4浪して獣医学科に入った私がなぜ生協で営業の仕事をしトップをとっていたかの話

1 / 3 ページ


夢にみた獣医師とはかけ離れていた私


身の丈に合わない「獣医師」という夢を持って4年浪人し、実際に死にかけ、入院を経てやっと獣医学科に入った。(《偏差値30台から、4年浪人して獣医学科に入学した話》を読んでください)

あこがれの獣医学科。

本当に充実しまくりの毎日。

6年間、授業料免除をかけて必死に勉強し、電話帳のような国家試験の問題集を解きまくり獣医師国家試験に合格し「獣医師免許」を取得した。

いよいよ動物病院に就職し、一人前の獣医師に向かってまっしぐら。。。。。

のはずだった。

残念ながら待っていたのは、挫折の日々。

毎日、院長や先輩の獣医師、看護師に怒られる。


「なにやってるんですか!!」

「ちゃんと勉強してください!!」

「いったい大学で何やってきたんですか??????」

「本当に、期待はずれ。。。。。」


最終的には、

「邪魔だからどいて!!!!」

だった。

大学ではほぼトップを走っていたつもりだった。

でも、動物病院と言うピカピカの現場に出たら本当に頭でっかちの役立たずだった。

「理屈を本で知っているだけ」

だった。

使えない知識。

下痢の治し方すらわからなかった。。。。

大学では、この病気はこんな症状で、こんな検査をして、こんな風に治療すると学んだ。

ところが現場では、「食欲がなくて、吐いていて、ぐったり」という感じでやってくる。

このよくある症状を話をしながら紐解いていき、この病気という結論を導き出し治療を決定する。

学んだこととは正反対の方向から攻めないといけない。

インプットはあるが、アウトプットができない状況だった。


ナサケナイ


毎日、怒鳴られ、呆れられ、夜中に帰り早朝出勤する。


「本当につかえない。。。」

いつの間にか、私の目の前を仕事 がスルーしていくようになった。

つまり、信用されなくなってしまったのだ。


そんなに私はできない人だったっけ?そんなことなかったのに。。。

大学の教育レベルが低いのではない。

自分ができると思い上がっていたレベルと動物病院という現場で働く実践力重視の人たちとの間では大いなる差があった。

速い・正確・先を読む能力

その当時の私にはなかった。。。。

完全に自信喪失してしまった。


そんな毎日の繰り返しで

最終的に心が疲れてしまって朝起きることができなくなってしまった。

起きたとしても、おなかが痛くてトイレにこもっていた。

完全にストレス性のものだった。

遅刻になった事情を電話で話し今から行きますと言った。

「別に、来なくても差し障りないから来なくていいよ。」

いらないんだ、私の存在など。

そう思った。


決定打は臨床研究室ではなく基礎研究室の同期入社の獣医師と比較されたことだった。

「研究室、内科だったよね。基礎系の△△さんよりだめだよね。。。少しは見習ったら?」

基礎系とは内科や外科以外の研究室のことで病気の治療とはほぼ関係のない研究をするところを言う。

ちっぽけなプライドが崩れてしまった。

気持ちが、完全に引きこもってしまった。


やめます。。。。


やる気あるの?ねえ?どうなの?

ほんと、給料泥棒だよね。。。。

やる気無いんなら辞めても良いんだけど。


そんな言葉をずっと聴きながら、

「4年も浪人して獣医になったけどつらいな。。」

と思う気持ちが心の中を占拠していった。


雑巾を持ち床を這って掃除しながら、やめよ。。。と思った。リセットしたい。

最後に病院を出ると時にドアに鍵をかけて、郵便受けから病院の中に鍵を投げ込んだ。


なんとも、なさけない辞め方だった。これ以上罵声を浴びせられたら立ち上がれないかもしれないと思い逃げてしまった。


弱い私だった。



しばらくぷー太郎


獣医をやめたらただの人だった。

知らないうちに「先生」と呼ばれることに慣れていた。

さん付けで呼ばれることに違和感があった。

でも、それこそ異常だと思う。


少々の貯金を崩しながら食べ繋いでいた。

底をついてしまうのはわかりきっていることだった。


仕事を探そう。

ハローワークに通った。

面接にこぎつけても、採用には至らなかった。

なんでよ!

と、思った。

一度、勇気を持って不採用の理由を聞いたことがあった。

「だって、獣医でしょ。何のためにここへ面接に来るの?場違いだし、ここへ来る理由が分からない。だって不自然でしょ~。」

その通りだった。


獣医師という肩書は「研究所」「動物病院」「製薬会社」「公務員」なら、何の違和感もない。

いったん、そんな仕事から離れると行き先がなかった。


獣医であることにそれなりのプライドを持っていた。それだけの努力もした。それなのに、《獣医師》という肩書きが獣医らしい職場を失った私の就職を阻むものになるとは想像もしていなかった。


それでもやっぱり獣医でありたい

結婚、出産を経て子供の笑い声を聞きながらこの生活も悪くないな~などと思いはじめていた。

罵声のない日々、命の重さをゆだねられない日々。


そんな矢先、偶然獣医系雑誌で同級生が翻訳した論文を見た。

想像以上に心がズキッと音を立てた。


そんなタイミングは重なるもので、「元気~」と大学の同級生から電話が気楽にかかり、「△○×さん、開業したんだって。すごいね!獣医と結婚して2人でやってくらしいよ。。。。。」


途中からまったく聞こえていなかった。

4年浪人してまでもやりたかった獣医師の夢を簡単に手放してしまった自分に震えが出るほど腹が立った。

みんな、きつい思いをして勤務していることも聞いていたし、私にとってスーパースターだった先輩たちだってみんな就職先の院長からしかられまくりで、それでも頑張っていた。


獣医に戻りたい。そう思った。


ストーリーをお読みいただき、ありがとうございます。ご覧いただいているサイト「STORYS.JP」は、誰もが自分らしいストーリーを歩めるきっかけ作りを目指しています。もし今のあなたが人生でうまくいかないことがあれば、STORYS.JP編集部に相談してみませんか? 次のバナーから人生相談を無料でお申し込みいただけます。

著者の平松 育子さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。