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Matsui Takahiro

Matsui Takahiroの人生のストーリー

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Matsui Takahiroの人生のストーリー

ひらがなは一列に書かないと後で読めなくなることに気がついた瞬間の話

「今日は、おやつに食べたチーズの包み紙にあるトッポ・ジージョの絵を切り取って世界に1つだけの紙芝居を作りましょうね。」 U保育園年長さん、青組のM先生は言った。あの頃,僕はチーズが大嫌いだった。 「表にはトッポ・ジージョのイラストを貼って、裏には短いお話を書いてね。みんなが一つずつお話を考えれば、全部で27のお話ができるよ。」 僕はトランペットを吹くトッポ・ジージョのイラストをきれいに切り取ってのり

当たり前ことが当たり前にできなかった6歳のころの話

小学生のころ,先生にいじめられた話

小学校6年生のころ,僕のあだ名は「アカ」だった。それは当時の担任教師がつけた。「アカ」とはいわゆる社会主義者や共産主義者に対する蔑称のことだ。僕が小学生だった1980年代の日本の地方都市ではまだこんな言い方が残っていた。 事の起こりは,小学校学校創立10周年を迎えて毎週のように繰り返される廃品回収だったかと思う。小学校はこの式典を挙行するために体育館前の庭を整備するための費用が必要だった。そのために

いじめは生徒間だけのものではありません。時には教師が生徒をいじめることだってあります。だからいじめはなくならない。

大学時代の親友の話を最後まで聞いてやれなくて後悔している話

いつものようにセブ市の下町の雑踏を歩いていると,見覚えのある男の後ろ姿を目にした。そのまま少しその男を目で追い,それから恐る恐るゆっくりと近づいていった。彼は甲高い声で露店の主人と何やら話している。間違いない,人違いではない。胸が詰まりそうになりながら声をかけた。 「Y,おまえ,Yか。何やってんだ!おい,,,」 彼が答える。 「よぉ,松井かぁ,久しぶりだなー。お前こそ何やってんだい,こんなところで。

あの時ああしておけばよかったという経験は誰にでもあるものですが,今でも悔やんでることについて

7歳で小学校を退学すると決めた同級生の話

自由とは自分の良心や興味関心に従って行う行動について,物理的,倫理的に制約を受けないことをいうのだろうか。 小・中学校の同級生にバンチャンという子がいた。バンチャンは僕のうちの近くの雇用促進住宅にお父さんと二人で住んでいた。小学1年生の時,バンチャンのうちに一度だけ遊びに行ったことがある。 ある冬の寒い日,僕とバンチャンは帰り道が一緒になり,そのままバンチャンのうちにあがらせてもらった。バンチャンの

当たり前のことを当たり前のことと考えなかった自由な生きざま

セブシティのダウンタウンで会ったある兄弟の話

いつもの通り路上の屋台でフライドチキンとフライドポテトを食べた。この店、ちょっとうまいと評判の店。理由はケンタッキーフライドチキンからもらってきた油で(つまり廃油)でチキンを揚げているから。どうも、ケンタのチキンのダシがこの油にたっぷり含まれていると信じられているみたい。でもさ、この油見るからに体に悪そう。こげ茶色でしっかり酸化して発がん性物質たっぷりって感じがするんだが。。。 それはそうと、ここで

今頃どうしてるのかなぁ,元気にしているといいけど。。。

20世紀最後の夜を墓場で過ごした話

僕は20世紀最後の夜を墓場で過ごした。 2000年12月30日,ある地方都市の金融機関で債権管理の仕事をしていた。債権管理とは,わかりやすく言えば借金の取り立てのこと。これには毎月正常に返済が行われているものとそうでないものがある。そうでないものをご存知の通り不良債権という。 債権というものは3カ月延滞すれば,正常に戻る可能性はほとんどない。延滞が3カ月積み上がる辺りから法的手続きの執行が現実性を帯

とにかく寒かった。

世の中のことはすべて無意味かもしれない話

仏教の根本思想は「苦」であり,「空」であるということらしい。 「苦」とは何か。それは文字通りこの世は様々な苦しみに満ちているということでこれは理解しやすい。では,「空」とは何か。それは,この世界のあらゆる,物質,行為,思想といったものには一切意味がなく,無価値であるという考え方らしい。 そして「無常」とは,万物は常に変化し一つの形を保ちえないということ。これはわかる。しかし,それに続く「無我」という

無味だから意味にこだわるのかもしれません。本質的に意味が存在していれば,意味にこだわるという発想自体が存在しないのではないでしょうか。

セブ島の隣のネグロス島にはまだ山賊がいるという話

セブ島の隣のネグロス島には新人民軍(New Peoples Army, NPA)といういわゆる共産ゲリラがまだ生き残っているらしい。先月の選挙の際にも,いくばくかの金銭と引き換えに選挙妨害をやめてもらったという話を耳にした。また,15年くらい前までは小舟に乗ってセブ島の漁村でも略奪行為を行っていたというから,既に群盗化してしまっているのかもしれない。 21世紀のこの世界に共産ゲリラとはにわかに信じが

人にとって第一言語は本当に必要かということについて考えた話

「まずは第一言語を」は本当か? こちらで会う人によくする質問がある。それは「あなたの第一言語は何ですか?」というものだ。この文章を読んでいるあなたなら,なんと答えるだろうか。 この質問で驚かされるのは,多言語国家であるフィリピンではフィリピノ語,英語,ビサヤ語など多様な答えが返ってくるということではない。それは,この質問に即答できる人はそれほど多くないということだ。「それは仕事で?家庭で?」「マニラ

最近中国で信者が増えているキリスト教は,実は白蓮教ではないだろうかという話

先日、NHKスペシャルで中国の「地下教会(政府未公認のキリスト教会)」についての番組を見た。現在、中国のキリスト教徒の数は(おそらくカトリック)は経済発展に取り残された人、裕福な生活を送りながらも心に不安を抱える人を取り込み爆発的に増加しているらしい。 ミサや説教の様子を見ると、これは本当にキリスト教であるのかと思われるほどに呪術的であり、そこには中国の人々の心のなかに脈々と受け継がれる土着信仰の影

セブのタクシードライバーのおっさんの話がすばらしかったという話

東京+マニラ出張のため、早朝に自宅を出て空港に向かう。 タクシーの中で高額紙幣1,000ペソしか持っていないことに気づく。こういう場合、タクシーの運転手は99%おつりを持っていない。やっぱり持っていない(「今日は昼飯代50ペソだけ持って出かけたのさぁ。」運転手氏談)ということで、途中のコンビニで買い物をして小額紙幣を手に入れようと思ったけど、コンビにでも1000ペソでの買い物を拒否された。 つり銭く

フィリピン,ミンダナオ島のイスラム分離独立運動は実は宗教紛争ではないのではないかという話

9月9日,フィリピン南部ミンダナオ島のザンボアンガ市にモロ民族解放戦線(MNLF)を名乗る武装集団約300名が押し寄せ,フィリピン国軍との銃撃戦が発生した。MNLF側は市庁舎への独立旗の掲揚を要求し多数の人質を取って市内に立てこもり,現在もにらみ合いが続いている。多数のボートに分乗し,海側から市街に侵入する戦術は2月の「スールー王国軍」を名乗る武装集団がボルネオ島サバ州に突如上陸した事件を彷彿とさせ

墓碑を読むとその街の歴史がわかるという話

墓碑を読むのが好きだ。墓地に行き、墓碑を読むことで、その土地の歩みを知ることができる。 長く滞在する土地では、必ず墓地に行き、葬られている人の墓碑を読んで歩く。ロンドンのグリニッジの墓地では大英帝国時代の墓碑が興味深い。バンコクでは中華系タイ人の墓碑がそのままバンコク発展の歴史を物語っている。 セブでも古い墓碑はほとんど中華系住民のものだが、それ以外に多いのは太平洋戦争の犠牲者の墓碑。爆撃により、艦

