『1級身体障害者』が『自殺』をする為に全国を旅した話



プロローグ

これから、私が自殺未遂をした時の体験談をお話しようと思います。この物語はノンフィクションです。


私は腎臓が死亡してしまって、人工透析という延命治療を行っている1級身体障害者です。

週に三回、1日五時間の延命治療が必要で、その副作用として重度の睡眠時無呼吸症候群、欝病、強迫性障害(不潔恐怖症)、アトピーなどを発症して生活を送っていました。

私は自分が自殺未遂をするまで、

「死ぬ覚悟があれば何でも出来る。だから一時的な感情で自殺をするのは命の無駄使いだ。」

そう思って生きてきました。健常者の方も、このように考えている人は多いのではないでしょうか。

でも、現実は健常者が考えているほど甘くはないのです。


例えば、想像してみて下さい。


もしあなたが、一生40度の熱を出しているような状態で髪の毛も全て抜け落ちて生きていかなければいけない病気や身体障害を抱えたとする。それは、どうやっても逃げることが出来ない。

その治療(延命地長、実際に治るわけではなく、命をつなぎ止めるだけの措置)の苦しさは、インフルエンザや風邪にかかっているような苦しさがあり、毎日、クソ不味いゴムのようなビーフステーキを何枚も食べさせられるようなものだと想像してください。(※重度の病気にかかったことの無い人でも想像しやすそうな文章にしました。実際の苦しさとは異なります。)

あなたはそれでも、

「死ぬ覚悟を決めるより、そのまま生きていればいいことがあるさ。」

なんて思えるでしょうか。


少し大げさに書きましたが、自殺を決意する人の中にはこのように、

「今の苦しい状況を抜け出す方法が無い。だから、死のう。」

と考える人も少なくないのです。もちろん、自殺者の中には、まだ助かる方法があったのに、という方はニュースなどではなんとなく見かけます。でも、本当に追い詰められている人間というのはそんなところまで気を回す余裕なんてないのです。

私の場合も、

「逃げることの出来ない状況」

つまり、自分の身体障害を乗り越える気力が様々な理由からなくなったが為に、自殺を決意しました。

「自殺」というよりは、人工透析という辛い延命療法から抜け出したかった。だからそれを拒否したのです。

拒否する=死を意味する病気、それが「慢性腎不全」です。

でも私は、人工透析をしなくても1週間は生きていける。その間に今まで我慢して出来なかった「旅」をして、そのまま静かに死のうと思っていました。


自殺を決意した理由


自殺を決意した理由は、私は兄と母との3人暮らしなのですが、兄の精神疾患(統合失調症)が原因なのか仕事場で度々問題を起こし、安定した職業である国家公務員であったにも関わらず退職してしまいました。

そこまではよかったのですが、「病気」だからと遠慮して好きなようにさせていたら、仕事をしていないにも関わらず、ネットで知り合った女の人と、福岡と東京という遠距離恋愛。自分の退職金をどんどん使い潰していくのが分かっていましたし、それを注意しても激怒するだけなので、とにかく怒らせないように好きにさせるしかなかった。それが私には、おそらく母にも、ストレスでしかなかったのです。

母も、もともと寂しがり屋だったのか、兄がインターネットのチャットサイトを勧めてしまった為にそれにハマり、家事も疎かになっていきました。所謂インターネット依存という奴です。

兄の感情の落差が激しいこと、精神疾患というものを母には全く理解できず、いつも私が母の話し相手をするようになっていました。

兄からも病気の愚痴を聴き、母からも兄に対する愚痴を聞く。私は一級身体障害者です。愚痴を聞いてもらいたいのも、サポートを必要としているのも私のほうです。でも、それは叶いませんでした。


あとは病院でのこと。とにかく病院という場所は当たり外れが多いものなのです。


私が人工透析という延命治療を受けていた病院は潰れかけで、看護師も院長もピリピリしていた。そして、中の教育、職場環境も悪いために次々に看護師が辞め、人が足りていない状態でした。

その為、対応も凄く悪く、しょっちゅう針を刺すのを失敗するだとか技術面でも問題がありました。

それだけならまだ許せるのですが、臨床工学技士という医療機器を扱う人間が、

「俺、昔自分の学校のひ弱な奴を虐めていたんだ~」

と、患者の前で平気で話したり、自分の上司や同僚の悪口を患者の前で平気で口走る人もいました。


そのように従業員の教育のなっていない病院でした。


これは私の個人的な意見、というよりは良い病院の基準みたいな本を読み、的を射ているなと感じた意見なのですが、

「院長がちゃんと患者に毎日声かけをする」

ということが出来ている病院は、熱意のある病院だと思っています。


私が自殺未遂をする原因の一つにもなった病院は、声かけどころか、院長は常に論文を書いているだけ。現場は、医師をアルバイトとして雇ってその人に診断させているという状態。つまり、病院自体が病んでいたのです。そこの従業員も臨床工学技師長も院長も。

医療関係者には鬱病の人多いですからね。大変な仕事です。心中はお察しします。しかし、それだったらちゃんと休業していただきたいものです。医療関係者はちゃんと鬱病診断が出れば休むことが出来るのですから。


そこの病院で私は人工透析のせいで肌荒れが酷くなったときに、

「それ、気持ち悪いね。」

と言われました。本人は悪気がなかったのかもしれませんが、普通はサービス業でこんな不適切な言葉をかけるようなことはしません。普通なら、こういった部分もしっかりと教育を施し、患者によりそった看護をするもの。しかし、これも教育不足から起こったことでしょう。(看護師はサービス業ではない、と言い張る人がいますが、医療はサービス業の一種です。だからって患者が威張っていいわけではないですが、看護師の中には患者を「教育する」という言葉を使う人がいます。しかし看護師が患者を「教育する」という言葉を使うこと自体間違っています。)


・患者の前で上司や同僚の悪口を言う。

・病院の前で自分はイジメをやっていたと発言する。(それをカッコイイとまた思っているのが馬鹿らしいものです。そんな人間に、医療関係者に信頼を置くことは出来ません。)

・院長自身は論文などを書いてばかりで患者を見ない。

・針の刺しミスなどが多い(私の血管は一般の患者より特別に刺しやすい血管です。)


こういう病院に当たってしまったが為、私はずっと我慢してきましたが、ある日我慢の限界が来て、病院の院長に苦情を言いました。しかし、この病院事態が病んでいました。ということは院長が普通ではないのです。(精神疾患のようなものを抱えていたのだと思います。)そのような院長です。苦情を言われて揉めないわけがありません。そういった理由から私は院長と喧嘩をしてしまいました。

すると、私の体調は人工透析により色々な副作用が重なり、人工透析という延命治療を5時間は最低でもやっておかないと、治るはずの身体の悪い部分が治らない状況だった。それどころか益々身体の悪い部分が増える。そんな状態にあるにもかかわらず、その病院側から、

「じゃあ、この病院を出て行ってください。病院が決まるまでは居させてあげます。そのかわり、透析は4時間しかしません。」

と通告されました。もう、この病院はほんとうに腐っているのだなと思いましたね。院長も従業員も。

そこで、私は次の日には、自分がお世話になっている総合病院のかかりつけの医師に事情を伝えて、そこの病院で人工透析を行わせてもらうことになりました。


それ以来、私は医療従事者および病院不信に陥りました。


悪いことは続く


急に病院を移動してきたことも原因なのでしょうけれど、運の悪いことに、私の担当になった看護師は恐らく鬱病(キレやすいタイプの欝)を抱えているような看護師でした。

何かある度に細かい文句ばかりを言ってきます。例えば、

「布団は綺麗にたたんでから帰れ!!」

などと言われることが頻繁にありました。人工透析後の患者は疲れているのに、普通に歩くことすら困難なのに、

「キビキビ動け!!」

と罵られることもありました。私からすると、布団をたたむのは看護師の仕事じゃないの? という感じです。キビキビ動けるのは健康体の人だけでしょう、と。

(別の看護師さんから聞いところ、うるさい事で有名な人で、部署の異動願いもだしていたらしいです。つまり、透析病棟での仕事のやる気はこの時点で無いわけです。)


私は、最初は我慢していたけれど、だんだん病院に行くのも嫌になって、

「担当を変えてください。」

と申し出たところ、どうやらその看護師はその病棟内では結構な権力者だったらしく、

「あの患者は問題があるから、病院から追い出すべきだ!!」

と、その担当の看護師が言い出して、何故だか話が大きくなっていきました。私は揉めないように、相性が合わないようだから担当を変えてくれと、穏便に話を進めたはずですなのですけどね。

「担当を変える」

これが、その人のプライドを傷つけたのでしょう。

普通は私の言い分も聞くはずです。しかし、そこは総合病院だったのですが、何故か私を追い出す方向に話が進みだしました。


さすがに私も、前の病院でも嫌な思いをし、新しい病院でもそんな状態。仕事ではパワハラにあっていました。


そういった様々なことが重なったことがきっかけでストレスから欝を発症。精神的にも追い詰められて行きました。そしてある日、SNSのmixiにだけ、

「もう限界です。もう二度と人工透析はしたくありません。病院にも行きたくありません。生きていることも辛いです。死にたい。だから、私は死ぬ前に今から旅に出ます。」

というようなコメントを残し、人工透析の日にそれを無視して、携帯の電源を切り、そのまま車で九州から東の方に、つまり本州に旅に出ました。


これが、私の自殺未遂の旅の始まりです。


初めての旅


車で旅に出るというのは私にとって生まれて初めてのことでした。だから、死ぬ恐怖なんてものよりも、楽しい気持ちの方でいっぱいでした。もしかして自分は透析を受けなくても、死なないかもしれない、とすら思うような精神状態でした。普通の精神状態ではありませんね。そんな訳の分からない理由で治るはずの無い病気・障害であることは本人が一番身にしみて分かっていたことなのに。


普通の精神状態ではなかったから、このような思考に陥ってしまっていたのです。


九州からどんどん離れて行けば行くほど、

「やっと逃げることが出来た!」

という開放感でいっぱいでした。とにかく何もかもが新鮮で、楽しかったのです。

でも、なんでなんだろう。パーキングに止まって休憩をする度に涙が溢れてきました。悲しくなんてないのに。楽しい気持ちのはずなのに。それにも関わらず、涙が止まりませんでした。普段は泣くことの無い私。涙なんてとっくに枯れてしまっていたと思っていたのですが、私は心のどこかで今までの人生を振り返り、

