クラスでハブられ、恋愛依存、就活全敗コミュ障の私が、国の「IT講習会」のおかげで就職できた話

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キモイと呼ばれハブられた中学時代

一人でお弁当を食べていた高校時代

恋愛ごっこの短大時代

自分の人生を否定された面接

失恋

IT講習会との出会い

やりたいことを見つけたフリーター時代

現在、そしてストーリーを書いたきっかけ

おまけ


キモイと呼ばれハブられた中学時代


 1995年。

 楽しみにしていた「技術・家庭科」のコンピュータの授業で、私の「ハミ子」(仲間はずれ)は決定的なものとなった。

 中学時代、それまでもクラスで浮いた存在だった私の趣味は、家にある父のパソコンを使い、詩や小説や日記を書くことだった。

 おかげで、タッチタイピングを1995年、中3の時点で習得していた。

 そして、それまでは苦手科目だった「技術・家庭科」でコンピュータを学べる事を楽しみにしていた。


 何度目かの授業。

 大きなブラウン管、黒い背景、16色のディスプレイ。

 そこに、テキストの見本通りに、文章を入力する課題。

 つまらないな、そう感じた私は、さっさと課題を片付けてしまうことにした。

 カタカタカタカタカタ、リターンキー!


 し……ん。


 水を打ったように、静まりかえる教室。

 私は、なぜ教室が静かになったか、わからなかった。

 辺りを見回すと……みんな、こちらを見ている。

 しばらくして、クラスの男子がぼそっと言った。

お笑い系男子
あいつ、キモっ!

 すると、他の男子も一斉に騒ぎ出す。

ホスト系男子
あいつ、家でなんかヤバイことやってんじゃねーの?
小物系男子
俺知ってる! ああいうやつを、オタクっていうんだよ!


 ザワザワ、ザワザワ。どよめく教室。

 静かにしろ! と怒鳴る教師。

 教師にしても、私のような存在は疎ましかったのか、特に何のフォローもなかった。

 そして、私の中学卒業までのあだ名は、「オタッキー」に決定した。


 小学校からの友達で、同じく家にパソコンがある、かよちゃんという子が居た。

 彼女に授業中どうしているのかを聞いてみたところ、

「えー、授業では、わざとキーボード打てないふりしてるよ。気持ち悪がられるのが目に見えてるもん」

 という返答があった。

 こういう、「空気の読めなさ」こそが、私が学校に馴染めなかった原因なのかもしれないと、今にして思う。

 ちなみにかよちゃんの家は、お兄さんがパソコンを持っていたという事情があった。

 彼女は家庭の事情(詳しく話さなかったけど、おそらくお兄さんの事)で、卒業目前に引っ越してしまい、そこから音信不通だ。


一人でお弁当を食べていた高校時代


 中学で「ハミ子」を経験した私は、漫画にあるような普通の学校生活を夢見、高校デビューで一発逆転を狙うことにした。

 私の住んでいた市では、少し変わっていたようで、進学する公立高校が学区ごとに決められている。

 しかし、成績上位者は、学区外の高校を選択できる仕組みだった。

 私はその仕組みを利用し、市内で一番自分の中学から進学する人の少ない高校に進学した。

 ※家が裕福ではないため、私立高校や、電車で通う距離の公立高校は選択肢に入らなかった。


 しかし、類は友を呼ぶとはよく言ったものである。

 その高校の受験日に、勇気を出して話しかけ、仲良くなったのは、その学区の中学で一番嫌われている生徒だった。

 仲良く会話するその姿は、その中学のみんなに知られる事となり、私の高校デビュー計画は、入学式を迎えること無く潰えてしまった。

(今にして思えば、学区外から一人でひょこっと来る時点で怪しさ全開なんだけれども)

