福祉アナリストになったきっかけSTORY.介護、悩み、現場の本当の物語。感じられる人だけ読んで欲しい~認知症になったら叫びたいほど悲しい~

私が介護を初めて間もない頃の話です。一人の認知症のおばあさんがおられました。



若い頃は美しく、シュっとしていたんだろうと思わせる方で言葉使いも美しく、賢い方でした。お金持ちのお嬢様だったようですが身寄りもなく、殆どお見舞いもないまま、過ごされていました。

私のいた施設は老人保健施設という、短期入居を前提とされた施設でした。病院を退院したがもう少しリハビリをしたい方向けで基本三ヶ月、長くて半年という施設です。ところがこの施設は介護保険の中でも比較的料金が安く、当時平均して一ヶ月八万円くらいの利用料でしたので、何かと理由をつけて長くいる方が殆どでした。その方もそのお一人でした。

その方のおっしゃることはいつも真っ当なことばかりで、正論なだけに職員はその方を苦手としていました。少しも待ってはくれず、後回しにしたい用事ばかりを言いつけるので、私たちはいつもその方を避けていました。


その方は自分で歩け、トイレも行く事が出来たので、それらが出来ない方が殆どの施設ないではいつも自慢気で車椅子の方などを見下した発言をされていました。


 ただ、その方は家族がいないせいか洋服は施設のジャージを着られてました。このジャージはひどいもので、女性はオレンジ、男性は緑。サイズはSMLでしたが手首や腰周りは全てゴム。それを着れば誰でも見ずぼらしい格好になるのです。年中このジャージで寝る時も起きている時もこれです。週に2回の入浴日にだけ着替えがあるだけなのです。


 気位の高い彼女にとってそれはどうしようもないことでしたが足は短めにおり、袖も綺麗に折って過ごされていたので、それが彼女の精一杯のお洒落だったのでしょう。


 私が勤めた老人保健施設は基本短期入所の方が前提なので、私物は殆ど置けません。置くと認知症の階なので、他人のものを皆さんもって行きますし、私物を置けるのは引き出し2段くらいです。だから、部屋はガランとしており、殺風景なのです。その中で皆さんは毎日過ごすのですから認知症もどんどん進みます。認知症ケアには刺激が必要といわれますが、職員は入居者さんの食べる、排泄、入浴、カルテかきで手がいっぱいで殆ど会話もないのです。


 ある日、彼女の症状が進み、彼女はいろいろな紙を溜め込んでいました。しばらくは様子をみていたのですが、トイレの紙やらカルテの紙やらが布団のあちこちから出てきたので、彼女が入浴をしている隙に掃除をしました。


 すると、その紙には文字がびっしりとかかれていました。彼女は日記を書いていたのです。確かに彼女は小さなノートと鉛筆を持っていました。そこにはまだ書くスペースがありましたが、色々なところに書きなぐっていたのです。


以下はその内容です


   私はここに勤めにでているのに、どうしてこんなに皆は仕事をしないの。私一人ではどうしようもないのに。あの人がまた私につきまっとってくるの。嫌だわ汚らしい。早く、家にかえりたい。かえりたい。頭が痛い。痛い。仕事をみんなしないなんて、ひどい会社だわ。お給料だってしばらくもらっていない!!はやく仕事してちょうだい!私だけこんなに働いて。


彼女の悲痛な叫びはえんえんと綴られていきます。彼女は施設にいることを認められず、会社に勤めていると思っているのです。そして、認知症が進んできたのでしょう。文字が崩れていきます。最後の紙にはもう何が書かれているか分かりません。


 私は激しい衝動をうけました。自分がお世話している彼女は認知症であるからと何も分かっていないだろうと思っていたのです。いや、頭ではそんな事はないと思っていても現実に認知症になられた方の悩みに全く向き合っていなかったんだと。


 彼女の悩みはとてつもなく苦しいままに放置されており、人らしい扱いは何一つ受けていない。食事と排泄の世話だけであれば、それは人として生きているの?


 あの時の思いは今だ忘れられず、私に介護の原点になっています。


認知症ケア、いつもいつでも人として。





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