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14/3/23

異国の街に大好きな恋人を置いてきた。その悔しさを晴らすためだけに起業した話。

Image by Olia Gozha



こんにちは!

WEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口といいます。


僕は23歳のときに会社を辞め、24歳のときにWEBで起業しました。
25歳のときに出国をして、それから海外を転々としながら、WEBサイトを作ったり、コンサルティングなどをしています。


しかしそれは、社会にどんな価値を与えようだとか、どんな貢献をしようだとか、そんな立派な理由があってはじめたものではありませんでした。僕が起業を決めた理由は、「好きな人と一緒にいる力が欲しかったから」というものだったからです。


大学4年生の夏、アジアを放浪するバックパッカーとなった。


大学4年生の夏、僕は荷物をまとめて、アジアを放浪するバックパッカーとなった。



「大学を卒業したら企業に勤めなくてはならない」
そんな選択肢しかない雰囲気に、どうしても違和感があった。


日本以外の生き方を知りたい。
世界のどこかには、自分がしっくりくるライフスタイルがあるのではないか。


そんな風に思って、僕はアジアを回りはじめた。

 

1ヶ国目で、いきなり旅は頓挫した。 


しかし、、、

その旅の目的は、1ヶ国目のタイで、すでに頓挫しつつあった。


なぜなら僕は、バンコクのレストランバーで働く女の子に、いきなり恋に落ちてしまったからだ。


そのとき僕は、ゲストハウスで同じ宿になった「圭さん」という人物に連れられて、
バンコクの盛り場を歩き回る毎日を送っていた。


圭さんはタイ語がペラペラで、ローカルな場所から、おいしい穴場のレストラン、ナイトスポット、女の子を口説くタイ語ジョークまで、すべての遊びを網羅したような師匠的存在だった。僕はいつも圭さんと待ち合わせて、いろいろな場所に連れて行ってもらっていた。




Ice(アイ)という女の子に出会ったのは、バンコクのシーロム通りの路地にある、小さなレストランバーだった。


タイ人にしては珍しく、色が白く、丸顔で、日本人のような顔立ちをしている。
笑顔が可愛い女の子で、小学校の時に好きだった子にどこか似ているような気がした。注文を取りに来てくれたその子を見た瞬間に、体中の血が沸騰するのを感じた。


「すいません、僕、あの子に一目ぼれしたみたいです。」

圭さん「あの子って、あの今来た子か?」

「そうです。どうしましょう、どうしたらいいですか、僕は!」

圭さん「ハハハ!そりゃいいわ!」


生まれて初めての、一目惚れだった。


お店は混んでいたが、圭さんはその子を呼んで、タイ語で色々と話し始めた。


圭さんは僕のことを笑いながら指差して、彼女はそれに合わせて笑った。みゃーみゃー話すタイ語の発音が可愛い。どうして俺は大学で英語なんてやっていたのだ。あんなものよりタイ語をやっておけばよかった。


「Chuu arai krap?(名前はなんですか?)」

Ice「Ice」

「アイ?」

Ice「cai cai(うん、そう)」

「Khun, Taorai krap?」


いくつなの? と僕は聞いたつもりだった。
僕の言葉を聞いて圭さんもIceも爆笑した。


圭さん「ちがうちがう、ユウキくん、年齢を聞くのは"Aa yuu Thaorai"だから! それじゃあ、"あなた、いくらですか?"って意味になるから!」

「うへぇ!?」


初対面の女の子に「君、いくらなの?」なんて、冗談にもほどがある。僕は赤面してわたわたと「ちがっちがっ」とジェスチャー。そこはさすが圭さんで、うまくフォローしてくれたのか、彼女の機嫌は良かった。ひとしきり話したあとで、彼女は照れたように仕事に戻ってしまった。


人の純情をそんな軽い理由で暴露しないでください。


「どんなこと話したんですか?」と、圭さんにさっそく尋ねてみると、


圭さん「とりあえず、"ここにいる彼が、君のこと好きなんだけどさ"って言ったんだけど、」

「い、いきなりなんてこと言ってるんですかあなた!」

圭さん「いや、だってここタイだし。」

「いくらタイだからって、人の純情をいきなり暴露するようなことやめてください」

圭さん「いや、タイだからいいんだよ。南国なんだぜ? ここは。」



彼女は英語があまり話せなかった。僕もタイ語が話せなかった。

僕は古本屋を回ってタイ語の「指差し会話帳」を手に入れると、それを小脇に挟んで毎日のようにそこに通った。


彼女の仕事が終わる時間まで待って、ご飯や遊びに誘ったり、圭さんに口説き文句を教わったりしながら、一週間に三回くらい告白する生活を送っていた。



女の子を本気で好きになる、それ以上の冒険は、男にはない。



ある日の夜中、彼女から連絡があった。

「HELLO.いま、どこにいるの?」


そのとき僕は、他のお店で圭さんと飲んでいて、別れたあとで、繁華街の路上に座って酔を覚ましているところだった。


「お店の近くにいるよ。」

Ice「なにしてるの。」

「いや、酔っ払って……路上に座って休んでる。」

Ice「なんでそんな危ないことしてるのよ。」


そこで待ってて、と彼女は言って電話を切った。

十五分ほど待っていると、彼女がタクシーで迎えに来てくれた。


Ice「なんでそんな酔っぱらってるのよ。送っていくから。」

「ごめんね。」


「いいわよ」と彼女はなんでもなさそうに笑って、言った。


Ice「私はあなたのガールフレンドなんだから。」



言葉がうまく通じないからチグハグな会話しかできず、言葉が見つからず沈黙してしまうことも多かった。が、それでも、異国の街に恋人がいるということは、灼けつくような体験だった。


