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Tadao Kawashima

inbound tourism→social welfare

walking/writing/cafe/music/ boat watching/kichijoji/toda

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Tadao Kawashimaの人生のストーリー

めんへらおとこ

  記憶に残る私の人生史で初めて「怖い」という感覚を感じたのは幼稚園の頃だったと思う。  公務員の父親は教育熱心で、私を県下屈指の進学校の付属幼稚園を受験させた。  その面接の真っ最中、私は泣き出して、その場から逃げ出して外へ出て行ってしまったのだ。  しかし、結果は合格。  思えば、これが私の対人恐怖の始まり、原点だったのだ。  なぜ、私は面接の場から逃げ出したのか?  答えは簡単。面接官が怖かっ

めんへらおとこ その2

中学にあがるとき、部活動を何にするか友達同士で話題になったことがあった。   私は野球やサッカーが好きだったので、普通に考えれば野球部かサッカー部ということになるのだが、仲の良かった友達がバスケ部に入るというので、何も考えず自分もバスケ部に入ることにした。別にバスケがやりたかったわけではなかった。   相変わらず父は教育熱心で、分厚い受験関係本を買ってきて私に読むように命じた。そこには高校受験への心

めんへらおとこ その3

高校受験は伝統校と言われる県立、難関と言われる私立も受かり、当然のごとく県立に進んだ。高校に入学すれば、普通の生徒は部活をどうするかを考えるだろう。   けれど私は違った。部活に入ることなど考えてもみなかった。   ああ、人生の中で最も楽しかるべき青春時代に私はなんてことをしてしまったのだ。私の人生の最大の後悔事である。部活をやらないからといって別に勉強が好きなわけではないのだ。そんなわけで、同じ帰

めんへらおとこ その4

入学式には、同じ高校のクラスメートと学生服に角帽を被って出かけた。   そのクラスメートは中学時代はサッカー部、高校時代は山岳部に所属しており、文字通り文武両道の男だったが、私は見栄を張って中学時代、サッカーをやっていたとその友達に嘘をついてしまった。その友達が、山のサークルに入ると言うので、またしても主体性のない私は、その友達の入るサークルに入部してしまったのである。   一方、語学のクラスでは、

めんへらおとこ その5

大学卒業後、ちょっとした事件が起きる。 就職内定した大手住宅メーカーの研修期間中にまた逃げ出してしまった。社会人生活のスタートを切る大切な一歩をそんな形で無にしてしまった。ここまでくると、単に根性がないとか辛抱が足りないといった精神論では片付けられなくなってくる。だって私を除く大部分の人は研修を続けているのだから。ここに至っても私は現実を直視することはなかった。現実とはうつ病のことである。なぜ自分と

めんへらおとこ その6

そんな経緯で入社した外郭団体だが、この団体は特殊法人という事業形態をとっている。特殊法人とは1950年代から1960年代にかけて政府が行政目的を遂行するために次々と設立した中央官庁の外郭団体のことである。現在は廃止されてなくなったり独立行政法人に形を変えて残っている団体など全部で100近くある。よく知られたところでは日本道路公団、日本住宅公団(UR)、宇宙開発事業団(JAXA)、国際協力事業団(JI

めんへらおとこ その7

私がオーストラリアのシドニーに駐在したのは、今から20年前の約4年間である。それまで海外と言えば、大学卒業したての頃、友人と2人で行ったロサンゼルス7日間のパック旅行と家内と結婚したての頃行ったサイパン(一応外国)旅行の2回しかなく、オーストラリアはコアラとカンガルー以外、何も思い浮かばなかった。まして、そこでどのような生活が待っているのかなど見当もつかなかった。    3月下旬、シドニー・キングス

めんへらおとこ その8

さて、数日間のホテル暮らしの間に、住む場所を決定しなければならない。事情が良く分からないので、とりあえず、前任者の家を引き継ぐことにした(これが失敗であったことは後で気づくのであるが)。場所は、シテイから車でハーバー・ブリッジを渡り、15分位走ったところにあるニュートラル・ベイの閑静な住宅地。タウンハウスと呼ばれる形式の建物。1階が駐車場、2階がリビングとダイニング、3階に3部屋とトイレとベランダが

めんへらおとこ その9

家の選択では失敗したが、通勤環境は素晴らしかった。  自宅からます最寄りのバス停まで緑の多い住宅地を歩いて5分。そこからニュートラル・ベイというフェリー乗り場まで5分ほど。そこから公設のステート・フェリーに乗船して、オペラハウスを眼前に見ながらサーキュラ・キーまで10分ほどの船旅である。  サーキュラ・キーはステート・フェリー乗り場だけでなく世界各国から来る国際船舶のターミナルも併せ持つ埠頭である。

