おとこにして看護師をめざすようになった話。-後編-
高校三年生の時、進路に迷っていました。
一般の大学、医療関係の学校…
進学という道を選ぶ上で一番ネックだったのは父でした…
父としては就職して、世の中を早く見るべきという考えがあるようでした。
父からの進学の条件は学費・生活費は自己負担するということでした。
バイト先にたまたま「柔道整復師」の資格を持った人がいて、
色々な話を聞くうちに興味を持った時もありました。
しかしこの資格はほとんどコネ(接骨院のJr.)を持ってる人しか入れない、学費が高い、とのことで、条件からして無理でした。
また、その人から、それと似た資格で「理学療法士」があることを教えてもらいました。
学校数は少ないものの、まだ現実的な資格だと思いました。
医療系の話を聞くなら、保健の先生に話を聞いた方が早いと思い、進学の相談に行きました。
この時は理学療法士についての相談をしました。
そして、この頃から保健室に通うようになりました。
理学療法士について聞くと、すぐにその先生は近院の理学療法士の方と話をする機会を与えてくれました。
実際に理学療法士の方に話を聞き、リハビリの分野に興味を持ちました。
家に帰るとすぐに、理学療法士の学校を調べ始めました。
…高い!学費が高い!
当然大学になるので、年間の学費は高いし、それを4年間払うというのが難しいとおもいました。
(理学療法士には専門学校もあると知ったのは就職してしばらくしてからです)
新聞奨学生ももちろん調べましたが、実習などを考えると正直現実的ではないと判断しました。
しかたなく、保健の先生に事情を話すことにしました。
当時の私は、あまり人に家庭の事情を話すことは好きではありませんでした。
(思春期だったからかな?)
するとその先生は…
先生 「だったら「看護士」やったらいいんじゃない?」
私 「なんすか?それ?」
先生 「男の看護婦よ。最近はその資格を持った人が、少しずつ増えていってるのよ。」
私 「!! …そんなもんあったんすね。」
先生 「これなら病院に勤めながら資格を取る道もあるし、
病院から奨学金もらって学校に行く道もあるわよ。」
自分にとってかなりの衝撃でした。
それと同時に母の事を思い出しました。
先生 「たとえば理学療法士に興味があるなら、看護士として働いて、
お金を貯めてから改めて学校に行き直せばいいのよ。」
私 「そうすね、別に急ぐこともないし…」
こんな感じの先生との会話で気持ちは看護士に決まりました。
まさかあのときの看護婦さんと同じ職業があるとはおもわなかったため、
嬉しさと同時に驚きがありましたが、そう決断するのに時間はかかりませんでした。
また、理学療法士にもこの時興味があり、先生の提案からその資格は焦ってとることもないと思ったことも決断を後押ししました。
先生はすぐ、友人の総婦長(今で言う看護部長)から話を伺う機会をつくってくれました。
奨学金の話。
お礼奉公の話。
給料の話。
正看護士・准看護士の話等々。
当時の自分にとっては学校に行けて、看護士として働ければ良かったので、
給料等の話はあまり興味がありませんでした。
(今は残業代が出ないなど、不満たらたら…いったいどうしてしまったんでしょうね… 汗)
奨学金の条件で、勤め先の病院はこの時にきまりました。
あと、県からの奨学金補助制度も利用できる(学校卒業後、3年間200床未満の病院で勤めた場合、返還は不要となる。)とのことで、すこしずつ専門に通うことが現実味を帯びてきました。
時間はかかりましたが、学校も条件的に1つに絞ることができました。奨学金で学費がまかなえる状態だったので、あとは生活費を稼ぐのが大きな課題でした。これはもう働くしかないと腹をくくりました。
自分は文系だったので、選択していなかった理系の科目を、担当の先生の元へ放課後通って勉強していきました。
なんだかんだで受験し、合格することができました。(略しすぎ?)
そして、現在の自分がいます。
自分は高校の時の出会いにとても恵まれていたと思います。
保健の先生が親身になって相談にのってくれて、色んな条件を一つ一つ解決してくれて…
いまでもその先生に心から感謝しています。
理系の先生も時間外に個人的に授業をしてくれたことに感謝です。
当時は自分の進路に必死で、あまり感謝していなかったのが正直なところです・・・(反省)
自分が就職してみて、時間外に個別に何かを教えるということ、それが有償・無償にかかわらず快く引き受けて頂けたこと自体、とてもありがたいことなんだと今更ながら思いました。
高校生の自分に個別で時間をつくってくれた理学療法士の方、看護部長などなど
ほんとうに色んな方にお世話になっていたんだと実感します。
この感謝は、仕事のなかでフィードバックしていきたいと思い、日々心がけています。
当院ではその先生の紹介で看護師になった人が多く、つい先日その先生を招いてみんなで食事を食べにいきました。
自分が高校卒業後、先生は学校を移っていたため、約7年ぶりの再会でした。
「立派にやってるってきいてるよ。安心したよ。」
「高校の時は変に理屈っぽかったのに、今はそれが無くなったねぇ。」
後半のフレーズにひっかかったものの、素直に嬉しかったです。
看護師になった当初、ターミナル(死期が近い)の患者さんや、
その家族の方にできるだけ声かけをしていくことが目標でした。
それは単純に、自分があのとき看護婦さんに声をかけてもらったことで救われたからです。
しかし現実は甘くなく、最初は話をすることなど全くできませんでした。
それでも自分なりに少しずつ声をかけていくことができるようになってきたように思います。
看護師としてはまだまだ未熟で、忙しさのあまりいらいらしてしまったり、
感情的になってしまうこともあります。
そういった自分自身の精神の弱さを乗り越えて、患者さんのみならず、家族の方にも「心のケア」ができる看護師になれればと思っています。「心のケア」と一言でいっても簡単なことではことではないですけどね。
看護士になることができる!
あのときの看護婦さんを目指すことができる!
看護師になれることを、純粋によろこんだ気持ちが風化してしまわないよう、日々精進していきたいと思います。
おしまい
ストーリーをお読みいただき、ありがとうございます。ご覧いただいているサイト「STORYS.JP」は、誰もが自分らしいストーリーを歩めるきっかけ作りを目指しています。もし今のあなたが人生でうまくいかないことがあれば、STORYS.JP編集部に相談してみませんか? 次のバナーから人生相談を無料でお申し込みいただけます。
あなたの親御さんの人生を雑誌にしませんか?
著者のおとこの 看護師さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます