若年性脳梗塞になってみた  その8(終) ~ 小さくなったって末広がれば大きな幸せ ~

前話: 若年性脳梗塞になってみた その7 ~ 病院愛憎劇場終幕 大事なことは検査でもわからないけど側にある ~

 一晩たってみると親に言われた言葉を真に受けた自分が恥ずかしくなってきました(笑)

 第一今の自分の家族は誰でもない、夫です。両親や姉は夫の次の人。

 そんな人の言葉に惑わされ、自分が生きる価値があるかどうかなんて考えるなんて恥ずかしいたりゃありゃしない!(笑)

 第一それを決めるのは自分自身なのにね。

 まあそれが血族ゆえの想いというか呪いというか・・・難しい心であることに違いはありませんでしょうが(^^;;)

 あとから知ったことですが入院中「家族トラブル」は決して珍しいことではないそうです。

 なので元気なうちからもし病気になった場合を考えて、誰の意見をもっとも大事にすべきかなどその人と十分話し合い、かつ文書(エンディングノートなどで)で残しておいた方がいいと思います(それでもシャシャリ出てくる人はいますが抑止力にはなると思います)

 

 わたしにととってはこの言葉を機に「実家にもう何を言われても気にしまい。私の家族は夫のみ。」と強く感じるようになり、心を乱されることが減りました。


 また「家族は夫のみ」と思うことで「できるだけ今までの家事ができるようにすること」を一つの大目標に挙げ、次に自分の持っている資格(鍼灸)で「自宅で仕事をできるようにすること」を小目標にしてリハビリに臨みました。

 鍼灸では右手より左手が重要、右手も親指と人差し指さえある程度動かせれば治療は問題なくできます。

 リハビリも以前の漠然とした「元のような生活」という所から明確な目標に変わることでリハビリも熱が入りました。

 

                                  


 結局のところ、入院中に「なぜ脳梗塞になったのか?」は分からずじまいでした。

 血液検査でもピルにて上がる血液凝固系の数値が微妙に高い程度であとは全くの問題なし。(なので医師的には敢えていうならピルが原因??位な感じだそう。足の血栓も全くなかったので)

 血管や血液だけ見ればかなり健康体で、心臓も心配のない程度の問題。脳の血管にも問題はありませんでした。

 リハビリも自立が出来るめどがたっていることから3週間程度で退院することになりました。

途中でヒガシ先生(仮)から原因が不明だということでもっと偉い先生にバトンタッチしましたが本当にこの病院にはお世話になりました。


 退院直前の細かな治療の経過や今後のことなどはこの先生から説明を受けました。

 先生からは「たぶんピルが原因の脳梗塞」とされ、食生活、その他の生活も今まで通りで構わない。

 半年は血栓を作りにくい薬を飲むが問題がなければ半年で終了する。妊娠出産もそれ以降ならば特に問題はないとの説明・・・(このあと内膜症と卵巣嚢腫は同じ病院の産婦人科にかかるのですがこの先生の一言で悩ますことになるwまあ餅は餅屋という難しさですね・・・)

 退院後は一週間後に一回来るように言われましたが、その後3か月は2週に一度の通院。それ以降は時間を空けていく予定だが、原因不明に近い脳梗塞なので一年に一度はMRIを取り様子は見ていきましょう・・・・とのことでした。

 ただここでもひと悶着・・・

  その時姉が見舞いに来ており、私と夫だけで受けるつもりでやんわりと「お姉ちゃんはいいよ、二人の問題だから・・・」と断ろうとするも医師が明るく「お姉さんなら同席してもいいですよ。」

先生・・・場の空気呼んで・・・・orz

  この病気の経過と今後のことを実家にそのまま伝えたためにその後また実家とトラブルを起こしますが、長くなるのでこの辺りはまたそのうちにf^_^;)



 さて無事退院日。(退院日が平日だったので前日に夫にほとんどの荷物を車で持って行ってもらい、やはり入院時同様退院も一人w

 怯えていた入院費用は個室込で35万円くらいでした。ですが高額医療補助のために14万くらいで済みました。手続きは病院のケースワーカーさんがやってくれたのでほとんどなにもせず、本当に助かりました・・・