めんへらおとこ その10

しかし、こちらに来て半年くらいの間は、いろいろ面食らったことも多々あった。いわゆるカルチャー・ショックという奴である。  たとえば、シドニーのシテイをりんごをかじりながら、裸足で歩いているスーツを着たビジネスマンを時々見かけるとか、自宅の庭でカメレオンのような舌の青いオオトカゲ(ブルータン・青い舌と呼ばれていた)を見かけたとか、電気屋へ行ってテレビを購入しようと思ったら、陳列している品物だけしか売っ

めんへらおとこ その11

さて、シドニーである。ここで、いきなりではあるが、12オーストラリア・ドルと聞いて、何を想像するだろうか。  「ワンラウンドのゴルフ料金」と答えられる人は相当のオーストラリア通である。12オーストラリア・ドルとは当時の為替レート(1オーストラリア・ドル80円)で1000円位である。そう、わずか1000円でワンプレイ、ゴルフができてしまうのがオーストラリアという土地柄である。日本でゴルフと言うと、1回

めんへらおとこ その12

冒頭、「快適さ」がオーストラリア生活のキーワードだと書いた。そう、まさに私はシドニーで、「快適なる生活」を知ってしまったのである。人間、一度いい思いをするとそのことが脳にインプットされ、それ以上の快感を求めるという。シドニーで快適さを知ってしまった私は、さらなる快適な地を求めて広いオーストラリア国内を移動することになる。   パースはシドニーから4000キロ西に位置するオーストラリア大陸の西海岸随一

めんへらおとこ その13

ここで、子供が生まれたときのことを記しておきたい。オーストラリアにきて、2年後、長男がシドニーで生まれた。場所はロイヤル・ノースショア・ホスピタルというパブリックの病院である。妊娠が分かってから数ヶ月後、病院でウルトラサウンド(超音波)によるお腹の中の様子を画像で見せてもらった。背骨がくっきり写っており、いたく感動したことを覚えている。そのときの画像フィルムは何枚かその場で渡された。日本でも最近は珍

めんへらおとこ その14

大変と言えば、弟の結婚式出席のため、日本へ一時帰国したときのことである。久しぶりにトーキョーに帰ってきて驚いた。あらゆるものが小さく感じられて仕方がなかった。まるで小人の国に紛れ込んでしまったような感覚である。それは完全に錯覚で時間の経過とともに修正されたのだが。また、町中至る所に見られる看板のけばけばしさや雑音が気になってしかたなかった。極めつけは地下鉄に乗ったときのこと。なんと周りの人々と歩調が

めんへらおとこ その15

ここでエピソードを一つ。ある日、どうも体が重く、熱っぽかったので会社を休み、ニュートラル・ベイにある医院へ出かけた。診断の結果は風邪らしく、処方されたのはパナドールというカプセル状の薬だった。「これをレモネードと一緒に飲んで安静にしていなさい。」 レモネードというのは日本でいえば100%のレモンジュースのようなものである。別の日、今度は家内が頭痛で医者に行ったとき、処方されたのもやはりパナドールとい

めんへらおとこ その16

この辺でオーストラリアの住宅事情について書いておきたい。  オーストラリアは日本と違って土地が広いので狭い土地に1階、2階と上に延びて行くような建物はない。オーストラリアでいう1階とは日本の2階を指す。いわゆる地上階はグラウンド・フロアと呼ぶ(イギリスでも同じ)。平屋建てに広い庭付きプール付といった家が多い。また、ある調査によるとオーストラリアにおけるレジャー・ボートの所有率は10世帯に1世帯との報

めんへらおとこ その17

私がシドニー駐在中、2つのビッグ・プロジェクトが進行、完成をみた。一つはハーバー・トンネルの開通である。今までシテイからノース・シドニー以北への連絡はハーバー・ブリッジを渡るか、フェリーに乗るかのどちらかだったのだが、市当局は朝夕のハーバー・ブリッジの交通渋滞を緩和するため、シテイ側のオペラハウスの手前、王立植物園の横から地下にもぐり、オペラハウス、シドニー・ハーバーをくぐり、ノース・シドニー側に抜

めんへらおとこ その18

シドニーから日本に帰国すると経理部に配属された。3年間経理部にいた間、思い出に残っていることと言えば週2回会社の経費で簿記専門学校へ通い簿記の資格をとったことくらいか。オーストラリアののんびりした生活と慌しい東京の生活があまりにも違うのでなかなか日本の生活に馴染めず、ストレスばかり溜まっていった。結局、東京という大都会での生活は自分の生活リズムに合わないのだということを発見したことが唯一の収穫だった

