若年性脳梗塞になってみた その2 ~ 苦痛に強すぎるのも問題でござる ~

このエントリーをはてなブックマークに追加

 ヤブ医者の病院からひーひー言いながらなんとか帰り着くともうくたくたでした。

 しかしさっきより右手は動くしなんとか帰り着けたし・・・

 やっぱりヒステリーなのかな・・・?とそんなことばかり考えていました。


 人間とは不思議なもので最悪と最善があれば最善のパターンを考えてしまうものです。特に病気に関しては。

 私も最悪は「脳梗塞」、最善は「ヒステリー」という考えで、この最善の方を優先してしまったのです。

 でもロシアの諺に「最善を望み最悪に備えよ」という言葉がありますがもうちょっと自分の体の不調を大事にすればよかったと今なら思います。


 後から知ったことですがこの時もしもすぐ病院に行ってたらもっと脳梗塞の後遺症は軽く済んだ可能性が高かったらしいです。発症後3時間以内ならt-PAという血栓融解薬の治療ができたらしい。しかしもうこの時間で3時間過ぎていますから今更な話ではありますが。

 また時間経過とともに回復もしていたので(字が書けない→なんとか書けるようになったなど)自分の体でかなり血栓は溶かしたのではないかとは思います。


             

 さて、普通に読んでいる皆さんからすると「なんでそんなに我慢したの?」とおもわれるかもしれません。

 自分は小さい頃から非常に体が弱い人間でした。しかし異常に苦痛に強い人間でもありました。

小学校では毎週のように喘息の発作が起こり、吸入しても発作は止まらず苦しみました。

  しかし親には「自己管理が悪い!」と怒られ脱水症状がでるまで病院には連れて行ってもらえませんでした。

  肺炎も何度も起こし小学校3~4年時代には喘息と肺炎で年3回は入院していました。

「お願い病院連れてってください・・・」と苦しい呼吸の中で親に頼んでも「お前は甘えすぎだ!もうすぐ4時になる。それまで我慢しろ!お前は我慢が足りない!」と言われたこともありました。

(喘息の発作は夜の12時から3時によく起き、それを過ぎると止まることもよくあるのです。脱水症状か4時過ぎても発作が止まらない場合だけ病院に連れて行ってくれました)


 私には姉がいるのですが姉も喘息はありましたがそこまで重症ではなかったため「お姉ちゃんはまともなのになんでお前はまともじゃないんだ!そんなに親を苦しめたいのか!!親の仕事の邪魔をしたいのか!!」と言われたこともありました。

 今思えば虐待では?と思います。殴られる、蹴られるなどもありましたし。でも当人たちはずっと「教育」と言い続けていました。

   そういったことがずっと当たり前の環境では「教育」という言葉に惑わされ、助けを求めることもできずただただ苦痛を耐えることしかできなかったのです。

  そのせいか異常に苦痛に強い体質(笑)になってしまったようでした。


  中学校の時に急性虫垂炎になったのですが「自分的には痛いことは痛いんだけど我慢できないほどじゃないないな~。でもなんで脂汗かいてんだろ?でもお腹痛いってことで学校休めてラッキー!!」と思っていました(笑)

  病院行ったら「よくこんなになるまで我慢したね!!かわいそうに!痛かっただろ?」と医者に言われてびっくりしたこともありましたね・・・


   今回もその異常に苦痛に強い体質が裏目にでてしまったのでした。


  まあ話を戻しましょう。

  いくら具合が悪くても主婦ですから心配するのは「夫の食事」のことです。

  まだこの時点では夫に具合が悪いことは言ってません。しかしどうにもこうにも晩御飯は作れそうにありません。

  仕方がないので夫に電話をしました。

「あのさー、今日昼間変なめまいしてからさ、具合が悪いんだ。申し訳ないんだけど晩御飯買ってきてくれる?」

「え?大丈夫??」

「とりあえず近くの医院に行ったら明日大きい病院に行くよう言われた。今は落ち着いてるから平気。仕事終わってからでいいから晩御飯買ってきてくれるとありがたいんだけど。あとポカリも大きいの買ってきてくれる?」

「分かった。なるべく早く帰る。」

 そう電話をし、晩御飯は一安心。当時住んでいた家は夫の会社から一時間弱くらい離れていましたから帰ってきたのはそれから二時間くらい経った頃でした。当時は仕事が忙しくそれでもいつもよりは早めに帰ってきてくれました。

  夫は翌日に出張があったのでその準備をしていたようです。


「大丈夫?晩御飯買ってきたよー」と夫が心配そうな顔・・・

 礼をいい、晩御飯を食べながら今までの経緯を話します。

 昼のひどいめまい、ヤブ医者が小脳梗塞かもといったこと、看護師さんにこれ以上悪化したら救急車を呼ぶように言われたこと・・・

 自分の知識では右手が動き辛いこととふらつきだけだから「脳梗塞」の可能性もあるけど「ヒステリー」の可能性もあること、とりあえず明日は大きい病院でCTを取ってもらいに行くことなどを話しました。