 開き直った私は、「情報科学部」という、パソコン系のクラブに入部した。

……もし、その部活動が活発であれば、私の人生はまた違ったものだったかもしれない。

 しかし、残念ながら、当時の情報科学部の活動内容は、「ときめきメモリアルを始めとする恋愛ゲームについて語る」というものであった。

 なぜか部室(というか授業でも普通に使うはずのコンピュータ室)には、「伝説の樹」(ときメモで女の子に告白してもらえる場所)が描かれており、しばらく消されなかった。

 結局、私はそこにも馴染むことができなかった。

 高校1年は、その「嫌われ者の仲間」の噂が広まる前に作った友達がそこそこおり、楽しかった。

 高校2年は、高校1年からの友達二人とつるんで過ごしていた。

 しかし3年になり……そこには友達は一人しかいなかった。

 しかも彼女は、1998年当時、人気絶頂だったラルク・アン・シエルの追っかけとアルバイトでほとんど学校に来なくなった。

 結局、彼女は、卒業単位が足りないということで、2学期早々に退学となった。

 仕方が無いので、放送室で音楽を流しながら、一人で昼ごはんを食べる生活を送っていた。

(音楽を聴くのも好きだったので、放送部にも所属していた)

 ちなみに、中学の同窓会は一度だけ参加したが、高校の同窓会には一度も呼ばれていない。


 クラスに全く馴染めなかった私がはまっていたのは、当時の彼氏との恋愛だった。

 同級生には全くもてなかったので、同じ放送部にいた上級生の先輩と付き合っていた。

 私は20歳になって、親の承諾が不要になったら、すぐに先輩と結婚するつもりだった。

 大学進学は全く考えておらず、高卒で就職し、家を出る為の資金を貯めるつもりでいた。

 たまに情報科学部に顔を出した時は、ひたすら黙々と、就職対策用にワープロソフト「一太郎」と表計算ソフト「Lotus 1-2-3」の問題集をこなしていた。(今では考えられないが、当時は日本でもこれらのシェアが大きかった)

 しかし、当時の担任に、進路指導で熱心に進学を勧められた。

 幸い、祖母が貯金から2年なら学費を出してくれるという。私は、

どうせ就職しても20歳までは結婚できないんだもん。それなら、進学していい会社に入った方が、先輩の為にもなるかも!

 と、短絡的に考え、進学を決めた。ちなみに先輩は音楽の専門学校に通っていた。

 最初は、コンピュータの専門学校に行こうと考えていた。
 しかし、「専門学校なんてありえない! 就職できるはずがないだろ!」と親に猛反対され、諦めた。
 最終的には、自転車で通え、就職率も高く(その資料では9割を超えていた)指定校推薦(内申書と面接だけ)で入れる短大を選択した。

 そこそこ有名で由緒ある短大なので、親も何も言わなかった。

 受験勉強して4年制大学に入る事は全く考えなかった。
 国文学には興味があったが、それ以上に、受験勉強で彼氏とのデートの時間を潰したくなかったし、今すぐ家を出て結婚したいのに、22歳まで待ってられない! と考えていた。


恋愛ごっこの短大時代

 

 短大に進学して、最初に良かったと感じた事は、「一人で堂々とお昼ごはんを食べられる」という事だった。

 そしてすぐ、私は先輩と別れることになった。

 先輩はイベント系のアルバイトをしていたが、そこで知り合ったらしい6つ上の女性と二股をかけられたのだ。

 ほどなく、私は先輩の友達(この人も放送部だった)から、先輩ができちゃった婚した事を知らされることになる。(あれ、前にも似たようなストーリーを書いた気が……)

 それから短大の2年間で

・コンビニ(バイト先)で知り合った人

・ファーストフード店(バイト先)で知り合った人

・間違いメールを送ってきた人

 と付き合ってはみたが、「先輩」の時みたいに「この人と結婚する!」と思えるほどの情熱を持つことはなかった。

 最初は告白されて、私も嬉しくて付き合ったのだが、いつの間にかずるずるとした、セフレのような関係になってしまうのだ。

 早朝のバイトに行って、2限からちょこっと授業を受けて、授業の無い日や夕方は彼氏の家でゲームしたりして帰る、という生活を続けていた。

 そして1回生の冬を迎え、就職活動が始まった。



 正直なところ、私は「パソコンが出来るから就職先もすぐに見つかる」と楽観的に考えていた。

 それまで、短大の受験も面接だけで突破し、過酷な受験戦争を経験したわけでもないので大きな挫折を経験したことはなかった。

 しかし、「秒速で5文字打てる女」に就職先は無かった。

 パソコンが出来るといっても、何を持って「出来る」としているのか、それでどんな仕事が出来るのかを説明する手段を、持ち合わせていなかった。

 MOUS(Microsoft Office User Specialist。現MOS)でも持っていれば違ったかもしれないが……しかし一太郎とLotusに慣れた私にとっては、特にWordが鬼門だった。

