ものぐさな私が、なぜか「ハンドメイドが得意なママ」に昇格した話 1

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人生で大切なのは5教科以外

母は、姉と私が中学生だった頃、よくこう言っていた。

「人生で大切なのは、主要5教科以外よ」

国語、数学、理科、社会、英語は、最低限できていればいい。それよりも、音楽、美術、家庭科、保健体育をしっかりやりなさい、と言われた。

高校受験の際の大切な時期の通知表で、母のいいつけどおりに、音楽、美術、家庭科、保健体育=5 国語、数学、理科、社会、英語=4 という評価をもらった。姉は担任から「効率のいい内申点の取り方してるな」と言われたらしい。私は国語も5をもらった記憶があるけれど。

そんなわけで、中学時代は家庭科は不得意ではなかった。パジャマを作るというような実習もあったけれど、特に苦労もなく作成し、評価も高かった。そして、そのパジャマ作りも楽しいと思ってやっていた。

服を作るのは楽しいのだと感じたので、授業に関係なく洋服を作ってみたいと思い、スカートの型紙、生地、ボタンなどの一式を買いそろえてもらった。が、それはそのまましまい込んで、結局日の目を見ることはなかった。

いちばんの原因は、ミシンの性能だった。中学校には、当時では珍しくボビンケースを使わない最新式のミシンがあった。そのミシンがとても使いやすくて、「ボビンケースないって、すごい便利♪」と思いながら使っていた。一方、家にあったミシンは古く、もちろんボビンケースを使うタイプのものだった。ボビンケースの糸の調節がどうもうまくできず、結局それを言い訳にして、ミシンそのものに苦手意識が生まれてしまった。

少しは洋裁に目覚めそうだったのに、それきり手作りで洋服を作るという行為から遠のいていった。

その後も、母の影響で編み物をやったこともあった。マフラーができたから、次はセーターを編もうとトライしたものの、途中まで編んで、結局続かずに未完成のまま終わってしまった。何年も押し入れの奥にしまったままになり、随分経ってから母に「もう、これ作らないならほどいていい?」と言われた。「はい。もういいです」

こうして、私は家族の中でも「不器用ってわけじゃないけど、手作りをしようとしても、完成までいかない子」という立ち位置になってしまった。自分でもそういう自覚があったので、手作りで洋服や小物などを作る人を尊敬していた。

姉は私とは正反対の人で、何でも自分で作れてしまう人だった。手先が器用で、完璧主義なところがあるので、できたものも非の打ち所のないものが出来上がる。そういうのを見ていると、何事も適当で中途半端な私には、作る気力も出てこなかった。

姉は、子供たちに手編みの洋服や小物を用意したし、ワンピースや甚平、浴衣を手作りしていた。私自身も子育てするようになって、例えば赤ちゃんのひろばなどに顔を出すと、手作りの名札を付けている子がいたりして、「すごいなあ」と感心していた。私には絶対に無理だと思っていたし、作ろうという気すら湧いてこなかった。

ところが、そんな私の心境にも、変化が出始めた。女の子を授かったことで、その意識に変化が生まれたのかもしれない。

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