「どうして自分はこんな仕打ちを受けなければいけないのか。俺が何をしたというんだ。」

という気持ちでいっぱいだったのかもしれません。


だから私は、突然このようなことを思いついたのです。

「そうだ、きっと大阪へでも行けばもっと気分が明るくなるはずだ!」

そう安易に考えて、私は大阪へと向かいました。勿論、車での移動です。


初の大阪



初めて車で大阪へ向かったのでとても遠いのかと思っていたけれど、凄く車を飛ばして8時間ほどで到着しました。意外と日本は狭いな、と感じた瞬間でもありました。

そして高速道路の大阪への入口付近までたどり着きました。

大阪の高速道路出口、そこの切符を切るおじさんの雰囲気からして九州とは全く違いました。

私の車が九州ナンバーだということに気がついたのでしょう。私の後ろにも車が待っているにも関わらず、観光地など、色々なことを教えてくれました。

なんとなく道頓堀に行きたくて、途中で道がわからなくなったら、その辺の道端の人に道を聞きました。

噂には聞いていたけど、本当に大阪の人は親切に道案内をしてくれる。道を教えてくれるだけじゃなくて、わざわざ道頓堀まで付いてきてくれたりしました。


大阪の人にとってはたいしたことじゃないのかもしれない。でも、周りからは分からなかったでしょうけれど、私は自殺未遂中の人間。そんなちょっとした「人の温もり」がとても心に染みました。涙が止まりませんでした。

私が道端で座っていると、そんな私の泣いている姿をみたからなのか、

「何で泣いているん?」

みたいなことを聞いてくる人もいたので、ごまかすのが大変でした。本人は涙を堪え、人前では泣かないようにしていたつもりだったのですが。

もしかして私は、無意識のうちに、私の自殺未遂を止めてくれるキッカケを作ってくれる何かを求めて大阪までやってきたのかもしれません。でも、私の抱えている問題・事情を話す機会などありませんでした。というよりも、いきなり知らない人間からそのような話をされても困るだけですよね。そういったことも考えれば考えるほど、誰にも自分の事情を話すことが出来ませんでした。本当は誰かに話を聞いてもらいたかったのに、その勇気が私には出ませんでした。

いやいや、もうすぐ死ぬのだから生きている今だけでも明るくいこう。何か楽しいことをして気をまぎらわそう。

そうだ、せっかく大阪に来たからにはたこ焼きや串揚げでも食べにいこう。と考えたけれど、透析をしてないことが原因なのと、長距離運転での疲労から食欲がなく、何も口にすることが出来ませんでした。お腹は空いているのに食欲が全く湧かなかったのです。


そして、その日は何も口にすることなく、コンビニの駐車場に車を停めてそこで就寝しました。


携帯の電源を付けてしまって……


その翌日、梅田で路上ライブをやっている人の音楽を聴いたりして、少しでも自分が自殺を思いとどまるキッカケがないか、と試行錯誤していました。

・自殺を考える自分

・自殺を考える自分を止めたいと思う自分

一般の人には経験がないと思うけれど、ある一定のレベルの精神的負荷がかかると、このような二重人格的な精神状態になるようです。だから、自殺を考えているくせに、どこか冷静で、淡々と物事を話すことができる。だから、私が本当に自殺をしようとしていると誰も気づくことはありませんでした。


とにかく私は「自殺したい」と思う自分の気持ちを、どこか変えたいと思う部分があったのでしょうきっと。それを求めてなのか、気がついたら今度は大阪府「堺」に向かっていました。


そこでふと、

「もしかして友達からメールとか来ているかもしれない。」

と思って、携帯の電源をつけてしまいました。


携帯の電源をつけるとGPS機能から現在位置が特定されます。緊急事態だと携帯キャリアなどが判断出来る状態(例えば警察からの要請)などがあれば、携帯キャリアは位置情報など、24時間体勢で見張ってくれて、情報がわかり次第連絡をしてくれるのです。

それを知っていたにも関わらず、携帯電話の電源をつけてしまいました。

案の定、元捜査官だったうちの兄貴は色々と手を尽くして私を捜索してくれていたようです。

私のパソコンにログインし、私のmixiアカウントでも色々と私の友人達に呼びかけをして、その情報を元に捜査を行っていました。

兄貴は統合失調症で仕事を辞めたのだけれど、この頃は「まだ」病気の進行が進んでいなくて、優しい兄貴でした。


携帯の電源を入れると100件近くのメール、電話の留守電が入っていました。


死ぬつもりだったはずなのに、その伝言やメールを聞いては私は涙をボロボロ流していました。それでもなぜか、「死ぬ」という気持ちが変わることはありませんでした。

こんなにも心配してくれている人がいる。死なないように説得してくれる人がいる。でも何故だろう、涙も出ているにも関わらず、その言葉は心に響かなかったのです。そのような言葉を受け入れる余裕が私にはなかったからなのかもしれません。

・自殺を考える自分

の部分が強く、私が生きようとすることを邪魔していたのかもしれません。こんな精神論的な話、本来の私なら嫌いなのですが、この時の精神状態を考えるとそうとしか考えられないのです。


残り日数 寿命が少なくなってきて


人工透析をせずに生きていられるのは約1週間ほどだと言われています。もうすでに5日ほど経過していました。残り寿命はあと2日くらいです。さて、これから残り日数は何をしよう。

とりあえず、今まで行ってみたかったけれど人工透析などが原因で行くことが出来なかった場所を廻ろう。

兵庫県へ行って神戸異人館を観て、それから京都へ行って坂本龍馬と中岡慎太郎の墓に横たわって息絶えよう。

「辞世の句」(江戸時代、武士が死ぬ間際に歌を残すという習慣があった。それが辞世の句。)なんかも考えておかないと、なんてことも考えていたました。


そう思い、まずは(大阪から見て)京都とは反対方向の神戸へと向かいました。

きっとこの移動が最後の移動だろう。京都は私の死に場所だ。でも、大好きな坂本龍馬と中岡慎太郎の傍で死ぬことが出来るのだから、私はある意味幸せなのかもしれない。そんなことを考えていたら、今から死ぬはずなのに心はワクワクしてきました。今まで行ったことの無い場所に行って死ぬことが出来る。私は幸せものだ。あのまま人工透析を行っていたら、きっと病院のベッドの上で惨めな死体になって死ぬことになっていた。そんな死に方をするくらいなら、坂本龍馬と中岡慎太郎と一緒の墓で死んだほうがいい。


半ば、頭がおかしくなっていたのでしょう。なんだか京都へ行くことが楽しみで仕方が無い、というような気持ちになっていました。繰り返しますが、今から死ぬはずなのに。


移動中


走馬灯のように今までの出来事が頭の中を巡っていました。

小学生の頃は習っていたサッカーのメンバーの中で一番下手だからとイジメの対象になっていました。

中学校でも同級生からイジメにあっていました。

高校生になってからもそれは変わらず、定期券を何度も盗まれたり、大切な兄貴から高校の入学祝いで買ってもらった腕時計を壊されたり、上級生からいきなり殴られたりしていました。

どの学校でも教師達は何も解決の手伝いをしてくれないどころか、若干荒れていて髪の色が茶色だった私に対しても、

「イジメを行っている人間もお前のように学校の校則を守らない人間も同じだ。」

と一向にイジメに対して対処してくれませんでした。それどころか、

「お前もイジメを行っているんじゃないのか?」

とやってもいない容疑をかけられていました。

そういえば、不良によく絡まれたり、イジメられ体質だったなぁ俺は。


ああ、走馬灯って奴は人生の中で楽しかったことばかりを思い出すものかと思っていたけれど、私に関しては嫌な思いでばかり頭の中を巡るのだなあ。そんなことを冷静に考えながら思考を巡らせていました。

人工透析を拒否した直前のとき、以前片思いをしてフラれた同級生の看護師さんに連絡をして、迷惑をかけてしまいました。どうせ死ぬのだから誰にも迷惑をかけないように旅に出るべきだったなあ。まあ、自殺をしようとしている時点で誰かしらに迷惑をかけているわけなのですがね。



その頃、ずっとmixi上でやりとりをしていた大阪の「Cちゃん」女子大生の子がいました。その子はとても明るい子で、ああ大阪はとても明るい地域なのだな、と大阪に憧れを抱いていました。

そうやってやりとりをしているうちに、その子のことがとても気になるようになり、恋心のようなものを抱いていました。死ぬ前にその子に一度会ってみたいな。遠いから、こういう機会でもないと会うことが出来ないだろう。まあ、どうせ死ぬのだから逆に会うのも迷惑か。そのような様々なことを考えていました。人工透析をしていないせいでしょう。思考が定まらず、朦朧として考えることが飛び飛びになっていたのです。

男というものは弱いもので、というより私が弱い人間なので、こういう時にこそ大好きな異性に頼りたくなるのです。でも、色々と冷静に考えてしまい、迷惑をかけないように会わない、という選択をしたのです。

その子とのmixiでのメールのやりとりなどもずっと頭の中を巡っていました。電話で会話をしたこともありました。大阪人らしい、とても明るい、元気の出る会話をしてくれるともて優しい心の持ち主でした。

友人も多い子で、mixi上ではずっと女友達から「姫」なんて呼ばれていたことを覚えています。

その子のお父さんも人工透析をしていたので、私の気持ちをよく理解してくれました。お母さんは病気でなくなってしまって(その子は大学生だったのですが、「お母さんはお星様になったの」と、良い意味で子供のような表現していました。少女のような、純粋な心の持ち主だったのです。)お父さんはそのことがショックで欝病も併発していたらしいです。けれど、二人姉妹の自分が長女だからと、一生懸命に家庭を支え、立て直した心の強い子でもありました。大学に通い、アルバイトをしながら。

電話してみようかな? でも、先ほどの看護師さんの場合のように確実に迷惑をかけることになる。やっぱり辞めておこう。


寂しいなあ。坂本龍馬と中岡慎太郎は傍にいるけれど、私は死ぬ時、本当は好きな異性の元で死にたかった。でも、それも叶わぬ夢か。あと数日で私は死ぬ。

障害者になってからというもの、長いあいだ彼女も出来ていない。私はなんと寂しい人生を送っていたのだろう。母親に自分の子供、孫の顔を見せてあげたかったな。


中学生の頃、退院したてで体力が落ちている状態で1500メートル走に出て、途中でリタイアしてバカにされたことがあったな。長距離走は一番得意な運動だったはずなのにそんな結果になってショックだったな。でも、その後の冬のマラソン大会まで猛練習して、学年で3位になった。俺、頑張ったよね。努力家だよね。頑張って生きてきたよね。


受験勉強だって、睡眠時間を削って1日12時間も勉強していたよ。うん、やっぱり頑張って生きていた。なのに、なんでこんな仕打ちを受けるのだろう。なんで自分が障害者にならないといけないのだろう。神様はその人に乗り越えられない試練は与えない。乗り越えることが出来る人物を選んで試練を与えているなんて言われているけれど、あれは嘘っぱちだ。神様なんてものがいるのなら、そもそも障害者なんてものは作り出さないはず。それに、俺はその試練を乗り越えることが出来そうにない。だってもうすぐ死ぬのだもの。