めんへらおとこ その19

例えば Sub-marine と言えば Marine( 海 ) の下、つまり潜水艦を意味する。 さて、この地下鉄、チケットを買って自動改札を通り、迷路のような通路をくねくね曲がりながら、ようやくホームへ出るのである。通路は狭い穴蔵のようなトンネルの中に縦横無尽に張り巡らされていて、まるで蟻の巣の中を通っているような感覚に囚われる。少し圧迫感もある。ロンドンに初めて来た人はまず戸惑うものと思われる。ホ

めんへらおとこ その20

地下鉄の話を続けよう。この地下鉄、私が在勤中、帰宅のラッシュアワー時に地上から切符売り場に降りる階段の入り口を、何の前触れもなく、いきなり全て閉鎖してしまったことが何度かあった。 何でも構内で不審物が発見されたとかで、安全が確保されるまでシャッターが開かず、1時間近く地上で大勢の帰宅の途につく人々が待ちぼうけを食らったことがある。地下鉄が時間通りに来ることはまれで、また時々、駅を1つ飛ばして運転した

めんへらおとこ その21

まあ、それはともかく私は、無口な性格なので英会話の上達はあまり期待できないと初めから諦めていた。 おそらく、当時の日本人のロンドン駐在員の中でも私の英語力は最低レベルに属していたと自負している(自負してどうすんじゃい!)。 私のような人間をロンドンに赴任させるのであるから、いかに私の勤務する団体の上層部がいいかげんか読者諸兄はお分かりになるであろう。 さて、余談はともかくとして、私の担当のチューター

めんへらおとこ その23

オックスフォードの町を歩いてみる。 大学の建物は12-13世紀に建てられた歴史と伝統あるもので、重厚感があり、アカデミックな雰囲気が漂う(12-13世紀ですよ!)。   ここに世界中から最優秀の頭脳が集ってきていることを思うといくばくかの感慨が湧く(大学時代、不勉強だった私が一体何の感慨が湧くというのだ!?)。メインストリートは学生街らしく、専門書の本屋や文房具屋、写真屋、食堂などが立ち並ぶ。カレッ

めんへらおとこ その24

ボーンマスの海は思ったより冷たかった。とても長く浸かっていられるような温度ではない。早々と浜に上がり、甲羅干しに専念した。しかし、イギリス人は、あの冷たい海に平気で長い間、浸かっている。どうも皮膚感覚が日本人とは違うように思われる。 浜に寝そべっていると、上空に気球が浮かんでいるのが視界に入った。せっかくなので気球に乗ることにした。地上に着地している大きな籠の中に数名ずつが乗り込む。気球がふわりと上

めんへらおとこ その25

話が飛ぶが、1年後、家族が渡英してきて、上の子が地元のサッカークラブに入った。あるとき、サッカー日本代表とアフリカの代表(どこの国か忘れてしまった)との国際親善試合がサザンプトンのスタジアムであった。雨の中、ウエスト・アクトンからバスをチャーターして、サッカークラブの子供たちや保護者で日本代表を応援しに行ったことがあった。 スキンヘッドの小野伸二を真近で見ることができたのには感動した。   また、別

めんへらおとこ その26

ケンブリッジへはロンドン・キングスクロス駅から電車で行った。所要時間は1時間位だったろうか。キングスクロスという地名はシドニーにもあった。やはりイギリス縁の地名ということになるのだろうか。もっとも、こちらは夜の歓楽街で、キングスクロスの入り口にあるコカコーラの看板は「南半球最大の大きさ」との触れ込みであった。 ケンブリッジは言わずと知れたオックスフォードと並ぶ世界の名門ケンブリッジ大学がある町である

めんへらおとこ その27

3日目はスカイ島を出て、一度、スコットランド本土へ戻り、海岸線伝いに進路をとる。このあたりの海岸線は地形が複雑に入り組んでおり、小さな入り江が無数存在する。途中の道で再び、ハイランド・カウ(牛)の群れと出くわし、しばし立ち往生する。 Toriddon,、Kinlochewe、Poolewe、Ullapoolといった海沿いに面した独特な現地語の綴りの町を通過し(いずれも小さな集落で、どこに町があったの

めんへらおとこ その22

ウエストアクトン駅を出て右方向に歩いていくと、すぐプリンセス・ガーデンと呼ばれる住宅エリアに入る。このエリアに建っている住宅は全て、チューダー王朝スタイルと呼ばれるイギリス伝統の建築様式で、白い壁に黒い格子の入った、日本でもお馴染みの英国風建物であった。市内では北部のゴルダース・グリーン地区(ユダヤ人が多く住むエリア。休日ともなると黒い帽子に黒い服を着たユダヤ人が大勢教会へ向かう姿をよく目撃した)と

