原点は池中玄太80キロにあった。

テレビドラマ「池中玄太80キロ」って言っても知らない人も多いかと思う。このドラマが放送されたのは1980年4月。あたしが12歳の時。中学1年生になったばかり。

内容を簡単に説明すると、西田敏行さん演じる池中玄太は文字どうり体重80kgの報道カメラマン。丹頂鶴の写真をライフワークにしている彼が、3人の娘を持つ鶴子(丘みつこ)と結婚するも、すぐに鶴子が亡くなってしまう。玄太は周囲の反対を押し切って血のつながらない3人の娘を引き取り、やがて本当の家族以上のきずなを作り上げるというお話。大ヒットし、のちにパート2、3と続編が作られていった。ドラマ自体見たことなくても主題歌の「もしもピアノが弾けたなら」を聴いたことがある人は多いのではないと思う。



元々、あたしは多趣味で飽きっぽい。
小さな頃は切手集めに熱中し、ブルートレインブームに煽られてちょっとだけ鉄道マニアになったりもした。高校になったらオーディオを揃え始め、大学生になったらバイクに凝り、社会人になったらパソコンを自作するようになった。競馬にもハマった。


あたしが育った当時(1970年代)はきっとどこの家もそうだったと思うけど、高度経済成長後のオイルショックやらなにやらで、どの家も今より全然貧しかった。我が家も例外ではなく、あたしが凝り始めるものは、大概家にないものだった。だから一からそろえなくてはならない。父や姉からのお下がりには期待できない。何を始めるにせよお金が掛かる。

我が家にはカメラというものもなかった。厳密にいうと、昔はあったのだけど、失くしたか壊れたかで、それっきりになっているらしく、あたしが5歳のころまでの写真しかなかった。その頃の写真に写ってるあたしはそりゃあもうひどいもので、泣きわめいてたり、暴れまわったり、う○こもらしたりした写真ばかり。

カメラというものを初めて手にしたのは小学校4年生の時。誕生日プレゼントにと母にカメラをねだった。カメラのことにほとんど詳しくない母はあたしにポケットカメラ(110フィルム)を買い与えようとしたが、それを事前に察知したあたしは泣いて抵抗して35mmフィルムを使用するカメラを買ってもらった。35mmフィルムを使用するって言っても実はハーフサイズカメラだっただけど、その時はそんなこと知る由もなく、「ちゃんとしたカメラ」を買ってもらえたことがとにかくとってもうれしかった。それがオリンパスのペンEE3という機種。今になって思えばかなりの名機ではある。



こうして、10歳にしてようやく家にカメラが来た。あたしが買ってもらったのだけど、別に家族で使うし、ただシャッターを押すのが一番多いのがあたしだったというだけで。とにかくうれしかったので、いっぱいいっぱい写真を撮った。ハーフサイズなので、36枚撮りのフィルムで72枚も撮影できた。ただ、このカメラはフルオートではなく、パンフォーカスという仕組み(というほどでもない)で、露出はオートしかないので、ほぼ失敗する写真がないのだけど、とにかくいろいと学んでいった。

そんな時に放送されたのが、さっき書いた「池中玄太80キロ」でした。彼が使ってるカメラがキヤノンの一眼レフ。とにかくかっこよく光り輝いてた。彼が雪に埋もれて鶴を連写していくシーンに高揚した。だけどそれがフラッシュバックしてくるもはもっと後になってからのことで、当時はただ単にドラマが面白かったというだけで終わってた。


中学2年からそのペンEE3を携えて学校の写真クラブというものに入った。そして中学3年になったとき、通っていた塾の先生がとてもカメラ好きだったので、受験勉強そっちのけでカメラ・写真の話ばかりしていた。その先生が持ってたニコンのFMを見たら、一眼レフのカメラがたまらなくほしくなった。で、また親にねだって買ってもらったのが、オリンパスのOM10というエントリー機だった。どうしてオリンパスにしたかというと、同級生で仲が良かった子が同じオリンパスのOM-1というのを持っていたから。あと、このOM10、とってもよくできたカメラで、オート専用機なのに別売りのアダプターを付けるとマニュアル露出での撮影が可能になるというスグレモノだったこともある。もちろん最初に買ってもらったペンEE3がオリンパスだったということもある。あとあと考えると手の小さいあたしにはオリンパスの小型軽量というのがぴったりだった。


で、高校2年。運命のカメラに出会う。マルチスポット測光という機能を携えて満を持して登場したオリンパスの最高級機、OM-4。このカメラに憧れてそれこそCAPAとか月刊カメラマンとかいう雑誌を穴が開くほど眺めていた。するといわゆる「金融モノ」のOM-4が大特価で売っていたのを発見するのです。定価の4割引くらい。これを逃す手はないとまたまた母を説得して(騙したとも言う)、まんまと購入するに至った。このあとさらに、ポートレート用としてZUIKO 85mmF2という高いレンズも購入して、高校には毎日のようにカメラを持って行ってはクラスメイトや高校の風景を取り巻くっていた。フィルムはもちろん白黒。自分で現像して自分で紙に焼く。


また家族が使うためのカメラとして、フジのカルディアDL-200デートというのを買ったのもこの時期。このカメラ、小さい28mm単焦点レンズはなかなかの写りで、ストロボがTTL自動調光という、当時は一眼レフにしか備わってなかった機能も持っていた。このカメラも我が家では短命で、いつの間にか失くなっていた。我が家にはカメラというものはあまり存在価値がないのだろう。