 その日は夫が私の大好物の寿司を買ってきてくれましたがどうも食欲はありません。三分の二くらい食べてあとは残してしまいました。


 さて、理系の人間の特徴に「自分の専門外には不用意に立ち入らない」という特徴があります。私は医療の仕事をしてますから心配はあったとは思うのですが専門家である私がそういうなら専門外の自分はそれ以上踏み込んではいけないと夫は思ったようです。


 ただ少しでも異常があったらすぐに救急車を呼んでくれることを約束してくれ、その日は寝ることにしました。


             


 しかしなぜだか眠れないのです。そしてこのまま眠ったらそのまま死んでしまいそうな恐怖がありました。

隣でぐーすか眠る夫に『もうちっと心配しろよー(笑)』と思う反面『ここでお互いパニックになったら最悪だからこれはこれでいいのかな~』なんて思ったり。

『たった一年だったけどいい結婚生活で幸せだったな~』とか『いやいや、まだ死ぬって決まったわけじゃない、落ち着け自分』と思ったり。

 ずっと夫の寝顔を見てました。見納めになっても後悔しないように。でも同時にすごく神様に祈ってました。

『今まで結構ひどい目合ってきたじゃないですか。やっと幸せな結婚、幸せな家庭を持てたんです。お願いしますよ~もっと彼と一緒にいさせてください。長生きさせてください。』


 子どもの頃願っていたことと真反対なことを願う自分がおかしくて、でも真剣に祈りました。『もっと彼と一緒にいさせてください。生かしてください』と・・・


 明け方、少し明るくなったのに安心してか少しだけウトウトして、祈りと恐怖の夜は終わりました。


 さて翌朝、起きてみるとだいぶめまいとふらつきは消えていました。代わりに歩くときになぜか右足をあげると骨盤からストンと力が抜けてヨチヨチ歩きのような歩き方になっていました。

 ふらついてちゃんと歩けてないと思ってたのですが右足に異常が出ていたことにやっと気が付きました。


 さすがの夫も『これはマズイかもしれない』と思ったらしく、「自分も病院に付き添おうか?」と申し出が。

 しかし顔には『でも今日出張が・・・困ったな・・・』というのは丸見え(笑)

 まあ自分は病気慣れしているし、一人で病院に行くのも小さい頃から当たり前でしたし、付添によっては「来ない方が親切」というパターンも体験済み(笑)。なので

今一番困るのは共倒れ。

悪いが側にいても君は何もできないし、時間がかかると思うし大きい病院は混んでるからそれにイラつかれたり、仕事を気にされたりするとこっちが気疲れしてしまう。

仕事行ってください。あなたはあなたがやるべきことをやってください。

と答えました(^^;;)

確かに!・・・・そうだね、仕事行ってくる。自分ができることをしてくるね。」

と力強く頷く夫。


 正直心細い気持ちもありましたが『自分がなすべきことをする』という決意あふれる顔はすごく私を安心させてくれました。

 たぶん、どっかで私が死んでも大丈夫だと思ったんだと思います。


 ただ会社に行く前に紹介された病院まで送ってもらうことにしました。当時最大の失敗の一つは「タクシー会社の電話が分からず、かつ家がちょっと奥まっていたので説明ができない」ということでした。

 なので彼に送ってもらうのはかなり助かりました。受付の一時間前ですけどね(^^;;)


 傘を再び杖代わりにして受付の一時間前に病院につき、待合室で横になり受付開始時間を待ちました。意外と横になると元気なので本を読んだりして待っておりまして、受付開始とともに一番に診察してもらいました。字は多少書けるようになってましたがひどい字なので初診受付表は受付の人に書いてもらいました。

 大きい病院だけあって今度の医者はまともでした(笑)経緯を聞き、右手、右足を見てもらった後、緊急でCTを取ってもらいました。しかし異常は見つかりません。


ですがその医者はすぐに厳しい声で

「Kaoさん、CTで異常は見つかりませんでしたが決していい状態ではありません!ここにはMRIがないので今すぐMRIと脳神経内科のある大学病院へ行ってください。すぐに紹介状書きますので。」

と言われました。そして30分程度また待合室で横になって待ってたら看護師さんが紹介状を持ってきてくれ、会計まで付き添ってくれました。


 そしてすぐにタクシーに乗り大学病院に向かいました。しかしタクシーの中でもおかしいのです。乗って5分もしないうちに車酔いになってしまい、また最初のようなひどいめまいが襲ってきました。