めんへらおとこ その28

燦燦と輝く太陽の光を求めて、冬場、多くのイギリス人がバカンスのため南ヨーロッパへ移動してしまう気持ちが、この国に滞在すると実感としてよく分かるのである。   さて、スコットランド旅行から帰ってきて、まだ余韻が覚めやらぬ頃、隣町のイーリング・ブロードウェイのパブで爆破テロ事件が起こった。アイルランドの武装組織IRAの仕業とされた。爆破の被害は甚大で、パブの入っている建物だけでなく、メインストリートの主

めんへらおとこ その29

A406をしばらく走るとブレントクロスという大きな交差点に出る。ここには、ブレントクロス・ショッピングセンターという巨大なショッピング・モールと米国資本のおもちゃデパート“トイザラス”があり、よく、週末利用した。ブレントクロスの交差点を左折して、エッジウエアロード沿いにヘンドン方面へしばらく車を走らせると、左手にオリエンタル・プラザという大きな建物が見えてくる。この建物の中には、私が渡英するちょっと

めんへらおとこ その30

年7ヶ月のロンドン勤務から日本に帰国した私に待っていたのは1枚の処分書だった。ロンドン時代の会計処理が原因で本部の決算処理を混乱させたこと などが理由として挙げられていた。処分を決めたのは監督官庁から総務部長として天下っている役人だった。私は倉庫として使われている小部屋の奥のデスクに追いやられ、これといった仕事もない代わりに毎日、終業時間が来るとその日の反省文を来る日も来る日も書かされた。今考えれば

めんへらおとこ その31

折りしも当時の政権は小泉政権。行政改革断行を旗印に挙げて公社、公団、特殊法人といった行政機関の廃止、統合を進めている時期だった。私の勤務する団体も例外ではなく、組織は廃止対象もしくは大幅なリストラを実施している時期だった。キャリア官僚の某総務部長としては出身官庁に対し実績を示す必要があったのだろう。一番分りやすいのが人件費のカットである。私はそのやり玉に挙げられた訳である。私は義憤を感じたが一方でそ

めんへらおとこ その32

ハローワークへ週2回顔を出し、求人検索用のパソコンの前に座り、自分の希望条件を入力していく。私はとりあえず現在会社から貰っている給料を入力して検索してみた。すると。。。。。!!ヒットゼロ。唖然とした。私が現在会社からもらっている給料を入力しても全くヒットしなかったのだ。そのとき私は初めて気がついた。私の勤務する団体は実は世間的にはかなり恵まれた待遇で行政の大きな保護の下で守られていたのだと。しかしそ

めんへらおとこ その33

転職が決まったあのときから早12年の歳月が流れた。私は相変わらず福祉の現場でもがいていた。前職の官庁の外郭団体はたいした仕事もないのに意外に高い給料をもらって、いつも考えることといったら休日は何をするかとか趣味をいかに充実させるかとか、難度の高い資格取得の勉強をしたりしていた。それだけやりがいもなく、役所から抑圧されていた証左だろう。でも福祉の世界は全く違った。仕事の割りに安い給料。「働けど働けどわ

めんへらおとこ その34

当初、めんへらおとこ その33で私のストーリーを終わりにしようと考えていたのですが、まさに今超高齢化社会に突入しつつある日本。介護は避けては通れない国民的課題です。介護施設への入居を考えておられるご家族のために少しでもお役に立てる情報を提供したい、そんな思いから、本書を続行しようと思い直しました。そんな訳で、めんへらおとこ その34を書き進めます。筆者は10数年前、官庁の外郭団体から福祉の世界に転進

めんへらおとこ その35

超高齢化社会に突入しつつある日本。お年寄りになる人に何かお役に立てないかという想いから、めんへらおとこ その35を書いています。一口に老人ホームに入るといっても、大きく分けて有料老人ホームに入るか、特別養護老人ホームにか入るかという2つの選択肢があります。有料老人ホームというのは入居の際入居金を支払い、その入居金の額によって月々お支払いする利用料金が変わってくるシステムをとっています。間単に言えば最

めんへらおとこ その36

超高齢化社会に突入しつつある日本。これからお年寄りになる人に何かお役に立てないかという想いから、めんへらおとこ その36を書いています。多額の公的資金が特養ホームの建設につぎ込まれているということはホーム開設後、行政からのチェックが厳しいことを意味しています。実際、事務局に勤務していて感じるのは実に様々な書類を行政に提出しなければならないということです。定期的に監査が行われ、様々な改善命令や指摘事項

