強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話 パート2 受験編

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全ては 長男の「やめたい」 から始まった



今思えば、これがオヤジの壮大な実験の始まりでした。

3兄弟を高校に通わせずに大学に放り込めるのか・・・
京大3兄弟というオヤジのネタ(自慢)を完成させられるのか・・・



長男の僕にとって、小中学校の生活は部活や友達など楽しい時期もありました。恋愛とかスポーツとか。でも、1日何時間も退屈な授業を聞いて、多少窮屈さを感じていたのも事実です。



高校という所はきっと自由な場所なんだろうなぁ。。そんな期待をもって近所の進学校へ。(注:オヤジの高校の武勇伝を何度も聞かされ、妄想が膨らんだ)



しかしその期待は、裏切られました。


教師
「本は読むな、恋愛はするな。勉強は質より量だ。偏差値を上げろ!」

「・・・・・・(絶句)」


そう、要するにバリバリの進学校だったのです。
すべての高校がこうじゃないと思いますが、もっとちゃんと調べておくべきだった!!


やめたい気持ちが日を追うごとに強くなり、1学期の終わり頃、ついにオヤジに気持ちを打ち明けます。でも、さすがにあのオヤジも認めてくれないんかも・・・


「オヤジ、相談があるんだけど。あのさ・・・高校をやめたい・・・」

オヤジ「いいよ」

「いや、なんでかっていうとね・・・」

・・・・?

え?いいの??


オヤジの即答で、高校退学が決定。



色々調べると、大検・通信制という抜け道があると判明。
とりあえず1年待って通信制に通うという方針に決定します。
こうして一種のニートが1人誕生・・・


今は、おもしろおかしく言ってますが、当時は内心不安で仕方がなかった・・・

「ホーツキ、おわったな」「もったいないな」「それってドロップアウトじゃん」

高校生なんて打たれ弱いんで、けっこうグサッときます。
そんな中、オヤジの意味不明だけどシンプルな「いいよ」の肯定は本当に心の支えになりました。母親もまた、いやな顔ひとつせず応援してくれました。


学校をやめたいと言えば、反対するのが親というもの。だからこそ打ち明けにくい。そんな心中を見抜いていたのか、オヤジの「いいよ」は「信頼してるぞ」のメッセージに聞こえました。どんな状況でも子どもの味方。シンプルですが大切な親の役割です。



そして・・・不幸にも1歳違いの次男も巻き込まれます。

長男の件でネジがはずれてしまったオヤジ。

オヤジ「お前も高校行かなくていいんじゃねえか?大検とれよ。グハハハ」

と、オヤジの口車に次男は説得されてしまいます(笑)
完全に巻き込まれ事故!ごめんよ、次男。


次男も、ニート確定。



こうしてホーツキ家には、いっぺんにニートが2人誕生することになりました。
クレイジーオブクレイジー、ホーツキ家。なんてこった・・・。

※本当に本当に、非常識きわまりないオヤジです。絶対にマネしないでください。



オヤジの思いつき



こうして始まった完全なる不登校時代。有意義に時間を活用できればいいんですけどね。結局昼まで寝ていたり、ネットやゲームでだらだら。ひどい状態です。
すると突然・・・


オヤジ「てめーらこらァ!たたむぞこの野郎ォ!!」



めちゃくちゃ怖いので勉強に手を付けますが、やはり3日坊主。

ひどい状況になんとかならないかと、困る母親。
そこでデタラメなオヤジが考えだした作戦がぶっとんでいた・・・
それは家族5人で欧米旅行に出かけよう!というものでした・・・



そうだ、欧米へ行こう。



なんだかもはや脈絡もなく意味不明(笑)
いままで海外旅行など行ったことのない3兄弟。喜びます。母親も「いいわね 〜」とノリノリ。(この頃には母親もあたまおかしくなってます)


改めて3兄弟の状況をお伝えすると、こちら。 

【3兄弟のステータス】 

・長男:高校を退学してニート 

・次男:中学を卒業してニート

・三男:中学1年生→でも無視


事故、順調に拡大(笑) 三男どんまい。

ホーツキ家において、オヤジの思いつきはほぼ確実に実行されます。
中学校の担任をどう丸め込んだのか・・・(謎)三男に学校を休ませて、家族は旅行へ出発します。(オヤジ曰く「夏休みにいったら高えだろ。グハハ。」)