 あの「①なんちゃら」と打ってEnterキーを押すと、勝手に連番を振るところとか、マウスをクリックしてカーソルを好きな位置に持っていけない(一太郎は好きな位置をクリックしてそこから文字入力が出来た)とか、そういうのに、なかなか慣れなかった。

 会社員として働くという事を全くイメージできなかった私は、とりあえず聞いたことのある名前の会社に、短大のコンピュータ室からリクナビで次々エントリーをかけた。


 しかし、超氷河期、かつ、同級生はおろか恋人ともろくにコミュニケーションを図れない、バイトしかしていない(しかもリーダー等をしていたわけでもない)。

 そして、「弊社でやりたい事はなんですか?」という質問に対し、具体的に答えられない自分に、就職先が見つかるはずもなかった。

 20社、30社と「お祈り」メールが届き、私はどんどん自信を失っていった。


 今思えば、学生時代にアルバイトなんて必要なかった。
 もしアルバイトをするのであれば、もう少し自分に合ったものを探すべきだった。

 私は家から近い、という理由だけで、ファーストフード店でアルバイトをしていた。
 合っている人にとっては、やりがいを得られ、チームワークを学べる素晴らしいアルバイトだ。
 職場にはそのまま、マネージャーとなり、正社員として就職する人も少なくなかった。

 しかし残念ながら、私には全く適性がなかった。焦るとパニックになってしまうのだ。

 私のファーストフード店での仕事といえば掃除がメイン、しかも「大量発生したダンゴムシをほうきで掃く」とか、「観葉植物の葉っぱを雑巾で拭いて回る」とか、そんなのばかりだった。

 店長からは、「あいつは仕事は遅い、早いのは男を作ることだけだ」と言われていた。

 短大に行っている間、このアルバイトは続けたが、そこで得たものは「やっぱり私ってダメな人間なんだ」という諦めの気持ちだった。


自分の人生を否定された面接


 就職活動で、忘れられない面接がある。

 なぜそうなったかまでは覚えていないが、門限の話になった。

 当時の我が家の門限は、20時だった。

 私はそれを律儀に守っていた。

(高校の時の彼氏もそうだが、彼氏と別れる理由は、ほぼ門限で揉めた事だった)

 その話をしたところ、私はその男性面接官にハハッと鼻で笑われてしまった。

面接官
僕が20歳の頃は、朝まで遊びまわっていたよ。そのことで得られるものって沢山あるもの。じゃあ、アルバイト代とかどうしてるの?
えっ、貯金していますけど……
面接官
へぇ~。……何かさ、つまらない人生だよね


