自分が嫌われていることを前提とする人生。
小学校5年のとき、現在のあたしを形作る上で重大な出来事がありました。
何を思ったのか、授業中に担任の先生がいきなり生徒たちに紙を配ってこう言ったのです。
あたしは栄えあるトップ当選。しかもぶっちぎり、満票(だって自分で自分の名前を書いたくらいだもん)。しかもそれをクラスで即日発表しやがったよ、この先生。
給食も食べられないくらいショックで、ずっと机にうつぶせになって声を殺して泣いたよ。そしたら先生はこういったのです。
だから、食べたくもない給食を、味も感じないのに、ただ喉に詰め込みました。
翻って考えてみると、あたしは親に過保護に育てられました。だからすごくわがままで、言うことをきかない子でした。ただひとつ納得いかないのは、あたしが、従兄妹や友達と遊んでて楽しくて盛り上がってくると、親から、
と、たしなめられることが多く、幼心に
と思うようになっていました。
幼稚園からずっと問題児。小学校でも問題児。それこそ学級崩壊の中心人物でした。だけど小学校4年が終わったとき、小学校での自分の素行の悪さが親にばれて、激しく叱られたことをきっかけに、5年生から生まれ変わろうと誓ったのでした。その矢先のさっきの先生の仕打ちだったのです。
中学、高校、大学と進学していくなかで、「他人に嫌われたくない」ということばかりを考えてひとづきあいをするようになってました。自分で自分を好きになれず、こんなあたしは世の中にいないほうがみんな幸せになれるはずと考え、高校の頃、一度か二度、自死を試みたこともあります。成人になってからは大丈夫だったのですが、うつ病になってから、再び、自分がいないほうがいいと考えるようになり、5~6年前にも一度、首を吊ろうとしたことがありました。あと、睡眠導入剤をオーバードーズしたこともありました。生きていることがつらくてつらくて仕方がありませんでした。今でも時々そう思うことがあります。
そうしていつの間にか、常に自分が嫌われていることを前提に生活する癖がつきました。だからその先生には感謝してるのです。だって自分は身勝手でみんなから嫌われてるっていう自覚をさせてくれたのだから。ホント。それ以上に憎いけど(笑)。こういうのをトラウマっていうなら、これがあたしのトラウマなのかもしれない。
嫌われていることを前提とする人生は、うつになっていないときに限っては、実はそんなに苦ではありませんでした。嫌われてることを前提とするから、本当に嫌われてもショックを受けないし、初対面で失礼なことをしなくてすむ。そう、自分をさらけ出すと嫌われてるっていうのがわかってるから、すごく遠慮がちになる。そうすると「節度をわきまえた常識人」って思われるわけです、最初は。それでもそのうち
と言われるようにはなるけど、その程度に収まってる。
あたしは他人との距離感がうまくつかめずに困ることが多い。普段、他人との距離を他の人に比べて長めに保ちたくなるのだけど、きっと近すぎると嫌われる要素をたくさん見せちゃいそうだし、あとでいずれ嫌われることがわかってるから、最初から親しくなろうって思わないのだ。だから距離を詰めてこられると逃げ出したくなる。友情もそうだし、恋愛もそう。相手の懐にも入っていけないし、懐にも入れさせない。
しかし、これには問題もあって、自分のほうから嫌ってしまう相手、あるいは既に嫌われていることが明らかな相手には、嫌われないようにする必要がなくなるから、タガが外れて、つまり素の自分がストレートに出る。ただ単に、好き嫌いが激しくて自分の感情をコントロールできない自分勝手な子供っぽい人間になる。あるいは、すぐキレるわがままな子って思われる。
あと、あたしは「小異を捨てて大同につく」っていうことができません。例えば、どこかの団体に所属することがありますよね?サークルとか。で、最初はいいんだけど、小さな食い違いがどんどん我慢できなくなってくる。ある線を越えると、プイッと姿を見せなくなる。だから自分勝手なんだって思われるし、協調性がないって言われます。
この世に生を受けてもうすぐ半世紀になるというのに、まだ、相手との距離感がつかめない。自分の感情をコントロールできない。好きと嫌いの中間がない。妥協できない。相手の立場になってモノを考えられない。
そう、それが本当のあたしなのです。ごめんなさい。
別に開き直ってるわけじゃないです。できれば直したい、こんなヤな性格。
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