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大柴 貴紀

人見知りです。
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大柴 貴紀の人生のストーリー

27歳で初めて正社員になったきっかけ

27歳の冬。僕は焦っていた。この先どうなるんだろう、と。 職場ではそれなりに存在感を放ってはいたが、言っても「バイト」である。しかも携わっていた業務がまもなく東京本社ではなく、大阪支店で行う事になっていた。それまで携わっていた仕事以外の業務を行うのか、それとも辞めるのか・・・。悩んだ末、僕は、ある行動に出た。 社内で恐れられていた専務に直談判をすることにした。要求は3つ。 ・社員にしろ。 ・大阪支店

大学生のPHS事情についての座談会の思い出

1996年。横浜の大学に通っていた僕はクラスで唯一PHSを所持していた。 クラスメイトからは「さすが東京の人は違う」などと煽てられ、最終的には「ベル打つから貸して」と、僕のPHSはみんなにいいように使われていた。特に電話してないのに、それなりの請求が毎月きていたが、PHSを持っているという優越感はなかなかのものだった。 夏。友達から「PHSに関する座談会に参加しない?」と誘われた。グループインタビュ

社会的信用と世の中的なロン毛と金髪のイメージの話

メンバーが4人以上になってしまい、事務所がどうにも手狭になったので、移転しようということになった。 練馬で一番良さそうな駅前の某信用金庫が入っているビルに移転しようかと思い、不動産屋さんと一緒にビルオーナーである某信用金庫の人に会いに行った。 我が社からはロン毛(後の社長)と金髪(僕)が立ち会った。 会社の業績は一期目だけど利益もわりと出てて、財務諸表的には全く問題ないと思ってたけど、結果「お断り」

正社員になったはいいけど、スキル不足を実感して、辞めようと思った話

「11時に来てださい」と言われた。 それまでの会社は9時出社だったので、随分と遅いなぁと思った。 初日、言われた通り11時に事務所に行くと、そこにはもの凄く眠そうな3人がいた。 「やっぱり明日から1時にしましょう」とロン毛が言ってきた。 夕方に「昼ごはん」を食べにでかけた。ココイチだった。食べ終わると「それじゃ」と簡単なゲームを始めた。負けた人がごはん代を払うルールらしい。僕は初日にしてごはん代を奢

大学に入り、15ヶ月で中退したあたりの話

子供の頃から漠然と「大学までが義務教育」って思ってたが、高校時代から成績はどんどん落ちていった。 1浪の末「子供の頃に行こうと思ってた大学」とは異なる神奈川のとある私大に受かったので入学することに。とりあえず大学に受かったし、なんとなく「これで一段落」と思った。 文学部はメインのキャンパスとは違う場所にあり、こじんまりした雰囲気だった。毎日学校には行くが、授業には気分次第で出たり出なかったり。ラウン

16歳夏の忘れられない悲しい出来事

これまでの人生で最も勉強をした時期である中学3年の冬。僕の勉強机は家族の寝室の一角にあった。夜遅く勉強する時は部屋の電気を消し、机の蛍光灯だけで勉強した。傍らには家族が寝ていた。机の蛍光灯が寝ている母親の顔に当たらないように工夫したりした。この頃、母親の体調が急激に悪くなっていた。 母親の様子が少しおかしいなと気づいたのは秋くらいだった。これまで就寝時以外に横になっているのを見た事がなかったが、この

子会社を作ることになった2006年秋

有限から株式会社に変更し、資本金もどどーんと積んだ。資本金が増えたのでWebサイトの資本金欄を書き換えたところ、いろんなオトナの方々からご連絡を頂くようになりました。前述の某信金からは未だに信用されなかったものの、世の中的には認知度、信頼度が上がっていってる事を実感しました。 その頃、会社は事業を拡大すべく、人員の拡充に力を入れていました。そして、元々は取引先の担当者であった営業の某氏が入社する運び

インターネットのことを調べはじめたきっかけ【リクエスト案件】

丸山パイセン、リクエストありがとうございます。 「インターネット界隈の事を調べるお」というブログを始めたきっかけというのは特に無くて、いくつもテーマを特化したブログを運営してて、「インターネット界隈に特化したのがあってもいいかな」と思って気軽に立ち上げんです。 界隈の事を調べるのは、忍者システムズからサムライファクトリーに変わったあたりからやっていて、相関図なんかも描いたりしていました。売上やサービ

メディアになってみて思う事【リクエスト案件】

鈴木さん、リクエストありがとうございます。 おそらく僕の書いているブログのことを指しているんだろうと思うのだけど、あくまであれは「ブログ」であって「メディア」というのには烏滸がましいなぁと思っております。で、「メディア」という言葉を調べてみたのですが、結局よくわからない・・・。凄く難しい言葉だなって思いました。僕がイメージしている「メディア」はこんなもんではない。 とまぁこれが正直なとこなのですが、