 それは、いわゆる、「圧迫面接」というものだったのかもしれない。

 私はそのバブル期入社組とおぼしき年代の面接官に対し、情けないことに半笑いしかできなかった。

 当然、その会社から連絡はなかった。


 ただ仕事をしたいだけなのに、人生まで否定されてしまうのか……。


 私は辛くなって、就職活動を辞めた。

 辞めたものの、特に今後のビジョンなどなかった。

 自分はダメ人間だ、という思いだけが、心に重くのしかかっていた。

 自分にできる事を必死に自己分析してみるが、何も思いつかない。

 唯一思いついたのが、「自分が色々な技を研究して実践したら、彼氏が喜んでくれる」だった。

 私は、彼氏に褒められるのが嬉しくて、地元から遠く離れた本屋でその手の本を購入しては勉強していた。

 もしかしたら、風俗なら向いているかもしれない……そんな本職の方からすれば鼻で笑われそうな事も考えたが、そこに飛び込む勇気もなかった。


失恋


 2000年。短大2回生の夏、好きな人が出来た。

 彼は、父の仕事をアルバイトで手伝っていた大学院生だった。

 彼とは顔を合わせたら挨拶をする程度だったが、就職が決まり、卒業後は地元を離れると聞いて、私は急に寂しくなり、ご飯に誘ったのだ。

 それから、週1回の頻度でメールをやりとりしたり、会うようになった。

 彼は私にホームページの作り方を教えてくれ、インターネットの楽しさを教えてくれた。

 父は当時、「インターネットなんて犯罪の温床だ」と考えていたが、その人の事は信頼していたので、彼が大丈夫というのなら、と自宅に回線を引くのを許可してくれた。

 私は彼の部屋の本棚にあった「グイン・サーガ」という小説を夢中になって読んだ。(グイン・サーガは当時で70巻以上あった。2009年に著者が逝去され、130巻で未完となった)

 漫画では、「ホットマン」「バガボンド」を借りて読んだ。

 また、同じく「こういう音楽が好きなんじゃない?」と薦めてもらった「Blackmore's Night」のCDをよく聴いた。


 Blackmore's Night - Wish you were here


 彼は会うとキスはしてくれるものの、それ以上の事は決してしてこなかった。

 私は、「なぜ手を出してきてくれないのだろう。そうしたらきっと彼を夢中にさせることができるはずなのに……」なんて馬鹿なことを考えていた。

 彼がいよいよ地元を離れるとなったとき、業を煮やした私は初めて親に嘘をついて彼の家に泊まりに行った。

 そして、彼にはっきりとこう言われてしまった。

君は妹みたいに可愛いと思うし、色々と考えたけど、でも……恋愛感情を持つことはできない。だから、これ以上先には進めない

 今思えば、もしかしたら自分が就職活動に行き詰まったから、就職の決まったその彼のところに逃げたい気持ちがあったのかもしれない。

  あるいは、父は就職できない私に失望していた…彼と付き合えばそんな父を見返せる、父に認めてもらえる…そんな気持ちがあったのかもれない。

 そして、それを彼にも見透かされていたのかもしれない。

 帰り道、早朝の誰もいない通りを歩きながら、私は一人で泣いた。

 恋を失って泣いたのは、それが初めてだった。


 その人が今どうしているのかは、わからない。

 ただ、当時、気楽な短大生だった自分には想像もつかなかったことだが、彼は理系の大学院生であり、相当忙しかったはずである。

 父の仕事も、一度は断ったところを、どうしてもと懇願されて手伝っていたと、後から知った。

 自分の為に会う時間を割いてくれた事を、感謝したい。


IT講習会との出会い


 2001年に入ってすぐ、暇つぶしに読んでいた市の広報で、IT講習会の操作補助ボランティアを募集のお知らせを目にした。

もしかしたら、こんな私でも役に立てるかもしれない…!


 軽い気持ちで参加してみた。



 会場には、約40人の高齢者。

 講師の方は前で一生懸命説明するが、後ろの人にはなかなか届かない。

 耳の遠い人、操作がゆっくりな人、すぐに脱線してしまう人。

ここにいる皆さんに、パソコンを好きになってもらいたい……!


 そう強く感じた私は、後の席のお年寄りに重点的に目を配り、ページが進んでいなかったり、手が止まっているお年寄りを見かけたら、積極的に声を掛けた。

 ファーストフード店やコンビニでは、顧客や同じアルバイトに積極的になれなかった。

 しかし、得意な事、好きな事に対しては、積極的になることができた。

 もしかしたら、そんな私を鬱陶しく感じた受講者もいるかもしれない。

 しかし講習終了後、パソコンの片付けをしていたところ、

 「今日はどうもありがとう」

 と、何人もの方に声をかけていただいた。

……い、いえ、こちらこそ!!!


