大切なことはすべてバイクが教えてくれた。

わたしは愛知県の名古屋市出身です。わたしが高校生の頃、いわゆる『3ない運動』というものが盛んにおこなわれていました。それは高校生にバイクを「運転させない」「買わせない」「免許を取らせない」というもので、学校側と警察側とで協力して行われていました。愛知県は日本国内で有数の、悪名高き『管理教育』が行われていて、この『3ない運動』は徹底しておりました。

わたしはというと、荒れていた中学までとは打って変わって、極めて真面目な高校生活を送っていて、こういった厳しい管理に対してはあまり抵抗を感じない人間でしたし、そもそもバイクになんて興味がなかったので、我関せずでした。当時はバイク=暴走族というイメージが強かったこともあったと思います。

そんなふうに過ごしていた高校3年の秋、わたしの人生の転機が訪れます。元来「本番に弱い」「競争が苦手」な性格なので、わたしは大学の推薦を狙って猛勉強をしていて、入学当時は中の下くらいだった成績が学年で上位10人に入るくらいになっていました。目標は地元の私立大学。自分自身ではほぼ間違いなく推薦がもらえると思ってたのですが、わたしの通知表の平均点で「体育」という科目だけ5段階で「2」だったことが足を引っ張って、別の子が推薦されることになったのです。
わたしは慌てました。そしたら、生徒から推薦の申し込みがなかった大学があることを知ったのです。それは東京都内の有名私立大学でした。別に隠すことはないのではっきり書いちゃいますが「法政大学経営学部」でした。愛知県人は地元志向が強く、かつブランド志向もつよいので、法政なんてだれも興味がなかったんでしょうね。親はわたしが上京して一人暮らしするのを反対していましたが、ハンガーストライキまでして親を説得し、なんとか法政の推薦を勝ち取ったのでした。親戚のおじさん(有名銀行のお偉いさん)は

叔父
お前ねぇ、法政なんかに行って、どうするつもりだ?

と言われたことは一生忘れませんが。
そんなこんなで瓢箪から駒で、予想していなかった上京が決まりました。わたしの家族は東京のことなんてぜんぜん知りませんでしたから、「上京したら足(移動手段)はどうするんだ?」って話になりました。公共交通機関が今ほど発達してなかった当時の名古屋市では大学に進学したら親が子に乗用車を買い与えることが『あたりまえ』と考えられていたからなんでしょうね。東京では駐車場が高いということくらいはわかってはいたので、じゃあ『バイク』でも買うか・・・ということになったわけです。そこからわたしのバイク熱がにわかに高まりました。バイク雑誌を買ったりカタログを集めたり。当時は第二次バイクブームまっただなかで、初めて見る数多くのバイクの華やかさに魅了されました。で、結局、母のお友達の息子さんが持ってるバイクを売ってもらうことになったのです。それがホンダのMBX50という原付バイクでした。



これに乗るために、高校を卒業するのを待って(ここらへんがくそ真面目なとこ)、原付の免許を取ってMBX50を譲り受けたのでした。ところが原付免許なので教習がないので乗り方がわかりません。半クラッチとかギアチェンジとかさっぱりでした。そんな時、あたしを助けてくれたのは、ずっと反抗してて口もきいてなかった父親でした。免許取ってから上京するまでの数週間、毎朝、近くの大学のキャンパスで父に徹底指導してもらったのだけど、わたしがなかなか飲み込みが悪いのとは対照的に、バイクを簡単に操る父の後姿を見送りながら、父の偉大さをあらためて思い知りました。それ以来、父への反抗心も消えました。バイクは父と打ち解けるきっかけを作ってくれたのです。
その父が亡くなったのは1995年、あたしが社会人4年目の春でした。まあそこそこ名の知れた会社に入社できて父にも少しは親孝行できたかなって思ってます。

