"死" のタグがついたストーリー

3回90kg→30kgダイエットで気づいた「痩せるためには、辛いことをしなくてはならない」という幻想

Kanesakuと申します。私は現在40歳で、「汚部屋」脱出、ダイエット、病気などの経験を通して心理学に出会いました。 中でも社会心理学に傾倒し、環境から作られる心や身体について研究したいと思い、働きながら大学院への進学を目指しています。現在、私は、こんな感じ↓です。 そして、昔は…… ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ こんな感じでした。 幼い頃から肥満だった私は、減量とリバウンドを繰り返し、 3回の90
Kanesaku Mariko
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不幸思考に埋もれた地の底辺から、、、、

わたしの母はわたしの妹を妊娠したわたしが3歳の時から、親は宗教に夢中になり子供への虐待を正当化し、母がホースに切り目を入れたものやコードを束ねて所々結び目を作ったものや、棒でわたしを叩くようになった。些細な理由で「悪い子だから」と叩くようになった。妹が生まれたら、妹もいろいろな理由で叩かれるようになった。 叩くだけでなく愛情を感じない、私がどれほどダメな子か言い続けられる。 母から、痛ければ痛いほど
カノン KANON 333
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誰でもいつかは亡くなる。亡くなる人から私は学ぶ。

昨年の初秋だったかな。 私は蔡さんに出会った。 その顔はどこか疲れていたけれど、眼にはしっかりと未来へ向けての光があった。 彼女は昨年、癌の摘出手術をした。 なんとなく、癌はもう無いけれど、癌とともに生活し、いざ身体にメスを入れるのは相当身体に負担があるのだろうと感じた。 「まだ休まなくていいんですか?」 私の問いに彼女は優しく微笑み一言。 「私の命は私のもの。でもね、私の時間は私だけの時間じゃない
Kondo Takeshi
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ファミレスで注文もできなかったコミュ障女子大生が初めての海外でインドを3週間旅した話

外国とか、怖くないですか。 昔から怖いものが多かった。 高いところ、暗いところ、人が多いところ。幽霊、虫、爬虫類。 それから知らない場所、知らない人。 よく怒鳴る数学の先生も、エラそうな友だちも、イヤミっぽい親戚のおばさんも怖かった。 一人になるのも怖かった。 人と違うことをするのも、だれかに迷惑をかけることも。 その全部の怖いものから逃げて、 安全な囲いの中で生きていたかった。 ドキドキもハラハラ
ささき まと
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心友 【其の十三・無言の帰宅】

とある地方新聞のコピーが今も手元にある。 その中に「無言の帰宅」という見出しがある。 このコピーはクロイワの葬儀の際に遺族の方からいただいたものだと記憶している。 そこには簡単に今回の「悲劇」の経緯が記載されている。 【自らも病身だった母がアパートの自室で倒れて亡くなり、母の介護なしでは動けなかった一人息子も、その後、同じ部屋で息を引き取った。】 人の亡くなり方は無数にある。しかし、こんなケースはめ
山口 寛之
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ちくわに母を殺されたハタチの大学生の話

大好物 僕(寒川友貴)の好きな食べ物はおでん、特に味がしっかり浸み込んだ、ちくわが大好きだった。 あの日が来るまでは…。 突然すぎる別れ … 2016年12月27日夜、僕はJR東京駅の新幹線ホームにいた。 大学が冬休みに入り、実家のある神戸に帰省するためだ。 のぞみに乗る前、駅で晩メシとお土産の東京ばな奈を買い、予定よりも1日早く今から帰ることを伝えようと母に電話した。 なぜか母のケータイにも家電に
寒川 友貴
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【10年間カナダへ行けなかった理由】

10年前 私が25歳の頃 ワーキングホリデーで オーストラリアに留学していました   それから1年後 そのままオーストラリアへ残る人 日本へ帰る人 様々でした   私はというと ”ワーキンホリデーでカナダへ行く!”と みんなに言っていました   理由は至って簡単 オーストラリアに2年いるのなら ワーキングホリデーで オーストラリア1年カナダ1年の方が 経験も増えるからだと考えました   そう言い残し
トミー 信長
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心友 【その四・みちのくへ】

