レッドブルは本当に「翼をさずけてくれるのか」、を90日間試してみた“名もなき男”の人体実験結果。
レッドブル、翼をさずける。
Red Bull Gives You Wings
この物語は、ある「名もなき男」が、レッドブルのキャッチコピーを真に受けたことで始まった人体実験結果の話である。
2014年3月27日@東京赤坂
「まずは、自分で自分を○○させた上で、やりたいビジネスをはじめること。」
「その術を覚えないと、“我慢しないで生きる力”は手に入らないし、昔のオレのように違和感だらけの人生を永遠に過ごすことになってしまうわけです!我慢、我慢の毎日がこのまま続いてもいいんですか?」
オレはレッドブル片手にセミナールームの壇上に立ち、集まってくれた同志達を啓発し本来の戦闘力を取り戻してもらうため、今日も彼らを挑発していた。
その姿は全く偉そうで、感じの悪い言い方だと自分でも分かってはいるけど、そんなふうになってしまっているのには理由がある。
「肺炎なので入院して下さい。」
「そんなわけにはいきません。仕事がありますから・・・」
これは、オレが小学5年生の時に聞いた、母親と医者の会話です。オレの両親は、貧乏飲食店経営者でした。ですから、育ち盛りのオレたち兄弟3人を食べさせていくために、休んでいる暇なんてありません。
「大丈夫、だいじょうぶ・・・」
これが母親の口癖。休みなし、徹夜は当たり前。いつも時間とお金に追われる毎日を過ごしながら、オレたちを必死に育ててくれていました。
そんな親の背中を見て育ったオレは、自分が20歳になったとき、
「オレが金持ちになって、親を助けてやるんだ!」
そう決意し、気が付けば両親と同じ飲食業界に飛び込んでいました。
しかし、それは、、、
奴隷人生12年間のはじまり
だったのです。
オレは誰よりも頑張っていました。ただひたすら頑張り続けました。
時には、疲労が溜まり血尿が出ることもあったし、睡眠不足が続き天井が回る日も珍しくはありませんでした。
でも、オレは変態だったのか、そんなハードワークも全く苦じゃなかったし、むしろそんな姿が「美しい」とさえ潜在的に思っていたのかもしれません。
そして、それが将来に繋がる。
「頑張ってさえいれば、独立して金持ちになれる。」
なんて本気で考えていたし、苦しかった両親の店をオレが助けてやるんだ、早く親を楽にさせてやるんだ。
その一心で、親の期待に応えるために必死にもがいていました。
・・・
・・・
・・・
そこから10年ほどの月日が経過して30歳になったころ、ふとあることに気がつきました。
「オレの人生は何も変わっていない・・・。」
そのころから、何か悶々とした違和感を持ちはじめました。
もちろん、10年間も頑張ってきたわけですから、それなりに評価してくれる人達もいました。
何社かの社長やコンサルの先生に誘いの声をかけてもらえるようにもなってたし、役員待遇で誘ってくれる会社も少なからずありました。
そして、そのうちの1社に取締役で入社することを決め、順調にキャリアアップを重ねましたが、
それでも、「何も変わらない。」
いつの日からか、「最強の2番手」なんて呼ばれるようになり、とても重宝される存在だったと思います。
しかし、それは今思えば「便利に使われていた」だけだったのかもしれない。
オレは便利屋で終わりたくない
世の中、「使う人」か「使われる人」の2種類しかいないのですから、「使われる側」で生きていくなら、最強の便利屋になればいいと思います。
しかし、それは「自己犠牲」と「我慢の連続」をしいる道であることは覚悟しておかなければいけない。
オレは、優秀な奴隷であり、兵隊であり、そして便利屋だったと思います。
売上UPや集客はオレの仕事。新規店舗・新規事業の立ち上げ、トラブル解決、その他マネジメント全般、全部オレ。
まさに、「器用貧乏」とはオレのこと。
「貧乏暇なし」もオレのこと。
気付けば「最強の2番手」だとか、「器用貧乏」とかっていうのは、褒め言葉で言ってもらってはいたけど、これは徐々にオレのコンプレックスになっていきました。
だって、「2番手よりトップ」に、器用な貧乏なら「不器用な金持ち」のほうがいい、そんなふうに思っていましたから。
いつでも頑張っているのが取り柄だったはずのオレは、少しずつ「頑張っても無駄?」なんじゃないかって思うようにもなり、目の前の仕事に対する情熱を失いつつありました。
もう、オレを突き動かしている原動力は、責任感と義務感のみ。
両親のために、会社のために、部下のために、くだらないプライドのために、、、
もはやそこに「自分の人生のため」なんて理由は存在していなかったと思います。
そして、、、失望のトイレへ
ある日の朝、突然オレを襲うOPP(お腹ピーピー)。
「賞味期限切れのどら焼きに負けたのか? いや、それともヤツか!」
なんてトイレで原因を分析しているとき、ポケットに入っていた携帯電話が鳴った。
あなたの親御さんの人生を雑誌にしませんか?
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