うつ病と診断されて。

記憶は定かではないのですが、2006年くらいからうつ病を患っています。

もともと几帳面で神経質で完璧主義者で日和見主義な性格で、些細なことで落ち込んだり、物事を悲観的に考えるタイプだったのですが、とある出来事を契機に、それがますます病的な感じになって行きました。

それまでのわたしの人生は順風満帆といってよいものでした。一流大学ではないけど大学には推薦でそこそこ有名な大学に入学でき、その大学を総代で卒業し、第一志望の大手製造業会社に就職することができました。その会社が不祥事で傾きかけたので、同じ業界の部品メーカーに転職をし、さらにヘッドハンティングされる形で、最初に入った会社から分社化し外資を親会社とする会社に引っ張られました。まあ呼び戻されたわけですね。それが2003年4月のこと。仕事の内容は海外のお客様から製品の受注処理をしたり、お客様へ請求書を発行し入金までフォローすることでした。
入社からわずか2年でマネージャー(課長)に昇進し、年上でちょっと気難しいですが、仕事のできる部下(以下、部下A)を配下に持ち、周りから将来を期待される存在だったと思います。部下Aからの信頼も厚いとうぬぼれていました。

そんな順調だったわたしに2005年9月、新しい部下が加わりました。中途採用で新規入社した台湾国籍の女性(以下、部下B)です。その女性が、入社3日目で「妊娠」していることをわたしに告げたのです。このことが明るみになると、部下Aは烈火のごとく怒りました。
彼女曰く

・ 自分は邪魔者にされてるとしか思えない。
・ 海のものとも山のものともわからない新人を特別扱いしすぎる。
・ なぜわたしが彼女のサポート役に回らなきゃならないのか。
・ わたしはもはや精神的にボロボロだ。
・ どうしてわたしだけこんなに苦労させられるのか。
・ かろうじて責任感だけで耐えているけど、今すぐ帰りたい気分だ。
・ 実はもう会社なんて辞めてやろうと思ってた。
・ わたしはいい上司だと思うけど、今回の仕打ちには失望した。
・ この会社は男尊女卑だから、いくらがんばったってどうせ評価されない。
・ もう会社が信用できない。

ということです。
で、部下Aは部下Bに仕事を指導する、あるいは引き渡すことを拒否しました。さらにはわたしが部下Bに仕事を与えようとするとまた怒り出すという具合です。

この事件をきっかけにわたしは部下Aの顔色をうかがいながら、マネジメントをするようになってしまいました。わたしの直属の上司である部長にも見て見ぬふりでした。わたしのその行動は当然長く続くはずもなく、精神的な不調を感じ始め、会社のカウンセリングや心療内科に通うようになりました。
なんとかカウンセリングや投薬でしのいでいたものの、やがて不眠や睡眠障害などの早期覚醒、抑うつ感がどうしようもなくなり、徐々に会社を休みがちになっていき、2007年11月についに会社に行けなくなりました。

3か月の休職ののち、部下のない「スペシャリスト」という肩書(課長待遇)で復職し、仕事の内容も替えてもらいました。ここでは今までとまったく違う仕事をしていたのですが、結構時間を持て余すことが多く、適度なゆとりはひとに余裕を与えますが、過度なゆとりはひとに焦りを与えます。ここでの仕事は輸出に関しての法令面での確認やその他雑多な業務でした。仕事がない―――このことでわたしの精神面はかなり荒れたと思います。そんな中で大きな仕事がわたしに与えられるようになりました。それは、取引のある複数の国内商社との契約書を纏めることでした。社内の調整、お客様である商社との折衝、役員への稟議、親会社からのOrderへの対応と、病み上がりのわたしには少々荷が重い内容でした。親会社からのOrderは容赦なく、白い物も親会社が黒と言えば黒にしなければならないという官僚的な組織の中で、社内の軋轢に押しつぶされ、だんだんと心を失っていくようでした。またある商社との折衝については大変困難を極め、わたしの心はつぶれる寸前までとなりましたが、それでもなんとか直属の上司のサポートにも恵まれて1度目の契約はまとめることができました。

しかしすぐに一度目の契約更新の時期がやってきます。その硬直的な官僚的組織の中で調整に奔走し、副社長の前でのプレゼンをやらされた際に、そのプレッシャーでついに心が壊れてしまったようです。平時でも動悸や息切れがしてしまい、普通に座っていることさえままならなくなってしまいました。すがるような思いでかかりつけの心療内科に駆け込み、また1か月の休職をすることになってしまいました。

最初の休職と二度目の休職の間、わたしはある人と恋に落ち、同棲していたのですが、そのパートナーと別れるという経験をしました。そのひともわたしと同じ時期にうつ病にかかり悩んでいたこともあって意気投合したのですが、この恋愛はわたしにとっては、少なくとも病気に関してあまりプラスにはならなかったようです。

二度目の休職から復帰した後、会社からかなりひどい仕打ちを受けるようになりました。まずは「降格」をほのめかせてきました。会社のせいで病気になったにもかかわらず、なぜ降格させられるのか疑問ですが、とにかくショックでした。そのことについて無視していると、今度はわたしを部から追い出そうとしてきました。それについては話を聞く限り、わたしにとっても悪い話ではありませんでした。というのも、その時にいた職場の同僚の病気に対する理解のなさが、わたしの態度を硬化させていたからです。その当時、わたしは部内の誰とも話ができない状態でした。仕事上のかかわりも薄く、話す必要もなかったというのもあるのですが、周りのみんなのわたしを見る目が耐えられなかったのです。なので新しい職場で、しかもその部長は以前から気心が知れていたひとだったし、仕事はわたしは以前経験した請求の仕事であったので、その時抱えていた仕事より経験が活かせると思ったからです。
で、新しい職場はわたしたちを温かく迎えてくれました。もちろんわたしの病気は日々よくなったり悪くなったりでしたが、幸い、長くても4日くらいの休みですぐに復帰できた時もあり、休職のような長い欠勤にはならずに済んでいました。

しかし、好事魔多しとはまさにこのことで、2013年になって事態は一変しました。まず部長が替わって、わたしの上司であるマネージャーに対してのプレッシャーが大きくなり、そのマネージャーが明らかに精神をおかしくして休みがちになりました。さらにわたしの肩書である「スペシャリスト」という職位を全社的に廃止し平社員に降格させるということが、こちらの同意・不同意に関係なく一方的に断行されました。これはおそらく労働契約法に抵触すると思われます。この会社側の行為は就業規則に定められているものではなく、すなわち「労働条件の不利益変更」ということで、労働者の同意なしに実施できないはずなのです。わたしはひとりで抵抗を続けましたが、結局わたしの同意なく降格され、2014年1月から給料が月10万円減らされることになったのです。そして上司であるマネージャーが仕事を投げ出す形で退職することとなり、同時に契約を切られた派遣社員が受け持っていた分の仕事もわたしに回されるようになったのです。給料が減らされるわ、仕事は増えるわで、はっきり言ってやってられません。元はと言えば会社のせいでうつ病になり、そのうつ病のせいでマネージャーからスペシャリストへ“横滑り”したところ、今度は会社の都合でスペシャリスト廃止になるから給料下がってもしょうがないよね的な扱いを受けているのです。あまりにひどい仕打ちです。納得しろというのが無理な話です。

それでもわたしはこの歳になると、他の会社を探すわけにもいかず、仮に転職したとしても今以上に給料が下がってしまう可能性もあるので、今の会社にすがるほかないわけです。そうやって従業員の足元を見て付けこんでくる会社のやり方が許せません。
会社がそういう扱いをするのであれば、こちらもそれなりの対応しかできません。平社員であれば平社員なりのアウトプットしかしません。管理職には協力もしません。やれるものなら自分たちでやってごらんって話です。

うちの会社は一応外資系になるので、親会社から降りてきた人間が大勢います。彼らは実務を一切しません。口だけで偉そうに命令してきます。しかもそれはいつも内向きのことばかりであって、お客様のことなどこれっぽっちも頭の中にありません。害人たちはいずれ本国に帰ってしまうのだから、そのときさえよければ他はどうでもいいのでしょう。こんな体制なので現場の士気も上がらず、国内のシェアは同業他社に追いつくどころか、どんどん引き離されていってしまっています。こんな会社におそらく未来はないと思います。

わたしはどこかで選ぶべき道を間違ってしまったのかもしれません。今でも逃げ出せるものなら逃げ出したいと思っていますが、それもできない状況に置かれています。


著者のFujii Momokoさんに人生相談を申込む

著者のFujii Momokoさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。