何故夢と希望を持っていた自分が鬱病ニートになったのか

はじめに

STORYS.JPでは、ドン底から這い上がる話はあれど、只今ドン底です、という話は少ないのではないかと思います。
ただ単に需要が少ないというのはあると思いますが、色んな人々がいる中で、皆が勝ち組にあるわけではなく、一発逆転が起こることも少ないと思います。
だから私はあえて、ドン底の話をしたいと思っています。
これを読んで、自分はこうならないようにしよう、だとか、こんな底辺が生きているのだから自分も頑張って生きよう、だとか思ってくれると大変嬉しいです。

自分について

はじめまして。
私は現在ニートをしています。カウンセリングを受け、社会復帰に向けて体調を整えている最中です。
しかし、私はもう社会に適応できないのではないかと半ば諦めています。

私に何が起こったのか?〜大学3年まで〜

私の人生を大きく変えたのは、良くも悪くも大学生活にありました。
高校時代から、この大学のこの研究室に入って研究者になりたい!と思っていた私は、猛勉強の末、志望校に合格することが出来ました。
そして大学に入って気づいたこと。
皆そんなに気合入れて研究したいと思ってない。
確かに皆が皆志望校に入れるわけではないけれども、本当は他のところに行きたかっただとか、そこまで研究したくないとか言われてしまうと、一生懸命頑張って合格した自分が馬鹿らしくなってきた気がして、大学入学後すぐに辞めたい気分でいっぱいでした。
でも、ここの大学の研究室で研究するために入学したんだから…と思いとどまりました。
そしてここからが私の駄目なところだったのですが、私は基本男女分け隔てなく接し、教授とも仲良くなろう!とよく話しかけてたため、ぶりっこ、媚を売ってる、とよく陰口を叩かれるようになりました。
おまけに自分のしたいことはあれど、元々はスペックも低く、私にあるのは熱意ぐらいなものなので、よく口だけ人間と言われていました。
ここまでの話で、皆さんは私がいかに人に嫌われやすいかが分かったと思いますが…このようなことをしたら人に嫌われるということ自体を私は知らずに今まで生きてきたのです。

私に何が起こったのか?〜研究室選び〜

大学3年の末、研究室選びが始まりました。
元々行きたい研究室があった私は特に選ぶつもりはありませんでしたが、この研究室選びに関して問題がありました。
研究室の環境です。
私の行きたい研究室は、大学でも最先端の技術を誇る、一番大きな研究室でした。その大ボスはあまり女性のことをよく思ってないらしく、女子は名前を覚えてもらえないし声もかけてもらえない、という話を聞いていました。確かに、色んな教授と仲良くしていた私でしたが、その教授とは挨拶ぐらいしかしたことがありませんでした。
それに加えて、同じ学年から一緒の研究室に行きたがってる女子は、学年一私を嫌っている人で、私がグループの会話に入ると会話をやめてどこかに行ってしまうレベルの嫌いようでした。
普通なら、こんな環境内で研究しようなんて思わないと思うのですが…どうしてもここで研究をしたかった私は、この研究室を選ぶことにしました。

