定時制高校出がちょっと過去を振り返ってみる

皆さんは定時制高校というのはご存知でしょうか?

一般的には4年制で夕方5時半から9時くらいまで一日3コマ(45分)の授業と給食(笑)がある高校です。


怖いイメージを持たれる方もいるかもしれませんが意外と普通というか、むしろ事情があって通う子たちが多い学校です。

私の通った高校ではいかにもやんちゃな不良は4学年中一人しかいませんでした(笑)

まあその子と学校でガチバトルやったので私含めたら二人かもしれませんがorz



 私がなぜ定時制高校に通うようになった理由はイジメでした。


 小さい頃からあまり人との接触が得意でなく、いつもイジメの対象でした。

 原因はよくわかりません。ただ小学校・中学校ともにイジメにあっていました。なぜだかわかりませんが「イジメをしていい奴」認定で他クラスの顔も知らない同級生にまでイジメられていました。

 殆どが悪口、ものを隠す、仲間外れ、軽い暴力(階段から落とされそうになるとか、足を引っ掛けられるなど)などさほどのものではない(とは思うけど感性麻痺しているのでわかりませんが・・・)ですが、これが学年中から毎日されるとさすがに参ります。

 当時は無視が一番ひどいイジメとされていましたが、そんな中にいたものですから小学校の時に無視された時には楽すぎてずっとこの状態が続いてほしい!と思うくらいでした。

 しかし不幸にもこんな幸福(笑)を問題視した教員により無視は止まったもののまた元の状態に逆戻りした時に「勝手な正義」というのは本当に迷惑だなとしみじみ思ったものでした(笑)


 そんな状態で学校には行きたくない、と親に言っても「お前が反応するから悪い!」「お前が我慢すれば治まるんだ!」と相談にも乗ってくれず、また逆に叱られる始末。

 家にも学校にもどこにも居場所がない状態でした。

 抵抗しようにも部屋は鍵のかからない、お小遣いもないのでどこに行くことも出来ず、家は自営業でしたのでこっそり帰ってくるわけにもいかず、仕方なしに学校へ行っておりました。


 小学校1年くらいから寝る前にいつも神様にお願いをしていました。

「このまま目が覚めないようにしてください、このまま死なせてください」と・・・・

 だから朝起きるというのは絶望でした。また嫌な一日が始まることですから。でもまた夜が来れば同じことを願うのです。もしかしたら神様がそうしてくれるかもしれませんから。

事故により同年代が亡くなったニュースとかを聞くたびに「この子はもっと生きたかっただろうに、死にたい私が変わりたかったな~」と思っていました。


でも高校は自分で選べる。なので知り合いがいない遠方の学校を選びました。

しかしそこでもまた一部の生徒からイジメられました。ただ中学校・小学校と違い一部の生徒だったのですが、夏休みが終わった時にここまで逃げたのに追ってくる「イジメ」にもう頑張れない自分がいました。

で、ジサツ未遂なんかしてみたのでさすがの親も学校に戻すのを諦め、大検(当時)を取るという約束で学校を中退することにしました。


しかし縁とは不思議なものです。

中学時代の知り合いと町で出会ったのです。彼女は最初の数か月は通ったものの同じくイジメに合い不登校、そのまま中学校を終えたのですが、イジメられ仲間ということで何となくたまに連絡しあう中でもありました。

中学校時代は家から一歩も出ない日々も多かった彼女にここで会うなんて!

びっくりして声をかけたら「これから定時制高校に行くとのこと。遅刻しちゃうー」と二言三言の会話で大急ぎで彼女は高校へ向かいました。


その時初めて『定時制高校という選択肢がある』ことに気が付いたのです。

その後、親に今の学校は辞めて定時制高校に行きたいと伝えたところ、最初は驚いたようですが大検よりも確実に高校卒業資格が取れること、自宅から割と近いことなどから一度定時制高校に見学に行くことになりました。


一度行ってみた定時制高校は思ったよりフレンドリーで優しい先生が多く、いままでもイジメで苦しんできたこと、もうあの学校では頑張りきれないけど高卒資格は欲しいと思っていること、でもまたイジメられるのが怖いなどを話しました。

先生はうんうんと頷きながら

「定時はみんな色んな事情があってくる子が多く優しい子が多い。話を聞くと今の学校と相性が合わないみたいだし、不安だと思うけど転校してきたらどうか?急いでやれば出席日数も間に合うから二学期から通学できるよ。」