マニラの街角で見かけたある親子の話

仕事の関係でセブからマニラに来ている。毎朝、滞在しているホテルから職場までの数百メートルを歩く。高層ビルに囲まれたこの地区では、ビジネススーツに身を包んだ多くの人々が毎日忙しく行き交う。今朝も多くの人と自動車で混雑する通りを歩いていた。 ふいに交差点の反対側にいる一組の母子の姿が目に入る。母親は使い古されたベビーカーの前にしゃがみこみ、その脇に置かれたゴミ袋の中から機内食で配られるようなミックスナッ

セブ島にある日本へ行く介護士さんのための研修施設に見学に行った話

この研修施設の見学は今回で2回目になる。エアコンの効いた涼しいオフィスに入ると首筋から流れる汗が次第に乾いていくのを感じる。 前回はここに勤務するフィリピン人日本語教師A君さんの紹介で訪問し,学習にひたむきに取り組む研修生の姿に感心しつつも,同時に複雑な感情を持った。そこでAさんに「少子化が進む日本の人手不足を埋めるために,フィリピンの介護士さんが渡日して日本のお年寄りのお世話をすることについてどう

フィリピンの田舎町で見かけたあるおじいちゃんの話

今日の昼食は路上の屋台だった。 掘っ立て小屋の中で昼食を食べていると、この小屋は店のおばあちゃんの自宅の前に立てられていることに気がついた。自宅の作りは壁も屋根もコンクリート造りで豊かとはいえないものの、ひどく貧しいとも言えない感じだった。 何気なく自宅を眺めていると、軒下におじいちゃんが寝かせられている。廃材と木切れで手造りされたリクライニングチェアに寝かせられているおじいちゃんの足は枯れ枝のよう

セブのシンボルであるサント・ニーニョと精霊信仰についての話

ボルネオ島の西側にあるスラウェシ島にコーヒーで有名なタナ・トラジャという地域がある。険しい山道を抜けると突然山に囲まれた盆地に桃源郷のような集落が現われる。ずいぶん昔のことだが、数週間滞在したことがある。 ここでは山間の傾斜地で陸稲を栽培し、弥生時代さながらのハンドナイフ(楕円形の木片にかみそりの刃を仕込んだもの)で稲穂を刈り取る。それを高床式倉庫そのものといった構造の貯蔵庫に保存する。この倉庫、「

「グローバル人材」育成についての話

先日、日本の高校の教育関係者の方と話す機会があったけど、日本語教育でもおなじみの「グローバル人材」なる言葉が日本の教育界でももてはやされているらしい。 その人曰く「わざわざ『グローバル人材』なんて言葉を持ち出す前に、日本人であろうとなかろうと、人ときちんとかかわっていける教育環境を整えるべき。そういう意味で考えると、この環境さえ整えれることができれば『グローバル人材』などと言う言葉を持ち出す必要もな

言語では何一つ確実なことは伝えられていないのではないかという話

先日,仏教思想における「空」について考える文章を書いたが,本日は職業柄,言語使用においての「空」について触れたい。 結論から言うと,私たちは結局,言語を使用する上でも何一つ確かなことを語ってはいないらしい。 今日まで伝わる主な仏教教理は釈迦入滅後,約800年のち,紀元3世紀頃の人物であるとされるナーガールジュナ(龍樹)によって体系化された。この体系化という事績から彼は大乗仏教「中観派」の祖とされてい

仏教は突き詰めれば宗教ではないかもしれないという話

仏教は突き詰めれば,宗教ではないという考え方がある。 確かに,仏教では人が歩む「道」については説くが,神による啓示や救済についてを説くことはない。そもそも仏教にはブッダ(悟りを開いた者)はいても神はいない。神という存在を自分の身体の外,世界のどこかに実在すると考え,神の恩寵と罰を説くセム的一神教(ユダヤ教,キリスト教,イスラム教)と仏教との根本的な違いはここにある。 考えてみれば当然である。一切が「

この世のすべてのものが「空」であるならば,「苦」もまた実体のない「空」であるはずだろう,という話

仏教の根本教理は「苦(一切皆苦)」と「空(諸行無常・諸法無我)」であることは既に触れた。 が,この世のすべてのものが「空」であるならば,「苦」もまた実体のない「空」であるはずだろうと素朴に思う。しかし,この素朴な理屈を身体感覚でもって納得できる人間はめったにいない。もしいるとすれば,それは既に涅槃寂静の境地に達していると言えるだろうし。 だから,仏教とは生きていく上で私たちにの前に立ちはだかる「苦」

東京ではみんなが「トレンディドラマ」の俳優のような話し方をすると知って驚いた頃の話

「やっぱり,こっちとくらべてさ,東京は寒いんだよね。ほんとに温かい地元がありがたいよ。ところでお前,今日何か用事あるの?」 東京から戻った兄は「テレビに出ている人たちの言葉」を話した。 正直に白状すれば,4つ上の兄が18で東京に行くまでテレビドラマで話されている言葉が標準語?であるということがわからなかった。もちろん,自分が話している地方の言葉が標準語ではないということは知っていたし,大阪弁や東北弁

個人の自我が集団の中に埋没しているという状態は,当事者感覚としてはそれほど悪いものではないのかもしれないという話

職業柄,日本に派遣される予定の介護士さんと接する機会がしばしばある。 日本に派遣される介護士さんに限らず,海外で働こうと決心する人たちの動機はほとんどの場合,国に残していく家族に送金するためである。もちろん,先進国で働き高い技能を身につけたいとか,広い世界で自分の可能性を試したいとかそういった動機がないこともないとは思うが,とにかく第一の目的は家族への送金である。 このような人たちの中には,一家の中

長崎浦上の隠れキリシタンの話

遠藤周作であったか,坂口安吾であったか忘れたがこんな文章があった。 長崎浦上の隠れキリシタンの話である。 長崎奉行所による隠れキリシタンへの弾圧は島原の乱以後,寛政から幕末まで大規模なものでは4回あったとされ,それぞれ浦上一番崩れから四番崩れと呼ばれている。特に三番崩れと四番崩れの際の弾圧は苛烈を極め,その中でも信仰を捨てず獄死や刑死したものが少なからずいた中で,棄教を選択するものも多数出たという。

自分の人生に影響を与えた映画についての話

同業者のH君といつもの中華屋で飯を食う。ひとしきり飲み食いした後,H君がお題を出した,「自分の人生に影響を受けた映画」。 最近は映画を見ることが少なくなったなと思いつつ挙げたのは,ヴァルテル・サレスの「モーターサイクル・ダイアリーズ」。ご存知の通り,若き日のエルネスト・ゲバラが友人との南米バイク一周旅行を通して社会の最底辺で生きる人たちに触れ,自分の人生の目的に目覚めていくというものだ(ちなみにヴァ

「ことばの市民」のための日本語教育とは何か

降りしきる雨でスートーンヘンジ訪問をあきらめた後に立ち寄ったソールズベリー大聖堂には,4通しか現存していないと言われる「マグナ・カルタ」の写本が展示されていた。13世紀初めに王の権限を制限し,課税に対する市民の自由を保障したこの条文は一文字一文字が太く力強く綴られており当時の人々の気概を表すようだった。ちなみに,この条文の前文は現在でもイギリス憲法を構成するものとして有効であるというから驚きだ。 さ

世界についての認識は実は2種類しかないんだろうと言う話

昨日、朋友(ポンヨウ)のFさんに「20代のような文章書きやがって」と言われ、本当にその通りだと思い反論できず。そのあと、Fさんがおすすめの漫画全4巻を貸してくれたので、一気に読んだ。あまりに強烈過ぎて吐き気を催す。 来年、不惑を迎えるというのに、思春期のようにナイーヴな今日この頃。第二反抗期というのは聞いたことがあるけど、第二思春期というのは聞いたことがない。 ということで、今日も思春期のような文章

ひたすら間違いを起こす人々と罰する神の話

旧約聖書を読む。 ユダヤ教の神ヤハウェは怒り、罰する神であるらしい。有名な話だけでもこれだけある。 罪 アダムは「知恵の実」を口にする 罰 神はアダムとイブをエデンの園から追放する 罪 カインは弟アベルを殺害する 罰 神はカインを一生「地をさすらうもの」としてしまう 罪 人々は堕落した生活を送る 罰 神はノア以外の人々を大洪水によって滅ぼす 罪 人々は天にも届く高い塔を作ろうと試みる 罰 神は塔を打