 クラスからはみ出るきっかけになった、パソコン。

 でも、そのパソコンのおかげで、私は人に感謝された。

 涙が出る程嬉しかった。

 私は初めて、「こういう事を仕事にしたい」と思える事を見つけた。


やりたいことを見つけたフリーター時代


 2001年、私は非常にラッキーだった。

 2000年に当時の森総理大臣が示した。「e-Japan戦略」。

 その一つに、「IT基礎技能講習事業」というものがあった。

 なんと、「地方公共団体(都道府県及び市町村)が行う住民を対象としたITの基礎技能(パソコンの基本操作、文書の作成、インターネットの利用及び電子メールの送受信)を身に付ける講習を支援する」という事業の為に、約545億の交付金がおりたのだ。

 参考:http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h14/html/E1042400.html

 当時はいたるところでIT講習会が実施されており、経験を積む機会に恵まれていた。

 私は最初にボランティアをした講習会のインストラクターの方に、どうすればこういう仕事が出来るのかを質問した。

 そして、その人が所属していた会社にアルバイト登録した。その会社では近隣のIT講習会を請け負っていた。

 まずは時給1,000円のサブインストラクターとして仕事を始めた。

 各会場に行き、他のインストラクターと一緒にノートパソコンを並べる。

 配線して、メールやインターネットが使えるようにする。


 講習では、当たり前の事をしっかりできるように取り組んだ。

 例えば、マウス。

 

 パソコンに慣れていない高齢者は、机の右端までマウスを動かしたあと、この先どうすればいいかわからない方が多い。

 マウスポインタを、画面の端まで持って行きたいのに、これ以上右に動かすと、マウスが机から落ちてしまう

 そんなときに、一声掛けてから、優しくその方の手を握ってマウスと一緒に持ち上げる。

 そして、机の真ん中まで持っていく。

 こうすれば、もう一度、マウスを動かせる。今度は画面の右端まで。


 それから、その人からマウスを取り上げ、代わりにやってあげる、なんて事は極力しない。

 その人の為にはならないからだ。

 他にも、

 ・ペンでクリックすべき場所を差すのは失礼にあたるから絶対にしない。

 ・上から話かけるのではなく、しゃがみ込んで、同じ目線で話をする。

 ・わかりづらいメモリの概念を、「机の上」に例えて説明する。



※大きければ大きいほど、同時に沢山のものを並べておける。しかし置きっぱなしには出来ないので引き出し=ハードディスクにしまう。

 などなど、学んだや気づいた事は、片っ端からメモを取り、実践するよう心がけた。


 ファーストフード店では、1年近く働いて、10段階位ある階級の1つしか昇格しなかった。(それも、他の新人メンバーと一緒に、お情けという形の引き上げだった)

 しかし、そこでは1年間のうちに、サブインストラクター、サブチーフインストラクター、そしてメインインストラクターとして講習を任せてもらえるまでになった。時給は1,500円だった。