人工透析を始めて身体障害者になっても一生懸命仕事を探したり、仕事がどうしても見つからない時は他にお金を稼ぐ方法を見つけたり、生きる為に必死だったはずだよなあ。家が貧乏だから、ちゃんと障害年金は家に全額入れて、それとは別にお金をちゃんと稼いでいた。それなのに、なんで俺は今、こんなに寂しい思いをしているのだろう。


前世で何か悪いことをしたの? でも、それは俺には全く関係のないことだよね。そんなことで俺をこんな目に遭わせるなんて間違っているよ。ちゃんと人並み以上に一生懸命に生きてきたもの。高校を中退しても、ちゃんと通信制高校に入り直した。働きながら学費を稼いで高校卒業資格を取った。もうずっと頑張って生きてきたんだ。


ブラックなバイト先で働いていた時も、自分はもうだいぶ精神的に追い詰められていたし、身体にも異変が起きていたけれど、ちゃんと仕事を休まずに出て仕事を真面目にこなしたよ。仕事ではバイトリーダーを務め、売上だってアルバイトの中で常にNo1だったよ。俺が何を悪いことしたっていうんだ。誰にも迷惑をかけていないじゃないか。どうして俺ばかりが……。俺ばかりが……。


死んだらどうなるのだろう。天国なんてものも地獄なんてものも信じてはいない。きっとタンパク質の塊が腐って、カルシウムで出来た骨がボロボロになって土に混ざるだけだろう。そんな死骸が坂本龍馬や中岡慎太郎の墓の傍の土に埋まることになるのだろうか。まさか観光客もそんな一般人の死骸が土の中に埋まっているとは想像出来ないだろう。いや、その前に死んだことがニュースになって取り上げられるかな。新しい心霊スポットになるかもしれない。そこで地縛霊にでもなろうかな。ははは、ははは……。


だんだんと睡眠不足、透析をしていないことが原因なのか、さっきよりも更に思考が定まらなくなり、酷く朦朧とするようになっていきました。思考も流れがなく、脈絡なく、飛び飛びで頭の中をよぎっていきました。


その数時間後


高速道路経由で神戸異人館に向かっている途中、パトカーが明らかに私の車の後を追跡してきています。

それをきっかけに私の思考は朦朧とした状態から冷静な状態へと変化しました。

下手な動きをするほうが怪しまれると思い、なるべく平常心で運転していました。すると、1時間ほど私の後を追跡していたパトカーがいなくなりました。


ちょろいものだ、警察なんて。と思った瞬間、

「そこの車、左に寄せて止めて下さい。」

というパトカーからの声が聞こえてきました。

名目は「スピード違反」。

でも、スピード違反をしているはずはありません。どんな状況であろうとまず車を止める為にワザとにスピード違反という名目を使う。そういう止め方を警察がするのを私は知っていましたから、高速道路とはいえ、速度は標識通り守り、1キロすらスピードをオーバーしないように心がけていたはずです。しかし、そんなものは無駄でした。

やはり警察がスピード違反と言ったのは、ただ車を止めるための詭弁。

「免許証を見せて下さい。」

警察に言われるがまま免許証を見せました。すると、

「保護願届の出ているだいちゃんさんですね。ちょっと署までご同行願います。」


そうして、私は警察に保護されたのでした。


警察署にて


どうやら人命がかかっているということで、大阪府警に緊急手配がかかっていたらしいです。

そして、先程も書いたけど私の兄は元捜査官なので、NTTやソフトバンク、auなどの通信会社から、高速道路の防犯機能、あらゆるものを使って私を捕まえようとしたらしいです。そういった行動が警察を動かし、緊急手配にまで発展したのでしょう。

私もその手のことには詳しい。だから細心の注意を払って携帯電話の電源をかたくなに切ったままにしていました。それでも、友達のメッセージが気になって、携帯の電源をつけてしまったことで簡単に捕まってしまいました。人間、理屈や知識だけではどうにもならないものだな。


心のどこか、そのまま死んでしまうことに抵抗があったのかもしれません。人間とは皆、寂しがり屋のかまってちゃんです。私が死ぬと発言してから、友人達は私のことを心配してくれているのだろうか。そういうことが気になるものなのです。

もしかしたら、友人から自殺を止めて欲しいという願望が、深層心理の奥底ではあったのかもしれません。本人はそのような自覚がありませんでしたが。

人間の心というものは本当に分からないものです。

でも、逆にいえば、それがなければ私は確実に死んでいました。そう、私は友人に助けられたのです。自分の弱い心に、皮肉にも命を救われたのです。


自殺しようとしている自分。その中にはまるで二重人格のように生きようとしている自分も存在していたのかもしれません。人間とは未知な生物です。本当に、人間の心というものは理屈だけではなりたっていないものなので。

生きたいけれど、本当は死にたくないけれど、死ぬしか今の辛い現状から逃げ出す手段が無い。だから自殺を選んだ。でもどこかに生きたいという気持ちがあるからこそ、すぐに飛び降り自殺など簡単に死ぬことの出来る方法を選ばずに、「旅をする」ということを選んだのでしょう。

人間の心は本当に矛盾だらけです。だからこそ「人間」なのかもしれませんけれどね。


大阪府警の人達は強面の刑事ですら優しかった。サービス精神がとても旺盛でした。

保護されたのは夜中だったけれど、私に何か起きたらすぐに対処できるように、徹夜で私のことを見てくれていたし、その頃は真冬。私のためにストーブや毛布を用意してくれました。そして、私の話を親身になって聞いてくれました。

「なんかあったら、また大阪へこい。今度はちゃんと病院の許可を取ってな。大阪は笑顔になれる場所がいっぱいある。笑えば、死にたい気持ちなんて吹き飛ぶもんや。」

私は疲れ、透析をしてない、今までの苦労など様々なことが重なって涙もろくなっていたのでしょう。そのまま泣き疲れて寝てしまいました。


そして朝になり、兄貴が新幹線で迎えに来てくれて、私の車を兄貴が運転して九州まで帰ることになりました。


帰り際のパーキングエリア


大阪から九州まではだいぶ距離があるので、沢山のパーキングエリアを通ることになります。そこで、今まで行ったことのない様々な県でお土産を買いあさりました。

「ああ、普通にドライブをしていたら、こういう楽しみ方もあるのだなあ。」

それは新しい発見でもありました。今度はちゃんと、自殺未遂ではなく、遠出のドライブでも楽しもう。出来れば、彼女なんかがその時には出来ていたらいいな。こんな障害を抱えていてもちゃんと理解してくれる彼女が出来て、そんな子と色々なことを楽しみたい。そうすれば、今のような辛い状況でも死にたいという気持ちがなくなるかもしれない。生きる希望が持てるかもしれない。男なんて、というより私なんてそのくらい単純な生き物ですから。


そんなことを考えていました。


自分も退職して無職な状態でお金があまり無いにも関わらず、弟である私のことを心配してなのか、兄貴はお土産代を全部払ってくれました。

これが美味しそうだとか、これは母が喜ぶんじゃないのだろうかとか、様々なことを考えながら行う買い物はとても楽しいものでした。

兄貴はこういう提案をしてくれました。

「今度暇な時にでも、パーキング巡りをしてお土産品をまた色々と買おう。今はお互い長旅で疲れているから帰り道の全てのパーキングを回る余裕はないけれど、余裕のある時にくれば楽しむことが出来るだろうからさ。」


兄貴の優しさを感じた瞬間でした。


後日

私に常に文句を言い罵倒をしてきて今回、自殺をしようという最終的なきっかけになった看護師は結局最後まで謝罪しませんでした。謝罪すれば訴えられるとでも思ったのでしょうか。

こちらは、謝罪さえしてもらえれば訴えませんよ、という契約書でも作りましょうか? と半分皮肉混じりに言ったけれど、それでも謝罪は最後までしませんでした。

代わりに看護師長が謝罪。それじゃ意味が無いに決まっています。

ただ、私は一言だけ、

「こういう事件は連帯責任なので、あの人だけに責任を押し付けてクビにするとか、そういったことはしないで下さい。」

とだけ伝えました。なんでそういうところだけ私は良い子ちゃんぶっているのだろう。でも、本心でした。看護師は過酷な仕事だから、もしかしたら仕事のせいでその人も心が病んでいただけかもしれないから。本当はいい人なのかもしれないから。


そして、私は地元でも評判のいい病院を紹介してもらってこれからはそこへ通うことになりました


もう、これからは友人達、母、兄貴、様々な人に迷惑をかけるようなことは辞めよう。自殺を考えるなんて本当に馬鹿げていた。

この時は本当にそう考えていました。しかし……。


再度、大阪へ

今度は自殺未遂ではなく、普通に大阪へと旅行をすることにしました。月・水・金曜日は人工透析があるので、時間のある土日に行って帰ってくるというプランです。

まずは大阪に行きました。梅田のヨドバシカメラに言ったり(めちゃくちゃ大きい建物でびっくりしました。)前の自殺未遂のときは人工透析をしていないせいで食べることの出来なかった串カツなども食べました。

そして、ここからが本題です。恋をしていた大阪の女の子と会う約束をしていたのです。

電話やメールでのやりとりはよくしていたけれど、本物に会うのは始めてのこと。自撮りの画像などは私はインターネット上に載せているので相手はしっているのですが、向こう側の顔を私はしりません。でも、私はよっぽど顔が好みから的外れじゃない限り、好みじゃなくても性格がいいから向こうさえOKを出してくれれば付き合いたい、とまで思うようになっていました。

今思うとまともな精神状態じゃなかったんでしょうね。九州と大阪じゃ遠すぎます。現実的に考えて無理でしょう。でもそんな現実的なことを考えることが出来なくなっていました。


自殺未遂中でも電話で心配の留守番電話をいっぱい入れてくれていた大阪の女の子。ただのメル友だったはずなのに、自殺未遂などで精神的に弱っていたこともあって、心がその子に惹かれていきました。


そして、始めて会うことになったのですが、普通の人からしたらその変にいそうな普通の子かもしれません。でも、私にはとても可愛く映ったのです。(実際、可愛かったですよ。)

そして、大阪の街を色々と案内してもらって、一緒にご飯を食べたりしました、

私が大阪の街のことは分からないから、ご飯を食べるお店を決めて貰っていいかな? なんでもいいから、というと、すぐにお店を探してくれたのですが、道に迷ってしまったみたいでアタフタしていました。そんな姿も可愛く、愛おしかったです。

そして、梅田でご飯を食べ、デザートを食べました。また、次の日にはその子はバイトがあったので時間が無いにも関わらず、時間を作ってくれて大阪城を案内してくれました。

まだ自殺未遂の心の傷が癒えていないことも原因だったのか、そういった心遣いが嬉しくて、ますますその子に惚れてしまいました。

でも、住んでいる場所が遠いから、告白するなら今しかない。私は告白をしました。ストレートに、

「君のことが好きだから、付き合って欲しい、と」

すると、

「だいちゃんのことは人間としては好きです。尊敬しています。でも、一緒にいて私、緊張していたんですよね。本当の自分をだいちゃんの前でさらけ出すことが出来ませんでした。きっと、こんな状態で付き合っても上手くいきません。それに、住んでいる場所も遠いですし。

