と早く繋がりたかった自分にとって、学校でも勉強でもなく、インターネットの世界が社会の声とダイレクトに繋がれた。そして、いろんなメディアから声がかかった。試験や偏差値では図れない何かが込み上がる感情となって、心の中に芽生えたのでした。

そして、とあるテレビ局から突然の電話がかかって来たのでした

そんな折、突然、小さい頃からずっと見ていたテレビ局から、このサイトに取材が入ったのでした


番組のディレクター
初めまして。××テレビの○○です。突然なんですが、明日取材をさせて頂きたいのですが。
22歳のおいら
え? 明日、僕を取材??

そして、翌日、とある取材を受けるため、テレビ番組のクルーが私の自宅に来ることになったのです。

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古新 舜

映画監督・コミュニケーションデザイナー 映画×教育をテーマに、世の中の当たり前を疑う姿勢、決められたレールから外れることの大切さ、2つの違ったものを融合させる姿勢をテーマに、作品創りを行っている。アクティブラーニング社羽根拓也氏に師事。社会人基礎力を養うワークショップを展開する。

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古新 舜

映画監督・コミュニケーションデザイナー 映画×教育をテーマに、世の中の当たり前を疑う姿勢、決められたレールから外れることの大切さ、2つの違ったものを融合させる姿勢をテーマに、作品創りを行っている。アクティブラーニング社羽根拓也氏に師事。社会人基礎力を養うワークショップを展開する。

古新 舜

映画監督・コミュニケーションデザイナー 映画×教育をテーマに、世の中の当たり前を疑う姿勢、決められたレールから外れることの大切さ、2つの違ったものを融合させる姿勢をテーマに、作品創りを行っている。アクティブラーニング社羽根拓也氏に師事。社会人基礎力を養うワークショップを展開する。

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