フィリピン講師にセブ島で習った英語よりも大切なこと

「しかしMさんてあれですね、もう世界3周ぐらいしちゃっている勢いですね」

それは褒めているのか、けなしているのか。よくわからないことをS君が言う。
S君とは初対面だが、ネット経由で知り合い、お茶することになった。
海外で働いたことがある人に興味があるとかで。

しかし自分も昔、英語が超苦手で海外食わず嫌いだったので、
エラそうに言えた義理ではないが……。

「今の仕事があまり好きではないので、将来、起業して海外で働けたら……」

「ほら日本って高齢化で、市場がどんどん小さくなるじゃないじゃないですか……」

「どうせ住むなら、本当はアメリカかオーストラリアがいいんですけど、やっぱこれからはアジア市場ねらいかなって……」

「あ、でも、中国って何か怖いですよね……」


親身に話を聞くつもりが、いかん、段々、飽きてきた。
話の内容が「宝くじで100万円当たったらどうします?」みたいな感じだからか。
何でだ? 
起業するためにメンター何やらに相談しているとか言っているが、
どうも話がそのメンソーレの受け売りっぽいからか。

要するにこの子(と言ってもお互い30過ぎのオッサンだが)、
本気じゃないというか、軸がブレブレで、信念らしきものがないのだ。
そこへいくと、フィリピンで出会ったあの男は、信念の人だったな……。

*************

一カ月、フィリピンに留学したことがある。
1日9時間のスパルタコース、12人のクラスメートは全員、韓国人。
日本人生徒もいるにはいたが、なるべくあんまり話さないようにした。
そこまで英語にどっぷり浸れば、夢の中まで英語になるだろうと、実験したのだ。

結果は失敗。
確かにあまり日本語はしゃべらなかったが、
頭の中で日本語で考えるのを止めることはできなかった。


とにかくそこで、フィリピン人講師のターキーに出会った。
ターキーはニックネームだ(本当の名は忘れた)。
フィリピン人にしては目鼻立ちがクッキリしていて顔立ちがトルコ人っぽいから、
そんなあだ名がついたのだそうだ。
ターキーは担任ではなく、担任の先生の子どもが熱を出したため休んだため、
その日、臨時でやってきた。
今日はぼくらと初対面だからと、ターキーは自分の身の上話を語り出した。


実は元々、ターキーも英語が大の苦手だったんだという。
それでどうやって講師を務めるまでになったかというと、
当時つき合っていた彼女が英語科の才女で英語がペラペラだったため、
とにかく彼女についてひたすらずっと英語で会話し続けたのだという。
さらに彼女とだけでなく、他の周りの人間との会話もすべて英語で貫き通した。


ちなみにフィリピンの公用語はタガログ語と英語ではあるのだが、
一切、タガログ語を話そうとしないターキーを周りの人間は白い目で見、
変わり者扱いし、馬鹿にしたという。
しかし、ターキーは全然負けなかった。そして、鮮やかにこう宣言した。


「だって、これはオレの人生じゃないか。誰にどう思われようが、知ったことか。だろ?」

その瞬間、すっかりターキーに魅了されてしまった。
人として尊敬できる、強い人だったから。

そんな記憶がよみがえった。
S君に伝えようかとも思った。
しかし、かつての食わず嫌いだった自分がそうだったように、
「フィリピン? 嫌ですよ、あんな貧しい国」
「フィリピンなんて行ったら、英語がなまりません?」
なんて反応が返ってきそうだったので、言えずじまいだった。


こういう話を人に伝えるのは難しい、といつも思う。
しかしねS君、
例え市場規模で測れなくても、
メンターの講義には出てこなくても、
理屈抜きで日本を出てみたからこそ見つかる大事な出会いというのもあるのだよ。














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