20年前にはわからなかったSOSの言葉

ふと仕事の関係で、中学生の頃のことを思い出す機会があった。ずっと記憶の奥底にしまってあって、二度と振り返ることなんかないんだろうなっていう記憶がいろいろとある。

それは悪い思い出だから思い返さないのではなく、はるか昔の記憶だから一部忘れていたりする情景の一つ。あのときの自分はよくわからなかったものも、30代も半ばに差し迫ると、ふいに答えが見えてくることがある。

この話は中学生の頃の話。中学1年の話か2年の話だったか、記憶は定かではない。中学校は、いくつかの小学校が合体して出来上がる集合体だったので、自分の卒業した小学校には全くいなかったタイプの人間も中学で一緒になることがあった。

私のいた小学校は比較的田舎の地域の学校だったため、中学に入学した時に都市部の小学校からきた同級生達が何か眩しく見えたのを覚えている。どこか垢抜けていて、同じ学生服を着ているのに、彼らは着こなしているように見えたものだ。



そのなかに、Sというクラスメートがいた。いま思うと、俳優の成宮寛貴にそっくりで、身長も高く、スポーツも万能。常に笑顔が絶えない彼はクラスの人気者だった。その頃の自分は背も低く、垢抜けない田舎の子。彼を見る度に貧弱な自分が惨めに見えて、とにかく羨ましかった。

何がきっかけだったかは全く記憶にないけれど、Sと親しくなった。Sと親しいだけで、クラスの女の子からSと仲良くなる仲介を頼まれたり、それはそれでさらに惨めになっていくのだけれど、悪い気分はしなかった。それと同時に、なぜSが仲良くしてくるんだろう、とも不思議に思っていた。

ある日の夜、Sが何の連絡も無しにうちに訪れてきた。いまのように携帯電話がある時代ではないから、本当に突然の訪問だった。玄関をあけたら、バッグ一つ抱えたSが立っていた。夏のことだったと思う。

「悪いけど今日泊めてくれないかな」

彼の家から私の家へはざっと2kmほどある。自転車も使わずに、バッグ一つを持って歩いてきたという。さすがに親に黙っておくわけにもいかず、親に事情を説明した上で家に泊めた。あまり詳しい事情は覚えていないけど、家出したようだった。

それから何度かSは家に泊まりにきた。何回かは親に告げず、逃げ出すようにうちに泊まりにきていたと思う。
その度にいつも見せるとびきりのかっこいい笑顔で、

「何でもない何でもない。ほら、高畑の家楽しいからさ、つい来たくなっちゃって」

と言って、何事もなかったように過ごしていた。きっと都会の人たちは、うちのような田舎とは家庭のルールも違うんだろう、ぐらいに思っていた。

その年の後半のことだったと思う。Sは数日ほど学校に来なくなった。人気者が学校に来ないわけだから、当然みんな心配する。そしてみんなはその理由を自分に聞いてくる。いまでも記憶にあるけれど、実はSのことを何も知らないことにそこで気づいたのだ。なんで休んでいるのかも知らないし、Sの家で何かあったのかもしれないけれど、それも全然わからない。仲が良いようで、実は表面上の付き合い。それは中学生だから仕方のないことかもしれないけれど、何も答えられない違和感だけは記憶に残ってる。

そして数日後に登校してきたSの顔を見て、皆言葉を失った。

ボコボコに殴られたであろう青痣だらけの顔。いつも見せていた爽やかな笑顔が、悲壮感漂う悲しげな顔に変わっていた。誰に殴られたのか、何が起こったのか、説明する間もなく、Sは先生に連れられて職員室へと向かった。

それから数日後のこと、親の都合でSは転校したと告げられる。あんなにかっこよくて、みんなの人気者で、どんな時も中心にいた人物が、転校の理由もよくわからないまま、皆の前から姿を消した。噂では、父親の家庭内暴力が絶えず、離婚して母方の実家へ引っ越したとのことだった。

と、こんな感じのストーリーで頭には記憶されていたのだが、ふと最近思い出したSの言葉がある。確かうちに数回目に泊まりにきた時のことだったと思う。

「高畑の家っていいよな。みんな仲良くて、楽しそうで。羨ましいよ」

あの頃は何とも思わず、聞き逃した言葉。自分の家族は特別だと思ったことはなかった。事実、特筆する点なんか何もない、平凡な日本の家庭だと思う。でも、Sにとっては理想とする家族だったのかもしれない。そして、あの言葉は彼のSOSだったのかもしれない。

私からすれば、Sは容姿端麗、性格も完璧。とにかくモテる。いつもみんなの中心にいて、非の打ち所がない奴だった。だから彼のすべてが羨ましく見えてたわけだけど、いま思うと彼にとってはそんなものよりも、ほんの些細な家庭の幸せを欲していたのかもしれない。中学生だった自分にはそれを察する力もなく、彼の家庭環境がどんな状態だったかも知らないまま、何も力になれなかった。

約20年も経過したいま、なぜこんな話をふと思い出したのかはわからないけれど、20年経ってSOSの言葉を思い出すのも皮肉なもの。あのときの自分では何もできなかったと思うけど、多少なりとも後悔の念にかられる。

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