話はそれましたが、3月中旬にこのMBX50と一緒に上京したのでした。しかし。やはりちゃんとした教習所で実技を受けたわけではないため、上京してすぐ、入学式まであと15日くらいのとき、早稲田通りを走行中に、幅寄せしてきたクルマを避けるために急ブレーキをかけたらフロントホイールがロックし、転倒してしまったのです。その際に右手の親指の付け根いヒビが入ってしまいました。上京してほとんど時間も経ってないのに右手が不自由な生活を強いられることになったのでした。全治1か月くらいだったでしょうか。未だに右手親指の付け根が痛むことがあります。


その骨折から4か月弱経った大学1年の夏休み。わたしは夏休みの間ずっと帰省していました。することもないし骨折も治ったということで、実家の近くの大きな教習所で自動二輪免許(中型限定)を取ることにしたのです。身体が小さいのでいろいろ苦労しながらなんとか夏休み中に免許を手にすることができ、東京に戻ってからすぐに250ccのバイクを中古で買いました。それがCB250Nスーパーホークというバイクでした。



空冷4ストローク、2気筒、SOHC3バルブエンジン。400ccのスーパーホークⅢのボディーに250ccエンジンを載せたこのバイク、速さはともかく、見た目が本当にかっこよくって、以前から目を付けていたバイクのうちのひとつでした。とにかく重くって、高速道路でも(時効だから書いちゃうけど)120km/hまでしか出ませんでした。このバイクで関越道を使って川越に住んでいた高校時代の友達の家に何度も遊びに行ったのが一番の思い出です。
このバイクでもまた早稲田通りで転倒して死にかけました。ブレーキかけて停まろうとしたときにフロントホイールがマンホールの上で滑って転倒した時、後ろから大きなトラックが迫ってきてて、わずか1mくらいのところで急停車したのでした。もう少しで轢かれてしまうところでした。


大学2年の夏、普通自動車免許を取るために合宿免許に行って、いざ免許を手にすると、やっぱり乗用車がほしくなります。世の中はバブル景気が始まったころ。自宅から通ってる周りの学生は親から買い与えられたいいクルマを乗ってて、すごく憧れたんですよね。そのときなんとわたしの手元に80万円くらいの貯金がたまっていました。その内訳は上京する時に当座の資金として親がくれた30万円と、MBX50で事故を起こした時に保険会社から受け取った保険代30万円と、深夜のコンビニのバイトで稼いでた20万円です。で、その時、ほしいクルマを見つけていました。赤いトヨタ・スターレットのKP61と呼ばれるクルマで、多分諸費用込みで80万円弱だったはずです。で、銀行からなけなしの80万円をおろし、自室の机の上に「ドン」と積みました。そしたら、なんか急にもったいなくなってきたというか・・・気が変わって、気が付いたらバイク屋さんで新車買ってました。それがこれ。



ホンダのCBR250RR(1988年式)。シートの高さが低くて背の低いあたしにはピッタリのバイクでした。とにかくよく回るエンジンで、レッドゾーンが19000回転という化け物みたいなエンジンが載ってました。ただ低速ではギクシャクしてしまい扱いづらい面もありました。これが一番長い間乗ってて、大学を卒業して少しの間まで乗ってたから、2年半くらいでしょうか。これに乗って実家の名古屋に帰ったり、大学通ったり、バイト先に行ったりしてました。
手放してしまったのは、信号が赤に変わって停車しようとしたら、後ろからバンに追突されてしまったのがきっかけでした。修理すればまだ乗れたのですが、ちょっと訳あって買い替えることにしたのでした。それがこれ。



またまたホンダのNSR250R(1992年式)。いわゆるMC21の後期型です。原付以来の2スト車で、当時の250ccで一番速いとされていたバイクですから、それまで怖くて手が出せなかったけど、これが生涯最後のバイクだと思って、思い切って買ってしまったのです。初めはすごくおっかなびっくりだったのですが、いざ乗ってみるとこれがとても扱いやすくて乗りやすいバイクだったのです。2ストだと普通はピーキーだというイメージを持たれる方が多いと思うのですが、ホンダの場合はおそらく伝統なのでしょう、扱いやすい=結果として速いという発想なのかもしれません。このNSRを約1年乗った後、バイクを卒業して、乗用車に乗り換えたのでした。


