"お母さん" のタグがついたストーリー

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第51回)

『まいくばあの遺伝子を継ぐものたち(四) へれらいろ』 僕は眠っているとき電話で起こされてもすぐ百パーセントの状態で話すことができる。というより寝ているのを悟られるのがいやなんだ。 四十代のころ取引先の担当者に「おれ二十四時間仕事してるからいつでも電話していいで」と言ったことがある。当時は実際に一日三時間くらいしか寝なくて、ほとんど毎日朝まで仕事をして午前中に仮眠的に寝るような生活だった。 ある日、
前沢 しんじ

貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第50回)

記念の連載第50回! 『まいくばあの遺伝子を継ぐものたち(三) 方向音痴』 僕はひどい方向音痴で、いつでもどこへ行っても迷う。 奈良公園に歩きに行った時には公園を出て帰るつもりが、山へ山へと入っていって危うく遭難するところだった。妻に助けてもらったが、「公園で遭難」というウソみたいなことが僕ならじゅうぶんありうる。(妻はどうせ迷うだろうとにやにやしながら見ていたらしい) これは母親ゆずりの強烈な遺伝
前沢 しんじ
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貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第49回)

『まいくばあの遺伝子を継ぐものたち(二) 笑いがやってくる』 不謹慎極まりなく顰蹙を買うこと間違いない話につき、次へ飛んでいただいてもかまいませぬ。失礼を承知で、書かずにはおれませぬ。 うちの家系は笑い上戸です。少しでもおかしなことがあると、たとえ法事に参列していても誰かがクスクスとする。するともう止まらない。 みんな肩が震えてくる。泣いているのでなく笑いをこらえている。まったく非常識極まりない連中
前沢 しんじ
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貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第48回)

『まいくばあの遺伝子を継ぐものたち(一) ヘンなやつら』 平成二十三年九月四日、和歌山県南部大水害。 当日朝六時ごろ市内放送で「熊野川堤防から水が越え始めました。至急二階か、高いところへ避難してください」と避難指示が何回もくり返して流された。 前夜のうちに僕の家より海抜が高いまいくばあの家に避難していたのだが、放送を聞いて至急車で市内の一番高い丘に逃げたのだ。                    
前沢 しんじ
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貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第47回)

第5章〔家族編〕 まいくばあの遺伝子を継ぐものたち この章では、まいくばあの強烈な遺伝子を受け継ぐ面々の、少々浮世ばなれしているかも、という話をお送りします。われわれみたいな間抜けな人間でも無事に暮らしているのですから、この国ではそれなりに一生懸命やっていれば結構生きていけます。 家族の中でも、初孫である長女Yちゃんは特にその遺伝子を色濃く受け継いでおり、骨格、性格、行動、生き方、考え方、そしてその
前沢 しんじ
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貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第46回)

『まいくばあ語録』(3) ■「今度隣の○○さん所へ《大工》が入るらしいよ」(実はバイク) 隣の家の若主人が、「前沢さん、こんどバイク来るんで(買ったので)ちょっとうるさいかも知れません。すみませんけど」とあいさつしてくれた。それを大工と聞いた。  ・・・たぶんそりゃハーレーだ。びっくりするかもね。              ■まいくばあは最近足が痛い。病院が遠いのでうちの奥さんに車に乗せてもらった。
前沢 しんじ
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貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第45回)

『まいくばあ語録』(2) ■「寿司食いに行くか」と誘えば、                       「背が低いからテーブルが苦しい。よそで食べてもうまない(うまくない)。行かん」   ・・・そんな理由かい! ■温泉に誘えば「あんな暑苦しいもの好かん」  旅行どうだ?と誘えば「テレビであちこち見る」   ・・・でも一理ある。  ■電話をかけてきた。「あれ、声が小さいぞ。もしもーし」と言って怒ってい
前沢 しんじ
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貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第44回)