と進めてくれました。

その言葉に背中を押され、私は元の学校を中退ではなく転校というタイムロスの少ない形で一年の二学期から定時制高校に通えるようになったのです。

この件について書類の手続きは相当早かったようで未だに先生方に感謝しかありません。



定時制高校は先生の言葉通り色んな人がいました。


やはり学校が合わず中退、定時制高校に再入学した人。

音楽の学校に行きながら高校資格のためにダブルスクールをしている子。

私みたいにイジメから逃げてきた子。

母子家庭で生活費を稼ぎながら通う子。

一度社会に出たけど高卒資格のために通う人。

学費の問題で私学から転校せざるえなかった子・・・


みんな、何かしら背負って来たり傷付いて来たりした子が多く、言いたくないことは言わない、聞かない。でも傷を話したい人の話はちゃんと聞く。そんな感じでしたね。

クラスは10人程度でしたが概ね仲良くやっていました。

もちろん気が合わない子もいますがそういう子はイジメるのではなくお互い距離を置いていくことでうまくやっていました。

そういうところはものすごく大人な人間関係が出来ていました。


面白かったのは当時、まだ喫煙所が校内にあって、先生が休み時間とかに煙草を吸いに来るのですが20歳超えている子たちも一緒に吸うんです。

未成年の子もそこに集まってジュースを飲んだりしておしゃべりをするのです。

未成年者に勧めないのはお約束ですが基本的にみんなさほどお金もないので大事な一本なんて頼んでもくれません(笑)

でもそこで話す先生やちょっと大人の同級生たちの会話は面白く、かつ刺激的でした。

今は校内が完全禁煙でそういう場がないと聞きます。もったいないなと思ってしまいます。


また定時制はそれなりに教員経験が長い先生が担当をしている場合が多く、しかも基本的に面倒見のいい人が多かったです。そのためにクラスにとって担任の先生は「みんなのお父さん」的な存在でした。

DVなどの重大な相談から大人毛が薄くなかなか生えないなど(今思えば)軽い相談まで(笑)乗っていましたね。

今は学校の先生の勤務時間などが厳しくなったので大変みたいです。定時制高校のような学校では勤務時間外の負担も多いので(一人暮らしの子を病院につれていく、学校に来ない子の家庭指導、時には生徒と法律家に相談に行くなど)一律に決められてしまうのはどうかなと思います。

 やはり体に余裕がないと心に余裕ができません。心に余裕がないとなおさらいい教育はできないですから。特に癖がある子たちを束ねている以上そのストレスはかなりのものだったと思います。それらを解消する時間は必要だと思います。



 というのも定時制高校では書道や音楽、被服の先生は全日制の高校と掛け持ちで担当することが多かったのですが、この先生たちがいつみてもストレスでキリキリ舞いでしたね・・・

 全日制の子たちも見ている分、定時制の子たちの落差がひどいのでしょう。

 また私の行っていた定時制高校の全日制は名門校で有名でしたから、そういう子たちと同じ気持ちで定時制の子たちと接するとやはり問題が起こるのです。


 今でも思い出すのですが音楽の授業の「愛の賛歌」事件。

 30過ぎればあの歌の歌詞の良さが分かりますが、高校生にはとてもこっぱずかしくて歌えたもんじゃない、ましてや教師とはいえ大人の前で・・・

もう恥ずかしさから笑えて笑えて仕方がないのです。

また機能不全家族に育っている子たちからするとこんな愛情なんて世の中にないと思っている子も多いですから、なおさらそれを「名曲なんだよ!」と怒る先生がおかしくておかしくて。言ってはなんですが「先生そんなの信じてんの?純情だねー」みたいなおかしさもあり笑いが止まりません。


とうとう先生が「君らはこの歌詞の良さが分かってない!自分が朗読するからよく聞きなさい!!!」と叫び愛の賛歌の歌詞の朗読をはじめました。


・・・・我慢したんですよ、我慢は・・・・

でも40過ぎた痩せたインテリ風オヤジ(当時はそう見えた)が情熱的にですね、愛の賛歌の歌詞を朗読するんですよ。

一回噴出したらもう駄目でした。呼吸困難になるまで私は笑い、ほかの子も耐えきれず笑い出してしまい授業にならず、先生は顔を真っ赤にして怒り出す始末。


幸い終業ベルに救われましたが起こった音楽教師が担任にチクリまして。

大笑いをした私が担任から呼び出しを食らいました。

が、その担任も事の経緯は聞いているので結構笑いをこらえた顔で

「人には大事にしていることがある。それをあんまり笑ってはいけないよ。」

とのお言葉をいただきました(笑)。そして

「まあ箸が転がってもおかしい世代だから仕方ないけどな・・・でも「愛の賛歌」の朗読か・・・まあ俺も笑っちゃうかもしれないな。」

と言われてまた大笑いでした。

 ただ真面目にやってないように思われたみたいだから次の授業ではちゃんと謝りなさいといわれその場は終わりました。

 翌週、音楽の先生には謝りましたが本来4週練習する歌が1週で変わっていたのは本当に先生を傷付けてしまったのだなぁ、気をつけなきゃいけないなと思った事件でした。


 きっと全日制の子たちにはこんなことにならなかったのでしょう。でも定時制の子たちでは受け取り方も考え方も違います。やはりそういう意味で全日・定時の両方を見る先生はかなりストレスだったと思います。