でも、凄く、凄く考えました。それでも、答えは「NO」です。本当にごめんなさい……。」


まぁ、そうなるだろうなとは覚悟は出来ていたものの、いざ現実を突きつけられると苦しいものです。でも、現実を受け入れるしかない。それに、今は命があるから、また良い子が見つかるさ。そう思っていました。この時は……。


それから1年半程過ぎた頃


兄の統合失調症は病院にかかっているにも関わらずどんどん進行し、金銭感覚が狂い、前の職場を退職した時に出た退職金をどんどん使い果たしていきました。

退職したばかりの頃は500万円ほどあった貯金がほぼ底をついた状態です。それでもまだ、働こうとしません。

幸い、ギャンブルなどする性格ではなかったのですが、とにかく女に弱い性格で、その頃は変な女に引っかかったり、貢いだりしていました。


お金の減り方の経緯は、最初は同じ心療内科で知り合った(というより向こうから近づいてきた)女に半分騙されたような形でお金を取られ、次は私の母の携帯から、以前少し交流のあった母の仕事場の若い女の人(人妻)の携帯番号を勝手に盗み出し、外で会っていました。

アメーバピグというインターネットの仮想世界で遠距離の彼女を作り、二ヶ月に一度は福岡から関東へ行っていました。同じく、二ヶ月に一度は私や母の住む実家へ彼女を泊まらせていました。

当然、仕事を辞めてから再就職をしていない兄の貯金はどんどん使い果たされていきました。


うちの母はしゃべることは得意なのですが人の話を聞くのが極端に下手で、精神病の人間を怒らせるような言葉の返し方、何でも否定し、逆ギレをする、というような対応しかできませんでした。

そんな状態だから兄の相手は1度目の自殺未遂後も常に私が行い、何かある度に激怒しまう兄をなだめていました。そして、母に関しては兄に対する愚痴を毎日のように聞かされ、私は板挟み状態でした。


この頃、私は仕事をやめなければいけない状況まで追い込まれ、失業していました。

そして、失業保険を貰いながら資格試験の勉強、そして人工透析、私自身が誰かに話を聞いてもらいたいくらいでした。ただでさえ、障害者は仕事が無い、生き辛さを感じているのだから。


そんな状態でも、私は障害者年金の全額を家に入れていて、金銭的にどんどん困窮していきました。


何故、家が大変な状態が分からない!? 家が大変な状態なのだから女に貢いている暇があるのなら家にお金をいれるなり、資金が尽きるまでに仕事を探すなりしてお金を蓄えて、家にちゃんといれるべきでしょう。弟は1級身体障害者だぞ!?

そんなことも理解出来ない状態にまで病状は進行していたのかもしれません。この時から思うようになりました。

「精神病だからと、障害者だからと、許される範囲にも限度がある」

と。


母は再度、ネット依存へ


もともと、母はあまりネットなどするタイプではありませんでした。たまたま、私がパソコンを買い換えて、そのお古のパソコンを兄貴が使っていた。ところが兄貴もパソコンを買い換えた為、パソコンが1台余りました。

そこで、母もパソコンをやってみたい、ということでパソコンを使い始めたのです。昔から、私のノートパソコンを貸して母はたまにネットサーフィンをしていたので少しはパソコンを使える状態です。

兄貴は自分のはまっている「アメーバピグ」の話の出来る仲間が欲しかったのでしょう。母を誘ってアメーバピグをさせはじめました。


はじめは難しそうだと乗り気でなかった母ですが、どうも可愛いアバター(自分の分身のような人形)や服を着せ替えることができる、家の模様替えなどが出来る。母の時代で言う、リカちゃん人形やシルバニアファミリーのような面白さを見出したのか、どんどんはまっていきました。

それでも、私が一度自殺未遂をしてからはそういった部分は治まっていたのですが、もともと発達障害のようなものを抱えている母は過去のことを直ぐに忘れる傾向にありました。

そして、兄の病気がますます悪化していったので、そのことに疲れたからなのか、現実逃避が激しくなり、どんどんネットの世界にはまっていきました。どっぷりと浸かるようになっていきました。それはもう、抜け出せない底なし沼にハマり、もがき苦しむような状態に私には見えました。

楽しんでいるようで、どこか苦しそうに見えたのです。


家事はおろそかになり、洗面台や風呂がしょっちゅう汚れていました。

ご飯もあまり作らないようになり、たまに私が、

「何か食べるものない?」

と聞くと、

「自分で作りなさい!!」

と怒鳴り散らすようになってしまいました。

確かに大人だから、自分で作れと言われるのは正論かもしれない。でも、人工透析あとは歩くのもキツイのですよ。もちろん、身体を起こしておくこともね。頭は重いし、それに、透析中は資格試験の勉強も無理をしながらしてきました。

ずっと自立の為に頑張っていました。少しでも家族に迷惑をかけまいと。さすがに、家族の手伝いが欲しかった。しかし、私はそれを言い出すことが出来ない状況にありました。


兄貴は完全に引きこもりに


兄貴も私も当時、司法書士という合格率3%未満の超難関国家資格の勉強をしていました。しかし、精神病を患っている人間がまともに勉強出来るほど甘い試験ではありません。

特に、女に夢中になっていた兄貴は、だんだんと勉強をしているフリが多くなっていきました。やっていないのはすぐにわかるのに。

精神病を患うと、虚言癖が出てきます。平気な顔で嘘を付くようになります。しかし本人には嘘をついている自覚はなのです。でも、理屈に照らし合わせると明らかに矛盾点が多いので嘘だと私にはすぐに分かりました。

そんな状態で働いてもいない兄貴です。彼女は看護師。当然、失恋してしまうのは時間の問題でした。


そして、兄貴は彼女と失恋してしまいました。


それからというもの、兄貴は部屋から一切出てこなくなり、何かあるたびに壁をドンドン!! 殴り暴れるようになりました。これが本当の「壁ドン」です。ははは……。いや、笑えませんよ。

最初は私も母も止めていたのですが、母はだんだん怖がるようになりネットの世界へと逃げていきました。

私も相手をするのがきつくなり、暴れても無視するようになっていきました。

外では病院に通い人工透析でストレスを貯め、家の中は暗い。もちろん、雰囲気がという意味です。

私が病院から帰っても、「お帰り」の一言もない。兄貴は部屋へ閉じこもったまま。母はアメーバピグをしながらゲラゲラ笑っています。


もう耐えられない。この家には、私の居場所なんてもう無い。


私自身、前職でのパワハラによるトラウマ、資格試験や病院でのストレス、そしてストレスが原因なのか病状が悪化し、不眠から始まり、全身の皮膚が荒れ、鬱病を発症しました。


強い睡眠薬を飲んでも眠れない


母は仕事も休みがちになり、収入はどんどん減っていきました。

兄貴の貯金ももうすぐ尽きそうだということはだいたい予想がついていました。むしろ、借金でもあるのかもしれない、そこが心配でたまりませんでした。

私の失業保険受給期限ももうすぐ切れるところまで来ていました。そして、今のままだと社会復帰など無理でしょう。それでもうちは貧乏だから私はお金を入れ続けないと生活出来ません。

今まで私は貯金をしっかりとしてきましたが、母や兄貴には貯金がありません。きっと私の貯金も失業保険がもらえなくなったら尽きるでしょう。


そうやって、未来への希望もなくなっていきました。


どうやって生きていこう。

いっそのこと、県外に出るか。


この頃、ネット収入やライターとしての執筆収入があった為、県外でも仕事が出来るような状態にはなっていました。でも、さすがに私は一級身体障害者。ほかの精神的な病気との兼ね合いもあり、一人暮らしをするのには不安がありました。収入もまだ、不安定だったということもありますし。


この時「死」という言葉が頭の中をよぎっていました。しかし、まだ死にたいとは思っていなかったのです。

あんなことが起きるまでは……。


とうとう、指が動かなくなった


ある日、いつもどおりパソコンを扱おうと思ったら、指が動きません。つまり、タイピングをすることが出来なくなっていました。

恐らく、ストレスからでしょう。

やばい、タイピングが出来なくなれば文書を書く事も出来ない。どうやってお金を稼ぐんだ? そんな不安がどんどん強まっていきました。どうにかしなければ。どうにかしなければ。

焦れば焦るほど、指が動かず、精神的に困窮していきました。

そしてパソコンのモニターの明かりですら刺激を強く感じストレスになって点けていることが出来ませんでした。とりあえず、電源を切ろう。しかし、電源を切ろうとする指すらなかなか動かない。

きっと欝の一種だ。

そう思い、急いで頓服(症状がひどい時に一時的に飲む為の薬)の抗鬱剤を飲みました。

しかしそれが身体に合わないものだったらしく、副作用で全身がムズムズ、そう例えるなら全身で貧乏ゆすりをしているような状態になりました。


そして、そのまま救急車を呼んで、運ばれました。それは、深夜12時過ぎのことです。


病院にて


私は救急外来へと運ばれた。基本的には救急外来は薬の副作用などの症状の場合受け入れてくれません。私の場合も例外ではありませんでしたが、ゴネにゴネ、救急車に運んでもらいました。

しかし、診察するのは研修医。そう、深夜の救急外来は右も左も分からない研修医が診察するのです。

診察内容はテキトウ。当然です。この人はまだ何も知らない研修医なのですから。

「恐らく、薬の副作用でしょう。」

研修医は言いました。そんなことは素人でも分かります。でも、私が飲んだ薬は元々「胃薬」として昔は使われていた弱いものです。なんで副作用が出た? 予防法は? 