第4章 〔語録編〕  つい言ったぁー 前章のドタバタの口直しに(ならないか)ばかばかしい語録をお届けします。 まいくばあは別段「おもろいこと言ってやろ」と思っているわけじゃありません。つい言ったー、まさにTwitter、ことばが笑いと驚きを与えてくれます。 上質な品性を感じさせてくれる巧まざるユーモアとは似ても似つかず、こちらは動物的本能的なにおいが噴出しております。 それではヤツの言動の一端をごら
前沢 しんじ
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貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第43回)

『○○のアニィ』この章のあとがきにかえて この本は我が母まいくばあの自由に生きるさまを通じて、人生は「おカネはなくても老後は楽園」になるということと、「愉快に生きるコツ」を知っていただければと思って書いたものです。 本章「騒動編」は母・父そして僕のおマヌケ三人組がくり広げるドタバタ劇を活写しましたが、父については「悪いヒトではないがナマケモノでパッとしない人」という感想を抱かれるかも知れません。いや
前沢 しんじ
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貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第42回)

二~三時間はじゅうぶんに経過した頃でしょうか。それは神仏のお導きか、たしかに川のちょうど真ん中あたりに小ぶりの岩がある。祠こそなけれどなんだか神々しい雰囲気の岩であります。見ればなんと穴あきの石がいくつもお供えしてある。 うわさどおりの耳島様がそこに鎮座しておられたのです。 (前回ここまで) (今回ここから) 三人は歓喜勇躍。 「着いた着いた、これじゃこれじゃ!ここじゃったー!ここなのじゃー!」ひと
前沢 しんじ
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貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第41回)

そのつるっとした形状は川原にて何万年も磨かれ続けた銘石の風情。よし、これだと見つけてきた母親の愛情ってやつでございます。  (今回ここから) 母は老婆に言われたようにその石の中心に五寸くぎで丸くこするように穴を開けはじめた。木ではなく石ですから、それは固い。ハンパではない。厚さ一センチ以上ある石に穴を手彫りする。今では街なかで石を拾うなどできませんからその形や硬さなど想像できないでしょうな。しかし母
前沢 しんじ
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貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第40回)

『耳島さま物語』 このお話しは先の騒動記とは異なり、詩情豊かな農村の「少年耳を病む」の一席。しかしやはりお馴染み三人組が動けばその道中はお間抜けの顛末となる。題を「耳島さま物語」と銘してお届けします。 はるか昔、僕が小学三年生のころの、十才手前でしょうか。まさしく「シゲマサ騒動」「ブラジル騒動」と時を同じくします。 考えてみればいつもまいくばあはパワフルでした。シゲマサ改名一直線→頓挫、ブラジル移住
前沢 しんじ
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貧乏こそ神 我が母まいくばあの話(第25回)

『骨折』 母親とはえらいもんだという話です。 僕の神経質ぶりをわざと無視し続けて、アソコ悪いココ悪いと言ってもことごとくさらっとかわした。そうすることが神経質な子に対しての一番の対処法と思ったのだろう。 いま思い返せば、僕が訴える病的症状は実際にすべて僕の神経質のなせるワザだったのだ。 さてそんな僕が小学校五、六年のころ、急に野球のボールが投げにくくなった。 投げたらひじが痛い。 それまでの体験から
前沢 しんじ
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アルコール依存症の母が死をもって私に気づかせてくれたこととは。

母 せめて私が生きてる間に気づいて欲しかったわ。 母が死んだ。 アルコール依存症だった。 アルコール依存症とわかってから 15年間母は酒を飲み続けた 。 アルコール依存症の人が選択できる道は二つ。 酒を断つか、死ぬまで飲み続けるか、だ。 母は死ぬまで飲み続ける生き方を選んだ。 それゆえに私は15年間、悩み、苦しみ続けた。 母は独りで暮らす部屋で脳出血で倒れそのまま息を引き取った。 発見された時の状況
森田 望美
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⑥私が「私に暴力を振るい続けた死にゆく母を笑顔で見送るべきか(長文です)」と知恵袋に書き込んだ者です。