本当はユーラシア大陸を横断する旅が、東南アジアしか回らなかったのもそれが理由だ。ラオスに行ってタイに戻って、インドネシアまで南下してまた戻って、バングラデシュに行ってまた戻る。タイにばかり居座る、沈没旅行者のようになっていたが、それでも毎日が刺激的だったし、異国の街で女の子を好きになる以上の冒険は、男にはないと思った



一緒にいようとすればするほど追い詰められていく。


しかし、大学生の僕にはお金を稼ぐ力がなかった。


日に日に減っていく銀行残高。少しでも長く滞在しようと出費を抑えれば、お洒落な服を買うことも、ろくなデートに連れて行ってあげることもできない。一緒にいようとすればするほど、追い詰められていく。何もできず、ただお金に悩まされる自分の無力さを思い知った。



「2週間後に日本に帰るよ」と僕は、彼女に伝えた。「大学に戻って、またバイトをしてお金を貯めなきゃ」


「そうなの」と言って彼女は目を伏せる。「で、次はいつこっちに来られるの?」


こちらで稼ぐ手段がない以上、銀行残高を食いつぶせば強制帰国だ。そして一度帰国したら、彼女と次にいつ会えるかわからなかった。帰国を決めたのは11月。大学4年生の秋から良いバイトが見つかるとは思えない。卒業したら、すぐに仕事が始まってしまう。


その当時のタイはまだネット環境が整ってなく、当然、彼女もパソコンを持っていなかった。スカイプで気軽に電話もできない。国際電話でやりとりをするにも限界がある。帰国したらもう―それがお別れだった。





帰国の日、日本に向かう飛行機の中で、悔しさに涙があふれた。

好きな人と一緒にいる力すらない自分の無力さが、ただただ情けなかった。


もう二度と、こんな想いはしない。僕は絶対に、好きな人と一緒にいられる力を手に入れる。それが世界のどこであっても、どんな国籍の子であっても、彼女と一緒にいられる力を身につける。次に出国するときには、絶対にその力を身につけた状態で出国するのだ――。



起業をする理由なんてなんでもいい。ただそこに、本心から溢れる感情があればいい。




あのとき、どんな力があれば、僕は彼女と一緒にいられただろうか。


ふつうの企業や組織で働いていれば、そのライフスタイルは叶わない。

それは、時間や場所にとらわれない仕事、日本でなくてもできる仕事でなければならない。

それは、生活費がギリギリ稼げる仕事でなく、異国の街でアパートを借りたり、語学学校に通える余裕のある仕事をしなければならない。


そんな都合のよいワガママが叶う条件の仕事は、日本の職業のなかにはない。

だから、僕は起業することにした。


僕は今、WEBサイトを作ったり、WEBマガジンを運営してその広告収益で生計を立てている。そうして得た資金を旅に回して、今は海外の色んな国に住み着きながら、仕事を継続している。


25歳で出国をしてから、この1年半で、これまで、タイ、ラオス、ベトナム、イタリア、フランス、スペイン、ポルトガルの7ヶ国9都市に住んで仕事をした。そうして、異国の街の風景を、Facebookやブログで配信してきた。


起業する理由なんて、なんでもいいのだと思う。ただそこに、本心から溢れる感情があればいい。変に社会を良くしようだとか、こうゆうサービスがあれば誰かが喜ぶだろうとか、とってつけた理想ならいらない。自分が忘れられない、捨てられない想いをエネルギーに変えた方が、人の心を打つようなものができあがるのだと思う。


あのとき自分が思い描いた「世界中どこでも好きな人と一緒にいる力をつける」という状態に、かなり近づくことが出来た。


もう、彼女と逢うことはないだろうけど、もしそんな機会があったら、今はもう喋れるようになったタイ語で、色々なことを話してみたい。




追記:今回の記事が元になった本が、出版されることになりました。

★書名:「うつ病で半年間寝たきりだった僕が、PC一台で世界を自由に飛び回るようになった話」

★出版社:朝日新聞出版

★発売日:2014年4月18日(金)

★値段:1400円+税

★著者:阪口裕樹(さかぐちゆうき)

Amazonでの予約・注文ページはコチラです。


23歳のときにうつ病になり会社を辞めてから、
25歳で出国する力を身につけるまでの2年間のストーリーを書きました。


内容は、

・千葉の実家で半年間寝たきりだったときのこと
・自分の夢に決着をつけるため日本縦断した話
・異国の街に恋人を置いてきた悔しさを晴らすためだけに起業した話。
・うつ病を克服するために九州の旅館で住み込み働いた話
・大阪あいりん地区でひとりでも生きる力を身につけるため奮闘した話

など、僕が実際に体験したストーリーを、追体験できるようなものになっています。よろしければご覧いただけると嬉しいです。

⇒Amazonでの予約・注文ページはコチラです。



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現在も僕は、旅をしながら仕事を続けています。

Facebookはこちら⇒https://www.facebook.com/powertravelerweb

旅の様子や現地でのアパート契約方法などを配信しています。5月は台湾へ、7月はポーランドに行く予定です。ご興味ありましたら、お友達申請やフォローをいただけると嬉しいです!


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