めんへらおとこ その37

事務局に勤務して10年経っても未だに難しいと感じるのは職員の労務管理ですね。特に介護職員、看護職員についてです。求人票を出してもなかなか応募者が現れないのです。たまに採用してもすぐやめてしまうなんてしょっちゅうです。特に景気が上向きになりつつある今、介護職の応募はほとんどといっていい位ありません。もともと介護の仕事はきつく重労働の割に賃金が安く、景気が悪い時期でも応募者はあまり多くはありませんでした

めんへらおとこ その38

特養ホームにはどのような職種があるのでしょうか。まず思い浮かぶのは介護職員、看護職員です。介護職員は直接、利用者様のお世話をする人達です。具体的には食事介助、排泄介助、入浴介助などです。介護職は最低でもヘルパー2級の資格を持っていないと応募すらできません。看護職員は利用者様の服薬管理を行います。医師が常駐していませんので日々のバイタルを計り、いつでも協力医療機関へ搬送できるように備えています。もちろ

めんへらおとこ その39

介護職員、看護職員が直接利用者に接する施設の中心スタッフだとすれば、それを支える他職種の役割も重要です。例えば栄養課には管理栄養士や栄養士の方がカロリー計算を行い、それに基づいて調理員の方が日々利用者様の食事づくりを行っています。栄養士、調理師がいなければ利用者様の生活は1日として成り立たないのです。そういう意味で毎日、おいしい食事を提供できるかどうかは栄養課のスタッフにかかっているといっても過言で

めんへらおとこ その40

介護の現場を裏から支えているのが事務スタッフです。特養ホームの事務ってどんなことをやるのか皆さん想像できますか。一般会社の事務とはちょっと違います。事務と言っても机に向かって静かに執務するというイメージとは大きくかけ離れています。大きく総務部門と経理部門に区分できると思います。総務部門の中には施設の修繕、備品の調達も含まれます。事務局が何を担当するかは各法人によって異なると思います。事務局にいる私が

めんへらおとこ その41

超高齢化社会に突入しつつある日本。これから高齢者の仲間入りする人に何かお役に立ちたいとの想いから、このストーリーを書き進めています。 特養ホームの最高意思決定機関は理事会です。一般会社で言えば取締役会に相当するでしょう。 社会福祉法人にはトップに理事長という立場の方がいて理事長は理事の中から互選されることになっています。どのような方が理事になっているのかと言えば地域の福祉関係者、例えば民生委員の方と

めんへらおとこ その42

特養ホームに勤務する人の属性を見てみましょう。 住んでいる場所は圧倒的にご近所が多いです。あるいは自転車で通勤可能な範囲内ですね。これは地域密着型の施設の性格としてある意味当然なことですね。 近ければ利用者様に何かあった場合すぐ駆けつけられるという利点もあります。 性別で見ると7:3くらいの割合で女性が多いです。完全に女性の職場と言ってもよいでしょう。年齢構成で見ると40代から50代が多いです。子育

めんへらおとこ その43

特養ホームの事務をやっていて一般事務と違うのは行政に提出する書類作成の多さでしょうね。特養ホームは建設費に公的資金が入っているので当然監督する役所からの指導が厳しくなるんですね。毎月報告しなければならない書類、定期的に報告しなければならない書類など報告する書類の量が半端なく多いわけです。 特養ホームの運営主体は社会福祉法人であったり、区役所など自治体が直接運営するケースもあります。また特養の労務管理

めんへらおとこ その44

平均年齢86歳の高齢者が100人以上も毎日同じ場所で生活している訳ですから、何も起きないわけはありません。毎日必ず何かが起きます。たとえば急に具合が悪くなって病院に搬送しなければいけない。その運転手役は事務の人間がやるわけです。病状によっては利用者様の命に関わるので搬送依頼が看護部から来れば今やっている仕事を中断して、すぐ運転手として病院へ搬送するわけです。細かい事務ワークをしているときなどは搬送か

めんへらおとこ その45

ほぼ毎日、朝、晩、高齢者の送迎運転をしている。かれこれ7年近くになる。総務業務と兼任の仕事である。送迎者の車窓から眺める風景は毎日見慣れたものだが季節によって、微妙に違って見えるから面白い。銀杏並木を突き抜ける道は晩秋が最も美しい。黄色く色づいたイチョウの葉が太陽の光を浴びて黄金色に輝いているように見える。夏場にこの道を通るとイチョウは普通の緑の木々と何ら変わらない。よく通る公園の側道から公園に植わ