弱々しくしか話せない私の質問に対してなにも研修医は答えないまま、私は病院から帰ることになりました。


また何か異変があったら病院に来てくれと。何かあってからでは遅いのですけどね。


(※皆さんは深夜の救急外来は何も分かっていない研修医が担当する、ということを忘れないでください。重い病気だった場合、そのことが原因で死んでしまうことがあるくらいです。絶対に救急外来に運ばれなくてもいいように、普段から健康には気をつけてください。)


そして……


病院へはちゃんと二人共付き添いで来てくれました。でも、家に帰るとまたすぐにインターネット。私は薬の副作用で苦しんでいるというのに。

この人たちに将来の不安などはないのだろうか。私は不安でいっぱいでした。特に、お金のことです。

そして、そういった状況にまた耐えられなくなり、とうとう2度目の自殺を決意しました。今度は勢いではなく、どこか冷静でした。

二度と自分が捜査されないように、パソコンを含め、身の回りの物を車に詰めだしました。それを見て、母は自殺ではなく家出だと思ったのでしょう。止めませんでした。むしろ、

「手伝おうか?」

と呑気なことを言い出しました。嫌味かババア!! 私は心の中でそう思いました。


私の母は、若い頃に苦労したせいで精神的なものからなのか、生まれつきなのか、人の気持ちが理解出来ないところが昔からあります。おそらくADHDという発達障害でも持っているような気がするのですが、病院にかかってもらったことがないので詳しくは分かりません。

たぶん、これもイヤミではなく本当に手伝おうとしたのかもしれません。

私はもちろん手伝わせず、黙々と荷物を自分で詰め、最後の仕上げに、インターネットのルーターをぶち壊しました。

「こんなものさえなければ!! こんなものさえなければ!!」

私は涙を流しながらそれを壊しました。粉々になるまで。


こんなものさえなければ、インターネットさえなければ家族は崩壊しなかったかもしれない。そういう全ての、全身全霊の怒りをインターネットのルーターに思いっきりぶつけました。

インターネットが大好きな私が、この時ばかりはインターネットに逆恨みをしていました。


そして、私は家を出ました。


この頃は、ちょうど東日本大震災から数ヶ月しかたっていなかったので、福島の様子でも見に行こう。そして、それを見て生きる希望でも湧いたらいいな。そう考えていました。

そう、直ぐに死にたいわけではなく、

「生きる希望」

これを私は欲しかっただけです。それを見出すことが出来なかったから、この2度目の自殺未遂は、1週間という制限時間内で「生きる希望」を探す、ゲームのような感覚で私は捉えていました。

だから、特に死ぬのが怖いだとも思わなかたし、自分が死ぬとも思っていませんでした。ただ、もう二度と人工透析はしないと心に決めていたのです。


あんな辛いことを一生していくなんて私には耐えられない。


今思えば、人工透析中に、頭の働かない状態(人工透析中は本を読むスピードで言うと3分の1以下になるくらい、頭が働かなくなる)で司法書士試験(合格率3%未満)の勉強をしていたのもストレスになっていたのでしょう。

実際、日商簿記2級や販売士2級などは透析中のベッドの上の勉強で取ったものです。かなり無理をしてね。

だから(透析はもうしないと決めているのだから)矛盾するようだけれど、希望が見つかったところで死ぬことには変わりがありませんでした。


家を出る前に


家を出発する前に、兄貴が私の車の前に立ちはだかり、

「出て行くならお前の壊したルーターを片付けてから出て行け!!」

と叫び、ハイジャンプをして車の窓ガラスに四つん這いで飛び乗ってきた。その姿はまるで、バイオハザードのゾンビか、ストリートファイターのブランカのようでした。

そして、車のドアを無理やり開け、私の首根っこを掴んだので、私は、

「傷害罪で訴えますよ。」

と一言、冷たく放ちました。すると兄貴は、

「じゃあこっちは器物損壊罪だ!!」

と言い出したので、「お好きにどうぞ」と一言放って、その場を急いで離れました。

(どうやら、病院に行くお金すら使い果たしていたらしく、この頃は薬を飲んでいなかったようです。それが、このような奇行の原因でしょう。)


家を飛び出して


しばらく道を走っていると、直ぐにパトカーが私を追ってきました。本当に兄貴が警察に電話したのでしょう。

警察が、

「ちょっといいですか?」

と聞いてきたので、私は、

「任意同行ですよね。では拒否します。急いでいるので。」

と言うと、警察は、

「いえ、スピード違反です(ニッコリ)」

と言って、たった3キロオーバーで私の車を止めました。さすが国家権力。どうやっても逃げられないようにいくつも手を打っているわけですね。本来なら5キロ以内は違反にならないはずですが、このときはそんなことを考える頭の余裕がりませんでした。

そして、結局ただのスピード違反としてつかまり、切符だけ切られてその場の警察の対応は終わりました。

車の中の荷物がとても多いので(家の中の自分の荷物をほとんど車に積んでいたので当然ですが。)警察からは、

「今からどこへ行かれるのですか?」

と聞かれたのですが、私は、

「どこでもいいでしょう。あなた達に答える義理はない!」

と半ばキレ気味に答えてその場を去りました。


普通なら後日に違反金を支払いに行くのでしょうけれど、私はどうせ生きていないだろうから関係無い、そう思い、急いで九州をあとにしました。


旅立ちの前


「死にたい」

と思う人の中にも様々な人がいて、勢いでその場で自殺してしまう人、死ぬ勇気はないけど願望はあるから自傷行為(リストカット)に走る人、誰か止めてくれれば自殺したいという気持ちが収まる人、本当に様々な人がいます。

私は、誰かに止めてもらいたい、という気持ちが強い人間なのでしょう。でも、ただ止め、心配してもらうだけじゃ何も感じない。説得力のある人から止めてもらわないと止まらない人間なのです。

それでも、今回もやはりmixiでSOSの書き込みをしました。

でも、今回の反応は前回とは全く異なりました。騒ぐ人がいない、2回目、というのも大きいのでしょう。

「死ぬなら勝手に死ね!!」

「かまってちゃん。どうせ死なないんだろ?」

「イライラする!! ふざけるな!! もう書き込みするな!!」

「気持ち悪い……」

「そんな書き込み見てもなんとも思わない。」

と散々な書き込みをされました。私が生きていたからよかったものの、死んでいたらこの人達どうしていたのでしょうね。まぁ、

「あの時、私が止めていたら……。」

なんて、後になって人目を気にして演技をする人も出てきそうで恐ろしいのが人間です。

でも、これでもう思い残すことはなくなったわけです。腹が立つ、という気持ちよりも、私は逆に清々しい気持ちで旅立つことが出来ました。


「こんな腐った奴らとも、もう会うことも無い」のですから。

【死までのタイムリミット 残り1週間】


久々の本州


「福島へ向かおう」

これは東日本大震災以来ずっと考えていたことです。でも、私は週に3回、1日5時間は病院で延命治療を受けないといけない。その為、時間や日数が制限されていてなかなか行くことが出来ませんでした。

今は1週間の猶予しかないとはいえ、「自由」です。出来なかったことをやろう。

私は車の中にギターも積んでいた。音楽は人を元気にする力があります。自分自身が元気じゃないのに人に元気を与えることが出来るのか、今考えると疑問です、その時はそう考えていました。

「福島で歌を唄おう。」

でも、芸能人でも無い私が、特別に歌が上手いわけではない私が歌を唄ったところでどこまで役に立てるのか分かりません。そういうものも必要だけれど、今一番、福島に必要なのは、「金」じゃないか?


私はどうせ死ぬのだ、こんな貯金なんて全部福島に寄付してしまおう。日本赤十字なんかに寄付してもなんだかしっくりこない。だから、自分の手で福島の自治体に渡しに行こう。



そう考えて、自分の持っている貯金を全部おろしました。その状態で福島へと向かっていました。

何故だろう。別に死ぬのが怖いなんていう感情は全くないのに、また涙が止まらなくなっていました。

・なぜ自分の家庭はあんなに酷い状態なのだろう。

・幸せな家庭ってどんなのかな。

・次は、幸せな家庭に生まれたいな。

輪廻転生(人は死んでも別の人間として蘇り、それを繰り返している)という宗教的な考えを全く持っていない無神論者な私がこのようなことを考えていました。普通の精神状態ではなかったのでしょう。


名古屋にて


死ぬ前に一度、行ってみたかった場所の一つに「名古屋」がありました。

1回目の自殺未遂で助かった時に、遠方からバレンタインチョコを送ってきてくれた「Kちゃん」という子がいました。それが名古屋の子だったのです。(大阪の子にフラレたあとの話です。)

私はお礼に、ホワイトデーにJILL STUARTというブランドのブレスレットを送りました。

その子の実家は私の地元からそこまで遠くないので、その後、その子が地元に帰ってきた時には会って遊んだりもしました。

私は”優しさ”に弱くなっていたのでしょう。たった小さな箱のチョコレートを貰っただけ。それも同情でのもの。義理。そんなことは分かっていたし変な期待も全くしていませんでした。それでも、その気遣い、優しさが心に染み渡っていたのです。


そして私はその子に恋をしました。


年に1度しか帰ってこないその子に1年以上も片思いをしていました。会えるわけでもないのに。普段、連絡も繋がらないのに。(おそらく、本人は隠していたけれど水商売の子だったのじゃないかなと思います。)だから、死ぬ前にその子に会って気持ちを伝えたかった。

でも、私は常にどういう状況でもどこか冷静なのです。そんな死にそうな人間から告白されても気持ち悪いだけです。本来なら福岡に住んでいるはずの人間が名古屋にいる時点で普通に考えて気持ち悪いでしょう。怖いでしょう。

こういう時、私のような男は弱いもので、好きな子に助けを求めたくなります。「死」を覚悟しながらも、どこかで助けを求めているのです。それは普通の友達じゃダメ。そこが私の「甘え」でしょう。

本人に迷惑をかけたくない。多分もう彼氏もいるだろうし、私みたいな人間が行っても向こうもどうしていいか分からないでしょう。

だから、連絡も取らず、会うことも諦めました。意外に冷静な判断が出来たと自分でも思います。


記念に、少し、名古屋の街並みを眺めて、名古屋をあとにしました。


名古屋の都心部は福岡などと比べ物にならないほど高層ビルが立ち並んでいました。しかし少し郊外に行くと田舎で、田んぼなんかも残っているのだな。そんなことを思いながら名古屋を巡っていました。

そして、また高速道路に乗って、パーキングエリアで仮眠を取ることにしました。

この時、出発から2日が経過していました。

【死までタイムリミット 残り5日】


新潟へ到着


私は重度の不眠症持ちで睡眠薬などは持ってきていなかったので、仮眠といっても1時間ほどしか眠ることが出来ませんでした。(そういうのを持っていると下手に警察に調べられても嫌だったのでわざとに持ってこなかったのですが。)

2日で1時間しか寝ていないにも関わらず、不思議と疲れはありませんでした。おそらく、透析をしてないことによる体の老廃物、長距離運転によるアドレナリンなどが疲れを感じないような状況を作り出していたのでしょう。

そういう状況下で新潟に到着しました。福島県のお隣の県です。

本当は名古屋から福島へ直で向かうはずだったのですが、道を間違えてお隣の県についてしまったのです。もしかしたら、無意識のうちに放射能を私の本能が避けたのかもしれません。どうせもうすぐ死ぬから関係ないのにね。

放射能浴びたら、変な化学変化でも起こして私の腎臓治らないかな。こんな不謹慎なことも考えていました。割と本気で。


では、福島へと突入しますか。でも、ここまで来たらもう携帯の電源を入れても大丈夫かな。たぶん、捜査願いも今回は出していないだろうし。

そう思い、今まで切っていた携帯電話の電源を入れました。

すると、前回よりは圧倒的に数が減っていたものの、やはり今回もメールや留守番電話が何件も入っていました。


心配してくれていた人、いたんだ。


死を「理解出来ない」人間と「優しさを持った」人達


mixiの日記のコメントを開いてみたら、「死」というものを理解していない人間(いい年したオッサン)や「死」というものを理解した気になってしまっている勘違いミュージシャンが私に対して見当違いな説教・罵声をコメント欄で浴びせていました。