 退院手続きを終え帰宅のためにタクシーに乗った瞬間、ふと涙が出そうになりました。


 どうしてなのかはよくわかりませんでした。

 でも、久しぶりの家に帰ってやっとわかりました。


「生きて帰ってこれたよ!!よかったよ!嬉しいよ!!」


                               


 そう言ってえんえん泣き続けました。嬉しくて嬉しくて。

 これからも彼と一緒にいれるんだ。これからも一緒に生きていけるんだ。それだけが嬉しくてありがたくて。

 名前も知らないけれど宗教には入ってないけど、神様とか仏様にとかなにか人外の大きなものに心から感謝をしながら私は嬉しくて泣きました。



さて、帰ってきてからも眠れないなどの症状の他に、いくつか気になる症状が出てきました。

横になっていれば元気なのに上半身を起こしたりするとすぐ疲れる、ふらつく、気分が悪くなる。

手すりがあれば麻痺した足も普通に歩けるのにないと足を引きずってしまう。無理に足を上げるとふらついて倒れてしまいそうになる。

特に外ではその兆候がひどく近くのコンビニ(往復5分)もかなり厳しい。

乗り物は進行方向に体を向け、かつ外を見ないと吐き気がする。

 音が異常にダメになり、TVなどを1時間も見てると頭痛や気分の悪さが出る・・・


 入院中には気が付かなかった症状です。でも横になっていれば元気なのです。


 これはいったい・・・と思い医学書を開き調べてみると出てきたのは・・・・


   平衡障害でした。そしておそらく左耳の聴覚過敏も出ているようでした。


 平衡障害は以前も書いた継ぎ足歩行やロンベルグ検査と言う検査で分かります。

ロンベルグ検査は両足をそろえて立ち、ふらつかない状態であることを確認し、目を閉じたら大きく体がふらつく場合このロンベルグ検査陽性となります。


                 


  私の場合は両足をそろえて立つことがまず難しくかなりふらつきます。しかし記憶したところではそれが出来ます。

そして目を閉じると思いっきりふらつき右後ろ側に倒れそうになることもありました。


 これは平衡障害だろう!と思い一週間後に神経内科の先生に相談すると「脳のエリア的にはあり得ないんだけどな・・・」と言われました。


しかし同日に見ていただいたリハビリの先生は

右側は明らかに平衡障害出ていますね・・・でも平衡障害のリハビリはないんです・・・

Kaoさん程度の自立が出来ると申し訳ないけどこの病院でできるリハもありません。生活の中でリハビリをしていくしかありません・・・・


 もう衝撃でしたね。リハで何か良くなる方法が・・・と思っていたのでショックはありました。しかも追い打ち。

脳梗塞で一番大事なことは寝込まないことです。無理しないこと。一日一個やったら今日はそれで終わり、それぐらいのペースで生活に慣れていくことです

 これが一番大変です。脳梗塞で退院したからと言ってもう大丈夫なわけではないのです。壊れた脳を補うように他の脳がそれを代償していきます。それが早い人もいますし、遅い人もいます。焦らず生活に慣れること。焦って疲れて寝込んではまた逆戻りですからね。

 自分のペースを大事にしていってください。

 そして転ばない。骨折したりしないようにすること。あと再発させないこと。脱水症状には十分気を付けて。

 もちろんまた何か困ったことがあったらいつでも相談に乗りますからね。」


 先生・・・今困ってんです・・・と言えたらよかったのですが(笑)親身に心配してくれる先生の顔を見てたら何も言えなくなってしまいました。


 そう、これからは一人でリハビリをやらなくてはいけないのです。でもそれだけ軽かったことはラッキーだったともいえるのですが、また病気に一人で立ち向かわなければいけないのかと思うとまた井戸に落ちた気がしました。


 でも家に帰れます。ご飯食べれます。しゃべれます。笑えます。医療の知識がありますから対策も今後自分で立てれます。

 なにより夫がそばにいてくれます。


                           