さて、オヤジの旅コンセプトはこんな感じ

①:現地の「リアル」を体感させる 
→高級品は食わない(スーパーで買って自炊)& ガイドブックを活用しない 

②:アンチ・パッケージ旅行
→人との出会いやハプニングを大切にする。すぐ話しかけて一緒に食事したり。

③:いい芸術・いい自然と出会わせる 
→ 美術館・博物館にいきまくる。アウトドアに放り込む 
(学問は家で学べるが、オヤジ曰く、自然や芸術は本物でないとダメ)


しかし、3兄弟から見る旅のコンセプトはこうでした。 

①:いきあたりばったり

②:基本は安く・せこく・ズルがしこく

③:オヤジ伝説、オンパレード



例えば、ホワイトハウスを見学しようと朝早くに整理券をもらいにいくオヤジ。しかし彼の予想を越えて、長蛇の列。いまさら並んでもムリだと悟ったオヤジは・・・ 



伝家の宝刀【イカサマ】!!(再)




列の最前に割り込んでしれっとチケットを入手してきます。
どうやったの?と聞くと 


オヤジ「どうもどうも久しぶり!グハハハハ!ってな、中国人のやつらに日本語で話しかけたら割り込めたな」 

兄弟「え?中国人の知り合いがいたの?」

オヤジ「フフ。そうじゃない。いいか、他の人から見たら同じアジア人で友達みたいに見えるだろ。でな、その中国人からしたら気持ち悪い、かかわらないどこうってなるんだよ。どうだ、すげえだろ(不敵な笑み)」 


オヤジ、すげぇ。。。(絶句)

※くれぐれも真似しないでください

そう、数々のオヤジ伝説を彼は作っていきました。
イタリアのコロセウムで並んで待っている時のこと。 


弟2人があまりの暑さに飲み物を求め、近くにあった屋台へ。缶ジュースを買って戻ってきた2人。でも様子がおかしい・・・ 


オヤジ「どうした??」 

「なんかジュースが1,000円もした・・・・(ぼったくられた)」 

オヤジ「おし・・・・ちょっと待ってろ。」 


半ズボンにサンダル姿という下町スタイルで、屋台に近づいていくオヤジ。
そして突然・・・ 



てめえバカヤロォ!!この野郎ォ!!
店たたんじまうぞこの野郎ォ!!!
(日本語)



屋台に蹴りをいれます。当然屋台のおやじもこれはヤバいと殺気を感じたようで、ソッコーで全額を返金。そして戻ってきてこの一言。 


オヤジ「日本人だからってナメられるんじゃねぇ」


あまりの声の大きさに列に並んでいた外国人達もビックリ。
列に戻ってくるオヤジを見て、まわりから「CRAZY」「AMAZING」「YAKUZA・・・」とヒソヒソ声。


さすがにこの時ばかりは本気ですげえと思いました。

こうして数々の思い出と貴重な体験を携えて日本に戻ってきます。 

本物の名画や芸術作品をこの目にしたときの感動や、ハーバードやMITを体で感じた時の興奮は、若い感性に鮮明な印象を残したことは言うまでもありません。本物に出会う、一流に出会う、という教育は可能性のかたまりである子どもにとっては素晴らしいもの。それをプレゼントしてもらえた僕たちは幸せ者でした。 



ただし、感性を働かせると、頭脳を働かせるよりも疲れるもの。

ヘトヘトになって帰ってきた家族にあったのは、旅の思い出よりも感動よりも、ともかく家に戻って来れたという安心感のみ・・・

帰宅後、玄関の前で家族5人で万歳三唱したのが、何よりの思い出です(笑)





オヤジ塾、開校。



さて、長男の僕はいよいよ高校3年生にあたる時期に突入。
受験を1年後にひかえ、小さな頃から抱いてきた目標、京大受験にチャレンジすることに。しかし何故に京都大学だったのか・・・。


そのきっかけは小学生時代にさかのぼります。ある日、オヤジからこんな質問が飛んできました。


オヤジ「おい、日本で一番の大学はどこか知ってるか?」 

「東大でしょ」 

オヤジ「バカ。ノーベル賞学者が多い大学が一番に決まってるだろ。」 

「確かに・・・。それはどこの大学なの?」 

オヤジ「京都大学だ。京大が日本で一番だ。」


そう、要するにオヤジに洗脳されていたんですね・・・  (笑)
そして幼い頃にオヤジに吹き込まれた京大は、次第に憧れ、目標となりました。



しかし、1年間勉強から離れていた僕の学力は、危機的な状況。
そこでオヤジは、またもぶっとび作戦を考えつきます。
なんと「自宅の一室を改造してオヤジ塾を開校する」というものでした。


そう、オヤジが自宅の一室で家庭教師をする・・・・のではなく 


なんと本当の塾!!!