そのような人間に対して、身体障害者の兄を抱えた私の小学校からの幼馴染「S」が必死に戦ってくれていました。

彼は感受性がとても豊かで、人の気持ちが理解出来る人間なので、私の置かれている立場をまるで自分のことのように感じてくれていたのでしょう。本当に、嬉しかった。

一度も会ったことが無いのにいつも「今年こそはだいちゃんと会えたらいいな」と毎年声をかけてくれる人生の先輩やその奥さんがメールで心配してくれていました。東京の近くにいるなら、死ぬ前に自分のところへ話をしに来いと。それからでも死ぬのは遅くないだろ? と。

同じく、一度も会った事がないけど私と会ってみたいと言ってくれていた、同じ病気を経験したことのある東京の女の子は必死に何度も私の携帯電話に留守番電話を入れてくれていて、何かあったら自分のところに泊まりに来ていいから、ちゃんと人工透析をどこの病院でもいいから受けて! と連絡をくれていました。

いつもお世話になっている、地元で開業医をやっている人生の先輩も、心配だから帰っておいで、とメールをくれていました。

そして、昔からの音楽仲間でもあり男女間を超えた友情があると私が思っているRちゃんという友達が何度も私に電話をくれていて、私が電源を付けたときにその子からタイミングよく電話がかかってきました。

私が、

「今回は本当に死ぬと思う。なんか、どんな説得の言葉も心に響かない。そういうのを感じなくなってしまっている。心が死んでしまったのかもしれない。もし健康体だったら、山の中で畑でも耕しながら本を読み、ゆっくりした人生を送ってみたかったな。」

世の中の様々なことに疲れていた私は、そんなことを口走っていました。これは本心です。俗世を離れ、一人で山の中で何年か過ごしてみたかった。

諸葛(亮)公明が俗世を離れ、山の中で畑を耕しながら本を読みあさり、知識を蓄えたように。私もそのような生活がしたいと本気で思っていました。だがそれも叶わぬ夢。どうせもうすぐ死ぬのだから。

するとRちゃんは、

「自分の宮崎にいるおばあちゃん。凄い広い畑を持っているけれど後継者がいないんだって。部屋も空いている。だから、もしよかったらそこで生活出来るように頼んであげるよ。だから、一度、戻ってきて話をしようよ。」

理屈っぽい私の脳には、下手な同情の言葉より説得力のある言葉でした。そうか、別にサラリーマンをしなくても、家を出ても生きていく方法なんてあるんだ。


そして、Rちゃんは続けました。


「宮崎には、本当に何年も山から降りてこない仙人みたいな人もいるよ(笑)そういう人でも普通に生活して生きている。宮崎は人も優しいし、だいちゃんも知っている私の可愛い従姉妹もいるよ。だからとりあえず戻ってきて。」

そうか、宮崎は暖かいし寒がりの私にはちょうどいい。マンゴーも好物だし向こうじゃ安いらしいし。宮崎で農業するっていうのもありだな。

身体的に農業は無理だろうけど、そこは私のITや経営の知識を使って人を雇えば、新しい事業を考えることも可能かもしれない。


色々なことを考えた結果、私は福島へは行かず、そのまま戻ることにしました。

(※余談ですが、福島に行ったあとは北海道まで行って、そこで永眠するという予定を立てていました。私のことを誰も知らない地で、ひっそりと。)

【死までタイムリミット 残り4日】


帰路、兵庫にて


福岡へと帰宅途中、兵庫の高速道路上で車のガソリンがなくなってしまいました。

携帯の充電もし忘れていて、携帯電話も使えない、さて、どうしたものか。

取り敢えず、発炎筒を焚いてみました。効果は無し。


家に帰るまでに最低でも3日くらいはかかると思っていてもいい。私の寿命は1週間。ギリギリだ。ここで時間を食うわけにはいかない。しかし、そこで、高速道路上には緊急時にかける電話があることを思い出しました。

それを探すために高速道路上の脇を歩いて電話を探しました。

けれど、そのせいで高速道路は大渋滞。電話も一応かけましたが、かけなくてもすでに警察がかけつけていました。一応、言っておきますがダジャレではございません。

「困るんやわこういうの。ちゃんとガソリンくらい切らさんようにせなな~。携帯電話貸したるから、JAFに電話しとき。」

そう言って、兵庫県警の警察官は携帯電話を貸してくれて、なんとかJAFを呼ぶことが出来ました。

保護願い、今回は出ていないのだな。そんなことを思いながら。


本当は私は、違反を何個も犯していたらしいのですが、県警の方の計らいで一番軽い違反にしてもらえました。こういうところ、本当に関西は人情があるなと思いましたね。

心が弱っている私は、こういう一つ一つの「当たり前のような優しさ」に、この”自殺未遂の旅”の間、何度も感動していました。

兵庫のガソリンスタンドの兄ちゃんのサービスに感動し、パーキングの食べ物屋のおばちゃんの対応に感動し、本当に関西は人情あふれる街だなと思いました。


当たり前の優しさ、それをありがたいと思う心を忘れていた自分。人に優しくすることを忘れてしまった人間。どちらも罪なものです。

【死までタイムリミット 残り3日】


帰宅


丁度、1週間ジャストで家に帰り着きました。でも、兄は相変わらず部屋に閉じこもったまま、私の心配などしていませんでした。

母も、

「帰ってきたの。とりあえず病院行ったら?」

という軽い態度。何も変わっちゃいない。バカなのかこいつら? これだけのことが起きて、本当に何も感じなかったのか? 私は絶望しました。

そんな時でした。

心臓に異変が起きたのです。心臓がむき出しの状態で太い縄のようなもので思いっきり縛られているような痛み。そういえば何かの本で読んだ事がある。

「人工透析患者の死因には、心筋梗塞や脳梗塞などがある。」

そうか。たぶん今、私は心筋梗塞の手前まで来ているのだな。こんな状況でも冷静に分析できる自分に、すこし呆れさえします。


この姿を見て、やっと母が動揺しだしました。

「救急車呼ぼうか?」

やっと口にした言葉がこれです。だけど、私はそのまま救急車に運ばれて助かろうなどとはまだ考えていませんでした。私は母や兄を許したわけではないからです。


そこで私は、

「本当に子供の心配をしているのだったら。今までネット中毒だったこと、障害者の息子に兄の相手をさせてきたことを謝れ!! 俺にどれだけ負担をかけてきたか想像してみろ!! 俺のことを勝手に強い子供だと勘違いしているなら言ってやる。お前らが俺に頼りすぎてきたことは全部俺の負担になっていたんだよ!!」

今まで思っていたことを全部吐き出した。痛む心臓を抑えながら。


それでも母は謝ろうとしません。母は元々、「謝罪」ということが出来ない人間なのです。それが例え、自分の実の息子が死にそうであっても。そうやって今まで職場などでも揉めてきました。発達障害によく見られる症状です。

そして、だんだん痛みで声の出なくなってきた私は、最後の力を振り絞って、蚊のつぶやきのような声でこう言い放ちました。

「お前の…腎臓を…よこせ…。」

そうして、私は意識を失いました。

【死までタイムリミット 残り30分】


総合病院の集中治療室にて


気がついた時には私はICU(集中治療室)で治療を受けていました。医師や看護師が何かバタバタしているのは朦朧とした意識の中でも感じていた。そして、医師が、

「もう大丈夫です。~が(おそらく何かの数値)安定しました。」

それを聞いて、そうか、私は助かったのだな。そこで私は自分が生きていることがはっきりと分かりました。

すると、聞いたことのある声が、

「あんた、誰かと思えば、こんなところで何をやっているの(笑)」

昔、人工透析病棟にいてよく話しかけてくれていた看護師さんでした。そういえば、ICUに移動したという話は他の看護師から聞いていたけれど、こんな形で再会するとは思いませんでした。

こんな死に損ないの私に、何事もなかったかのように豪快に笑いながら話すその看護師さんになんだか少し救われたような気持ちになりました。


他にも、様々な看護師さんが私の話を聞いてくれました。

どの看護師さんに話す時にも、涙が止まりませんでした。

人工透析を1週間もしていないのは異常なのですぐに透析を受ける必要がありました。そのほんの少しの待ち時間でさえ話を聞いてもらい、涙を流しました。

人工透析中も入れ替わり立ち代り、看護師さんが入ってきて話を聞いてくれました。


ずっと涙が止まりませんでした。


今まで恨むことすらあった、医師や看護師などの医療関係者。前に自殺未遂を行った時の原因も医療関係者だったからです。

でも、そういう一部のおかしな看護師や医師は除いて、私ら患者は色々な人、友達や医療関係者に支えられて生きている。

やっぱり、医療関係者は尊敬出来る職業です。小さい頃に入院していた子供が看護師や医師を目指したくなる気持ちも今ならなんとなく分かるような気がしました。


今の看護師は、待遇や世間体の良さ、男性ウケがいい、そんな理由から目指す人間も不景気の影響で増えてきたから、これも世間で誤解を生んでいる原因なのではないでしょうか。

もっと、職場環境を改善して、看護師という仕事に誇りを持って挑める人が、これからの若い人にももっと増えたらいいな。そんなことが、ふと頭をよぎりました。


緊急人工透析を終え


兄貴と母が迎えに来ていました。一応、心配はしていたのでしょう。

兄貴は、相変わらずテンションがおかしい。いわゆる「躁」状態です。無駄にテンションが高い。弟が死にそうになっていたということすら、理解出来ない状況まで病状は悪化していました。

母とは、今後のことを話し合うことになりました。このまま家にいるより、家を出た方がいいんじゃないか、とか、その為にはお金を貯めたい。だから自分たちの生活費は自分たちでなんとかしてくれ。俺も自分の分は自分でなんとかしていく。

そんな話をしました。

今まで、障害者という身分でありながら貧乏な家にずっとお金を入れてきました。兄貴が働けない(働かない)、ということもあって。


病気のせいなのは分かっています。でも、こんな兄貴やネット中毒の母のために泣けなしのお金を入れるのがバカらしくなっていました。

おそらく、私が家にお金を入れないと家計は成り立たない。キャッシング(消費者金融からお金を借りる)でもすることになるでしょう。でも、なんとかして兄貴を働かせて生活出来るようにしてくれ。どうしても足りなければ出すから。

そういう話をしました。


この二度目の自殺未遂以来、母のネットをする時間はだいぶ少なくなりました。ご飯を作る時間になると、パッとやめてご飯の用意をしてくれるようになりました。

私の行動も、無駄ではなかったのだな。


そうして、私の2回目の自殺未遂は幕を閉じたのです。もう3回目が無いように願いながら。

後日 その1

私はKちゃんにメールをしました。勿論、自殺未遂をしたことを隠して。

そして、私が2度目の自殺未遂中なのにも関わらずmixi上のメールで暴言、罵声、罵詈雑言を浴びせてきた大男のオッサンがいました。そのオッサンと私、Kちゃんは共通の知り合いだったのです。