 何も落ち込むことはないのだ、失ったものは大きいけど気が付いたものも大きいのだと思えばたいしたことではない気がしてきました。


 その後、自宅で自分を色々検査(笑)

 どうやら右足の平衡感覚がやられているのが判明。というのも右手を壁にあてれば目をつむってもふらつかないから。


 で、やった対策。


右手で平衡感覚を持たせれば大丈夫 = 右手で杖を持てば万事解決

進行方向を向いてない、窓を見ないと乗り物酔いをする = 4人掛けの席のある電車が走る夫の職場に近い所に住めばOK

今の賃貸の家は細かな段差やふろのまたぎが深く、また階段も急で上り辛く生活しづらい = バリアフリーの家を購入。ついでに鍼灸院もできちゃうお家で長年の夢がかなったぞ!!(笑)


 家についてはあと数年、お金を貯めてからと思っていましたがそれが早まったわけです。今では逆にリフォームなく鍼灸院できる作りの家がそうあるわけではないので(笑)あのタイミングで買ってよかったと思っています。(小金は貯めておくに限ります(笑))


 また以前の家は夫の職場まで1時間弱かかっていましたが半分以下の時間で職場に着くようになり夫も体が楽になりました。その後デスマーチ(笑)を何度かするはめになった夫にとってもよいタイミングだったと思います。



 私にとって「脳梗塞はたとえるとなんですか?」と聞かれたら「ナイル川の氾濫」と答えます。


                     


 『エジプトはナイルの賜物』と言われますが、決して川の氾濫はその瞬間はいいものではないと思います。

 毎回失うものがあるでしょう。でも毎回得るものはそれ以上だからこそその苦しい場所に住むことを選ぶのでしょう。


 私にとってもそうだったのです。

 健康なときには分からなかったもの、気が付かなかったものを気が付くようになりました。鍼灸院を開院するという夢が叶いました(ただ体調の関係でまだまだ完全予約制ですが・・・^^;;;)

 体は不自由です。

 最初は一日動けば翌日は動けないくらいの疲労でした。長時間の外出はかなりの苦痛でした。

 でも動けなくはないのです。それだけでもすごいことです。


 数年たち、平衡障害や聴覚過敏の付き合い方も覚えてきた今は「病人兼専業主婦」ぐらいまでには家事ができるようになってきました(笑)

 やはり杖は付いていますが今は二日までなら予定をいれてもなんとかやっていけます(疲れはするのでその後休業日作りますが)

今では一人で電車に乗って一日外出することもあります(やはり疲れますが)

 車で旅行も行きます。海外は再発の心配と平衡障害の心配でまだ行けてませんがまだそこまでのエネルギーはないかな(^^;;)

でも国内旅行もゆったりできていいものですよ!

鍼灸院もそれなりにやっています。

 テレビもバラエティのようなたくさんの人の声が混ざるものはダメ(聞き分けが出来ず頭が痛くなる)ですが、少ない人の声で進めるニュースなどなら見れるようになりました。

 

 しかも不思議なご縁で昔の仕事をやったりなどもしています。


 昔のように週5回働くのは無理ですが週2回くらいは仕事や外出をしたりしています。



 あの脳梗塞は私からたくさんのものを奪っていきました。

 でも残ったものを育てていくようにしたらもしかしたら病気の前より今の方が幸せなのかもしれないと思うこともあります。


 

もし「脳梗塞になったのにあなたは幸せですか?」と聞かれたら「脳梗塞は幸せではなかったです。同世代の子たちが出来ることが出来なくなったのもあるので。でもだからといって不幸せではないです。幸せなことが多いです。」と答えるでしょうね。

小さくなった幸せも末広がれば大きくなります。幸せは育てることが出来るから。


              


そんなわけで私の「若年性脳梗塞になってみた」は縁起良く幸せ末広がりの八にて終わりにさせていただきたいと思います。

この話が誰かに役に立てれば幸いです。




 長い文章お付き合い頂き、誠にありがとうございました。

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