これまで話してきた「日本語教師になったきっかけについての話」は、実は本当でなかったという話

今まで日本語教師になったきっかけを「地域に住んでいる外国籍の人たちのお金に関する相談に乗っていたことから」と話してきた。これは僕にとっての「公式説明」で、何度もこの話を繰り返し話しているうちに自分自身もこの話を信じ込むようになってしまった。 全くの嘘ではないのだけれど、この話は厳密に言えば正しくない。確かに、南米からの日系人が多く住む故郷の町で、大規模な雇用調整が行われたときに車のローンの返済相談に

2002年、ロンドン・トラファルガー広場で見たパレスチナ人についての話

ロンドン・トラファルガー広場、2002年。 広場の前方中央には青と白のリボンで飾られた特設ステージが設置され、スーツ姿の紳士が流暢な英語でスピーチをしていた。男は、大量の化学兵器を隠し持つサダム・フセイン政権の武力打倒を訴えている。 男の名はベンヤミン・ネタニヤフ、イスラエル元首相。 広場はイスラエル国旗で埋め尽くされ、身なりの良い人たちの中に黒ずくめで豊かな髭を蓄えたユダヤ正統派の人たちが混じって

日本に働きに行くフィリピンの介護士さんの話

職業柄,日本に派遣される予定の介護士さんと接する機会がしばしばある。 日本に派遣される介護士さんに限らず,海外で働こうと決心する人たちの動機はほとんどの場合,国に残していく家族に送金するためである。もちろん,先進国で働き高い技能を身につけたいとか,広い世界で自分の可能性を試したいとかそういった動機がないこともないとは思うが,とにかく第一の目的は家族への送金である。 このような人たちの中には,一家の中

グローバリゼーションとは、いかなる現象であるのか?

グローバリゼーションとは、いかなる現象であるのか? ウォーラステインの「世界システム論」を持ち出すまでもなく、有史以来世界は「グローバル」であったとも言える。それは、アフリカで誕生した人類がユーラシア大陸に拡散し、その一部がベーリング海峡を渡りアメリカ大陸に足を踏み入れた頃から、世界は一つであったことは間違いない。 あるいは、ローマ帝国はイングランドからバグダッドまでの広大な地域に住む人々を政治的な

「アンパンマンのマーチ」とマックス・ウェーバーが見た神なき世界の話

♪ 何のために生まれて、何をして生きるのか~ アンパンマンのマーチで掲げられた問いに導かれて(というわけではないのだけれど)、『プロ倫』(大塚訳、中山訳)⇒『マックス・ウェーバー入門』(牧野版、山之内版)⇒『マックス・ウェーバーと近代』(姜尚中)に至る。 さすがに同時代人である姜尚中先生のウェーバー論は秀逸。ここでやっと近代合理主義、そして近代的自我とは何か?ということについて自分なりに納得のいく答

人身事故の現場の空を舞う白鷺の話

ある駅で電車が止まった。 人身事故。 それは、僕が電車を待っているちょうど向かいのホームで起きた。約1時間電車は止まり、ホームの端から「その人」が電車の下から運び出されるまでを見た。 電車を待っていたプラットフォームの一番端で、10数人の主に男性がその作業を凝視していた。 多くの人が無言で見つめる中、携帯を取り出して写真を撮ってそれを友人に送る20代の男性。さらに、写真の送り先の友人から電話がかかっ

息子とセブ島のジプニーに乗ったときの話

早朝、ジープに乗りたいという息子にたたき起こされ、寝巻きのままジープに乗りジョリビーのホットケーキを食べに行く。 半年振りのいつもの街並、雑踏、排気ガス、人いきれ。 車の揺れに足がおぼつかない息子の手を、乗客が順繰り引いて、僕たちを一番奥の安全な席に座らせてくれる。これも変わらない心地よい心遣い(乗り物自体はまったく心地よくないのだけれども)。 しばらくすると、丸刈りの若い男性4名と、頭がぼさぼさ、

団地脇の公園のベンチで泣いていたホームレスのおっさんの話

仕事帰りに通る団地脇の公園のベンチにホームレスらしい男性が腰かけていた。 歩道に背を向けて座る男性の後ろを通り過ぎたときに気付いたのだが、男性は小刻みに肩を震わせながら嗚咽を漏らし、薄汚れたジャンパーの裾で目元を拭っている。一度通り過ぎたのだが、気になってもう一度彼の後ろを何気ないふりをして通り過ぎてみたが、男性は相変わらず嗚咽を漏らしている。 自分でもほっておけばよいと思うのだが、やっぱり引き返し

赤点の半分は青点といって、青点で4冠王を達成していた高校生の頃の話-僕の高校時代0-

定期試験の平均点の半分を赤点という。赤点の半分、平均点の4分の一以下をなんというか知っているだろうか。 それを青点という。 16歳、夏休みが始まる前に英語A、英語B,数学Ⅰ、数学Ⅱの4科目で僕はそれらすべてが青点だった(しかも数学ⅠかⅡはカンニングした)。担任の先生からは「4冠王」というありがたい称号をいただいた。その称号を聞いて高校時代を通してほぼ唯一の友達と言えたドスコイ(つまり彼は太っていた)

フィリピン台風被害1年の後に、カトリシズムについて考えた

フィリピンに巨大台風が上陸し、レイテを中心に大きな被害を出して来週で1年が経とうとしている。そこで、政府より早く支援の動きを見せたのは、地元NPOをはじめとする草の根の人々だった。セブ市内では、翌日の早朝にはすでに支援物資集積のデポが設置され、食料や衣料品の山が瞬く間にできあがった。 市場で働く貧しい人々は日々の糧である野菜や果物などの商品の一部を、大学生は物資の仕分けや運搬に汗を流し、比較的裕福な

日本のカトリック教会の公開講座に参加した時の話

先日の書き込みの通り、カトリック教会の「カトリック教会のカテキズム要約(コンペンディウム)」公開講座に参加してきた。当日は雨だったが、年配の女性を中心に25名ほどの参加者があった。 入り口で名簿に記名すると、そこには所属教会を書く欄があり、〇〇教会とか△△教会とかみなそれぞれ自分が所属する教会を記しているようだったが、「ネットでの告知を見てきた」僕は空欄のままにしてその旨を伝えた。受付の女性は優しい

モテモテサッカー野郎どもと気弱な生物教師、そして勇気あるバスケ部女子の話ー僕の高校時代1-

高校2年の5月に生物の教科書を捨てたのは生物の教師が嫌いだったから、と書いた。もちろん好きではなかったけど、実は捨てたのは生物の先生なら怒られても平気だと思ったからで、かなり小狡い。 最悪、本当に困ったらまた買えばいいし、とにかく教科書なしで1年乗り切れるかということが当時の僕にとってはおもしろそうな遊びに感じられた。それで、生物の教科書は学校に行く途中のなぜかエロ本が発掘される竹藪の中に放り投げて

標準学生服は分類上は長ランであるという話ー僕の高校時代2-

僕が通っていた高校の制服は、いわゆる詰め襟の学ランと呼ばれる学生服だった。 が、実は普通の学ランと微妙に違っていて、使われている生地なんかも少し光沢があり、さらに詰め襟には、車のライトを反射して発光するカラーが縫い付けられていた。 普通は、どこの高校も市販の学ランを買って、ボタンだけを自分の学校のものにつけ変えて着ることができたが、僕たちの高校だけが専門の衣料品店でこの特別製学生服を購入しなければな

キレた教師と友達を止めようとしてキレたんだけど、余裕で無視された瞬間の話-僕の高校時代3-

その数学のアニキの授業はとってもわかりやすくて、高校に入って初めて何を言っているかがわかる数学の授業を受けたような気がした。授業後アニキにこう問われた。 「どうだ、先生の説明、きちんとできてるか?」 僕は、思ったままを話した。 「はい、とってもわかりやすいです。初めてわかる授業を聞きました」 アニキは顔をほころばせて答えた。 「そうか、そうか、先生がんばるからな。」 この時点では、とっても素晴らしい