めんへらおとこ

今日も高齢者を乗せて車のハンドルを握る。いつもの道、いつもの街路樹、いつもの保育園児の登園風景。抜けるような青空を見ながら私は昨日のことを思い出していた。昨日は文化の日で仕事は休み。 奥多摩へ紅葉を見に行くと言って家を出たもののその決意はものの30分ももたない。吉祥寺行きのバスに乗りながら 西武新宿線の駅で途中下車。そのまま、しばらく行ってない新宿へ向かったのでした。なんという一貫性のなさ。 まあ、

めんへらおとこ その47

今日も高齢者を乗せて車のハンドルを握る。いつもの道、いつもの街路樹、いつもの保育園児の登園風景。抜けるような青空を見ながら私は昨日のことを思い出していた。今日も高齢者を乗せて車のハンドルを握る。いつもの道、いつもの街路樹、いつもの保育園児の登園風景。抜けるような青空を見ながら私は昨日のことを思い出していた。昨日、踊る大捜査線のスピンオフのひとつである交渉人真下正義を見た。 地下鉄の総合指令が実にいい

めんへらおとこ その48

今日も高齢者を乗せて車のハンドルを握る。いつもの道、いつもの街路樹、いつもの保育園児の登園風景。抜けるような青空を見ながら私は先日のニュースのことを思い出していた。先日のニュースで厚労省が厚生年金基金を10年後までに廃止する方針を打ち出したと報じていた。 投資顧問会社の基金の運用失敗により巨額の損失が出たことが発端だが、もちろん健全な基金も少なからず存在するので、そのような基金は確定給付型年金か確定

めんへらおとこ その49

さて、今日はハローワークのセミナーに参加するため、最寄り駅である半蔵門線錦糸町駅(JR錦糸町駅と同じ場所) に生まれて初めて降りた。この辺りはまったく土地勘もなく、今まで人生の中で接点がなかったところだったので、地下鉄の階段を上り、地上に出たときは何がしかの感動を覚えるのかと思ったら、何の感情も湧いてこなかった。  さて、私は実は知らない街をあてもなく,徘徊することが好きである。といってもまだ認知症

めんへらおとこ その50

今日も高齢者を乗せて車のハンドルを握る。いつもの道、いつもの街路樹、いつもの保育園児の登園風景。抜けるような青空を見ながら私はこんなことを考えていた。今年で57歳、織田信長戦国時代ならばもうとっくに寿命で死んでいてもおかしくない歳である。 恥ずかしながら、私はこの歳になってもまだ何も成し遂げていない。全て中途半端で今日まで生きながらえてきた。 こんな人生に何か意味があったのだろうか? 2人の息子は全

めんへらおとこ その51

今日も高齢者を乗せて車のハンドルを握る。いつもの道、いつもの街路樹、いつもの保育園児の登園風景。抜けるような青空を見ながら私はこんなことを考えていた。私は毎日、仕事で車を運転しており、また社労士の勉強で基本テキストや過去問題集の細かい文字を目で追っている日々を過ごしているため、ここ数年首や肩凝りがひどくなっている。 そこで週末はできるだけ、マッサージなどを受けて肩こりを治そうと思っているのですが、ど

めんへらおとこ その52

今日も高齢者を乗せて車のハンドルを握る。いつもの道、いつも の街路樹、いつもの保育園児の登園風景。抜けるような青空を見 ながら私はこんなことを考えていた。 何でもよかったのです。 現在の状況に風穴を開けると思えるものであれば。。。。 毎日、通勤のバスの車窓から見えていました。 体が本能的にシグナルを発したのでしょうか。 (今のお前、もう煮詰まっちゃっているよ)。 ということでタイトルの言葉です。 慢

めんへらおとこ その53

今日も高齢者を乗せて車のハンドルを握る。いつもの道、いつもの街路樹、いつもの保育園児の登園風景。抜けるような青空を見ながら私はこんなことを考えていた。 それはカフェに滞在する時間のことです。 私はカフェが好きで、ほとんど毎日といっていい位入ります。 でも滞在時間は15~20分程度。読みかけの本を読んだり、ぼんやり寛いだりしていますが今日、滞在時間 を1時間にしてみました。 するとどうでしょう。 溜ま

めんへらおとこ その54

今日も高齢者を乗せて車のハンドルを握る。いつもの道、いつもの街路樹、いつもの保育園児の登園風景。抜けるような青空を見ながら私はこんなことを考えていた。 かつてNHKスペシャルで日本の今後の重要戦略の一つとして外国人観光客をどう取り込むかという特集をやっていた。 イタリアのある村が増え続ける空き家を修復して外国人観光客の宿泊施設として再生し地元のレストランとタイアップして村の観光収入を増加させた例を取

