"KUMON" のタグがついたストーリー

血が繋がっていない”お父さん”への感謝とそこから学んだこと、そして伝えたいこと

僕が生まれる前、僕の血の繋がってる父親は母親に非常に過激なDVをしていた。 その結果、両親は離婚することになったのだが、なんと僕が生まれてすぐに、僕の父親は僕を誘拐してしまったのだ。 母は警察や弁護士に助けを求め、なんとか僕を父親から取り返した母は、父親は僕に会えないという条件を突きつけられることになった。 僕は父親の顔も知らなければ、名前も何もかもを知らない。 母はシングルマザーとなった。しかもバ
ごとう ひでと
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いま、私が自分らしく生きていられるのは、小さい頃から母が「うちの子は◯◯◯◯◯から」と言い続けてくれたからだっていう話

ノセ29歳、教育の仕事をしています 私は今、教育関係の仕事をしています。家庭教師や生活保護受給世帯向けの学習支援で学習支援専門員という仕事をしていまして、たくさんの子どもと話してきました。 私が話してきた子どもたちの中に、誰ひとりとして同じ子はいなくて、それぞれに好きなモノや大事なものがあり、悩みがあり、得意なことも苦手なこともあって、それはそれは愛しくない教え子なんて一人もいません。 私はとても幸
Nose Hiroyo
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【末期がんの父に贈った病院ウエディング】めげない心が起こした奇跡

「国語も算数も全部できなくていい。 ただ、 これだけは誰にも負けないという たった一つの道を見つけなさい」 小学生になったばかりの私に、父が言った。 普段、こんな真面目なことを言わない人だったから、 この言葉は、私の胸にグッと刻まれた。 それからいつもこの言葉は胸にあった。 だけど、 「たった一つの道」は見つからないままだった。 だって、簡単に見つかるものじゃなかったから。 もう、探すのも辞めようか
土田 ひとみ
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謝罪する勇気……同級生のお母さんが、クラス全員の前で謝罪した話……

私の教科書がなくなった!  私が小学校2年のとき、学校で机の中に入れていた音楽の教科書が見当たらなくなった。初めは「家に忘れてきたの?」と思ったが、自宅を探してもない。同級生にも聞いてみたけれど、おぼえがないという答えばかり。  担任の先生に申し出て、改めて教科書を購入することになった。しかし、現在のことは分からないが、その当時、教科書は特定の取次店を通してしか買えず、届くのは1か月先になることもザ
河野 陽炎
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【40歳の高齢出産】逆子だった私を帝王切開で産んでくれた母への想い

私は高齢出産の帝王切開で産まれた子供です。 そうして産んでくれた母をとても尊敬しています。 "高齢出産"は、35歳以上の出産のことを指します。私は母が40歳のときにできた子供でした。姉が居るので初産ではなかったけれど、姉を産んだ時も母はすでに36歳。 姉の出産のときもそれなりの難産で、姉が産まれたあとに妊娠したときには流産をしてしまったそうです。その難産と流産を乗り越えてできたのが私でした。 産むこ
nanase chino
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桜が舞うと、母のことを思い出します

「これが最後の海外旅行になるね。」 母は、そう言っていた。 19歳の冬。 その、3か月後だった。 ---- 「とうちゃんの夢、決めたよ。」 お風呂の天井を見上げて、6歳の息子に話した。 30代の父となり、「将来の夢=職業」に、違和感があった。 「やっぱり、家族でたくさん海外旅行に行きたい。」 ---- 喫茶店を営んでいた両親は、休日もなく働いていた。 物静かな母は、趣味もなく、友達と遊ぶこともない中
Handa Naoto
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口裂け女児 ストローで愛情を感じた話

がつぅぅ~~ん!! 保育園児の頃の話し。 園庭で外遊び中の出来事。 走り回っていた私は、友達の頭と衝突し、一瞬にして唇と歯茎の間が裂けた・・・。 もはやしびれにより痛みは感じず、生ぬるい流血の感覚だけあった。 母親が駆け付け、近医にて縫合。 しばらく保育園は休んだ。 「はい。ふぅ~~っ。」 そこから毎日、父親によるストローでの食事と投薬が開始された。 まるでスズメの餌やりのように。 始めの5日間くら
長谷川 彩未
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最高に恥ずかしかったあの日から学んだこと