自分の人生を真剣に生きたケンちゃんと、不真面目に「とりあえず」生きている僕の話

2006年6月のある晩、なぜか体が重く、部屋の中で動けなくなりました。特に体調が悪いわけでもなく、ただ動けませんでした。もうどうしても動けないので、その晩は早めに寝ました。 大学時代、僕にはケンちゃんという友達がいました。 ケンちゃんは、同郷の友達で1994年に進学のため上京した僕たちよりも一足早く、ミュージシャンになるために高校を中退して東京に来ていました。とりあえず高校卒業、とりあえず大学進学と

世界は苛立ちに満ちているのかもしれないという話

世界、そして、私たちの社会は苛立っている。フランスで、中東で、そして日本で。 言論の自由も暴力の行使も一種の「表現行為」であるとすれば、フランスでは人々が挑発的な風刺絵に、それに対する暴力に自らの苛立ちを託してお互いを傷つけ合っている。 日本では、隣国に、政権与党に、特定の民族グループに、異物を混入させてしまった食品会社に、某音楽グループのパフォーマンスに、園庭で騒ぐ幼稚園児に、接客態度が悪い店員に

世界は苛立ちに満ちているのかもしれないという話の続き

今、自分がこんな境遇に陥っているのは、一体どこの誰のせいなのかと人々は苛立ちをつのらせる。 ただし、諸悪の根源を金融資本主義やグローバリゼーションに還元してしまうことは、決して生産的な行為であるとは言えない。これらの現象によって多くの人の雇用が創出され、その結果世界人口は70億まで増加したとも言える。ただ、それでも世界は苛立ちに満ちている。 このような現象に関わらずには生きていけないことは明らかな現

世界は苛立ちに満ちているのかもしれないという話の続きの続き

フランスの雑誌社に対しての襲撃事件をきっかけにこれまで2回にわたり「世界が抱えこむ苛立ち」について考えてきた。 欧米が抱えるイスラム社会への苛立ちや暴力、それに対するあの兄弟(一体、彼らを何者だと考えればよいのだろうか?フランス人?イスラム教徒?原理主義者?ジハーディスト?)の苛立ちと暴力、そして日本社会に充満する苛立ちついて考えた。 グローバル社会におけるさまざまな格差から分泌される閉塞感と拠るべ

辞めたくても辞めたくても神父を辞められない年老いた男の話

バチカンのシスティーナ礼拝堂に描かれたキリストは筋骨隆々とした逞しい青年である。自信に満ち溢れたこの男は世界を睥睨し、力に溢れた表情で人々に最後の審判を下す。 この姿は、あの痩せ衰え弱々しいカトリックのキリスト像と正反対で、当時でも物議を醸したようだが、これは、キリスト教的というよりもは、多分にユダヤ教的な「罰する神」の典型のような気がする。 全然関係がないが、ボリス・ヴィアンの作品には「醜いやつは

ヨーロッパの思想家が自らのルーツをギリシア・ローマに求めることの妥当性についての話

思うところあって、教育思想史関係の本を乱読中。 ルソーとかデューイはもちろん出てくるけど、ニーチェやフーコーなど現代思想につながるものもかなりの頻度で取り上げられている。あとは、アウグスティヌスなどの中世カトリシズムの思想家も頻出。 そしてもちろん、それらの起源はソクラテス、プラトン、アリストテレス。やはり、教育思想史をたどる旅は西洋哲学史そのものであるようだ。 僕にとってはおなじみのニーチェもフー

人はなぜ人を殺してはいけないのかという話

銀座で不意に某テレビ番組(局と名前は忘れた)の街頭インタビューを受ける。子どもの素朴な疑問に大人が答えるという趣旨で、2つの質問についてのコメントがほしいという。 ・・・・・・・・・・ レポーター:人はなぜ人を殺してはいけないのか? 僕:おそらく原理的には自分が殺されないために、他者の殺人を容認しないということだと思う。ある人Aが、ある人Bを殺しても良いとあなたが判断するならば、可能性としてある人B

ロンドンのど真ん中で英語を学ぶ必要性を全く感じていなかったA君の話

かつてロンドンで生活していたころ、同じフラットの屋根裏部屋にA君という関西出身の友人が住んでいた。時折、この小公女セーラが閉じ込められた部屋のような感じがする彼の部屋に行ってはよもやま話をした。 ある日彼が言った。 「僕は、今、英語を勉強する必要性を全く感じないんやけどな。」 この英語国の中心に住んでいながら、英語を勉強する必要を全く感じないとは、この男は阿呆かと思うと同時に、只者ではないなと思った

小学生のころ、友だちをいじめた話

5月も近くなって暑さすらも感じられるようになり、道端にはツツジがきれいに咲いている。眩いばかりの紅いツツジを眺めていると、小学生の頃、こんなきれいなツツジを横目に通学していたことを思い出す。 ところで、STORYS.JPにアップした「小学生の頃、先生にいじめられた話」がこのところ急激に閲覧数を伸ばしている。この話では、自分は被害者であったわけだが、正直に白状すれば、僕は傍観者であったこともあるし、加

個性はあくまでも相手の理解の範囲内でないと、受け入れられないという話

ブルーハーツの歌にこんな歌詞がある。 今の若者には個性がない~ 個性があればあるで押さえつけるくせに~ その昔、新規採用者に対して行われる「個性を認め合う」みたいなトピックのレクチャーで「社会人はな、個性的な趣味がないとダメだ。この中で誰もやってないような趣味をもっとるやつはおるか?」と研修担当部長に問われ、「インドネシア語」と答えた僕。研修担当部長の顔も、その場の空気も一瞬どのように対応したらよい

千葉県にあるタイ仏教寺院に行った話

日曜日に成田市にあるワット・パクナム日本別院に行く(本寺はバンコクの「川向こう」にあるらしい。) 北総の丘陵地帯を抜けトンネルで成田空港の地下を通り、反空港闘争で犠牲者を出した「東峰十字路」を左折しさらに走ると、疎林の切れ目から突如としてあの見慣れた「重ね屋根」の甍が目に入る。 境内に入ってしまえば、そこはタイそのもの。 手入れされた庭園や、咲き乱れる花々、梢の下に佇むサーラー(東屋)。庭に置かれた

「伝わらないこと」が育む豊かさの話

私は、2011年から2014年の3年間、フィリピン中部セブ地域の中等教育機関への日本語プログラム導入に携わりました。 セブといえばリゾート地として有名ですが、歴史的にはマニラに首都が置かれる前にスペイン植民地政府の首府が置かれていた古都であり、現在でも250万人を超える人口を抱えるフィリピン第2の都市でもあります。この地域は公用語でもあるフィリピノ語(タガログ語)とはまた別のセブアノ語という地域言語

40年前に自分の父親を殺した男たちとその殺人についての映画を撮る、という内容の映画を見た話

あなたがもし大虐殺の実行者だったとして、 40 年後、被害者の息子と共演しその殺人を再現する映画を撮ることを誰かに提案されたら、どうするだろうか? こんな正気の沙汰とは思えないような設定の『アクト・オブ・キリング』という映画がある。これはフィクションではなく、完全なドキュメンタリーだ。 加害者は嬉々として映画製作に参加し、過去の殺人を被害者の息子相手に演じ、あろうことか国家の要職にある人物までもが撮

セブの高校でいろいろ考えた(仮題)ー日本語教師なのに、なぜか机は保健室ー第1話:はじめにー世界をほんの少しだけ理解することで得られるものー

これから紹介していくのは、日本語教師としてフィリピン中部、セブ市内のダウンタウンにある高校で働きながら考えた「ことばの教育」、「日本やフィリピンの社会のこと」、「社会の中で生きる人たちと私」についての話です。 26 歳のとき、「好きなことしかやらない」と決めて、日本語教師になりました。それからタイで 6 年間、フィリピンで 3 年間日本語教師として働き、今年で 40 歳になります。大学時代はインドネ

国立大学、文系学部の定員削減についての話

「余分なこと考えてばかりで、手を動かさんやつはいらん」ということかな。これが愚民化政策であると言えばそうかもしれない。 富裕層は国内での教育はあきらめて、海外留学へ。一般層は良質の教育を受ける機会がないまま単純労働者化して、安価な労働力の供給源になる。私たちの社会はますます流動性を失い、階層は固定化される。 その先に見えるのは、海外留学で「グローバル」な能力を身につけた人材の海外移住。もう、国内に魅

