超無謀!難病で就活?(1級身体障がい者の苦悩)
何を勘違いしたのか!いきなり芽生えた就職願望!!
自立歩行へができるようになったからといって、
自分のことを総てこなせるわけではありません。
しかし、どうしても働きたい、生きてる実感が欲しかったのかもしれません。
”まだ、動ける!”その言葉が身体を動かす糧となっていたのです。
いざ就職へ!空回りの就職活動!!
最初に就職しようと思ったのは、莫大な高額治療費を稼ぐためでした。
しかし、身体の可動域に制限がある状態では、どこも雇ってくれませんよね。
特に手足の動きが悪いのは、面接や適応試験をすると明らかに不採用域なのです。
最初は障がい者の総合面接会に出向いて、3社ほど時間内に回る形式を利用していましたが、不採用通知たまるだけです。
企業が採用してくれないなら自分で探すしかありません。
最近知ったことなのですが、大手企業は障がい者雇用をしなくてはならない制度が設立されたものの、罰金を払えば雇用しなくてよいそうです。
就職に諦めがつかない私は、無謀なことに総計(総合面接会込)で30社の面接を受けました。
そのさなかの人生終わっと思った出来事があったのです。
ハローワークに通うこと数十回、1日に複数を回り情報収集していました。
そして、疲労がピークに達したのでしょう。
当時ビッグスクーターに乗って、就活していた帰り道に事故を起こしてしまったのです。
道路沿いにあるオブジェの石に衝突して、歩道に身体を叩きつけられ身動きできません。
更に、あろうことか衝突の勢いで宙に舞ったバイク(250kg)が胸部に激突!
”ドンッ!!”
もの凄い衝撃で、呼吸が苦しい。
それでも、事故で散らばったバイクの部品を片付けようと這っていたのです。
すると、通行人の人が”ササッ”と集めてくれて、救急車を呼んでくれました。
意識朦朧としながら、病院運ばれたので詳しい記憶はありません。
過去に、足場から転落して頭を強打した時は8針縫って、そのまま仕事いったこともありましたがこの時はさすがに動けませんでした。
肋骨・胸骨・鎖骨の骨折と肺挫傷のオンパレード!
病院で検査の結果を聞いた時は本当に驚きましたが、意外に丈夫な体だったのかもしれません。
回復には問題なかったので、2ヶ月後には退院することが出来ました。
もちろん、警察と病院の先生に厳重注意をされたことは言うまでもありません。
「急いては事を仕損じる!」
焦った公道が事故を招き、無駄な時間を増やしてしまったことは悔やむばかりです。
唯一の救いは、持病で体のしびれが強く、事故の後遺症の痛みが薄れていたことでしょう。
本来なら、激痛に襲われていたと思います。
そして暫くの間、就活を休もうと決めたのです。
就職活動一時休憩!念願の沖縄旅行のはずが・・・
何とか歩行できるようになったのです。
けれども、左半身のしびれが強く左足は長下肢装具を付けたままでした。
前職でお世話になっている先輩方が、沖縄旅行に誘ってくれたのです。
もちろん即答で、行くことに決めました!
当初3度目の沖縄旅行で行きたい場所は決めていたので、ゆっくり遊べるとウキウキ気分でいっぱいです。
那覇市の空港からバスに乗って、初日は首里城へ行きました。
ホテルに着くと歩き疲れてグッタリです…
まだ、体力的に無謀だったのかもしえません。
でも、メインは次の日の「美ら海水族館」見学です!!
何年ぶりだろう・・・ジンベイザメを巨大なパノラマで見ることができるのです!
駐車場から少々歩くのですが、重い足を頑張って動かし水族館内へ…
もう、この時点でテンションは上がっています!
就活しても、就職できない悔しさなんて吹っ飛んでしまいます!!
そして、巨大パノラマのホールに到着すると…
ジンベイザメと再会出来ました♪
ずっと眺めていても、飽きません。
あんな大きな体で、食べるのはプランクトン…お腹空かないのかな…
性格もおとなしいと聞くし、1度でいいから一緒に泳ぎたいとか思ってしまいます。
そのような、叶わぬ夢を抱きながらも、病気は進行する一方です。
そして、次の日に悪夢が再び襲ってきました。
万座ビーチにに向かい、バスを降りたまでは良かったのです。
しかし、見学しているうちに、左足が動かなくなてしまいました。
頭では、何度も何度も、左足に指令を出しています。
「頼む!動いてくれ!!」
発すれば、叫び声になるくらい、しきりに訴えました。
残念ながら、それから動くことはなく、結局人の助けを借りることになったのです。
動けなくなった私は、観光バスに戻り、
先輩二人に担がれるようにホテルへ連れていかれました。
もちろん、部屋に帰っても動けない状況が変わるわけではありません。
その日の夕食は、両手も動かず、先輩に食べさせてもらいました…
「情けない・・・悔しい・・・」
そんな感情に、押し潰されそうになります。
あくる日は、歩けない私に、先輩二人が肩を貸してくれました。
何とか、肩は動かせる状態です。
引きずられるように、移動しなくてはなりません。
情けない気持ちが、溢れてきて何も考えることもできません。
「旅行に来なければよかった」
その時は、心の中で思っていたのです。
散々な旅行から、帰宅した私は玄関に座らせてもらい。
先輩たちが帰った後、悔し涙でいっぱいになりました。
改めて、病気になったことを悔やみました。
自分の部屋まで、足を引きずりながら匍匐前進です・・・
その時引きずった、装具の跡が、今でも玄関の床に刻まれています。
しばらくは、誰とも話したくないし、食事もどうでもよくなっていました。
ですが、それでも周りの人達は、応援し続けてくれたのです。
やはり、友達は大切な存在ですよね。
つづく・・・
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