STORYS.JP

杉本 哲

スマホ向けアプリの開発、教育、コンサルティングをしてます。

ストーリーをリクエストする

杉本 哲の人生のストーリー

高専卒(情報工学科)の強み

私はとある高専の情報工学科出身です。 高専と一括りにするのもアレかと思いますが、私の思う高専生(特に情報工学科)の強みをつらつら書いてみようかと思います。 高専に入ってまず教官に言われたことが、「情報工学科の学生には、一人でコンピュータが作れるようになる程度の知識を教える」「CPUからアプリケーション・ソフトウェアまで含めてです」「うちは情報処理じゃなくて情報工学なんだよ」などなど、まぁとにかく五年

フリーランスプログラマとして働く理由

つまらない自分語りを長々としますので物好きな方はどうぞお付き合いください。 高専の情報工学科を卒業後に入った企業はソフトウェアの受託開発やエンジニアの派遣を行なっている小さな会社でした。 研修もそこそこに、さっそく外部(SI業界大手)に派遣され開発要員としてせっせと働いていました。 高専時代はプログラミングが楽しくてしょうがなかったのできっと職場での開発も楽しいだろうと思っていたのですが全然そんなこ

高音域難聴者として生きるということ

小学5年だったか6年だったか、今はもう忘れてしまったがその辺りから聴力の低下が始まった。 それまでは何の問題もなく聞こえていたのに。 学校の健康診断で高音域に問題有りとのことで、病院で再検査。 そこでもやはり高音域に問題有りとのことで大学病院へ。 診断結果は"高音域が聞こえづらいみたいだね。多分遺伝性じゃないか"とのこと。 (当時、まだ子供だったのでお医者さんが話してくれたままのとおりに覚えている。

大切なところを切って流血したときの話

忘れもしないあの日、私は絶望を味わった。 高専時代、自転車での帰り道、時刻は夜、研究で疲れ果てながらの帰路。 そんな日常に突如起こった惨劇。 まずは妙な浮遊感、その後に全身を打つ強烈な衝撃。 初めは何が起こったのかさっぱりわからなかった。 あまりの痛さにしばらく立ち上がることさえ出来なかった。 目を凝らして辺りを見てみると道にはフェンスからほどけた針金が一本出ている。 どうやら自転車の前輪がその金網

きっと、人生に無駄なことなどない

きっと、人生に無駄なことなどない 勉強も、遊びも、何もかも、人生には大事なもので、一見無駄だったり遠回りをしているようなことでも実は大事な通り道だったのではないかと今は思っています。 今の自分はフリーランスのプログラマ・コンサルタント。高専時代はオタクな学生会役員。 今からちょうど10年前のとき私は18歳、そのときは自分が今のような人生を送るなんて想像もしていなかった。 中高生に向けて説教じみたこと

冴えないオタク少年が高専に入るまで

冴えない少年時代 どちらかと言うと内向的でゲームやパソコンが好きだった僕。まだインターネット・パソコンが一般家庭に普及していなかった小学生時代は父親のワープロを使って今で言うアスキーアート(文字を使って描く絵)を描いて遊んでいた。当時、アスキーアートなんて言葉知らなかったけど・・・。 中学生になって念願のWindowsマシンが家に届き、更に一年ほど経てインターネットもできるようになった。それまで家に

高専時代はオタクな学生会役員

なんだこのスピード感。そしてまたダメになる僕。 僕が入ったのは情報工学科。主にソフトウェアとハードウェアの両面からコンピュータはどうやって作られ、動作し、利用できるのかを学んだ。 当然ながら1,2年次は専門的な授業は少なく、一般科目が中心だったのだけど、最初の一年で数学Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ、二年で数学A,B,Cをやってしまうというとんでもないスピード進行。それと同じ比重で英語の授業もあった。あっという間に落ち

読んでよかったストーリー

阪口 ユウキ
39040
211

あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。

どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで! こんにちは! 個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口といいます。 僕は今の仕事をはじめてまだ稼げなかったとき、2011年9月~2012年4月まで、 大阪・あいりん地区のドヤ街で暮らしていたことがあります。 (詳しい経緯は「 鬱病で半年間寝たきりだった僕が、PC1台で世界を飛び回るようになった話。 」で書いてます)
清田 豊
712
9