それから20年。


徐々にではあるけど、収入にも余裕が出てきて、バイクの所有欲が頭をもたげてくるようになりました。だけど当時一緒に住んでいた子から、バイクはダメだってさえぎられていました。で、その子と別れたので、もう何の障害もありません。バイクを買おうっ!と思ってたのですが、うつ病が再び悪化したりして、なかなか思うとおりにならずにいました。

果たして2012年1月。中古ですがこんなバイクを買いました。それこそ清水の舞台から飛び降りるつもりで。ばばん。

またまたホンダ。NS400R(1985年)。憧れの2スト400ccです。高かったけど、所有欲を満たしてくれる1台でした。低速でも扱いやすく、7000rpmを超えたあたりからの加速がすごいっ!青春時代がよみがえるような感覚。これよ、これこれ!あたしが求めてたものは。
燃費は悪いし、ノーマルマフラーなのに音もうるさいし(近隣住民から苦情が来ました)、プラグはすぐにカブるし。あと故障したら部品も出ないので、完全に乗り潰すつもりで買いました。ほんといいものを買いました。

しかし、いいことは続かないものです。買うつもりはないけど、大型二輪の免許を取ろうと思ったのです。昔の『限定解除』と違って、大型二輪免許は教習所で取れちゃう世の中になったので、じゃあ取っておこうかと・・・・。で、教習所にNSで向かう途中、道に迷ってしまい、一旦バイクを降りて、押しながら右に曲がろうとしたとき、バイクを反対側に倒してしまったのです。そのときにきっと足で踏ん張ったせいなのか、右の足に激痛が走りました。その痛い足を引きずったまま、教習所に行って、大型二輪教習の申し込みをして、痛い足のまま大型バイクの引き起こしや押し歩きのテストをし、またNSにまたがって帰宅したのですが、痛みがますます激しくなって・・・・。タクシー呼んで、掛かりつけの整形外科に飛び込んだら、なんと右ひざの裏の骨がぽっきり折れていました。

バイクで二度目の骨折。しかも今回は乗ってなくて、押し歩いてる最中だから、かっこ悪いのなんの・・・。そこから4か月くらい、バイクに乗れない日々が続きました。バイクに乗れないどころか、松葉づえでの生活を余儀なくされました。

松葉づえでの生活は困難を極めました。あたしは電車通勤なのですが、健常者の時には気付かなかったけど、駅のエスカレーターが少なくてびっくり。うちの最寄駅にはエスカレーターがなく、エレベーターしかなくて、そのエレベーターもとても不便な場所に設置してあるんで、たどり着くのが大変。しかも改札から一旦エレベーターで昇って、そこからまた離れた場所にプラットホームへ下るエレベーターがあるので移動距離がすごく長いんです。
うちの最寄駅ならまだましで、都内の古い路線(丸ノ内線とか銀座線とか中央線とか)だと、エスカレーターがない駅が多くて、幸運にもエスカレーターがあったとしても、上りのエスカレーターしかない。下りのエスカレーターってほとんど見かけないんですよね。下りは階段で平気っていうのま、まさに健常者の思い違いです。松葉づえ使ってると下りの階段のほうが遥かに怖いんです。前のめりに顔面から転倒しちゃって、階段の下まで一気に転げ落ちてしまうから。
このように、足の不自由な人間にとって、本来味方であってほしいはずの公共交通機関が、実はとても利用しにくいことが身をもって実感しました。
あと、あれです。電車の優先席ね。松葉づえして目の前に立ってるのに寝たふりして全然席を譲ってくれない。空いてる電車ならまだ誰かが気づいて席を譲ってくれたりするから助かるのですが、ラッシュの時間だと周りの人から松葉づえであることに気づかれにくいので、座れないまま痛い足を浮かせたまま立ってなくちゃいけないのが大変つらかった・・・。

こんなに障碍者にやさしくない街でオリンピック・パラリンピックを開催して本当に大丈夫なの?