日本は戦争をする国になるのだろうか?という話

かつて「カミソリ」と呼ばれた後藤田正晴は、1987年のイラク・イラン戦争の際に中曽根首相が提案したペルシャ湾への掃海艇派遣を「蟻の一穴」であるとして拒否した。それから4年後の1991年、湾岸戦争終了後に海上自衛隊の掃海艇がペルシャ湾に派遣され、翌1992年にはいわゆるPKO協力法が施行された。 そして、20数年後の現在、集団的自衛権の見直しが閣議決定された。今後はこの閣議決定をもとに法的な整備が進め

セブの高校でいろいろ考えた(仮題)-日本語教師なのに、なぜか机は保健室-第2話:なぜか机は保健室-セブ生活はこの机から始まった-

僕は国際交流基金の日本語教育専門家として2011年4月から2014年4月までの3年間、セブに派遣された。主な業務はセブ地域の中等教育機関での日本語プログラム導入と、この地域における日本語教育全般の支援である。 実はフィリピンに行くことは予想していなかった。それまで、6年間タイのバンコクで暮らしていた僕は、もちろん勤務地もバンコクになるものだと思い込んでいた。しかし、フィリピン。大学時代に徘徊したイン

セブの高校でいろいろ考えた(仮題)-日本語教師なのに、なぜか机は保健室-第3話:ラプ・ラプの子どもたち-フィリピンの古都セブ-

セブというと白い砂浜、碧い海、こんな風景を思い浮かべ人も多いだろう。もちろん、セブは世界でも有名なビーチリゾートである。もしかしたら、セブがフィリピンにあることを知らない人もいるかもしれない。が、実はセブはフィリピンの首都がマニラに置かれる前、スペイン植民地政府の首府があった古都であり、現在でも250万人を超える人口を抱える押しも押されぬフィリピン第2の都市なのである。 セブ(近隣の5つの市を加えて

日高屋であったいやーな感じのジジイの話

本日の夕飯は中華熱烈食堂の日高屋で食す。 餃子2人前にから揚げ2個、スープとライスがついた「W餃子定食」620円。店内の宣伝ポスターは「Wでキメる」と高らかに謳いあげている。すばらしいボリュームとコストパフォーマンス。さらに、何と財布の中には「ライス大盛り無料券」がある。 今夜はW餃子定食(ライス大盛り)ナイトでカロリー無制限、大フィーバー。もう今日の午後3時ごろからこんな最高な夜にしようとキメてい

ウォシュレットと仔犬と母犬の話

ウォシュレット付の便座に座り、水流の強さを一番強くして肛門を刺激するとなぜかウンチが出やすくなる。 中学生の頃、当時飼っていた犬を交配させて仔を産ませようと母が言った。母は、わが子のようにかわいがっている愛犬に、子どもを産み母になる経験をさせてあげたいと思ったらしい。生まれた仔犬はそのブリーダーに引き取ってもらう段取りで、交配をお願いした。 数か月後のある日、黒のシェットランドシープドックである我が

「同性愛者」と言われて悔しくてたまらなかった子ども時代の話

自分で言うのもなんだが、僕は「玉のように可愛らしい」子どもだった。 3歳くらいまでは、外出すれば必ず女の子と間違えられた。母に手を引かれて買い物などに行けば、店のおばちゃんたちが「かわいい女の子ねえ」と声をかけてくれた。気を良くした母は、出かける前にわざと僕の前髪をゴムで結んだりして、こんな風に間違えられるのをまんざらでもない様子で眺めていた。 当事者の僕と言えば、自分の意識ではこんなに「男らしい」

いつかフィリピン版「坂の上の雲」を書いてみたいという話。

セブでの仕事の論文化のための資料レビューの合間に、いつかの野望であるフィリピン版「坂の上の雲」執筆のためのフィリピン独立革命史のお勉強をついついしてしまう。 日清・日露戦争で若き日本がひたすら「坂の上の雲」をめざして歩いていた頃、フィリピンでも祖国の独立と自由で平等な社会の実現のために、スペイン、そしてアメリカというとてつもなく大きな力に立ち向かっていった青年たちの姿があった。 「ゴンブルサ」の3修

安全保障関連法案の衆院通過という事実を前に私たちの国の自由と独立について考えた話

国会前で集団的自衛権反対のデモが続いている。これまでの高い支持率に奢った結果が今日の状況を引き起こしたのではないかと思う。 さまざまな人たちが、この問題について考え、声を上げている。結局参院でも法案は通過してまうのだろうけども、多くの人が集まって声を上げていることには大きな意義があると思う。無数の人々が直接に声を上げていくことは、間接民主制である私たちの国であっても、重要な局面においては必要なことだ

大学時代の恩師に久しぶりにあった話

東南アジア某国の初代大統領の孫娘であり、現役国会議員であるという人物が母校の大学を訪れるということになって、この方の歓迎レセプションに呼ばれたので参加した。東南アジア最大の人口を誇るこの国のカリスマ的な指導者の孫娘だけあって、スピーチセンスは抜群。この点はこの家系の遺伝子だろうか。 このレセプションに誘ってくださった恩師にも久しぶりに会う。相変わらず精力的に活動されているご様子。当時の学生20歳、恩

ストリートチルドレンと我が息子の話

セブのコンビニの前で、息子が飲みきれないで持て余しているジュースを、ストリートチルドレンの男の子がくれと寄ってきました。その手には腐敗して変色したマイス(トウモロコシの粉を加熱したもの)が入ったビニール袋が握られていました。 息子がそのジュースを手渡すと、その男の子はお礼を言うでもなく目の前で必死にジュースを飲み干しました。息子と男の子と僕とでコンビニの階段に腰掛けました。 そのあと、その男の子が「

フィリピン、セブにて我が子に北海道弁で語りかける話

セブの友人H君の息子ヤキチと初対面。 H君が息子に関してうれしかったことは「息子に話かけるときに北海道弁が出た」事だったらしい。 この感じ、わかるだろうか。 もともと、標準語使いではない自分にも同じような経験があったので、H君のうれしさについてもわかるような気がする。 つまり、標準語使いでない人間にとって、標準語はいわば「外国語」というか、それは半ば意識的に使われる言語なのだ。普段は、長年のトレーニ

ムセオ・スグボに行った話

セブ滞在中にムセオ・スグボに行く。 ムセオとはスペイン語で博物館の意、スグボとはセブの古名。もともとスペイン時代の刑務所であったというこの博物館は、珊瑚石で建てられた2階建ての管理棟と周囲を巡る塀で構成されており、なかなか趣がある。 その展示物で目を引いたものが3つある。 一つ目は、マゼラン来航以前の墳墓から出土した東南アジア各国からもたらされた陶磁器。タイ、ベトナム、中国、日本から渡ってきた陶磁器

寝苦しい真夏の夜に見た夢の話

実家の真っ暗な台所でガスレンジの紫色の炎の灯りだけを頼りに煮炊きをしていると、見知らぬ老婆が廊下から僕を見つめている。 老婆が言う。 102歳で大往生した祖母が、いよいよ危ない状態になってきていて、たぶん明け方までは持たないだろうと。 その老婆はいつの間にか台所に入ってきて、僕のほうに両手を差し出し、自分の両手を握れと促す。その時、この老婆は、なぜが顔面だけが中年の女性に若返っていた。 僕はこの人が

お父さんが憲兵だったというテラさんの話

数年前にテラさんが亡くなっていたことを人づてに聞きました。 テラさんはその昔、僕が金融機関で働いていたときに配属された支店の運転手だった人で、当時既に50代も半ばを過ぎていました。 支店で最年少の僕と最年長のテラさんのペアは、支店の現金輸送を担当していました。各支店の金庫には一定金額の現金が収められていて、多すぎても少なすぎてもいけません。各営業エリアには拠点となる現金センターがあって、支店の現金が