近所の子どもも新聞折込で募集!!!


しかも名前はプラトン学園!!!(あやしすぎる) 


注:プラトンはソクラテスの弟子



ソクラテス学園ではなく、その弟子の名前でした(笑)


それにしても、この徹底ぶり。
オヤジがすごいのは「いいよ」と言うだけでなく、こうやってバックアップを本気でするところ。もっとも、いい加減なところもたくさんあるので、日常的には約束守りません(笑)



あやしい名前のせいで生徒はほとんど集まらず。結局、3兄弟を使って友達を無理やり入塾させ、何とか塾のかたちが整います。


オヤジが伝授してくれた学習法もユニークなものでした。


まず英語。
ともかく声に出して音読、そして文章を丸ごと暗唱してしまえという方法。素直に信じて狂った様に英文を音読→暗唱→音読→暗唱の日々。夏頃には大学レベルの本を丸ごと一冊読めるまでになりました。 


※こんな参考書や本の暗唱をやりました。


オヤジ「昔の考古学者に、シュリーマンという人がいる。18ヶ国語を操れた語学の天才だが、彼の学習法がこの音読・暗唱法だ」 
(注:そういえば本当なのかと、Wikipediaを調べてみたら一番下に本当にその通り書いてあった!)



また、国語の勉強法。
名文や好きな文章をともかく書き写してしまえという方法。これも素直に信じてひたすら原稿用紙に文字を埋め尽くす日々。300枚ぐらい原稿用紙がたまった頃には、文章を読むのも書くのも、かなり得意になりました。 


なんというか、言葉は結局のところ組み合わせなので、名文が「自分のもの」になっている状態だと、読み書きが自然とできるようになります。 



さらに数学。
数学史や科学史を織り交ぜて公式の成り立ちをオヤジが直接解説。



オヤジ「この放物線はガリレオが発見したんだ。彼は実験の名人でな・・・」 


三角比に関連して伊能忠敬がでてきたり、微分積分でアポロ計画の話になったり・・・たまに数学なのか歴史なのかわからなくなりました(笑)


あとは1つの問題集、同じ問題を何度もくり返し解きまくれという手法です。 
それはもうしつこくしつこく、同じ問題集の同じ問題を解く日々でした。


教育方法はユニークですが、塾の運営はデタラメ。お前も先生をやれ、という命令のもと、受験生にもかかわらず英語と数学の先生をやらされました・・・ 


ところが!!


教えることが非常に役に立っていると気づきます。勉強は、たくさん問題を解くことも大切ですが、教科書の内容、つまり基礎基本を徹底的に頭に刷り込むせることが一番大切です。相手に分かってもらおうと結局基礎を自分で徹底的に掘り下げます。教えることは、基礎理解を深める上でうってつけの手段になりました。



オヤジ「体系的な知識を身につけるには、人に教えるのが一番。『一を聞いて十を知る』という言葉があるが『一を聞いて十を教える』これがヒケツだ」
 


巧みな話術とユニークな手法で僕を引き込み、受験勉強に打ち込ませます。



そして・・・

1年の月日が流れ、本番を迎えます。運もあったと思いますが、何とか合格できました。一番喜んでいたのはオヤジよりも母親。涙を流して喜んでくれました。


そりゃそうです。オヤジに翻弄され、3兄弟の世話に追いかけ回され、これで合格しなければ母親の立つ瀬がありません。



母ちゃんありがとう。



ちなみに、弟2人も同じ様に仕込んで京都大学に放り込まれていきました・・・
なぜ彼らも京大に行ったのか。主な理由はこんな感じ。 


①:近所だったから(その頃は京大の近所に引っ越していた) 

②:オヤジの自慢話のため(京大3兄弟はネタ的におもしろいとオヤジが説得) 


申し訳ございません。基本デタラメなオヤジに育てられたために、3兄弟。
いい加減・・・たいした理由など・・・ない!!! 



ちなみに、3兄弟ともなると、だんだん飽きてくるんですね。もともといい加減なオヤジです。僕は「オヤジ塾」をひらいてもらい、至れり尽くせりでしたが、三男のときになると「お前は勝手にやれ」と完全に放置プレイ(笑)合格したときなんてひどいもんでした。

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