その当時はまだ東京が立候補の段階だったけど、あたしは本当に心配になりましたね。

さて、ようやく足も完治して、再びNSに乗れるようになって、大型二輪の教習も再開し、無事に免許を取ることができたんです。NSに乗ってツーリングにも行ったりして、とても楽しい日々が続きましたが、そんなNSとは予想に反して短い付き合いになってしまいました。近くのバイクサービスショップに点検整備に出した時、外見はピカピカでも・・・中の部分は相当参っていたようで、直さなくてはいけない箇所がいっぱい出てきました。しかしさっきも書いたように修理するにも部品が出てこないんです。指摘された箇所には、そのまま放っておくと走行不能になったり、事故につながりかねない不具合もありました。ショップのメカニックの説明を聴きながら、どうしようどうしようと、全身から汗が噴き出ました。
家に帰宅して、オークションサイトなどで部品を探してみますがまったくヒットしませんでした。これはもうあきらめるしかない・・・・。

その数時間後、あたしは近所のバイク屋さんにいました。最初は新車の見積もりを取ってもらうだけのつもりだったのですが、結局NSは乗れなくなるんだし、それにこの前の骨折で保険代がたっぷり振り込まれたし、よし買っちゃえー!って感じで即決。約100万円。耳揃えて一括銀行振り込み。

で、買ったのがこれ。

ホンダのCBR600RR(2013年)。もともと大型二輪の免許を取りたいと思った理由には、第二次バイクブームが去ってから、バイクの販売は不振を極め、中型以下のバイクのラインナップが悲惨なことになってしまっていたから、新車に買い替えようにも欲しいバイクが中型には見当たらなかったのです。買いたいバイクはみんな大型免許が必要だったため、免許を取りたかったというのが大きな動機の一つでした。で、買い替えるなら、年齢的にもう最後になるであろうスーパースポーツという種類のバイクに乗ってみたかったのです。

しかし買ってすぐに問題が発生しました。なんと(買う前から心配はしていたのですが)バイクにまたがると足が地面に着きません。背が低いうえに足が短いあたしはいつもバイクをチェックするうえで最初に「シート高」を確認するのですが、このCBR600RRのシート高は820mm。わたしのジーパンの股下はだいたい73cmなので、単純計算で9cm足らない。バイクの場合はまたがると体重でサスペンションが沈み込むので丸々9cmというわけではないのですが。だけど世の中にはあたしと同じ悩みを抱えている人は多くて、ネットで対策を検索したら、だいたい3つのパターンが見つかりました。

 1. シートを薄くする(俗称、アンコ抜き)
 2. サスペンションのプリリードを弱くする(沈み込みやすくする)
 3. ソールの厚い靴を履く

そのうち1.は、写真でもわかるように最初からCBR600RRのシートは薄く作られているので不可。2.は工場出荷状態で最弱から2番目になっているので大きな改善は期待できないことがわかりました。残るは3.なのですが、ちょうどいいのがネットで見つかったので、即注文しました。

これで足着きが劇的に改善したのでした。なので買ってもう5カ月になりますが、まだ一度も転倒していません。ピッカピカのままです。

もしバイクに出会っていなかったら、あたしの人生ってすごくつまらないものになっていたと思います。もちろん趣味は他にもあるのですが、なんていうのか、バイクに乗ってる時に一番「生きてる実感」があるのです。別に速度違反をするなどの暴走行為をするわけじゃないんですよ。何にも代えられないもの、それがあたしにとってのバイクです。
もしあたしが地元の大学の推薦に受かっていたら、きっとバイクに乗ることは一生なかったでしょう。まあもっと言ってしまうなら、地元の大学ではなく東京の大学に進学したことで、あたしの人生はガラリと変わってしまったのですが、あの推薦の一件はまさに運命のいたずらだったとしか言いようがありません。

これまでの偶然に感謝。
さまざまな場面で選択したものが間違っていなかったと確信しています。


そして、ちゃんと向き合うことができないまま、逝ってしまった父にあらためて感謝。
あたしもあと14年で父が亡くなった年齢になります。あたしもそんなに長生きする気もないので、あっちに行ったら父と一緒にバイクでツーリングしたいなって思います。もうちょっと待っててね。

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