テラさん車を買う

テラさんはすごぶる機嫌が良いときには、自分のことを「テラさん」と呼ぶ。 この日の朝もテラさんは終始ご機嫌で支店長車での現金輸送の車中、わざわざ僕を助手席にではなくて、後部座席に座らせ「たまには支店長の気分も味わってみんか?こんなオッサンにクルマ運転させとると、えらくなった感じがするでえ~」とまくし立てる。 そんなご機嫌のテラさんの気分を害したくなくて、僕は恐縮しつつも後部座席に座腰かけた(ちなみにテ

テラさんとハゼ釣りに行く

(テラさんが愛車のハイエースをドヤ顔で自慢している話の続き) そうこうしていると、支店の裏道に駐車してあるハイエースのバックミラーに支店長の姿が映り込んだ。テラさんは獲物を狩る狼のようにひらりと運転席から飛び降り、支店長に歩み寄る。それを見止めた支店長がテラさんに話しかける。 「おう、テラさん、ええ車だな。新調しただか?」 テラさん、鼻息荒くますますドヤ顔で語る。 「はい、えらい掘り出しモンで、ちょ

安彦良和の「イエス」とオスカル・ロメロ神父の話

ブックオフで安彦良和の「イエス」を格安にて購入し、読了。 話はいきなり逸れるが、2015年5月にカトリック教会にて列福されたオスカル・ロメロ神父は、もともとは「本の虫」と呼ばれるほど世情に疎く、どちらかと言えば保守的な人物であったという。 内戦が続くエルサルバドルの首都、サンサルバドルにて1977年にかの地の大司教に任ぜられたときも、政治的な発言を慎重に避け、教会の中立を宣言することで、間接的に極右

歴史は指紋を持った人間の歩みの積み重ねという話

ちょうど今朝のような肌寒い朝、自転車で通りがかった田んぼの中で数人の人が動いていた。農作業ではなくて、穴を掘ってそこで何かしらの作業をしている。それは遺跡の発掘現場だった。 僕が生まれたところは、その昔、国分寺と国分尼寺が置かれていたところで、このような発掘現場がある日田園風景の中に突如として現われることがあった。 自転車をあぜ道に止めて、幅数メートル、長さ数十メートル、深さ1メートルほど掘られた穴

友人が死んで15年後に初めて墓参りをした話

3連休の最終日、しとしと雨が降る中、15年前にイエメンで亡くなった大学時代の友人の墓参に出かけた。15年ぶりの彼の北関東の故郷は、葬式の日と同じく曇り空で底冷えがした。 前回訪れたのは葬式の時だったので、実は彼の墓参りは初めてだ。彼の家のお墓は自宅のすぐ裏手にあると聞いていたので、15年前の記憶を頼りに彼の自宅を探し当て、実家の裏手の道に車を止めた。 地元の神社の脇の土地には数基の墓が並んでいた。お

京浜東北線で見た二人のオタクガイの話

京浜東北線の先頭車両で、二人のオタクガイが運転席を覗き込みながら話し込んでいます。運転席の広さや運転手の動作などに厳しい批評を加えています。どちらかが体臭きつめのようで、ちょっとくさい。 その電車話の間に差し挟まれる日常生活についての発言が結構ハード。 「今月バイト20連チャンだけど、休むとクビだから休めなくてね~」 「何か、最近職質妙に多いよね?テロ関係のあれかな?」 「○○君、最近お家から少し出

「Dragon Night」とクリスマス休戦の話

SEKAI NO OWARIの「Dragon Night」の歌詞のイメージとなったのは、欧州では有名なエピソードである、第一次世界大戦時の西部戦線で起こった「クリスマス休戦」だったらしい。 1914年冬、時のローマ法王の休戦の呼びかけに呼応してか、クリスマス・イブの夜にドイツ側陣地に立てられたクリスマスツリーを見たイギリス側兵士が"Silent night"(きよしこの夜)"を歌い始める。ドイツ側も

セブの高校でいろいろ考えた(仮題)-日本語教師なのに、なぜか机は保健室-第4話:保健室は病院ではありません-いろいろ考え始めるきっかけになったある日の出来事-

この高校に赴任してしばらく経ったある日の午後。その日も蒸し暑く、じっと座っていても、首筋から汗が背中に流れていくのわかる。 同室の養護教諭のテスさんは、電気代は学校持ちだから、ワリカンでエアコンを保健室に入れないかとしきりに誘ってくるが、ちょっとその後のトラブルが読みきれないので、よくわからない返事をしてごまかす。 テスさんが、限りなく常温に近いコーラとマンゴーをおやつにくれた。どちらも、口の中が粘

グローバリゼーションとはつまり、共通の基準による価値観の統合なのではないかという話

グローバリゼーションの進行による格差の拡大についてのニュースを見るにつけ、これは本当に「機会の平等」の結果なのか?と考え込んでしまう。 グローバリゼーションとはつまり、共通の基準による価値観の統合を指すことが多いのではないかと思う。かつてはグローバルスタンダードと呼ばれた工業製品の規格やコンピューターのOSが世間を賑わせたし、あるいは、共通の会計基準と課税基準によって出現する巨大貿易圏、最近はちょっ

アイドルをめざしていたNちゃんの話

厳しい寒さが続くと思い出すことがある。 20世紀の終わりごろ、僕はある放送局でアルバイトをしていた。 毎週金曜日の番組収録の日になると、出演者専用の駐車場のまわりに出没する追っかけの「ワンフー(ファンの業界用語)」の中にNちゃんという女の子がいた。 Nちゃんは、TOKIOの松岡君の大ファンで、このグループがこの放送局に入っているときは必ず駐車場のあたりに出没し、一日中「出待ち」をしていた。 駐車場に

電車は午後の陽を受けて進む

数日前から発熱が続き、昨日は仕事を休む。今日は午後から出勤とする。 朦朧とした意識で眺める電車からの風景は、いつもの風景とはすっかり異なり、全く違うどこか別の場所に来ているような錯覚を引き起こさせる。 青砥で日暮里行き列車に乗り換えるために電車を待つ。じっと立っているのがつらく、フードを深くかぶり、ホームの隅から隅までを行ったり来たりしながら時間をつぶす。 時刻表の前で、母親と息子二人らしい3人組と

10年後には世界の半分が失業してしまうような世界は欲さないという話

バンコクに来ている。 今回のバンコク滞在の拠点としたホテルがあるプラカノンという地区は、バンコクの東の外れにある。 バンコクもこの辺りまで来ると、大通りにこそ高層ビルが立ち並んではいるものの、一本奥の路地に入るとそこには、昔ながらの蟲惑的な雰囲気を放つ下町が広がる。 華人経営のソバ屋やら、ガラクタを商う個人商店やらが所狭しと立ち並び、その裏手には強烈な腐臭を放つ運河が流れている。大学生の頃始めて訪れ

幸福を追求するためには、世界をどう見るかによって全く正反対の方法論があって、そして、それは案外両方とも正解であるという話

ヴェトナム戦争報道にのめり込み、ひょんなことからヴェトナム人の妻と娘を持つことになった近藤紘一のルポやら小説を一通り読んだあと、司馬遼太郎の「人間の集団について」を再読している。司馬はこのエッセイ集を戦時下の南ヴェトナムを取材した後に書いた。 ところで、僕が際限のない成長を永久運動のごとく宿命づけられた資本主義システムに対する強い違和感を感じたきっかけについては、自分自身の金融機関勤務の経験からこれ

つまり、ことばを覚えるとか、使うということはこういうことなんだろうと思ったという話

息子と近所の公園に行った。 壁打ち用のテニスコート(スカッシュ場?)に神経質そうでかつ身なりのきちんとした初老の男性が壁に向かってボールを打っている。息子も少し離れたところで、その辺で拾ったテニスボールを壁に投げて遊んでいる。しばらくその様子をぼんやりと眺める。 経験上で言えば、この手の熟年男性がもっとも危険。些細なことでいきなりキレる傾向がある。 しばらくすると、浅黒い顔をした小学生5,6年生くら

本邦ニ於ケル昨今ノ愛國主義運動ニ對スル所感

最近のマイノリティ排斥のさまざまの動きを見聞し、通勤電車の中でその所感について「右傾化」した筆致文体で書いてみた。 ================================================================ 本邦ニ於ケル昨今ノ愛國主義運動ニ對スル所感 本邦ニ於ケル愛國主義運動ハ、明治期来ノ亜細亜主義ヲ源流トシ、此ヲ範トスルナラバ、其ノ精神ハ、亜細亜諸國朋友トノ相

