18歳までは人生はつまらない、苦しい物だと思っていた自分にとって、

インターネットの世界は生きるって楽しいと思わせてくれる世界でした。

その世界で感じたことを3つに分けてお話してみたいと思います。


その1:話を聴いてくれる仲間ができた


自分は小さい頃から特徴的な視点で物事を見ていたため、

学校ではいつもいじめられっ子でした。


幼稚園の頃からテレビが大好きで、その反面、木や海をただ眺めるのも大好きでした。

周りの子からは変わっていると言われ、

陰口を言われたり、Yシャツをグチャグチャに踏みつけられたり、毎日ロッカーがボコボコだったり。

教師にそれを伝えても、イジメは改善されず、学校に行くのが毎日苦痛で仕方ありませんでした


家庭も教育熱心な父と母で、学歴やお金のことばかりを気にする人でした。

特に父は気性が荒く、酒を飲むと平気で深夜まで説教をクドクドとしている人間でした。

母は教育に熱心であり、父に従順で、自分の居場所は家庭にもありませんでした。

あまりのひどさに玄関を飛び出して、「助けて!」と叫ぶと父は容赦なく自分を押さえ付けました。


学校にも、家庭にも居場所がない。


ただ唯一の目標は、第一志望の東大に合格することだけでした。

ですが、大学受験で第一志望の東大に受からず、目標が見えなくなってしまし、

生きるって苦しいだけと、大学入学直後に、病院に入院することになりました。


体も痛くて、心も鬱状態で、

もう死にたい

そんな時に藁をもすがるつもりで見つけたのがインターネットの世界でした。


2000年当時、まだまだインターネットが普及していない時代ですから、

チャットをやっている人も断然少ないものでした。

そこで初めてチャットというものを知り、

初めて訪れたチャットが「テリーズワンダーチャット」いうサイトでした。


このチャットで学歴や外見を関係なく、誰かと会話をする楽しさを覚えたのでした。


19歳のおいら
皆さん、どんな仕事してるんですか?
ある常連
俺、大学生、三流だけどな〜、バイトはマックの店長
ある常連
あたし、キャバ嬢。いつも朝帰り。
ある常連
キヨスクでバイトしている、ゲーム好きで、ネットのゲームサークルにもよく行ってるよ。

という感じに、受験戦争しか知らなかった自分にとって、

様々な属性の人間と喋れることが、人生最大のカルチャーショックでした。

そして、小さい頃から違う環境の人と話したくて仕方なかった自分にとっては、

チャットはそれを叶えてくれる夢の空間だったのです。


それから毎日のようにそのチャットに入り浸り、

寝ている時も常にPCを立ち上げ、チャットにログインしている

そんなほぼ24時間チャット生活が始まったのでした。


その2:世界が狭くないことを教えてくれた

いつしかそのサイトの常連となったおいらは、

オフ会に出向いて打ち解けられる友達が初めてできたのでした。

19歳のおいら
君がみほ?
みほ
初めまして〜!
19歳のおいら
君がさとる?
さとる
おう! よろしくな!
19歳のおいら
初めまして、早稲田の学生ですけど、東大は落ちたんですが。。
さとる
大学名なんてとらわれるなよ。おまえ自身と話してるんだからさ。

次回のオフ会は、「競馬場な!」とか「海岸で花火しようぜ!」とか、

今まで味わうことができなかった自分の波長と合う友人たちと

楽しい時間を過ごすことができたのでした。


生きるってちょっと楽しいかも

肩書きや身分を関係なく話せたのは、19年の人生で初めての経験でした

ようやく素の自分で他者と接せられることができたのでした。


その3:踏み出すことで自分が変われることを知った

そのチャットには伝説の管理人という人がおりました。

チャットに全く顔を出さないのに、掲示板には必ずレスを深夜毎日書き残している。

その管理人が自分の大学の一つ上の先輩であることを知ったある日、

突然彼に誘われて大学で会う約束をしました。


初めて出来る学校の先輩と会えるのを楽しみに待っていたのですが、

その管理人は約束の数日前、ビルの5Fから飛び降りて亡くなってしまったのでした。


彼とお葬式で初対面をした

初めて会うはずだった人と、棺の中で初めましてをした体験は、

勉強ばかりをしてきた19歳の自分の心の何かを動かしたのでした。


19歳のおいら
自分の人生を救ってくれた20歳の彼が亡くなってしまった。彼の分までこれからの人生、大切に生きていきたい


そう思い、HPを作ったことが無かった自分が、

彼の残したHPを元にHPの作り方を勉強し始めたのでした


その中の一つに、インターネットのマナーのサイトである

ネチケットってな〜に!?」があります。


小学生のチャットのマナーが気になり、

当時ほとんどなかったネットのマナーページを自分で作ろうと立ち上げたのがこのページです。


運営して2年位経ったある日、長崎で少女がネットの掲示板で悪口を書かれて、

同級生を殺してしまう事件が起こりました。

それをきっかけに私のサイトがテレビ局から取材を受け、

自分の書いた物が、小さい頃から憧れていたテレビの業界と繋がることができた。


これからは学校の所属だけでなく、
自分のやりたいことを見つけよう。

そう思うようになりました。


それから、ネットの生活を通じて、カウンセラーを目指したいと思い始め

大学四年の時は、単位の取得と全く関係なく、所沢で週4、5日、一年間

臨床心理学の勉強に没頭しました


そこで出会った芸術療法がきっかけで、自分で物作りがしたくなり、

渋谷で出会った露天商の方の絵を拝借して絵本を作りました



この絵本を持ち歩いていたら、高校時代の同級生の誘われて、映画の業界に入ることとなりました。

映画の業界に入って10年、初めての長編映画を撮ることができ、

昨年は人権シンポジウムin東京「インターネットと人権」で講演をさせて頂くことになりました。


自分にとって、インターネットは、

勉強ばかりが人生でないことを教えてくれ、

人と触れ合う楽しさや素晴らしさを授けてくれて、

踏み出すことで自分を変えられることを知らせてくれた

そんな存在でした。


インターネットに救われた人生を大切に、

人生の問いかけは外からもらうものではなく、自分の出会いから生み出すものであること

作品制作を通じて、これからも伝えていきたいと思っております。

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インターネットが私の夢を実現しました。w

ひとつひとつの行動が自分にみがきをかけていったところ

古新 舜

映画監督・コミュニケーションデザイナー 映画×教育をテーマに、世の中の当たり前を疑う姿勢、決められたレールから外れることの大切さ、2つの違ったものを融合させる姿勢をテーマに、作品創りを行っている。アクティブラーニング社羽根拓也氏に師事。社会人基礎力を養うワークショップを展開する。

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映画監督・コミュニケーションデザイナー 映画×教育をテーマに、世の中の当たり前を疑う姿勢、決められたレールから外れることの大切さ、2つの違ったものを融合させる姿勢をテーマに、作品創りを行っている。アクティブラーニング社羽根拓也氏に師事。社会人基礎力を養うワークショップを展開する。

古新 舜

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