研究室生活の始まり

私の入った研究室は、先述したように大きな研究室なので、研究ごとにグループが分かれています。私と私を嫌いな彼女(Aちゃん)は同じグループで研究することになりました。グループ構成は、ボス、先輩4人(全員男)で、私とAちゃんだけが女でした。
研究室生活はこの状態の中スタートし…そしてしょっぱなから、Aちゃんは研究室を体調が悪くて休みがちになりました。
私への風当たりは結構強く、先輩からちゃんとAちゃんに連絡しろと怒られたり(ちゃんと連絡入れてました)、ボスからAちゃんの愚痴を聞かされるようになり、結構イライラするようになりました。
でもそのおかげでようやっとまともにAちゃんと会話できるようになり、Aちゃんも研究室に来れるようになってほっとしたのもつかの間…
先輩からひどいことを言われるようになりました。
お前は性格を作ってる、計算してる、ブサイク…などなど。
あまり知らない後輩のことをよくここまで言えるな、と今では思えるのですが、この性格のまま今まで生きてきた私はそんなことを言われてもどうしようもなく、自分ではどうしようもない容姿について言われてしまい、どうしたらいいか分からない状態が続きました。
他の先輩に相談しようにも、ただ笑ってるだけ。相談のしようがありません。
また、自分が言われるだけなら良かったのですが、先輩達はお互いがお互いを嫌っているらしく、誰かがその場からいなくなれば、いない人の悪口を言うような環境でした。
そのことに関して、私は先輩達にお互いの悪口を言わない方がいいと思いますと伝えたことがありますが、このグループはオープンなのがいいんだ、と言われてしまい、何も言えなくなってしまいました。
そうこうしているうちに、私は病気になって倒れてしまい、2週間ほど研究室を休むことになりました。
ストレスからくる免疫力低下によるもので、自分がストレスにこんなに弱いとは知りませんでした。

何をしても怒られる

私の悪かった点は、自分は下っ端で何も出来ないのにも関わらずあれこれやってしまう点や、先輩に反抗的だと思われてしまった点にあると今では反省しています。
当番がサボってしていなかった仕事を手伝って怒られる(当番の仕事は当番にやらせないとダメだそうです、いくら自分達が迷惑してても)。
連絡を入れずに研究室を休んだ先輩やAちゃんに連絡を入れて怒られる(自分から連絡してこない時点で社会人失格らしいです、親族が危篤のような緊急時も考慮されません…そして研究室を休むと逃げたと陰口を言われるようになります)。
敬語を使うと怒られる(関西弁で話すのがいいそうで、お前の敬語は聞いててイライラする、と言われました。ちなみに大学は関西圏ではありません)。
こんな日々が続き、私はもう何もできない状態になりました。しなきゃいけないことがいっぱいある、のにできない、が続き、朝も起きれず、こんなにも自分をコントロールできないのなら、研究室の役に立たないのなら死んでしまいたいと思うほどになっていきました。
そこで私はボスに相談し、こんなにも死にたいと思っているので、研究室を休ませてください、と言いに行きました。
ボスからは、それは甘えであると言われてしまったため、心療内科に診察に行くことで手を打つことになりました。
その相談をした直後、先輩に呼ばれ、どうして先に自分達に相談しなかったのか、ボスは大変迷惑している、と文句を言われました。
そして本当に死にたいならもう死んでいる、お前は甘えている、と言われました。
段々、確かにその通りだなと思うようになっていきました。
心療内科でも先生を論破して帰ってきましたし、自分の中でも、本当は甘えなんだろう、と思うようになっていきました。