自動販売機で初めてジュースを買った時の話

小学生の間、お小遣いはずっと1日50円だった。 一年生の頃は、毎日学校から帰るとお母さんが50円硬貨を手のひらに乗せてくれた。僕は毎日その50円硬貨を握りしめて、近所の駄菓子屋に駆け込み10円の飴やら、20円のせんべいなどを買って食べた。 それが、3、4年生になると確か月曜日に300円をまとめて渡してくれるようになった。一週間のうち、1日はお金を使わない日として、週に300円ということだった。 初め

私たちは馬鹿になっていないだろうか?という話

児島 襄(著)『天皇』第1巻-第5巻を読了。 本作は昭和天皇が存命であった昭和40年代に執筆されたものであるが、かなり微妙な問題にまで切り込んでおり興味深い。作者の苦労が伺われる作品。 明治末期に誕生し、「大正デモクラシー」の自由な空気の下で当時最高の教育を施され、リベラリストとして成長した昭和天皇がその後、どのように苦渋の決断を迫られていったのかが克明に記述されている。 興味深かったのは明治憲法下

「反知性主義」は「反知性」ではないという話

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (森本あんり著)を読む。  「反知性主義」とは、もともとは王侯貴族などの既得権益を保持する社会階層が存在しなかった独立期前後のアメリカにおいて、ケンブリッジやオックスフォードなどの旧世界の大学学位を持つ一部の人々が政治・宗教的な権力と結託して、一般市民の生活に介入を図ろうとするような力(あるいは「知性」)の行使に対するアンチテーゼとして形成されたと本書は

踏絵よって繰り返し神を裏切りながらも、自らの信仰を捨てることができなかった隠れキリシタンに人間存在の本質と根源を感じるという話

今春、「沈黙」の映画版が公開されるということで、周辺作品を再読中。本作は「沈黙」執筆のために訪れた長崎各地の印象などを綴ったエッセイが中心。 感動的なのは、プティジャン神父の「信徒発見」のくだりと、遠藤が現地で「カクレ」と呼ばれる集落の爺役(司祭役)の屋敷で「納戸神」と偽称されるマリアの母子画を見せてもらうくだり。 「信徒発見」については、以下の通り(出典はお得意のウィキペディア)。 ”1865年(

実家の床の間には教育勅語の掛け軸があったという話

僕の実家の祖父母の部屋の床の間には教育勅語の掛け軸が掛けてあった。その掛け軸は「明治百年」にあたる昭和43年に作られたものらしい。 僕は、物心ついたときから、この意味不明な漢字カナ交じり文を見て育った。 しかし、共に最終学歴が尋常小学校卒であった祖父母が戦前の教育体制に特別な思い入れを持っていたわけではないと思う。この掛け軸は、町内の老人会か自治会がまとめて購入し、各家庭に配ったとか、そういう偶発的

21世紀の小学校の便所で大便をしようとした時の話

仕事関係でとある小学校にお邪魔した折り、強烈な便意を催し体育館のトイレに駆け込む。 その昔、僕が小学生の頃、学校で大便をすることは最悪の禁忌であった。便意に堪えかね学校で大便をしようものなら、即座にクラス中に知れ渡り大変な迫害に遭うことになった。 このような状況下、我が母校の小学校では普段人気のない社会科準備室などで巨大な大便が発見されるという怪事件がしばしば起こった。僕自身も、大便を我慢するあまり

小さい頃、父親と自転車に乗って火事を見に行った話

今朝、自宅の近くで家事があった。大きな通りの向こうの、そう遠くない住宅地から、もくもくと黒煙が上がっている。けたたましい消防車のサイレンが近所に響き渡る。 ひさしぶりに、火事の煙を見た。 ごくごく小さい頃のある晩、実家の近所で家事があった。この時も消防車のサイレンが近所に響き渡っていた。父と物見のために上がった二階の窓からは、そう遠くない西の空が紅く染まっていた。 しばらく、紅く染まる空を眺めていた

多文化共生のための活動の現状は任侠道のようだという話

その良し悪しはさておき、日本の多文化共生のための活動の現状は任侠道のようだと思う。それは高倉健の網走番外地の見過ぎということではない(いや、少しある)。 任侠道の起源は古代中国の侠客にまで遡る。広大な中華において、中央政府の警備と管理が及ばない辺境の地では、馬賊強盗の類いが跋扈し、人々は自衛を余儀なくされることが少なくなかった。 このような社会の中で時の政府の支配に服することをよしとせず、自由な暮ら

同級生のFは実はいいヤツだったという話-僕の高校時代4-

隣町からこの高校に来ているFは一年のときからちょっとアブナイ雰囲気を出してる感じのヤツだった。 目付きも鋭くて、眉毛も微妙に細く剃っていて、入学直後から短ラン着用で上級生に睨まれても余裕かましてたし、先生にも反抗的だった。 何かと言うと真っ赤な顔になって「んだぁ、こらぁ、どりゃあ~」と叫び誰彼構わずへッドロックをかます狂暴なヤツだった。 二年になって、Fと同じクラスになった。正直に言ってちょっと怖か

ツツジと幼い日の記憶、人間の正気の正体についての話

あちこちでツツジがきれいに咲いている。ツツジにはなんとも言えない感覚的な思い出がある。 自分が育った家の庭にもコンクリートの塀沿いにツツジが植えられており、五月になるといつもきれいな花を咲かせた。 思い出せる限界に近いくらいの古い記憶を掘り起こすと、春の生暖かい陽気の中でちょうど自分の背丈くらいのツツジの木に赤い花がいっぱいに咲いている。 今まで緑色だったツツジの生け垣が真っ赤に染まっている。いくつ

今はどこで何をしているかわからないK君のこと

K君は僕のいっこ上の幼馴染で、小学校の頃は近くの神社とかで時々一緒に遊びました。 K君はいがぐり頭で目がくりくりしていて「ひょうきん者」でおもしろいにーちゃんでした。ケイドロ遊びをしていて、小さい子を追いかける時なんかは、わざとおどけてゆっくり走ったりするようなやさしい子でした。 そんなK君の消息を訪ねる連絡が地元からありました。もうずいぶん前から誰からも連絡が取れない状況のようで、今年行われる小学

僕が知っている夏

僕が知っている夏は、昼間はクマゼミがしゃあしゃあとやかましく鳴き、夕方は白と黒のしましまの蚊が乱舞し、ひぐらしが寂しげに鳴き、夜は真っ暗でエアコンの室外機とコオロギがじじーっと鳴く。 僕らが知っている夏は、目が眩むような日差しの中、自転車を漕いで河原までたどり着き、そのまま清流にに飛び込み、体を芯まで冷やしてしまうというように、とてつもなく暑くて冷たい。 ほぼ同郷同世代の友人と田舎談義。共通点は共に

これが”habitus”か

仕事柄いろんな人に会うけど、直感というかその人が纏っている空気みたいなのもので自分との相性を計る時がある。その空気の根源というのは、彼我の出身社会階層、生育環境、学歴、経験などにあるのだろう。 つまり、社会のどの辺りで生まれ、何に囲まれ、何を眺めながら育ったのか?それから、社会のどの辺りで生きてきて、何をして、何をしてこなかったのか?ものすごく乱暴に言ってしまえば、こんな「生まれと育ち」が似ている人

80年代の愛知県の田舎での体罰にまつわる話

80年代の愛知県の田舎では体罰は普通にありました。もう少し言うと、体罰というのは学年ごとに「当たり年」というのがあります。中学校などで上級生が荒れると、翌年の新一年生なんかは厳しい指導を受けることになるわけです。 僕らの年がそれに当たっていたかどうかはわかりませんが、中1の時のマーシーという体育教師は生徒を殴る殴る。男子女子構わずビンタ、蹴り、髪の毛掴んで引きづり回しの嵐でそりゃ激しかったです。 今