中度難聴だと知って変わったこと

難聴というものを伝えてみようと思った 難聴者というのは、理解され難いモノのようです。 なんども説明しては理解された風に接せられ、それに期待して裏切られ、酷い言葉を浴びせられる事で、 理解してもらう方法を自分なりに試行錯誤しては酷い扱いをうけて心が折れるの繰り返し。 みんな、そのうち考える事をやめた。 でも、伝えなければお互いに理解しあえないのではないだろうか。 私は今、聞こえの説明として「聴こえの可
山本 麻美
73
3

Fireworksがなくなったらデザイナーやめようと思う

10年以上前、来る日も来る日もPhotoshopでちくちくとWeb制作をしていたときに、 仕事仲間が「おい、Fireworksって知ってるか、これすげーぞ。これがあればWebの制作ならイラレもPhotoshopもいらねーよ!使ってみれ!!!」 と紹介されて、お試し版を使った瞬間に、 スライスツールの秀逸さに衝撃受けまくりました。 いままでなんだったの。。。そう思いました。 Fireworksを考えた
Kubota Noriko
37
3

まだかけない

結構ヘビーな育ち方をしたので なにをどこからどう書いていいのか整理できない。   自分のストーリーなんてそんなうつくしいものでないし、 どちらかというと泥臭くかっこわるいものだ。 そういうものを自分語りで書いていいものかと迷う。 でも自分の核心ってそこなので、それを書かないと ストーリーなんてない。
樋口 あかり
4710
4

初めて通った声優養成所/老舗のスパルタ教育(最終回)

勝田声優学院では、いわゆる「アテレコ」の実習というものはほとんどない。 声優とはいっても「声の俳優」である。 だから、まずは芝居ができないことにはどうにもならない。 ということから、授業のほとんどは身体を使った舞台芝居の勉強に当てられる。 この点でも脱落者が出る。 養成所に入れば、マイク前で声優の気分が味わえると期待してやってきた生徒たちだ。 「自分は声優になりたいのであって、舞台役者になりたいわけ
F A
1844
1

ネットゲームで年360万円稼いでいたこと&やめたこと

元来僕は飽き症です。 悪く言えば飽きやすく、良く言えば絶えず変化するということなのですが、とにかくそれが僕をあらわすにはピッタリの言葉です。 まあつまり、つまらないとやめてしまうということなのですが、今回1、2年ほどネットゲームで年間360万円程稼いでいた方法というか話をアップします。お話としては10年から15年位前の話ですが、皆さんの副業か何かの、多少役に立つかと思い、書いてみようと思います。
樋口 あかり
95

コミュニケーション下手な私が演劇部を立ち上げるまで・1

私は、中学・高校時代と、2回に渡り演劇部を立ち上げた。 高校卒業後は有志で劇団を作り、自主公演を2回ほどやった。 今思えば、昔の私の辞書には「コミュニケーション」という文字がなかった。 にも関わらず、こんなことが実現できたのは何故なのか。 自分で振り返りながら、その理由を探ってみようと思う。 なーんてどこぞのドキュメンタリー番組のような冒頭w 幼少期の私は泣いてばかりいる子だったと、 母は今でもよく
樋口 あかり
6600
3

初めて通った声優養成所/老舗のスパルタ教育・その1(全5回)

私が声優になる為に上京してきたのは、今から約15年前。 数ある養成所の中から自分が選んだのは、 知る人ぞ知る、「鉄腕アトム」のお茶の水博士の声をアテていた声優・勝田久(かつたひさし)氏が経営する養成所・「勝田声優学院」だった。 私がここを選んだ理由は、基礎からしっかりみっちり教えてもらえること、そして、実際に現場に出て活躍している役者が多数輩出されているという、確かな実績があったからだ。 実際ここの

書きかけのストーリー

杉本 哲さんにもっと聞きたい話リクエストする

|