で、このOM-4を持ってあたしは大学進学のために上京。大学ではもちろん写真部に入るつもりだったのだけど、大学の入学式当日、キャンパス内で新入生の勧誘をしていた写真部(実際はカメラ部という名称でした)の作品展を見て、そのアングラぶりに愕然し、写真部に入ることを断念、そしてそのまま写真熱まで冷めていってしまった。あたしが撮りたいのはそんな写真ではなかった。確かに写真なんて自己表現の手段だから何をどう撮影してもいいと言ってしまえるのだけど、あれは、なんていうのだろ、見る側を見下してるというか、理解できないのはあんたがセンスがないからだと言われているような気がして。


しかしまた写真熱は復活した。社会人になって競馬を始めて、競馬場で写真を撮るようになったのだけど、やがてOM-4の調子が悪くなった(ミラーが戻らなくなった)。で、当時はオートフォーカスの一眼レフが完全に普及していた頃だったので、オートフォーカスのカメラが1台ほしくなったのだけど、オリンパスはもう一眼レフから撤退していたためオリンパスのカメラを買うことができなかった。そこでやむを得ず・・・ピントリングの方向がオリンパスといっしょというだけの理由で、キヤノンのEOS55というカメラを買い求めた。もちろんレンズもないので、EF28-105mm F3.5-4.5 USM、そしてEF80-200mm F4.5-5.6 USMの2本を同時購入。もう社会人だったのでそこそこ自由になるお金を持っていたあたしは、北海道牧場巡り用にEF200mm F2.8LII USMというバカ高い単焦点の望遠レンズまで購入してしまった。


やがて世の中はフィルムカメラからデジタルカメラへ急激にシフトしていく。キヤノンのデジタル一眼レフは高価だし、折角の200mm単焦点を使うには、やっぱり35mmフルサイズセンサー搭載のボディが欲しいのだけど、それは30万円くらいだった。フィルムカメラの場合と違って、デジタルカメラは「フィルム」に当たるセンサーの技術向上と低価格化していくスピードが速く、その結果としてボディの陳腐化が速いため、そんなものに高いお金を支払う気にはならなかった。一方、多数のレンズを保有していたオリンパスはフォーサーズ規格というものを採用していたので、OMシステムの資産をそのままでは使えない。そんな風に逡巡していた時に愛用していたのが、キヤノンのデジタルコンパクトカメラ、PowerShot G7だった。


このPowerShot G7で様々なものを撮影した。花などの植物、空、プロレス、人物、料理、バイク、クルマなどなど。ちょうどペンEE3を買ってもらった小学生時代みたいに、なんでもかんでも撮りまくった。きれいなものを見つけると、ちょうどその頃付き合ってた相方に見せたくって、頑張って撮影してた。

一方のレンズ交換式の方は、「技術の出し惜しみ」をするキヤノンを見限って、ちょうどその頃新しく出てきたマイクロ・フォーサーズ規格に惹かれました。ミラーボックスがないため、昔のフィルムカメラのようにボディが薄くて小型軽量。オリンパスからも「ペン」という名を冠したミラーレス一眼が発売されたが、最初の頃はいろいろまだ不満な点が多く、新モデルを待っていたところに、あたしのニーズに完璧にミートするモデルが発売されました。それがオリンパスのPEN Lite E-PL2だった。

このE-PL2にマウントアダプタを介して、OMレンズを装着して活用することができた。あたしはそこで、中古のOMレンズを買い漁った。いわゆる「レンズ沼」にハマったのだ。E-PL2についてきたキットレンズを含めると、今日現在で8本になる。

M. ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6 II
M. ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F4.0-5.6
M. ZUIKO DIGITAL ED 75-300mm F4.8-6.7
OM ZUIKO 24mm F2
OM ZUIKO 35mm F2.8
OM ZUIKO 50mm F1.4
OM ZUIKO 85mm F2
OM ZUIKO 90mm F2 MACRO
OM ZUIKO 180mm F2.8


普段はPowerShotを持ち歩いてる。G7からG15に買い替えたのだけど、この子はいつもバッグに入ってる。このマイクロフォーサーズ並によく写ってくれて、サブカメラにはピッタリ。

今、悩んでいるのは、E-PL2でだんだん不満が出てきてること。縦位置で撮影した時、普通は重力センサーというものの働きで写真の向きのデータを自動記録することができるのだけど、この機能がE-PL2には付いてないので、撮影のたびに画像を回転させる操作をしなくてはいけないのが手間。もちろんパソコンに取り込んで回転させることもできるのだけど、画像によっては天地がわかりにくいものもあるので。もう一点はファインダー。このE-PL2には外付けの液晶ビューファインダー(EVF)が取り付けられるのだけど、OMレンズを使ってマニュアルでピントを合わせる場合に、細かいピントが合わせにくいということが多く、結果として失敗写真が増えてしまう。
ちょうどその不満を解消してくれるカメラが登場した。それがオリンパスのOM-D E-M1というもの。ボディ単体で13万円くらい。新レンズオリンパスM.ZUIKO DIGITAL ED 12-40mm F2.8とのセットで21万円くらいする。消費税アップ前に、夏のボーナス一括払いで買ってしまおうかと悩んでいるところ(と言っても、残された日数は4日しかないが)。



池中玄太80キロに影響されて始まったカメラの趣味。多趣味で飽きっぽいあたしが一番長く続いている趣味。写真歴はかれこれ35年になる。この趣味なら歳を重ねても楽しんでいける。長生きしようとは思ってないけど、おそらく一生の趣味になるだろう。
そんなわけで、西田敏行さんには足を向けて眠れないのだ。

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