 また人によっては「これだから定時は!!」と怒る先生もいたので押しなべてそういう全日・定時の両方を見る先生は嫌われておりました。

 定時制の子にもプライドはありますからね。



その他、私の行っていた定時制は「勉強できなくても料理できれば何とか生きていける」という考え方があったようで2年の頃は毎週、丸一日が調理実習になりました。

先ほどちょっと書いたように給食があるのですがその日の分だけ給食費が調理実習代となり、先生が買ってきた食材でご飯を作るのです。

毎週ですから最初はだるいーと思いましたが、一人暮らしや母子家庭で料理担当している子も多くそんな子たちの手際の良さにものすごく感動しました。

作ったものもカレーから始まり、うどんを踏んだり、和食、洋食、パンやケーキ、クッキーも作りましたね。炊飯器のボタンを押し忘れ、ご飯が間に合わなかった時に必死にごまかして炊飯器のせいにして炊飯器さんごめんなさい(笑)


なお2コマで調理を終え、食べながら次回の調理実習の話や味のバランス、栄養、献立の組み方についてなどを勉強します。

おかげさまで自分が一人暮らしをした時も、結婚した時もご飯づくりに関しては何も困りませんでした。めんどくさいとも思いませんでしたし。

夫は美味しい美味しいと毎日ご飯を食べてくれるたびに当時の先生や学校の方針に感謝しています。


あともう一つ、すごく感謝をしているのが社会科です。

私が転入したての時に社会でやっていたのが「宗教」の話でした。

先生は「変な学校じゃないんだよ!ただこの宗教を知らないとなんで戦争が起こるのかちゃんと理解できないし、なによりも相手の宗教のタブーを踏まないで済むのは生きていくうえで重要なんだ。」と焦ったように言っておりました(笑)

普通の学校の二倍か三倍の長さをかけて個別の宗教を学びました。

仏教、イスラム教、キリスト教はカソリックとプロテスタント、ユダヤ教、ヒンズー教などなど・・・


これが実際、大人になってから役に立つことは多かったです。ニュースを見てもああ、宗教関係か・・・これは根深いなとか社会情勢を知るうえで最も重要なことだったと今でも思います。

また宗教上のタブーを知ってたことも夫と結婚してから結構助けになりました。

というのも夫の職業が理系の研究職なので、職場に海外の大学や国から派遣された研究者の人がいらっしゃいます。最近ではインドやトルコなどのイスラム圏やヒンズー圏の人も多く派遣されていらっしゃいます。

そういう方の歓迎会の店探しの時に重要なのが「宗教上、食べてはいけないもの」が出ないでかつ酒好きの会社の人たちが満足する店」を探すことです(笑)

夫は店探しを気軽に引き受けてくるんですが結局は店探しは私がやることに・・・

なんでや・・・まあいいですけどね(怒)


今まで一番困ったのがイスラム教の人とヒンズー教の人が両方来た時ですね・・・

イスラム教では豚や鱗のないイカやタコなどがダメで、ヒンズー教の人は多くがベジタリアンでかつ牛がダメ。

出た答えが「女性向けの野菜料理が多い焼き鳥屋」でした(笑)

鶏肉はイスラム教でもヒンズー教でも食べていいので焼き鳥屋は本当に便利。

ただ予約時に「豚と牛はイカ・タコ出さないでください。宗教上食べれない人がいるので」というお願いをしたのですが、店員さん困ったでしょうね・・・(笑)

来る客むっさい男ばっかりだし(笑)



定時制高校に話を戻します。

3年になると選択授業があります。

私たちの頃は被服か英語か選択になりました・・・・(笑)

誰に言っても信じないけど本当にそうだったんです。

で、私が選んだのはもちろん・・・・被服でした(笑)

だって英語嫌いだもん・・・

だけどこの後悔は未だに続いていますよ(笑)英語選んどけばよかったって・・・

不器用な私に被服の壁は厚かったですね・・・でも浴衣を手縫いできたのはいい思い出です。



まあそんなこんなで4年過ぎ(正確には3年半程度)、学校を卒業をしました。


ちょうど就職氷河期で就職できず、ほとんどフリーターで社会に出ることになってしまいましたが、定時制高校で得たものは大きかったと思います。


イジメで怯えていた自分が人にあまり怯えずに接することができたこと、バイトと学校を卒業までやり遂げたこと、やっと友達と言える人ができたこと、そして高卒資格。


本当に人生の中で唯一楽しかった学校生活でした。卒業がさみしいと初めて思いました。


そして定時制高校で得たもので人生がゆっくり変わったと思います。

2年ほどフリーターで過ごした後、私のように弱い人間のために何か役に立ちたいと思い医療系の資格を取りたいと思いました。

きっと誰かの役に立ちたいという気持ちは定時制の仲間が教えてくれた気持ちです。なんでもいい、どうだっていい、誰も自分の話を聞いてくれないし、わかってくれないという投げやりな気持ちを緩やかに溶かしてくれた先生、同級生。

感謝です。

そしてその資格を取るために絶対必要な「高校卒業資格」。

定時制の4年があったからタイムロス無くその学校に入れました。

新たな学校を通う勇気、通いきれたことは定時制高校でもらった「やり遂げた経験」からの自身があったと思います。


そしてその学校を卒業し、専門士になれば高校は関係なくなります。

でも私にとって人生の分岐があるならばこの定時制高校です。


私は今でも胸を張って言います。

「私は定時制高校出身です。」


もちろん眉をひそめる人もいます。あからさまに馬鹿にする人もいます。

でもよい生き方の方向をくれた定時制高校に今も感謝しています。




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