 今思えばこれは二度目の発作だったのだと思います。

 幸いにも大学病院は近く、すぐに病院には着きました。


 しかし朝のように歩くのは無理でした。

  ひどい吐き気とふらつきで傘にすがりながらも大きくふらつきながら受付に行こうとすると異常を感じた受付の人が駆け寄ってきてくれました。

  そしてソファーに横にならせてくれ、紹介状を受け取ってくれ初診表を代わりに書いてもらいました。

  その後すぐに神経内科に行くことになったのですが、立ちあがって歩こうとする私を止め車いすで移動、そのまま処置室のベッドで休ませてくれ診察を待つことになりました。

  不思議なことにまたあのひどい眠気がやってきて、診察を待つ間ぐっすりと眠りこんでしまいました。


  気が付くと一時間半くらい経ってましたかね?結構長い間ぐっすりと寝ていたようです。

  目が覚めた瞬間思ったのが『のど乾いた~お腹減った~』でした(笑)

  あのひどいめまいも消え、横になっている分にはかなり元気になっていました。


  目が覚めてしばらくしたらちょうどよく女性の先生が診察にきてくれました。そしてMRIをとることになりましたがこれもまたしばらく時間がかかるそう・・・

  結局病院に来てから4時間くらいしてやっとMRIを撮りました。初めてのMRIは音が怖いのはありましたが、興味の方が勝っていました。(笑)


MRIの結果が出るまでまたベッドに戻ったのですが、元気になって余裕が出てきたのでしょうか?

周りで処置を受けている声が聞こえます。

苦しそうな声や痛みを訴える声、時に「すいません、できればベッドで点滴受けたいのですが・・・」「すいません、今ベッドいっぱいで・・・」という声も聞こえてきます。

そういう声を聴くたびにベッド占領してすいませんと思ってしまいました。

 何度か『もう大丈夫ですから待合室で待ちます』と言おうかと思いましたが上半身を少し上げるだけでひどい脱力感やめまいを感じ、申し訳ない気持ちのまま横になっていました。


 MRIを受けて約一時間くらい過ぎました。

  もうだいぶ日は落ちてきて夕方になっていました。待つとは思いましたがこんなに待ったのかと思うとやはり夫は仕事に行かせて正解だったな、こんなに待たされたならラクナ梗塞くらいか?なら今日帰れるな。今晩の晩御飯どうしようか・・・そんな事を思い始めた頃のこと。

突然処置室がバタバタと慌ただしい雰囲気になりました。


               


 医療系だからその慌ただしさは重症の急患か患者さんの急変だと気がつきます。

『うわ~忙しいな~大変そうだな~。この辺りでは一番の病院だもんね・・・

こんな中で私みたいに微妙に元気な奴を見てもらってありがたいし、申し訳ないな・・・皆様、お疲れ様です。』

と思っていたところ先ほどの女の先生がやってきました。


「Kaoさん、MRIの結果が出ました。

 落ち着いて聞いてください、脳梗塞です。申し訳ないけどご自宅に帰すわけにはいきません。このまま入院していただきます。」


え!!重症の急患って自分かよ!!!

                           




               その3に続く


読んでよかった
このエントリーをはてなブックマークに追加
このストーリーをブログ等で紹介する

Kuribara Kao

小中学校イジメられっこ&親との不仲 → 定時制高校でハッチャケ→ キャバ嬢やったり日雇いやったり → 鍼灸師になったら学歴コンプ に→ 社畜3年で挫折 → 半年後なぜだか結婚? → 新婚やってたら脳梗塞ですとも! → 鍼灸師+病人+自宅警備員。 現在軽い片麻痺で杖をつきつつ低空飛行中の鍼灸師。

Kuribara Kaoさんが次に書こうと思っていること

|

Kuribara Kao

小中学校イジメられっこ&親との不仲 → 定時制高校でハッチャケ→ キャバ嬢やったり日雇いやったり → 鍼灸師になったら学歴コンプ に→ 社畜3年で挫折 → 半年後なぜだか結婚? → 新婚やってたら脳梗塞ですとも! → 鍼灸師+病人+自宅警備員。 現在軽い片麻痺で杖をつきつつ低空飛行中の鍼灸師。

Kuribara Kao

小中学校イジメられっこ&親との不仲 → 定時制高校でハッチャケ→ キャバ嬢やったり日雇いやったり → 鍼灸師になったら学歴コンプ に→ 社畜3年で挫折 → 半年後なぜだか結婚? → 新婚やってたら脳梗塞ですとも! → 鍼灸師+病人+自宅警備員。 現在軽い片麻痺で杖をつきつつ低空飛行中の鍼灸師。

Kuribaraさんの他のストーリー

  • 若年性脳梗塞になってみた その3 ~ 病院愛憎劇場序幕 電話は知っていた ~

  • Kuribaraさんの読んでよかったストーリー

  • 強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話