 そこでも私は、「絶対に講習時間を延長しない」等、自分なりに決まりを作って取り組んだ。

 彼氏を作っていなくても、とっくに平気になっていた。


 *


 2002年に入り、私は就職活動を再開した。

 IT講習会の仕事はやりがいがあったが、やはり「一度は正社員として仕事をしたい」、という気持ちがあった。

 今度は、「ソフトメーカーのインストラクター」という具体的な希望職種があった。

 そして、2社受けて、2社とも受かった。

 その会社の応募条件は「大卒以上」だったが、だめもとで応募したところ、1年間のIT講習会での活動が、評価された。

 面接では、IT講習会でどんなことをやったのか、とか、パソコンを使って何が出来るのかという事を中心に聞かれた。

 自分の性格の事など、嫌な質問は一切受けなかった。


現在、そしてストーリーを書いたきっかけ


 私はそれから2回転職した。

 転職の度に給料や待遇は上がり、現在は残業もなく(残業代は出る)育児休暇を堂々と取得できる会社に勤務している。

 そこは地元にあって、小さいころ、父と横を通りかかった頃に、「お前もこんな会社に入ることができれば安心なのにな」と言われた会社だった。

 今の会社でも「あー、私浮いてるかも……」と思う瞬間は正直あるが、仕事では頼られたり感謝される事も多く、ストレスなく仕事をすることができている。


 取り立てて波瀾万丈な人生を送ってきたわけではないので、

 5年でハイリスク妊娠、中絶、離婚、再婚、出産を経験した私が伝えたい4つの事・前篇

 5年でハイリスク妊娠、中絶、離婚、再婚、出産を経験した私が伝えたい4つの事・後篇

 このストーリーを書いた直後の感想は、「あー、私のストーリーはもう出し尽くしちゃったな」だった。

 しかし、このことを書こうと思ったきっかけは、このツイートを目にしたからだ。


家入一真 電凸→08044431800 ‏@hbkr 2月23日

120の政策を片っ端から民間でやってくプロジェクトその1。若い子たちがお年寄りにネット、スマホ(タブレット)を教えまくるNPOを早速作ります。これは教育と同じで、効果が出るまでに時間はかかるだろうけど地道にやっていこう。お年寄りと若い子の繋がりも生まれるしね。教えまくるぜ!


家入一真 電凸→08044431800 ‏@hbkr 2月23日

そう、そこがポイント。「俺なんて何のスキルも無いし何も出来ない…」なんて思ってる子でも、スマホの使い方は教えられるよね。“@hanari1109: 専門的な知識じやなくLINE、SNS、スマホ、タブレットを持ってる人なら大体の人がやってることを。ってことですよね?誰でも出来ますね


 私は100回近いIT講習会に関わり、意欲のあるお年寄り、そして意欲はそこまでないけど、誰かと繋がりたいと考えているお年寄りを沢山見てきた。

 IT講習会の受講者は、2001年で全国で380万人。もちろん、この中には若い人も含まれるが、少なくとも私が関わったものは、9割近くが高齢者だった。

 少しだけ、背中を押してくれる何かがあればいい。

 このツイートは、忘れかけていた10年以上前の自分を思い出させてくれた。

 まさに、ここに「何のスキルも無いし何も出来ない」と感じていた人間がいる。

 もし自分が20歳、21歳の頃「IT基礎技能講習事業」がなかったら、自分はどうなっていただろう。

 一度も正社員として就職できていないかもしれない。(現に、自分の周りには、同様に短大や大学を出たものの、新卒採用時に正社員としての職がなかった為に、契約社員やアルバイトを続けている人も多い)

 あるいは、運よく正社員として就職出来たとしても、自分のやりたいことと乖離していて、すぐに辞めてしまったり、ストレスを抱えてしまったかもしれない。

 そのままふらふらして、悪い男に引っかかったかもしれない。

 そして……道を踏み外していたかもしれない。


 新卒採用の面接では、しんどい思い、理不尽な思いを沢山した。

 でも、スキルや経験を身につければ、企業はそのことをメインに聞いてくるようになる。

 嫌な思いをせずにすむ確率が、ぐっと上がる。

 そして、もし落ちたとしても、「きちんと自分ができることをアピールして、それでも駄目だったら仕方ない」と割り切れるようになる。

 新卒採用のときみたいに、「自分の良さをアピールできないまま、落ちてしまった」と悔しい、やりきれない思いをせずにすむようになる。

 それはきっと、お互いにとってハッピーな面接になるはずだ。

 新卒採用でくじけてしまった人には、ぜひ企業に「仕事の事をメインに聞いてもらえるようになる」スキルを身につけてほしいと強く願う。


おまけ


 前夫との離婚後、現在の夫と距離が縮めるのにも「IT」は大きく寄与している。


 夫の高校時代の友人が結婚することになり、余興として「24時間マラソン」風の動画を撮影した。

 しかし撮影したものの、編集のやり方がわからないということで相談を受けたのだ。

 結果、希望通りの動画を作成することができ、夫やその友人たちに喜ばれた。

 また、夫は高校時代、コピーバンドをするほどのLUNA SEAファンだったのだが、(上述の結婚した友人はドラム担当)ちょうど復活会見をUstreamでやるというニュースをキャッチした。

 そして、「うちでなら観られるよ、観に来ない?」と声をかけたのだ。(夫の家にはパソコンが無かった)