 私には結局、日の当たらない布団1枚敷かれただけの5畳の部屋を与えられた。  17の春まで隔離された部屋。家を出るまで何度そこから飛び降りようと思ったことか。  新しい家に来てから数か月の間、《毎回夕食は家族5人で食べよう》という母親の茶番に付き合わされた。  夕食を食べる間、祖母は私を睨む睨む。私への憎悪を隠せない。隠そうともしない。まあ、それもそのはず、祖母はこの一つ屋根の下、唯一家族の誰一人と
Oikawa Mika
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⑤私が「私に暴力を振るい続けた死にゆく母を笑顔で見送るべきか(長文です)」と知恵袋に書き込んだ者です。

 小学4年生になる少し前、私の父名義の家は完成した。 家の名義こそ私の父であったが、実際に家を建てるうえでの頭金やローンのほとんどを支払ったのは年金生活をしていた祖父だった。私が生まれてからずっと、豆腐工場アルバイト生活の父に4000万も払える経済力などある筈がない。  私は初めて持つ自分の部屋やピカピカのキッチン、温度設定をすれば自動的にその温度で出てくる風呂の湯に心躍らせた。  新しい家に段ボー
Oikawa Mika
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④私が「私に暴力を振るい続けた死にゆく母を笑顔で見送るべきか(長文です)」と知恵袋に書き込んだ者です。

「死ね」「もう二度と顔見せんな」  私は小学4年生から、両親が母方の祖父母と家を建て同居し始めるという理由で、仙台郊外の小学校へ転校することになった。  私の両親は何度も祖父母の家に足を運び、新しく建てる家の間取りについて話し合っていた。家の間取りは1階にリビング・キチン、トイレに風呂場に爺ちゃん婆ちゃんが寝る和室。2階に家の中で最も大きな両親の寝室。廊下を挟んだ一部屋を私の部屋にしてくれるという。
Oikawa Mika
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②私が「私に暴力を振るい続けた死にゆく母を笑顔で見送るべきか(長文です)」と知恵袋に書き込んだ者です。

 「そんなこと言ってんじゃないよ!」  そう怒鳴られた後に左の頬を平手打ちされた。それが私の思い出せる一番古い記憶。 私は4歳になったばかり。幼稚園の入園式前に身体測定で新入園児皆が集められた教室で、私が隣の女の子にテレビで覚えたての「毛深い」という言葉を発した直後に母は私を怒鳴りビンタした。  お母さん、私ね、覚えたての言葉だから誰かに言ってみたかったんだよ。「そんな言葉知ってるの、凄いね」って、
Oikawa Mika
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私が「私に暴力を振るい続けた死にゆく母を笑顔で見送るべきか(長文です)」と知恵袋に書き込んだ者です。

あれから2度目の桜が散りました。  今から2年前、私はタイトル通りの質問をヤフー知恵袋に書き込みました。 特に多くの閲覧者を望んでいたわけでもなく、こんな長文を最後まで読んで回答をくれる人もいないだろうと予想しながら自分の置かれていた状況を洗いざらい書き込んだのは夜10時。  回答者が付いたのも確認せずに眠りにつき、朝起きた時には閲覧数が8万を超えていて、何だか怖くなってすぐに回答募集を打ち切ったの
Oikawa Mika
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いま、私が自分らしく生きていられるのは、小さい頃から母が「うちの子は◯◯◯◯◯から」と言い続けてくれたからだっていう話

ノセ29歳、教育の仕事をしています 私は今、教育関係の仕事をしています。家庭教師や生活保護受給世帯向けの学習支援で学習支援専門員という仕事をしていまして、たくさんの子どもと話してきました。 私が話してきた子どもたちの中に、誰ひとりとして同じ子はいなくて、それぞれに好きなモノや大事なものがあり、悩みがあり、得意なことも苦手なこともあって、それはそれは愛しくない教え子なんて一人もいません。 私はとても幸
Nose Hiroyo
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