私は自殺未遂後もKちゃんへの恋心は変わっていませんでした、その大男のオッサンがKちゃんに余計なことを言って(例えばワザとにKちゃんが私を嫌嫌いになるような発言をする。そういう攻撃的な男だったので。幼馴染Sとmixi上で一番喧嘩をしていたのもこの大男でした。)嫌われるのを避けたかった。だからメールをして、大男が何か余計なことを言っていないか確認しました。

Kちゃんはとても困ったような声で、

「よく分からないけど、何も言われていないよ……。」

と言いました。


そして、私が一番気になっていたのがmixi上で情報を見る限り、Kちゃんがヒモ男を養っているような状態だということがなんとなく分かりました。だから私は真相を確かめるべく、そこに対して突っ込んだ話をしました。

すると、いつもは優しいKちゃんが豹変。

「お前、気持ち悪いんだよ!! 余計なお世話だっていうの!! 私のことを探るな!! 本当に気持ち悪い。」

私はKちゃんに嫌われたくなかった。ただ、Kちゃんには幸せになってもらいたかった。本当なら自分が付き合いたい気持ちはあったけれど、住んでいる場所が遠いので、せめて幸せになってほしいと願って突っ込んだ発言をしてしまったのです。

そこで、

「俺、Kちゃんのことが大好きだから、だからどうしても気になっちゃって……。Kちゃんにはどうしても幸せになってもらいたくて……。」

余計なお世話だったことは100も承知です。でも、自分の好きな子がヒモ男に捕まっていると思うと心が苦しくなる。それが男ってものでしょう?

そして、Kちゃんは言いました。

「もう連絡してこないでね。電話もメールもブロックするから。」(この当時、LINEはまだありませんでした。)

そして音信不通になりました。でも、その後も電話をかけてみたけれど、電話には出ないけれどブロックされた形跡が無いんですよね。何故、そんなことを言ったのか。優しいKちゃんのことです。プラス思考過ぎるかもしれませんが、自分のことを恋愛的な意味で「好き」だと言っている相手に対して思わせぶりな態度をとってはいけない。逆に突き放すのが本当の優しさだと思っての行動じゃないかな、と思っています。

(余談ですが、その後、大男はKちゃんと食事に出かけてている画像をわざわざ私に送りつけてきました。大男をブロックし忘れていたので。勿論、速攻でブロックしましたけれど。)


後日 その2

私が透析導入時、たまたまネットサーフィンで見つけた「偽ダッシュ村」という、アイドルグループTOKIOがテレビ番組「鉄腕ダッシュ」で行っている村づくりを模倣して地元で村づくりを行っている人達がいます。そこの村長であり個人で美容整形外科を経営している仲良くさせていただいている「M先生」がいます。

その先生が私が自殺未遂の旅から帰ってきて、病院から退院した直後に連絡をくれました。

「好きなだけ友人を誘っていいから、皆でご飯を食べに行きましょう。だいちゃんの大好きなあのイタリアンのお店です。」

私は自殺未遂のあとだということもあって、この心遣いがとても嬉しく、テンションがとても上がり、片っ端から友人達に声をかけました。

この先生、地元では市長とも対等に話が出来るくらいの権力者でもあります。(権力を振りかざすようなタイプの性格ではないのですが。)そういう凄い人がご飯を奢ってくれる、しかもイタリアンだよ! そうやって友人達に声をかけまくりました。しかし、自殺未遂の後だということもあって、私が虚言を吐いている、頭がおかしくなって変な人に騙されていると思った人も多かったのか、なかなか友人が集まりませんでした。

結局、集まった友人は二人だけ。いつも良く遊んでくれて私のことをとても心配してくれていた友人M(男)とA(女)です。先生からは、

「友達、少ないね(笑)」

と笑われてしまいました。いえいえ、本当は友人は多いのですが胡散臭いと思われて誰も信用して集まってくれなかっただけですって!


その先生がご馳走してくれたのは高級イタリアンです。私は育ちが悪いので友人達も当然、そんなに育ちの良い奴らではありません。私は食べることが好きなのでイタリアンなどを食べに自分でも行きます。だからフォークやナイフを使うことも高級な料理にも慣れています。しかし、友人達はフォークやナイフで食べる食事に慣れておらず、また高級イタリアンなどのにも縁が無い友人達だったので戸惑っていました。

しかし、そこは気さくな先生と、もう一人集まってくれた先生と私の共通の友人である女性の方が場を盛り上げてくれて、友人達もだんだんとそういった場に慣れてきました。



高級イタリアンをご馳走になった後は、「エロ酒場」と呼ばれるバーへと向かいました。エロ酒場と言っても、店主(男性)が下ネタをひたすら話すという、別にエロくは無いバーです(笑)

そこの店主の下ネタが友人Aの笑いのツボにはまったのか、終始笑いっぱなしでした。

楽しい夜を過ごさせてもらいました。


友人Aは帰り際に、

「夢のような時間をありがとう。」

と一言。この友人はとてもお金に苦労している人生を送ってきている子です。高級イタリアンなんて食べたことがない。この子にとってはとても夢のある時間だったのでしょう。

私自身も20歳で透析導入になってからこの先生にネットサーフィンでたまたま出逢い、今までお金持ちしか集まらないようなパーティーに出席させていただいたり、様々な「夢」を見させて貰っています。

こんなにも人に恵まれているのに、私は何故、自殺などしようとしたのだろう。冷静になって考えるきっかけを先生がこの食事会で与えてくれました。

本当に、有難いことです。


後日 その3

mixiのとある恋愛コミュニティで、とある子の恋愛相談に乗っていて、そこで出逢ったプロのバレエダンサーの「Mちゃん」という子がいました。

どうやらその子はバレエの業界では有名な子らしく、グーグルで検索してみると、トップに名前が出るほど。バレエの世界のことは良くわからないけれど。


自殺未遂中、友達からは沢山のメールや電話がかかってきていたのですが、その中でも気になったのが、Mちゃんからのメールでした。

「束の間の自由。あなたはその間、笑顔でいることが出来ますか?」

普通の精神状態の人が読んでもなんとも思わないような内容かもしれません。しかし、「死ぬな!」「頑張って生きろ!」というような激励よりも、私の心にはこの言葉が一番染み渡りました。



その子は普段、東京のバレエ団で活動をしている子なのですが、前々から福岡で公演がある時には、是非、舞台を観に行くという約束をしていました。

その約束を覚えていてくれていたのか、自殺未遂後メールが届き、会場の場所を示す文章と共に、

「会場のロビーにチケットを用意しているので、受付で名前を言って貰って下さい。」

という文章が添えられていました。

自殺未遂で心がまだ病んでいる私は、少しでも元気を出したくて、その舞台を観に行くことにしました。約束もしていたことですし。



会場に着いてビックリしたのが、会場の規模が2000人は収容できるであろう規模だということ。周りが金持ちそうな人ばかりだということ。

そして、受付がテレビ局のアナウンサーばかりで、募金活動なんかもやっている。

もしかして、これって凄い舞台なの? 私は金持ち芸術のことには疎いので、頭が混乱してしまいました。


どうやら、チケット倍率も凄くてなかなか手に入らない、”超が付くほど有名な日本のバレエ団の公演らしい。そんな凄い舞台に出るような子だったのね……。

(熊川哲也主催のK-バレエカンパニーというバレエ団の公演です。)


そういった場所ではジーパンは禁止なのですが、そんな舞台だとは知らず、小さな劇場でこじんまりとやるようなものだと思っていたので、当然ジーパンに普段着でやってきた私……。周囲から、さぞかし浮いていたことでしょう。


しかし、そうも言っていられません。早速会場内に入って、舞台を観ることにしました。



よくよくチケットの番号を確認してみると、S席のど真ん中、一番舞台がよく見える場所のチケットをプレゼントしてもらっていたのです。


私は、この心遣いに舞台前から既に涙が出そうでした。


そして、舞台が始まると、

・BGMは生オーケストラ

・舞台はセリフ無しで全て生ダンス(バレエ)


セリフの無い舞台なんてみて楽しいわけがない、そう今まで思って生きてきた私は、自分を恥じました。

体中に電気がほとばしるような感覚。感情が高ぶり、オーガズムへと誘うような心地よさ。

そして、そういった感覚とは真逆な、まるで人形劇を見ているようなウキウキ、ワクワクが心の中を満たしていきました。

ありがとう……。ありがとう……。

私は心の中でなんども呟きました。目元は涙で溢れかえっていました。


そんな気持ちのまま、夢のような舞台は終了しました。



舞台終了後、チケットをもらったままではマズイ。なんせ、定価でも12000円はする代物。ヤフーオークションなどで見るとプレミアが付きまくって高騰するようなチケットをタダで貰うわけにはいかない。


そんなことを口実に、その子を舞台終了後、食事へと誘いました。


食事をしながら、私が知らない世界の話を、グローバルな話を、バレエ業界のことを、色々と話してくれて、私の知識欲はどんどん満たされました。しかし、舞台が終わったばかり。長居させるわけにもいかないので、キリの良いところでお別れをしました。


また、次の舞台を見る約束をして。

(現在はフランスのパリでプロのバレエダンサーとして活躍しているようです。)


後日 その4


自殺未遂の為に高速道路代やガソリン代、車の修理費などで私の所持金は残り2万円くらいにまで減っていました。

障害年金を貰っていて、自分達のことは自分達でやってくれ。俺はもう家にはお金は入れない、と言ったものの生活が苦しそうだったのと自分がまだ実家にいることを考え、障害年金は全額家に入れることにしました。しかし、その状態のままだと私の所持金は枯渇してしまう。どうしよう……。

働きたくても、ただでさえ障害者は仕事が無いのに自殺未遂の後遺症でまともに働ける状態ではなくなっていました。でも、さすがにもう自殺をしようという気持ちはありませんでした。いえ、全く無いといえば嘘になるのですが友人達に迷惑をかけたくないので頑張って生きようと決心したのです。


でも、どうやってお金を稼ごう。あらゆる手段を考え、手を尽くしました。


インターネット上でライターを募集していたので、ライターに応募し、私はフリーライターになりました。しかし、駆け出しのフリーライターが、それもWEB媒体のライターがすぐに飯を食えるほどお金を稼げるはずがありません。

そこで、ブログを開設してアフィリエイトを始めました。友人の紹介で、SKYPEの今で言うLINEのグループチャットのようなグループ、「ニート窓」という、インターネットのアフィリエイトだけで生活している人達のグループに入れてもらいました。