受験の道を選んだクロイワと自分は予備校通いを始めた。 もっとも仲良く一緒に通うというわけではない。野球漬けの三年間を送ってきた者と、授業をサボりまくっていたといえ、一応進学校と名のついたところにいた者では自ずと進路は変わってくる。ただ、二人とも将来何になるという明確なものはなかった。不思議な事にそこだけは共通している。 一方で、トクシマは就職を決めていた。詳しい業務の内容まで確認したことはなかったが
山口 寛之
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心友 【其の三・ヒエラルキー】

なんと、クロイワはセンバツで念願のレギュラーに選ばれた! などとマンガのようなドラマチックな話がそうそう起きることもないわけで。学校がセンバツ出場を決めたところで奴のポジションは今までと全く変わらない。公式練習で甲子園のグラウンドに立った後はベンチに入るわけでもなくスタンドの応援席が定位置。他の大勢の野球部員とともに声を出し続けていた。 今はどのくらいの生徒が集まるのかは分からないが、当時の野球部は
山口 寛之
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アルコール依存症の母が死をもって私に気づかせてくれたこととは。

母 せめて私が生きてる間に気づいて欲しかったわ。 母が死んだ。 アルコール依存症だった。 アルコール依存症とわかってから 15年間母は酒を飲み続けた 。 アルコール依存症の人が選択できる道は二つ。 酒を断つか、死ぬまで飲み続けるか、だ。 母は死ぬまで飲み続ける生き方を選んだ。 それゆえに私は15年間、悩み、苦しみ続けた。 母は独りで暮らす部屋で脳出血で倒れそのまま息を引き取った。 発見された時の状況
森田 望美
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⑦私が「私に暴力を振るい続けた死にゆく母を笑顔で見送るべきか(長文です)」と知恵袋に書き込んだ者です。

 初めての虐め  あなたには今、居場所がありますか? 小学4年生になった私には居場所がありませんでした。畳一畳分、それより小さなちょっとした隙間でもいいから、安らげる居場所をどれだけ欲しかったことか。   仙台の街中から宮城県内、片田舎の小学校へ転校してきた私にとって、田舎の生活はとても息苦しいものだった。転校初日に立派に言えた自己紹介は、4年2組のいじめっ子たちの気に障ったようだ。  転校してきて
Oikawa Mika
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⑥私が「私に暴力を振るい続けた死にゆく母を笑顔で見送るべきか(長文です)」と知恵袋に書き込んだ者です。

 私には結局、日の当たらない布団1枚敷かれただけの5畳の部屋を与えられた。  17の春まで隔離された部屋。家を出るまで何度そこから飛び降りようと思ったことか。  新しい家に来てから数か月の間、《毎回夕食は家族5人で食べよう》という母親の茶番に付き合わされた。  夕食を食べる間、祖母は私を睨む睨む。私への憎悪を隠せない。隠そうともしない。まあ、それもそのはず、祖母はこの一つ屋根の下、唯一家族の誰一人と
Oikawa Mika
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心友 【其の二・見えない縁】

三人とも同じ公立中学へ進学した。その当時中学受験はマイノリティな世界。少なくともおらが地元においては公立中学へ進学するのがごく当たり前の話だった。 ここでクロイワとトクシマは同じクラスになる。さらには二人揃って同じ部活に入部した。 陸上部。 トクシマは小学校時代に「馬」というあだ名がつくぐらい足が速かった。のちに手も早くなったとかならないとか。一方のクロイワはリトルリーグにいたのでそのまま野球部に進
山口 寛之
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10年振りの天国からのメッセージ

もし今も生きていれば、今年Mちゃんは29歳・Aちゃんは27歳になります。 2016年6月28日 下弦の月 就寝前にWaning Moonのハーブティーを飲んだ。 一昨日、引き出しを整理した時にパスワードが分からないまま数年放置しているメンバーズカードが出て来た。 頻繁には使用しないのだが、必要な時は困る。 年に1度も使わないこともあるけど。 IDやパスの紛失などの対応が電話連絡しかない。 補聴器をし
小川 詩織
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心友 【其の一・曇天の霹靂】

