九識の窓 / Windows 9x (1)

次話: 九識の窓 / Windows 9x (2)

 眠っているところを宅配業者の呼び鈴で起こされた。届いたのはパソコンだった。宛名は同居している恋人のものだった。同居と言えば聞こえは良いが、実際は「転がり込んでいる」という方が正しい。自分のアパートに戻るより、彼女の家にいた方がバイトに通いやすいのだ。大学生である彼女の家賃や生活費は実家からの仕送りだといった。実家からの仕送りのいくらかは僕の電気代や水道代にあたっているわけで、こんなことが知れたら、僕はぶっ殺されるかもしれない。


「なんか、PC届いたんだけど」
「あ、届いたんだ。えへへ、いいでしょう。開けちゃだめだよ」

 電話の向こうで、彼女の声は弾んでいた。

 2002年。ノストラダムス先生の人類絶滅の予言は外れたものの、911とかなんやかんやで、決して明るい新世紀とは言えない雰囲気。貧乏学生だった僕はその日一日を食いつなぐことにとにかく必死で、世界情勢のことを知る意欲すらなかった。行かなくてはいけない授業と、バイト、恋人との甘い生活。ただ、目の前にあるものが自分の生活のすべてだった。
 世界を広げるべく僕が手に取ったのは文芸と芸術で、特に寺山修司やシュバンクマイエルといった、かつての前衛芸術家の作品が好きだった。多感な時期にそういった作品に触れていると、世間との軋轢が生じるもので、どうしてもエッジの効いた思想を持ち込み始める。バイト先で怒られながら「こんなもん、感受性の貧弱な労働だ」などと、自分を正当化するための言葉を用意する。コミュニケーションは不全に陥る。人間関係のトラブルもそこいらで生む。「何かがしたいけれど、何も出来ない」という、苦しみと呼ぶにはあまりにしょうもない感情を胃の中に抱えたまま、毎日暮らしていた。

 恋人は絵に描いたように優秀な研究者で、大学に通いながらどこかの研究所に勤めていた。研究内容はオゾン層についてのうんたらかんたらで、人工衛星を作っている、という話だった。
 偶然か必然かはおいといて、とにもかくにも僕らは知り合って恋をした。うだつの上がらない貧乏学生と将来有望な研究者の歯車が噛み合うことだって、世の中にはある。程なくして僕は彼女の部屋に転がり込んで、半ばひもみたいになった。上京した学生がよく陥る奴だ。

 季節は、初夏だった。
 ベランダでたばこを吸っている僕の後ろで、彼女は梱包を解いていた。

 「meと2000ってどう違うの?」
 「よく知らないんだよね、えへへ、店員におすすめされたものそのまま選んじゃった」

 後に知ったことだが、MS社の発表したOS、当時発表された「Windows2000」は、「NT」という、それまでのwindowsシリーズとは新しいシステムで動作するものだった。ただ、Windows2000は一般ユーザ向けになっていない、という判断からMS社は従来のシステムで動作する「me」も同時期に発表した。以降、MS社のOSは「NT」を基盤に作られるようになり、それまでのwindows 3.1、95、98、meなどOSを総称して「9x系」と呼ぶようなった。「me」は9x系最後のOSで、テクノロジーの推移を考えれば、このOSは一つのピリオドと言っていい。

 梱包を解き終わった彼女が、爛々とした瞳で電源を押した。
 起動音とともに、カタカタと駆動し始めるパソコン。僕の実家にあったPC-9801という骨董品のようなパソコンは起動するときガッチャンガッチャンいうから、それに比べると随分静かなものだなと思った。画面が光り始める。程なくして、青い画面に変わった。

 
「あれ?」
 クラッシュである。信じがたいことに最初の起動でブルーバックした。再度電源を入れ直したら普通に立ち上がったものの、これには僕も彼女もほんとうにテンションが下がった。出鼻をくじかれたというのはこのことだ。
「うーん、なんかトホホだね」
 恋人は眉をへの字にして「えへへ」と笑った。
 その日は、うどんか何かを食べた。彼女がPCの設定に勤しんでいる横で僕はガーベラの絵を描いた。
「パソコン買ったってことは、家でも作業するの?」
「たまにすると思う」
 忙しそうな彼女のことを案じる振りをして、かまってもらう時間が減りはしないかという身勝手な考えを内心で思っていた。ベランダの風鈴が、嘲笑のように鳴った。


 10年後の2012年。僕はドイツにいた。

 アフリカンの友人がどこで仕入れたのか、旧い旧いパソコンを持ってきた。起動するとwindows meだった。やあ、久しぶりじゃないかこのポンコツ野郎。僕は思わず苦笑いした。

「BRO、壁紙をライオンに変えて欲しいんだ」

「まかせろ」

「お前はすごい。お前ほどのエンジニア力があれば、セネガルで嫁8人めとれる」

「壁紙変えるだけで?すごい国だな」

「セネガルで一緒にビジネスをやらないか?ミリオネアになろう」

「壁紙変更ストア?」

 友人は腹を抱えて笑った。僕も笑った。誇るべきことだ。コミュニケーション能力が最低だった僕が、10年後のドイツでアフリカ人笑わせてる。科学者のあなたにもきっと予想できなかったことだ。僕もできなかった。

 旧式マシンはカチカチという処理音をたてた。懐かしい感じがした。この10年もITは急成長したという。僕もそれなりに成長したという。どうだろう? 獲得と喪失は伴って起こるものだ。進歩の背後で大切なものは剥離していっていないだろうか? そんなことを考えた。

「BRO、大変だ!どうなってるんだ!?写真を取り込もうとしたら...」

 画面にはおなじみのブルーバックがあった。お前は相変わらずなんだな。僕はまた苦笑いした。

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