めんへらおとこ その55

今日も高齢者を乗せて車のハンドルを握る。いつもの道、いつもの街路樹、いつもの保育園児の登園風景。抜けるような青空を見ながら私はこんなことを考えていた。 今朝の朝日新聞で報じられていた「いじめ防止対策推進法案が参院で可決、成立した」という記事を読んで率直に感じたことがタイトルの言葉である。法案の骨子は以下の通り。 一、保護者は子供への規範意識の指導や学校などの取り組みへの協力に努める 一、学校とその設

めんへらおとこ その55

今日も高齢者を乗せて車のハンドルを握る。いつもの道、いつもの街路樹、いつもの保育園児の登園風景。抜けるような青空を見ながら私は昨日のことを思い出していた。昨日の日曜日の出来事を考えていた。 パブの内部はレトロな雰囲気が漂っています。 ロンドン市内の道路標識が飾ってあったりアンティークな置物や古い写真など経営者のこだわりがよく分かるんです。 正面のカウンターに客が一人。バーテンの方と話し込んでいます。

めんへらおとこ その56

今日も高齢者を乗せて車のハンドルを握る。いつもの道、いつもの街路樹、いつもの保育園児の登園風景。抜けるような青空を見ながら私はこんなことを考えていた。 現在処方されているジェネリックという薬。本当に効いているのか最近疑問を感じるようになってきた。主治医の先生は成分は同じで安いですとおっしゃるが、もともとは中国でで生産されているという話も聞く。中国と聞いただけで嫌悪感を感じるのは何も私だけではないだろ

めんへらおとこ その57

今日も高齢者を乗せて車のハンドルを握る。いつもの道、いつもの街路樹、いつもの保育園児の登園風景。抜けるような青空を見ながら私は昨日の秋分の日のことを考えていた。 秋分の日、天気もよかったのでまたしてもサイクリングを決行。大泉学園から富士街道を西に進み、西武線武蔵関駅の横の踏切を横切り青梅街道へ出る。 そのまま青梅街道沿いに三鷹方面に進み、伏見通りを左折。武蔵野北高校や武蔵野中央公園の横を通って中央線

めんへらおとこ その58

今日も高齢者を乗せて車のハンドルを握る。いつもの道、いつもの街路樹、いつもの保育園児の登園風景。抜けるような青空を見ながら私は昨日の秋分の日のことを考えていた。 いじめが原因で中学に3年間全く通えなかった息子の希望で数学と国語をみてやることになった。  数学の参考書を開くのは40年ぶりか。私に教えられるのだろうか。  という不安を抱えつつ個人レッスンが始まった。  正負の数。この辺は覚えているのです

めんへらおとこ その59

今日も高齢者を乗せて車のハンドルを握る。いつもの道、いつもの街路樹、いつもの保育園児の登園風景。抜けるような青空を見ながら私は昨日の秋分の日のことを考えていた。 本日、小雨交じりのあいにくの天気だったが、息子がお世話になっている渋谷のフリースクールの文化祭を見に行ってきた。昨日から心の準備をして今日いそいそいそと出かけた息子。このような姿は中学に入って3年間で初めてのことである。学校に到着して驚いた

めんへらおとこ その60

今日も高齢者を乗せて車のハンドルを握る。いつもの道、いつもの街路樹、いつもの保育園児の登園風景。抜けるような青空を見ながら私は昨日のことを考えていた。 昨日、お花見レガッタを観戦するため、戸田へ向かう。JR埼京線戸田公園駅から歩いて10分位でオリンピックボートコースに到着した。ボート池を囲むように各大学の艇庫と称する合宿所が立ち並んでおり、それぞれの大学のカラーがでていて建物を見学するだけでも楽しい

めんへらおとこ その60

今日も高齢者を乗せて車のハンドルを握る。いつもの道、いつもの街路樹、いつもの保育園児の登園風景。抜けるような青空を見ながら私は昨日のことを考えていた。 昨日、お花見レガッタを観戦するため、戸田へ向かう。JR埼京線戸田公園駅から歩いて10分位でオリンピックボートコースに到着した。ボート池を囲むように各大学の艇庫と称する合宿所が立ち並んでおり、それぞれの大学のカラーがでていて建物を見学するだけでも楽しい

めんへらおとこ その61

今日も高齢者を乗せて車のハンドルを握る。いつもの道、いつもの街路樹、いつもの保育園児の登園風景。抜けるような青空を見ながら私はこんなことを考えていた。 今かけているめがねは購入してから3年位経つ。レンズの表面が剥げてきて見ずらくなってきたので家内の老眼鏡と共に眼鏡市場で買い換えることにした。まずは検眼してみたが今かけている眼鏡と度数は変わらず左右ともに1.0まで見えるものにした。見ずらかったのはレン