面識のない20人くらいの飲み代を払った話【2】

ちなみに僕、クレジットカード持ってないんです。当時も現在も。 最終的に何人くるかわからない今回の飲み会。一応会場は池袋のとある飲み屋の広めのスペースを確保しました。しかし、予算感は全然想像できなかったので、銀行から15万円をおろして財布に入れておきました。財布に15万円も入れた経験は初めてかもしれない。その日は挙動不審だったかもしれません。 夜、スタート予定時間よりも少し早く会場入りし、参加者を待っ

面識のない20人くらいの飲み代を払った話【1】

今から5年前くらい。2008年の夏の話。 1年半くらいの間、社内において微妙な立ち位置に甘んじていたのですが、ようやく復権した頃。僕は外部の人達と交流することに躍起になっていた。交流会に参加したり、パーティー的なものに参加したりと、現在と比べ物にならないくらいギラギラしてた気がする。テカテカではなくギラギラ。 そんなある日。最近知り合った人から「大柴さんに会いたいという人がいるからセッティングしてい

小市民がラスベガスに行った話-第一話- 「初めてのカジノ」

子会社から本体に戻って数ヶ月。2度目の「研修旅行」に行くことになった。1度目は京都、伊賀に行ったが、今回はラスベガスに行くらしい。なんでラスベガスに決まった経緯はよくわからないけど、ITの本場であるアメリカを見る事と、グランドキャニオンのスケール感、ラスベガスのエンターテイメントなどを「感じる」のが目的だった気がする。 社員全員で一気に行くと業務に支障が出るということで、4つのグループに分けて行く事

小市民がラスベガスに行った話-第二話- 「タラップを走る」

ラスベガスの宿泊先はWynn Las vegasというとこで、それはそれは豪華なとこだった。僕のような小市民には完全に場違いだった。しかしそれはそれで良い経験になった。 楽しかった数日はあっという間に過ぎ、帰国の日となった。 ラスベガスからサンフランシスコを経由して成田というルート。まずはサンフランシスコに向けて飛行機は飛び立った。 飛行中、やけに機体が揺れる。心の奥底では「鉄が空を飛ぶなんて信じら

金髪が監査役として過ごした9ヶ月間

2009年4月期は取締役として最初は新規事業の部門だけが管掌範囲だったけど、後半は事業部全体と経営企画など、全社員の7〜8割くらいが属する範囲を管掌して結構頑張った。それだけじゃなくて、オフィスの移転などもあって「いつも席にいない」ってアシスタントに言われてた。 期が終わり、体制変更が行われて経営企画っぽいとこの管掌におさまった。経緯に多少納得いかないとこもあったけど、気持ちを切り替えて新しい期を過

30歳過ぎて「入社2日目」の他社のフレッシュマンと一緒にビジネスマナー講習に参加した話

一時期、会社全体に「研修ブーム」が巻き起こった。社内のいろんな人に対していろんな講習があてがわれた。当時役員だったか部長だったか忘れたけど、まぁそんな感じの職位だったので、ミドルマネジメント講習などは理解できるんだけど、なぜかビジネスマナー講習に行かなければならなくなった。もうすぐ31歳。さすがにビジネスマナーは知ってるつもりだけど・・・。 4月2日、都内某所の講習会場には社内の人間数人と「昨日入社

10数年前、JKも注目してた選挙の話

今から10数年前。世の中は「小泉フィーバー」だった。「小泉」氏が率いる与党は選挙で圧勝した。世間の誰もが「小泉」に注目していた。 そんな時、僕は通勤のためにバスに乗っていた。眠い目をこすりながらバスに揺られていた。うとうととした頃、JK二人が乗車してきた。JKは一番後ろの席に座り、おしゃべりを始めた。話題は意外にも選挙だった。 JK1「ねぇ、選挙(のテレビ)見た?」 JK2「見た。小泉すごくね?」

実家に僕と父親と僕の友達が住んでいた話

4DKの古い家に引越した もろもろあって、20年近く住んだ家を手放し、近くの古い家に引越した。間取り的には4DKといったところだろうか。ひょっとしたら4Kかもしれない。一階にキッチン、トイレ、お風呂、そして6畳と4畳半、二階にも6畳と4畳半。こんな間取り。僕は二階の6畳を取り、父親は一階4畳半、妹は一階6畳をそれぞれ自分の部屋とした。間もなく妹は結婚し、しばらくはそのままそこに住んでいたが、やがて家

読んでよかったストーリー

Kinoshita Yoshihiko
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なぜ、Skyland Venturesはgamba!へ投資しようと思ったのか?

