プロサッカー選手を目指した僕が得られた事

結果、僕はプロにはなれなかった。


だから、ここは僕なりにどのようにサッカーに取り組んできたかというプロセスや思考しか伝えられない。

だけど、プロを目指す人に対して、僕の体験や経験が少なからず参考になってもらえる事を願って書きます。

長くなりそうですが、お付き合いしていただけたら嬉しいです。

そして、聞きたい事があればfacebookにてメッセージ下さい。必ず返信します。


出会い

僕がサッカーを始めたのは、4歳の時。

年中の時、幼稚園で行われていたサッカー教室に参加したのが始まり。それから18年間サッカー中心の生活が始まった。

気がついたら、朝から晩までサッカーづけの毎日を送っていた。

小学校に入っての休み時間はもちろんサッカー、サッカーの練習は水曜と土曜だけだったから放課後も友達とサッカー、遊びももちろんサッカー。

ハマるとそれしかやらない。

興味ある事しかやらない。

友達が野球やバスケしてる時も1人でサッカー。家に帰っても夜ご飯が出来るまではサッカー。家の中でもテニスボールや風船、兎に角、球体は蹴るものだった。                    僕は当時参考にしていた選手がたくさんいた。中でも、ロナウド、オコチャ、ジタン、ダービッツが大好きだった。

ロナウドは縦へのドリブルと点とる感覚、オコチャは独特のリズムのフェイント、ジタンはトラップ、パス、ドリブル、ボールキープ、ダービッツは間の取り方。これらの人のMIXが僕の目指す人だった。というか、こんな人がいたら目立つなと。人がやらない事をやる。だから目立つ。簡単な法則だ。だからそれぞれのいい所を真似しまくった。シュート練習の時はロナウドになりきる。ドリブルの時はジダンにという風に。今この状況ならジダンならきっとこうするだろうと考えてプレーしてた。もちろん、真似も大事だけど、フェイントに関しては自分で沢山作った。自分がやられて嫌な事は相手も嫌。これは上手いなと自分が思うフェイントフェイント作る。これらが基準になる。相手の逆をとる事が大事だからここで駆け引きを学んだのかもしれない。

勉強

小学生の頃、勉強はしなかった。                               中学生の頃も基本的にはしなかったが、唯一違うのは、中間、期末テストがある。テストの点数が悪いと親にサッカーを辞めさせられる。だからある程度はした。僕は、毎日コツコツと勉強は出来ないので、テストの一週間前に集中的に頭に入れてテストに望む。これでなんとかなった。このスタイルを大学まで続けた。

中学卒業後の進路

中学3年生の時、高校サッカーに入るかクラブチームでサッカーを続けるで悩んだ。         お正月の高校サッカーで目立てばプロへの道は開けるかも、しかし、当時はまだ高校サッカーのスタイルは蹴りあいのイメージが強く自分のスタイルとは違った。だから高校サッカーの選択肢はなくなった。当時サッカーマガジンで募集していたのは、Jユースではなく、巣鴨にある某クラブだった。結果は受かった。しかし同時期に中学の時入っていたクラブチームと繋がりがあるクラブチームからオファーが。正直迷った。巣鴨のクラブは家からグランドまで30分と近いし、設備も良い。もう一方は、家から2時間はかかる。結局遠い方を僕は選んだ。練習参加したらチームの目指しているサッカーに共感できた事、コーチは僕も知っていたし印象も良かった事、プロを目指す刺激的な同志がいた事が決め手だ。それから高校の授業の後は、家に帰ってサッカーに行くという毎日を送る事になる。

ちなみに高校は都立の体育祭が有名な所だ。






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