 1歳の息子には、まだITは触れさせていない。

 しかし、もし彼が思春期になり、学校で辛い思いをしたら……。

 私のように、無理やり学校に通い続け、昼休みに一人でお弁当を食べる思いはさせたくない。

 今はITでモチベーションを保ちつつ勉強が出来る環境も整備されつつあるようだ。

 色々な選択肢を我が子に提示できるよう、私自身、勉強を重ねていきたい。

 夫にそんな話したら、「そんなの気にしすぎだろう」と笑っている。

 夫の高校時代の話を聞くと、文化祭でバンドをしたり、得意なギターをネタに女の子に声をかけたりと、私にはまぶしすぎるエピソードが満載だ。

 子どもも夫に似てくれたらいいなぁ……。

 これからもITを活用しつつ、家族で仲良く過ごしたい。


 

読んでよかった
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ハイリスク妊娠のストーリーがついに本になりました

5年でハイリスク妊娠、中絶、離婚、再婚、出産を経験した私が今伝えたい5つのこと。STORYS.JP出版第10弾 全国書店発売中
このストーリーをブログ等で紹介する

お話面白かったです!SEとして働いていたこともあって(お話を投稿しておりまますので、よろしければぜひお読み下さい!)、ITというキーワードが気になり、一気に読んでしまいました。読んで良かったさせて頂きました!
家入さんのツイート、ぼくも見ました!少しづつかも知れないけど、じわじわ広がっていって欲しいですね。

面白かったです♪ 若い時って色々ありますよね…
でも、自分が信じた道を歩いていくのが良いかったと思います♡(*´ω`*)ゞ

空気を読めないことはすごく良い事だよ!そのチカラで自分の人生を切り開けるんだよ!

社会にとって凄く大切なことなんだよ。

私みたいな小さい頃から空気を読みすぎている女は何もかも大変だよ~w

今だに独身貴族だし~w

若い時のワンナイトラブ&セフレは社会と恋愛大切な教科書でつ。

だいたいのセフレ君やワンナイトラブ君に限って高学歴出身者や自分が属しているキャパシティ狭い人間が多くいるのか確かだね。

だいたい、そう言う奴が30代以降の大人なると人生イメチェンした元ワンナイトラブやセフレしてた女性に対して凄くジェラシー沸くらしいねw
ジェラシー沸く男ってどんな社会的身分が高くてもキモメン率も高いから
男は性格が良いイケメンだお~w

私も若い時にワンナイトラブやセフレられた事もあったけど・・・・

その時は私は恋愛に対して自信が全くなっかたからねw

でも、ひと昔前に交際サークル ルージュでバイトでお見合いパーティー嬢をした時には人生が変わった感じだったからね。

今は一徹君性格がみたいな良いイケメンが(・∀・)イイネ!!。

男は顔・ルックスだよw

この面接官マジで地獄にイッてよし!(゚∀゚)

そんな事はないよ。

ぽんぽん(´;ω;`)ヽ(・ω・`)
その面接官は単なるDQNだからしょうがないお~

私も受講していました。

ワープロの使い方は知ってたが当時パ●ナなどのパソコン教室業界は結構ボッタくり社会でしたからね。

私は、インターネットの繋げ方や電子メールをトリセツ感覚で行きますた。

( ・∀・) イイネ!

更に( ・∀・) イイネ!サイッコウダネ!

これから就職活動をするので、とても参考になりました。ありがとうございます。

m m

おかげさまで、「5年でハイリスク妊娠、中絶、離婚、再婚、出産を経験した私が今伝えたい5つのこと。」が本になりました。ありがとうございます。現在は、「脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話」を投稿しています。

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m m

おかげさまで、「5年でハイリスク妊娠、中絶、離婚、再婚、出産を経験した私が今伝えたい5つのこと。」が本になりました。ありがとうございます。現在は、「脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話」を投稿しています。

m m

おかげさまで、「5年でハイリスク妊娠、中絶、離婚、再婚、出産を経験した私が今伝えたい5つのこと。」が本になりました。ありがとうございます。現在は、「脳出血で寝たきりになった父(障害1級、要介護5)とバーベキューした話」を投稿しています。

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