そこには様々な生い立ちの人がいたので、私のような人間の境遇も理解してくれて、すぐに仲間に入れてもらうことができました。

その中でも、元不登校児で現在ニート(インターネット収入のみで生活をしている)弱冠20歳の男の子がいました。

その子は発達障害を抱えていて、それが原因なのか分からないのですが両親が理解を示してくれず、厳しい家庭だった為に家を追い出され、でも対人恐怖症や欝などの精神疾患を抱えていた為、普通に働くことが出来ない。だからインターネットで収入を稼いで一人暮らしをしている、という壮絶な人生を送っている子でした。


上には上がいるものだな。私は素直にそう関心しました。


その子はニート窓のリーダー的存在で、ニート窓の中でも私のことをよく心配してくれて、インターネットでのお金の稼ぎ方を色々とアドバイスしてくれました。

私も法律の知識があったので、その子が犯罪に巻き込まれた時、どういう団体を頼ったらいいか、どういう風に対応したらいいか、などのアドバイスをインターネット越しにしていました。


そうやって、ニート窓のその子、「H君」と仲良くなっていったのです。


H君のおかげで少しだけですがインターネットでの収入が得られるようになってきました。ブログというものもフリーライターをしながらやるにはうってつけのお金を稼ぐ手段、相性がよいものだったということも大きかったとは思いますが。しかし、それでもインターネットの収入、ライターの収入だけで生活をしていくことは出来ません。

そこで、私は自分もその子も不登校児だった。家庭環境が複雑。そういうことを考え、そういった方面で仕事が出来ないかな。そんなことを考えるようになってきました。

そして、私は所持金を全部はたいて、中学生の3年分の副教科以外の教科書を全部書い、参考書や問題集なども揃えて中学生の勉強の復習をし始めました。元々、勉強は苦手ではない、むしろ好きだったのでそれが不登校児や家庭環境が複雑な子達の役に立たないかな、そういうことを考えたのです。


そして、私は不幸当時、発達障害児、家庭環境が複雑な子専門の家庭教師になりました。フリーライター、アフィリエイター、家庭教師の3足のわらじを履いた生活の始まりです。


(ちなみにH君は法人を立ち上げ、社長になったようです。)


エピローグ


携帯の電源を点けた帰り道、透析不足、寝不足(1週間で3時間しか寝ていませんでした。)もあり、かなり錯乱した状態でmixiなどの日記を書いていました。

そういう日記をみて、ただ表面の文面だけをみて、私の置かれている状況、バックボーンの意識できない人たちは、

「気持ち悪い」

と言って離れて行った人もいます。

そういう私を気遣って、ちゃんと周りの友達たちに友人Aは、

「だいちゃんは今、大変な状況なのだから、ああいう書き込みは本来のだいちゃんの文章じゃない。だから、ああいうのを見てだいちゃんを嫌いにならないで。」

と声をかけてくれていました。

心配する素振りを見せるのが苦手な友達はさりげなく、

「焼き鳥でも食いに行きますか!」

と誘ってくれました。


K-バレエカンパニー所属のMちゃんが一番の特等席のチケットをプレゼントしてくれ、開業医である人生の先輩、M先生は私の友達も呼んで高級イタリアンをご馳走してくれました。(ちなみに私は本格フレンチやイタリアンが苦手なのです。貧乏育ちなので。でも、この開業医の先生の紹介してくれたお店の料理だけは大好物なのです。それを覚えてくれていたのもとても嬉しかった。)


ニート窓の人達(ほとんどが年下)、H君も私の状況を察知してくれて色々なアドバイス、インターネットでのお金の稼ぎ方などを伝授してくれました。一人で生きていく方法などを学ばせてくれました。


なんだかんだ、私は周りの人達に恵まれています。


言葉に出すのが苦手な私は、この場をもってみんなに言っておきたのです。

「いつも、本当にありがとう。」

いつか、この人たちに恩返し出来るように、私は今でも文章を書き続けています。


だいちゃん(∀)


あとがき


人が死にたいと思うときは、本当はまだ逃げ道があるのにそれを見つけることが出来なくなるくらいまで追い詰められています。または、本当に苦しみから逃れる方法が死ぬ以外にない。色々な状況がある。

だから私は、

「死ぬ勇気があればなんでも出来る」

この言葉が大嫌いです。どうにもならないことが世の中には沢山あります。

自分の子供が重度障害者だった場合、一生面倒を見なければいけないわけですけど、それに耐えることが出来るかどうか。自分の子供だったらどんな状態でも、例え植物状態でも愛せる人もいるし、ちょっとした障害があるだけで見捨てる人もいる。

障害者で小さい頃に見捨てられた子供が、希望を持って、

「死ぬ勇気があればなんでも出来る」

なんて思えるでしょうか。これは、精神面も身体面も健康だから発することの出来る言葉じゃないかな。



ちなみに、兄の病状は精神科無理やり通わせるようになってからだいぶ病状が良くなってきました。相精神的な病気は完全に治るわけではないので、職場で理解されなかったりして度々仕事をクビになったりしていますが、病気じゃない元の兄貴は優しい人間です。

どうやら、介護士になるために学校に通うことを決めたみたいです。

母も自分の母親(私からみると婆ちゃん)の介護をしながら、今は家の家事もちゃんとやっています。雑ですけど(笑)でも、家庭はだいぶ良い方向に向かって行っています。未だに兄貴とは口をきいていませんが、それもいつかは解決することでしょう。

あとは自分も含めた息子たちが結婚をして、子供を作って、幸せな家庭を築くこと。それが母に対しての一番の恩返しかもしれません。


いがみ合ってきた家族関係もこの事件をきかっけに終止符を打ちそうです。


生きる希望、夢のなかった私が夢を持つこともできました。それは、

『この物語を紙の本として出版すること』

です。

主な登場人物

・「だいちゃん」 主人公。男。 人工透析を行っている1級身体障害者。複雑な家庭環境の中で育ってきた。

・「Cちゃん」 大阪の女子大生の女の子。母を失くし、父は人工透析患者で鬱を発症経験あり。心も優しく、強く、人望もある背の小さな可愛らしい女の子。私が1度目の自殺未遂の時あたりに恋をしていた相手。

・「Kちゃん」 1度目の自殺未遂の時に名古屋からバレンタインデーにチョコレートを送ってきてくれた同級生の女の子。推測では水商売で働いていた子。私が2度目の自殺未遂の時あたりに恋をしていた相手。

・「S」 小学校からの幼馴染。男。障害を抱えた兄がいる。感受性の強い芸術家気質。優しくて頭も良い。

・「Rちゃん」 路上ライブをやっていた時からの、男女の壁を超えた親友の女の子。命の恩人。

・「M先生」 いつもお世話になっている個人で美容整形外科を経営している先生。凄腕の外科医。様々な体験をさせてくれた人生の先輩であり恩人。

・「友人M」 いつもよく遊んでくれて、自殺未遂の時もとても心配してくれた心優しい男の友人。

・「友人A」 自殺未遂の時に「だいちゃんは今、大変な状況なのだから、ああいう書き込みは本来のだいちゃんの文章じゃない。~」と言って他の友人達を説得してくれた女の友人。

・「Mちゃん」 プロのバレエダンサーの子。mixiで恋愛相談に乗っている時に知り合った女の子。今ではフランスのパリで活躍中。

・「H君」 発達障害持ちで学校ではイジメに遭い、引きこもりになってしまった20歳の少年。家を追い出されたけれどインターネットでお金を稼ぎながらなんとか生き延びる。今では会社の社長。


その他、大勢の友人、人生の先輩たち。



読んでよかった
このストーリーをブログ等で紹介する

だいちゃんさん、涙が出ました。
ただただ、だいちゃんさんの幸せを祈ります。
だいちゃんさんが、少しでも楽になりますように。
心から笑える時間が、たくさんありますように…

生きて、語りつづけて下さい。その気持ちを。

読ませていただきました。だいちゃんさんが少しでも心が軽くなるように、幸せを感じるようになってほしいなぁと思いました。それはレポートに書いてあるように永眠かもしれないし、見方を変えて人生を謳歌することかもしれません。人によって幸せは違いますから。見方は車を運転できる、目が見える、口がきける、なんてありがたいのだろうというそんなちっぽけなことでも構わないと思います。耳が聞こえたり、酸素マスクなしで生きれるのなんて当たり前だろ、という見方は実は当たり前ではないのです。 大変な状況の中壮絶な体験をされていますが、本当にだいちゃんをねぎらって、ほめてあげられるのはだいちゃんさんしかいないのです。もしかして、綺麗ごとに聞こえるかもしれません。そうでしたらその「綺麗事」の裏に隠されている深い意味をよく吟味してみてください。レポートを読んで泣けてきました。ありがとうございます。

全国の自殺を考えてる、「生きづらい人」に読んでほしい記事です。

泣けてきます

生きていてよかった

もっと我儘に生きてほしいな。我儘って人に迷惑かける事じゃ無くて、自分の好きな事に忠実って事よ。やさしさとは相反しないし不思議と世界が変わるよ

だいちゃんさんのような人だから周りの人も良い人ばかりなのでしょう。
類は友を呼ぶってやつですね

何か同じことを考えてる・・・あれもこれも同じだ・・・
いつ透析をやめてようか。それまでに何を準備して
おこうか、どうやって見つからないようにひっそりと
死ぬか。そうだ、苦しくなったらありったけの睡眠薬
を飲んで寝てしまおう。何か死ぬための計画ばかりが
頭を支配する。そう考えはじめたころから、透析病院の
看護師との会話もしなくなった。どうせ自分が死んでも
この人たちは自分のことなどすぐに忘れ去るに違いない。
所詮はそんな関係でしかないのだから。
幼少から障害で栄養制限があり、ただの一度も楽しく
食事したことなどない。それから成人になり医者のミス
で腎不全にさせられ、だれも責任をとらない。透析と
なれば食事に加えて水さえ好きに飲めない。市に障害者
の減免を申し込んだら、税を無駄にするお荷物と
いわれた。会社も透析を理由にクビ。仕事もなくなった。
一生懸命生きてきたのに、どんどん不幸になっていく。
何も悪いこともしていないのに何でこんな仕打ちを。
死ぬ勇気があれば何でもできる?
ポジティブでいられるからそんなカッコつけたことが
いえる。そうなりたくてもなれない人間もいることを
知ってから言って欲しい。特に透析患者は移植でしか
社会に完全復帰できない。でもその実現こそ、自己努力
で出来るものではなく運次第。なんでもできるって
その為なら、暴力団を使ってでも犯罪に手を染めて
腎臓を買えとでもいうのか?
実に無責任に感じるポジティブ語録だ。

最後まで興味深く読ませていただきました。「ただ生きるのではなく一生懸命生きたい」という気持ちになれました。ありがとうございます。

だい ちゃん

1級身体障害者でフリーライターで家庭教師なよく分からない人間、だいちゃん(∀) 本気で自費ではない本の出版を目指しています。 知ってる人は知っている、知らない人は全く知らない、影の有名人ですw

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だい ちゃん

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