卒論に向けて

私は自分に追い打ちをかけるように、実験を頑張りましたが、実験はなかなか成功しませんでした。
簡単な実験なのにどうして上手くいかないのかと責められ、自分でもちゃんとやってるのにどうして上手くいかないか分からず、グループとしての仕事もしっかりできず、自分はますますここに居場所はないのではないか、グループとして必要とされてないのではと思うようになりました。
結局実験が上手くいかなかった理由は、私が引き継いだ実験の前任者によるミスが原因だったのですが、自分のミスではないのに、それが分かるまでずっと責められ続けたのは私にとって苦痛でしかありませんでした。
そんな中、私はまた病に倒れました。
治ったのにも関わらず、もう研究室に行く気力を失った私は、そのままずるずると研究室を休みました。
しかし実験は進めないと行けません。
意を決して研究室に行き、相当ボスや先輩に怒られました。
そんな中、先輩に言われました。
お前は俺たちを馬鹿にしている発言をしているから信用できない、と。
一体何のことだか分からずにぽかんとしていると、「研究室ではしたい人が自由に研究したらいいのではないか」との言葉を私が別の先輩に言っていた、というのをその先輩から聞いてすごく怒ってる、という事を聞きました。
…確かに随分と昔、別のグループの人が研究室に来れなくなってしまった時に、あまりにも先輩がその人の悪口を言うものだから、先輩だって寝坊したりして研究を休んだりするのに、という気持ちを込めてその人をかばいました。
その台詞が悪い方向にねじ曲がって伝えられていたこと、それを多くの人が知り私に対して怒っていることを知り、もうこれ以上どうしていいか分からなくなりました。何をしても私の言動は研究室内で悪く捉えられてしまう…それでも私は、卒論を書かないといけませんでした。
卒論を書くにあたって、下書きを先輩に見せてからボスに提出しなければいけませんでしたが、私は下書きを先輩に見せて了承を得るまでかなりの時間を使いました。
同期達が早めに卒論を書き終わって冬休みに入る中、私だけが卒論を書いている。先生や先輩は私が研究室を休んでいたからだと文句を言っていましたが、
私の卒論を見る担当になった先輩は、私の卒論の言葉の一つ一つにダメ出しを入れるため、ボスに提出するまでの時間が長くなってしまった、というのが大きな理由でした。
他の同期の卒論を見る担当になった先輩はゆるく見て(どうせどんなに完璧に仕上げてもボスにダメ出しされるからだそうです)、私はこんなにも時間がかかっている。実は前々からコツコツ卒論の準備を進めていたのにも関わらず遅いと言われてしまい、正月も実家に帰ることは出来なかった私は、完全に精神を病んでしまいました。

追放

自分の体が思うように動かず、また精神的にも極限まで達し、このまま生きていても色んな人に迷惑をかけてしまうと思った私は、色んな方法で自殺を試みて失敗しました。
薬の大量服用でも自殺することが出来ずに発狂した私は、精神科の薬を大量に服用すれば死ねると思い、論破した心療内科の先生のところに行き、私を殺してくださいと頼んだんだそうです。
というのもここら辺の記憶は曖昧で、後から先生に聞きました。普通先生の話を論破する時点でもうすでに病気なのにも関わらず、何もしないまま放置していた私は、重度の鬱病になっていました。
鬱病は薬を飲んだだけでは治らず、その薬のせいで、自分の思考すら曖昧になっていきました。このことをボスに伝えると、ボスからもう研究室に来るなと言われてしまいました。
そしてAちゃんに言われました。
本当に迷惑だから、もう研究室に来ないで。
その言葉で、研究室のために今まで頑張ってきた私の精神は完全に壊れてしまったように思います。

私は存在してはいけなかった

鬱病ニートになって、少しずつ分かったことがあります。
周りの人が悪いわけではなく、私にも相当原因がある、と。
私は出来て当たり前のことが研究室でこなせませんでした。そして何より、人間関係の形成が下手でした。
ボスも先輩もAちゃんも、私のせいで大変迷惑しただろうと思います。謝っても謝りきれないほどです。
皆が出来て、自分に出来ないのは努力が足りないからで、甘えなのです。
鬱病になってから、色んな人が私に色んなことを言ってきました。
俺が鬱病にならない以上、鬱は甘えだ、とか、いつもにこにこしながら研究室で過ごしていたくせに鬱とかあり得ない、嘘つくな、とか。
皆が私をそう認識する以上、どんなに自分は甘えてないつもりでも甘えなんだな、と今回の出来事で思いました。
そして、鬱病ニートは誰にでもなる病気であることを知りました。
私は前まで、鬱病やニートと無縁の人生を送ってきました。
なのに簡単にそうなってしまった自分が未だに許せそうにありません。

最後に

私の今までの言動を見れば、こんなにも不出来な人間は淘汰されて当然だと皆さんは思うでしょう。
皆さんは、私のような人間にならないでください。この話を戒めとしてください。
忘れないでください、私はなろうと思って鬱病ニートになったわけではないことを。
私はただ、研究室のメンバーとして、一緒に楽しく研究をやりたかった、それだけだったのです。
救いようもない話をここまで読んでくださってありがとうございました。

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