自分の人生に影響を与えた映画についての話

同業者のH君といつもの中華屋で飯を食う。ひとしきり飲み食いした後,H君がお題を出した,「自分の人生に影響を受けた映画」。


最近は映画を見ることが少なくなったなと思いつつ挙げたのは,ヴァルテル・サレスの「モーターサイクル・ダイアリーズ」。ご存知の通り,若き日のエルネスト・ゲバラが友人との南米バイク一周旅行を通して社会の最底辺で生きる人たちに触れ,自分の人生の目的に目覚めていくというものだ(ちなみにヴァルテル・サレスと言えば「セントラル・ステーション」も何とも言えない余韻を残す名作)。


ここフィリピンでは,ネグロスやミンダナオ,そしてルソン北部に行けば大土地所有を基盤としたプランテーションが広がっている。そして,このようなプランテーションの中を横断する国道を走れば,バナナやココナッツの農園の脇に建つ農園労働者の質素な住宅を見ることができる。


このような農園労働者は法律によって最低賃金が定められているものの,住宅が建つ土地の賃料などが給与から差し引かれる。また,食料や日用品を購入する雑貨店も農園主の経営で値段が割高なのだが,そこでの買い物を強要される。


こうなると,ただでさえ少ない給与はさらに少なくなり,子どもが学校に上がる際の支度金などは,農園主からの借金で賄われることになる。こうして,このような人々は農園主に借金漬けにされ,安い賃金で一生働かざるを得ない状況に追いやられる。


これは,17,18世紀のスペイン植民地時代のことではなく,2014年現在,フィリピンの地方大農園で働く人たちの「あたりまえ」の生活だ。この映画で若き日のゲバラはチリの銅鉱山で働く鉱夫と焚火を囲んで語り合うシーンがあるのだが,この鉱夫とフィリピンの大農園で働く人たちの姿が自分の中ではぴったりと重なって見える。


また,ここまでひどくなくても,やはり地方からマニラやセブに出てきて働き,田舎の両親に仕送りをする若者は無数にいる。このような若者がH君の会社で日本語を学習することによって,今までより高い給料を得て下の弟や妹を学校に入れてやったりということはよくあるらしい。確かに,日本語を学ぶことによってその人とその家族の生活が劇的に改善されるということはしばしばある。H君はこう言った。


「だから,この国で日本語を教えるということは“プチ革命”になるんですかね。」


まあ,そう言えないこともないだろう。自分が通っている学校も歩いて数分もすればもうスラムが広がる地域だ。この地域では赤ん坊の汚れたおむつを路上に投げると,野犬がその中身を争って食う。だから,この学校の生徒には日本語を学ぶことで自分の人生がよい方向に向かっていくためのきっかけを掴んでほしいと思っている。タイの大学にいたときにも同じことを考えていた。また,この国で唯一の日本語専攻科を持つ大学の教師であった人もこんなことを言っている。


「この不平等極まりない国で日本語を武器にしてそれを少しでもひっくり返すことができれば,これが本当におもしろい。」


日本語を学ぶ理由,そして教える理由は人それぞれだが,この国ではこんな“プチ革命”を日本語を教える理由として挙げる人たちがいて,自分もその一人なんだろうと思う。

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