靴下の中から鉛筆8ぽん 絶対にバレないと自信があった。だって、靴下の中に隠したもん。 私が7歳のころ。2つ年上のいとこのお姉ちゃんの家に父と遊びに行った時である。 当時私からみたお姉ちゃんは「大人の仲間入り」だった。 憧れていたお姉ちゃんとしばらく楽しく遊んでいたとき、 お姉ちゃんの学習机の上にあったキキララちゃんの鉛筆が目に飛び込んでくる。 目が血走り、手が汗ばみ、興奮状態に突入。 まるで、刑事番
長谷川 彩未
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【肝っ玉お母さん】病気もケガも「今しておけば将来しない」と前向きに向き合ってくれた母の話

小さいころの私はとても病弱でした。 両親にたくさん心配をかけましたが、私の母はいわゆる「肝っ玉母ちゃん」な人で、小さいころに病気しとけば、大きくなったとき病気しないから!と嫌な顔ひとつせず、育ててくれる人でした。 これは、そんな肝っ玉母ちゃんのお話です。 小学校2年生のときのこと。 しばらくずっと体調が悪く、お腹が痛いなぁと思っていたら実は盲腸だったというビックリ事件が起きました。 私は「ただの腹痛
KIKUCHI YU-KA
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新しい経験をする、親は子供に対してそのチャンスを与えるべき

うちの父親は少し変わった人でした。性格や見た目が変わっているとか変人という意味ではなく、世の中の少し先を考えている様な感じの人でした。    例えば、今から40年近く前に「これからの男は料理ぐらいできないとダメだ」と言ってナイフとりんごを子供に渡しりんごの皮むきを練習させられたり、「自分で使う道具ぐらい自分で管理できないとダメだ」と小刀と砥石を渡され刃物研ぎの練習をさせられたり、今でもすごいなと感心
佐藤 隆
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父は怒鳴った

3月のベッドの中で、私は動けなかった。 全身の力が完全に抜け切っていた。 布団の隙間から差してくる光は、思ったより力強かった。 目が差し抜かれるような痛い光だった。 季節は着実に春になっていた。 大学受験に落ちた。 全く予想外だった。 高望みもせず、確実に受かるところしか受けなかった、はずだった。 想定外という衝撃が10代の私を貫いていた。 昼間になれば、冬支度の布団は暑過ぎた。 出ていくしかない。
Miyoshi Hirofumi
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わが子のためにお父さんが手作りした学習プリントが、『公文式』になった話

いつの時代も、どんな国でも、我が子を想う親の気持ちは同じ。 私たちは、"我が子を想う親の愛情"にスポットを当て、ストーリーを募集しています。 このストーリー募集企画は、『公文 公(とおる)』さんという、 1人の父親のストーリーから始まりました。 高校の数学教師である公さんは、妻の禎子(ていこ)さん、 そして3人の子供たちと共に大阪で暮らす5人家族。 ある初夏の日、禎子さんは小学校2年生の長男、毅(た
KUMON Story
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わたしの人生を素敵なものにしてくれた、それは父の「雷」と1冊の本。

両親が38歳のときに生まれた私。 「勉強しろ」と言われたことは一切なく、 自分に非があること以外で怒られたこともない。 何事も自分で考えて決断できる人生を歩ませてくれた。 遅く生まれた子どもだから甘やかされたのかといえばそうでもなく、 食べ物の好き嫌いには厳しかったし、 サンタさんがプレゼントをくれるという文化は無かったし、 高校の合格祝いに携帯電話を買ってくれたはいいものの、 「料金は自分で払え」
abe satomi
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【共働きの両親へ】いつもいなかったから、大事だった-限られた時間が私達兄妹に与えてくれたもの

「せめて子どもが小学校を卒業するまでは、家にいてあげたい」 社会人生活を11年間過ごす間に、そう言って仕事を辞めていった友人や同僚を何人も見てきた。 彼女達の気持ちは、私にも分かる。私に子どもはいないが、おなかを痛めて産んだわが子はきっと側に居るほど可愛くて、せめて小学校までの大切な時期を側で見守りたいと思うのは、ごくごく自然なことだろう。 しかも、どこにどんな残酷な人間が紛れているか分からない昨今
渡部 彩香
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父と遊んだ記憶の中で1番楽しかった「カブトムシ採集の思い出」を振り返って気が付いた、本気で向き合うことの大切さ

最近の悩みの一つに「父と話が長く続かない」というものがある。 とにかく何の話題にしても一分以上持たないのだ。 例えば、 父に「なにかやりたいことがあって今の仕事に就いたのか」と聞くと 「別に。それより早く就職して給料もらえるようになれ」と返ってくる。 しかし、ここから会話が広がらない。 今でこそコミュニケーションが円滑とは言い難い父と僕だが、子どもの頃はよく遊んでくれたものだ。せっかくの機会なので、
Ishi Takeo
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