めんへらおとこ その62

今日も高齢者を乗せて車のハンドルを握る。いつもの道、いつもの街路樹、いつもの保育園児の登園風景。抜けるような青空を見ながら私はこんなことを考えていた。 そういえば昔、株のデイトレーダーでジェイコム男っていましたね。あの人今どうしているんでしょうね。ちょっと気になります。 確かジェイコム株を誤作動させた機会を逃さず大もうけした人でした。 その人の特集番組を昔見たことを思い出しました。東京湾を一望できる

めんへらおとこ その63

今日も高齢者を乗せて車のハンドルを握る。いつもの道、いつもの街路樹、いつもの保育園児の登園風景。抜けるような青空を見ながら私はこんなことを考えていた。 最近、首周りや肩がやたら凝るので、息子が通っている近所の整体院に行ってみた。 さっそく先生に診てもらう。 「う~ん。体が丸くなっていますね~。これでは筋肉が常に緊張してしまいます。骨というのは小さな立方体が積み重なって出来ており、それがくっついたよう

めんへらおとこ その63

今日も高齢者を乗せて車のハンドルを握る。いつもの道、いつもの街路樹、いつもの保育園児の登園風景。抜けるような青空を見ながら私はこんなことを考えていた。 かつて独立行政法人(旧特殊法人)に約20年間、勤務した自分がこんなことを言うのも何ですが、なぜ独立行政法人若しくは特殊法人は潰れないのでしょうか?内閣が変わるたびに議論の遡上に上がる、いわゆる天下り団体の廃止問題。民主党政権では国民に分りやすいように

めんへらおとこ その64

今日も高齢者を乗せて車のハンドルを握る。いつもの道、いつもの街路樹、いつもの保育園児の登園風景。抜けるような青空を見ながら私はこんなことを考えていた。 シルバーウィークの或る日、吉祥寺へぶらりと行ってみた。自宅から最寄のバス停からバスに揺られること20分程で終点の吉祥寺駅に着く。連休中ということもあって街中は大勢の人で溢れかえっている。私はJR中央線のガードをくぐって井の頭公園方面へと歩いた。吉祥寺

めんへらおとこ その65

今日も高齢者を乗せて車のハンドルを握る。いつもの道、いつもの街路樹、いつもの保育園児の登園風景。抜けるような青空を見ながら私はこんなことを考えていた。 春の東京の風物詩になっている早慶レガッタを見に浅草へ行ってきた。 西武池袋線大泉学園から池袋経由で丸の内線に乗り換える。そのまま大手町まで行ったのはいいが浅草への行き方を忘れ駅員さんに尋ねる。千代田線で三越前まで行き銀座線に乗り換えて下さいとのこと。

めんへらおとこ その66

今日も高齢者を乗せて車のハンドルを握る。いつもの道、いつもの街路樹、いつもの保育園児の登園風景。抜けるような青空を見ながら私はこんなことを考えていた。 今日は仕事が平日休み。ゆっくりしたかったのですが先日自宅に運転免許の更新手続きのお知らせが届いていたことを思い出し、府中の試験場へ出かけることにしました。試験場最寄り駅のJR武蔵小金井駅周辺は前回(3年前?)来たときとは街の様子が変貌していました。試

めんへらおとこ その67

今日も高齢者を乗せて車のハンドルを握る。いつもの道、いつもの街路樹、いつもの保育園児の登園風景。抜けるような青空を見ながら私はこんなことを考えていた。 8月22日。午後竹橋にある労働局に行き、次世代育成推進法の説明会に参加してきました。国、地方自治体、事業主が協力して育児休業等のしやすい職場環境、労働環境を整えましょうということなのですが、100人以上の従業員がいる寺会社は一般事業主計画という届出が

めんへらおとこ その68

今日も高齢者を乗せて車のハンドルを握る。いつもの道、いつもの街路樹、いつもの保育園児の登園風景。抜けるような青空を見ながら私はこんなことを考えていた。 昨日、火曜日は有給休暇を取っていたので朝から家にいた。歯痛がひどく、ご無沙汰してい歯医者に連絡したら、うまくお昼前に予約がとれた。上の奥歯の元あたりからじんじんと鈍痛がすることを伝えるとさっそくK先生はその部分をのぞく。手にした金属製の棒で奥歯を2~

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Full Yuka
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死ぬ気になれば何でも出来る!ひょんな事からバラエティに出た一般の主婦

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