日本語教師養成おける直接法至上主義についての話

日本語教師養成おける直接法至上主義っていうのは、まだまだ根強いのでしょうかね。 しばらく前のことなんですが、あるポルトガル語ができるボランティアさんから、子どもと接するときにポルトガル語を使うのはどうなんでしょうね?みたいな話がありました。まあ、僕としてはポルトガル語の使用自体に良し悪しがあるのではなくて、そこは目的次第じゃないですかねぇ、と言いました。 そしたら、別のボランディアさんが、「媒介語の

日本語教師養成における直接法の「(修正不可能な)揺るぎない確信」について-私はどのような養成を受けてきたのか?(1)―

先日、日本語教師養成における直接法についての「(修正不可能な)揺るぎない確信」について書いた。 これは教師養成のあり方について考えたかったのであって、個別のボランティアさんを批判したかったわけではもちろんない。だから、これは「養成を受ける側」の問題ではなくて、「養成する側」の問題であるということをまず確認しておきたい。 言い訳がましい前置きとなったが、そこで今一度我が身を振り返れば、私はこれまでどの

他者の声に耳を傾け、異なる文化に対する感性やまなざしを磨く質の養成へ-私はどのような養成を受けてきたのか?(2)―

前回は、日本語教師養成のなかで直接法の「(修正不可能な)揺るぎない確信」がなぜ刷り込まれたのかについて、私自身の養成体験について書いた。では、私はそこからなぜ離れていったのか、そして他者の声に耳を傾け、異なる文化に対する感性やまなざしを磨く質の養成へつづく、次の段階の経験について書いてみよう。 タイの大学で働いているとき、学生たちからいかに意味のあるアウトプットを引き出せるかということについて考えて

地域の日本語教室だからこそできるオルタナティブな養成をめざして-私はどのような養成を受けてきたのか?(3)―

前号までで自分の養成経験をやや詳しく書いた。今号では、これらの養成経験と直接法の「(修正不可能な)揺るぎない確信」との関係、そしてそれを批判している現在の自分は何なんだろうか、ということについて書いてみたい。私自身もまだその確信をまだ非常に屈折した形で保持しているような気がするからである。 なぜこのような強固な刷り込みが行われたというと、早く一人前の日本語教師になりたいと思って勉強している期間中に、

学校が嫌なら逃げろと言うけれど。。。

この時期になると、学校に行かなくてもいい、嫌なら逃げなさいというメッセージがたくさん出てくる。 通勤電車では、いつも先頭車両に乗り込む。今朝もそうした。ある川を渡る前の駅を通過しかかった頃、ドーンという音とギャーっという運転士の叫び声。 一時間ほど電車の中に閉じ込められる。 運転席のフロントガラスはメチャクチャに破られている。停車した車両の運転席から運転士が冷静な声で状況を伝えるアナウンスをしている

読んでよかったストーリー

石郷 碧
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息子が20万人に一人と言われる難病と闘った話。たった9か月間の3人家族だった。

あの時の私は幼すぎてすべて甘かった。息子にこんな思いをさせずに済んだかもしれない。 私が妊娠したのは22歳の時。 妊娠した時はどうしようと悩んだけど、相手も喜んでくれたし、親も喜んでくれた。 でも、そのとき親が改まった表情で「話がある」と言われた。 その話とは兄と甥っ子のこと。 兄は2歳になったとき亡くなった。姉の子どもの甥っ子も1歳過ぎて2歳手前で亡くなった。 そのとき、「もしかしたら病気が遺伝し
大塚 雄介
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【語れば人はついてくる!】STORYS.JPで創業メンバーを採用した話

STORYS.JPを使って会社の採用が決まった! みなさんこんにちは。STORYS.JPの大塚です。 先日、STORYS.JPのユーザーであるKAIZEN PlatformのCEO須藤憲司さんより、 突然、嬉しいメッセージを頂きました。 はじめは目を疑い、3回ほど読み直してしまいました! なんと!? STORYS.JPを通じて、会社の採用が決まったというのです! こんな嬉しい一報を受け、須藤さんの
わさだ なお
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男が女として生活していくまで物語

【はじめに】 私が初めて性別を超えた人たちを見たのは、TBSでやっていた 上岡龍太郎さんの番組だったと思います。 当時は今と違って報道の規制も緩かったため、ニューハーフが上半身裸で モザイクもなしにお茶の間のテレビに写っていた時代です。 そんな彼女達、ニューハーフは「女装が高じて手術までしちゃった男」 という扱いで、変人、変態扱いが普通でした。  ニューハーフに人権はないのか?  と、聞かれれば、当
中村 鷹
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自由を求めて 「力」編

 「力」と言っても、実はそんなに大げさな話じゃない。ここでは「力」に振り回される悲劇から、ふっと自由になれたような、そんな話。 「力」こそ全て  あれは、芥川龍之介の 『羅生門』 を仕事の一環でやっている読書レポート集づくりのために読むことになったときのことだ。  読んで、まっさきに「暗い」というイメージが思い浮かんだ。そのイメージから、次に思い浮かんだのが中学生の頃のこと。それから、物事をはかる「
中村 鷹
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1

自由を求めて 「異質」からの脱出編

 タイトルほど、そんな大げさな話じゃない。何か少し、吹っ切れたり自由を感じたりしただけのこと。  あれは、仕事の一環でやっていた読書レポート集づくりで、芥川龍之介の『鼻』を読んだときのことだ。  読んで直ぐに頭に浮かんだことは、映画『 Forrest Gump(邦題:フォレスト・ガンプ/一期一会) 』と小説『 アルジャーノンに花束を 』のストーリーだった。それから、幼少期とその後の自身の経験が織り交
澤村 信哉
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MKD物語 ~素人が大学を作ったら~

MKD物語1 「大学はできたのに…」  フィリピン、ミンダナオ島の中心都市、ダバオに「ミンダナオ国際大学」という日本語学科のある大学がある。今でこそフィリピンで最も日本語能力試験の合格率が高く、スピーチコンテストでの上位を総なめ、という「フィリピン一の日本語教育機関」になったが、最初からそうだったわけでは、もちろん、ない。   ミンダナオ国際大学は、日比ボランティア協会という、日本のお坊さんと葬儀屋
田中 しいれい
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12

ついに甥っ子が胎内記憶を話しました。

胎内記憶を持つ子どもは30パーセントの確率とのことですが、 結構、私の周りでも「わが子に胎内記憶がある」という話を聞きます。 こちらのお子様も、胎内記憶があったそうです。 友人の綾さんのブログ です。 私も、1年位前から甥っ子に聞いてみていました。 でもいつもクネクネと恥ずかしそうにして答えてくれない。 ですが、先日妹が自宅を自作でリノベーションする! ということでペンキ塗りに手伝いに行った日・・・
古屋 憲章
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日本語教育実践の共有を阻むもの

 先日(2013年12月8日)、 第9回実践持ち寄り会 に参加した。私が 実践持ち寄り会 に参加したのは、第8回に続き、今回が2回目である。  前半のセッションでは、三名の発題者から実践の共有に関する報告を聞いたあと、次の二つの問いに関し、小グループで話し合った。 ・日本語教師は、実践を共有することでなにが得られるか。 ・実践を共有する方法としてどのようなことが考えられるか。 上記の問いに関し、話し
Senyorita A
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【"人は見かけによらぬもの"】 日本育ちの外国人と日本人の不思議な会話

人は外見で判断してはいけないの??? 答え: はい。 Yes ことわざ:   人は見かけによらぬもの   意味: 人間の本性は、外見からは判断できないということ。 2005年~2013年       (※写真のタレントさんは、あくまでもイメージ写真です。笑) 可愛い外国人ハーフのタレントさんや、外国人の綺麗なモデルさんなど 日本では当たり前になって来て、 日本人の中で外国に興味を持ったり  英語を学
古屋 憲章
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日本語教師は職業か

1.「日本語教師は職業か」という問い  日本語教師は職業ではない。生き方だ。  私の恩師である細川英雄(注1)先生のことばである。日本語教師とは、生計を維持するために従事する仕事ではなく、ことばにより他者と関わりながら生きていくという構えであるというような意味であろう。けだし、名言である。  さて、このことばには、「一般的には、日本語教師は生計を維持するために従事する仕事だと思われているけど、実は・

書きかけのストーリー

Matsui Takahiroさんにもっと聞きたい話リクエストする

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