どこまでも厚い雲が広がる冬の空。あの日も曇天と呼ぶのがいかにもふさわしい。そんな見慣れた冬の朝だった。 朝食のパンをむさぼり食っていた時だっただろうか。携帯電話に着信が入った。しかし着信音を聞いていると、先に家を出た妻からではないことだけはわかった。 妻は朝から普通にお仕事だが、自分の仕事は職業柄午後からの出勤。よって朝方に妻と顔を合わせることはほとんどない。それで一瞬だけ妻からの緊急連絡だと思い込
山口 寛之
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⑤私が「私に暴力を振るい続けた死にゆく母を笑顔で見送るべきか(長文です)」と知恵袋に書き込んだ者です。

 小学4年生になる少し前、私の父名義の家は完成した。 家の名義こそ私の父であったが、実際に家を建てるうえでの頭金やローンのほとんどを支払ったのは年金生活をしていた祖父だった。私が生まれてからずっと、豆腐工場アルバイト生活の父に4000万も払える経済力などある筈がない。  私は初めて持つ自分の部屋やピカピカのキッチン、温度設定をすれば自動的にその温度で出てくる風呂の湯に心躍らせた。  新しい家に段ボー
Oikawa Mika
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④私が「私に暴力を振るい続けた死にゆく母を笑顔で見送るべきか(長文です)」と知恵袋に書き込んだ者です。

「死ね」「もう二度と顔見せんな」  私は小学4年生から、両親が母方の祖父母と家を建て同居し始めるという理由で、仙台郊外の小学校へ転校することになった。  私の両親は何度も祖父母の家に足を運び、新しく建てる家の間取りについて話し合っていた。家の間取りは1階にリビング・キチン、トイレに風呂場に爺ちゃん婆ちゃんが寝る和室。2階に家の中で最も大きな両親の寝室。廊下を挟んだ一部屋を私の部屋にしてくれるという。
Oikawa Mika
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②私が「私に暴力を振るい続けた死にゆく母を笑顔で見送るべきか(長文です)」と知恵袋に書き込んだ者です。

 「そんなこと言ってんじゃないよ!」  そう怒鳴られた後に左の頬を平手打ちされた。それが私の思い出せる一番古い記憶。 私は4歳になったばかり。幼稚園の入園式前に身体測定で新入園児皆が集められた教室で、私が隣の女の子にテレビで覚えたての「毛深い」という言葉を発した直後に母は私を怒鳴りビンタした。  お母さん、私ね、覚えたての言葉だから誰かに言ってみたかったんだよ。「そんな言葉知ってるの、凄いね」って、
Oikawa Mika
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私が「私に暴力を振るい続けた死にゆく母を笑顔で見送るべきか(長文です)」と知恵袋に書き込んだ者です。

あれから2度目の桜が散りました。  今から2年前、私はタイトル通りの質問をヤフー知恵袋に書き込みました。 特に多くの閲覧者を望んでいたわけでもなく、こんな長文を最後まで読んで回答をくれる人もいないだろうと予想しながら自分の置かれていた状況を洗いざらい書き込んだのは夜10時。  回答者が付いたのも確認せずに眠りにつき、朝起きた時には閲覧数が8万を超えていて、何だか怖くなってすぐに回答募集を打ち切ったの
Oikawa Mika
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虐待のことを語らずに私の失聴経験は終われない

06年と09年 私と同じ境遇=児童虐待を受けた子供時代を生き延びた子達が自らの命を断ちました。まだ19歳と20歳と言う若さで… 今まで失聴経験を読んで下さった皆様・これからこの文章と出会って下さる皆様へ「私の経験に出会ってくれて誠にありがとうございます。」 連載してきた文章は全編通して重苦しかった為、最後は近年の自分の写真メインにお伝えして軽いテイストで〆ようと思いつつ下書きをしていました。「いつか
小川 詩織
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