gamba!とは? gamba!は社内日報共有サービスを運営している会社です。 こんな感じの営業の強い会社さんもユーザーさんです。 ※写真はごちクルを運営するスターフェスティバル中野取締役。 こんな感じの大手企業の経営幹部もユーザーさんです。 ※写真は文具・オフィス用品流通のプラス伊藤執行役員 こんな感じのひと(エンジニア)もユーザーさんで。 さらには、 こんな感じのひと(高校の体操部の先生と生徒さ
清水 舞子
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[書き途中]絵の具も買えない程貧乏だった私が多摩美を中退しビジネスを志し明治大学に合格。しかし納金直前に70万を失う危機にみまわれるも歌舞伎町で1番になり無事入学できたお話[ちょこちょこ更新]

自己紹介するのが恥ずかしいので、文字におこしておくことにしました。 こんにちはしみこです。 このたび会社を設立いたしました。(祭.inc) 多くの人に会わせて頂く機会を頂くのですが、あまりにも私は人見知りで、なかなか自分の話ができません...。私の過去の話なんてあまり皆様の役にたつものでもないですしね。 歌舞伎町では、 6ヶ月で3550人の初対面の方とお話した んですが,,,,おかしいなあ。笑 なの
佐俣 アンリ
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インターネットに詳しいやつ

2007年だったと思う。 当時リクルートの内定者の友達が「インターネットに詳しいやつおらん?」って言って、今ラクスルにいる安藤が連れてきたのが八巻。 何を話しても「はぁ」としか言わない超へんな奴だった。 2009年にクロノスファンドにジョインして、一緒に会社づくりがスタートして、2012年初頭に改めて一緒に戦おうと話して。 今もまだまだ戦い続けてますが、相変わらず何を話しても「はぁ」って返っ
佐藤 健太郎
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自動車免許の話

今から遡ること15年ほど前、18歳になってすぐに自動車免許を取得しました。ところが、5年前に免許の更新を怠ってしまったために、失効してしまったのです。車乗る機会もないし、運転手付けられるくらいになってやると思って、あまり気にしていませんでした。 そんな事も考えながらも、5年の間に子供も二人生まれ、公共の交通機関で移動するのも大変になってきました。そこで免許を持っていなかった妻が取得することになりまし
佐俣 アンリ
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6

はまの

浜野に初めて会ったのは2006年の夏くらいだったと思う。当時大学4年生で、浜野は2年生。 当時仲良くなって手伝っていたBGJというベンチャーで、インターン生の浜野がはじっこに座ってた。 インターネット関係ないごりごりの不動産ベンチャーにぼーっと座ってた変なやつ、が第一印象。 特に話すこともなかったけれど、気がつけばいろいろ話していて、気がつけば起業して、儲かってた。 2010年の9月にひさし
佐俣 アンリ
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ANRI設立

ANRI設立の時にお世話になった尊敬するベンチャーキャピタリストについて話そうと思う。 ANRIの名付け親IVP小林雅さん 「どうせどんなファンド名つけてもアンリって呼ばれるからアンリでいいんじゃない?」というお言葉にそのまましたがってネーミング。 小林さんは非常に明るい性格の裏で、100M級のファンドを自力で立ち上げるためにものすごい努力をされていて、その一部始終はブログに書いてある。 これが独立
佐俣 アンリ
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事業を邪魔しない投資「Short Sprint Program」

ANRIとして試験的に新しい投資プログラムを作ってみたいと思います。 Short Sprint Program ----- ・投資金額やバリュエーション等は普段のANRIと完全に同じ ・経営者が明示的に必要としない限り一切のMTGを行わない ・必要であれば経営者はANRIに対して適宜MTG要求 ・おなかがすいた場合は呼んでくれたらご飯を提供(ただし90分以内でアルコールはなし) —— 最近の僕の投資
佐俣 アンリ
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営業、営業、営業!

インターネットの仕事をしに入ったんです。リクルートに。 入社一ヶ月前に来た配属通知には「首都圏、HR、営業」の文字。 「騙された!」と思った。人事からの電話には全力で怒りをぶつけました。 配属された初日に歓迎会で「インターネットの仕事をしに来ました」と言って呆然とされたのを覚えてる。(自分が先輩だったら絶対殴ってる。) 営業もまったく売れなくて、「なんで自分はこんな仕事してるんだろう?」と日々悩みな
佐藤 健太郎
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ベンチャーの光と影

新しい拠点であるGMOオフィスの一角には、一人また一人と新しい仲間達が増えていった。これまでいた福岡ではロリポップやムームードメインの運営、東京ではJUGEMや新サービスの開発という2拠点体制となった。 ボクは広報と兼務してマーケティングのチームを率いた。ポータルサイトの運営に携わっていたという宮本さんとテキストサイトを運営している大学生の下田くんという二人が入社しチームメンバーとなった。このチーム
家入 一真
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paperboy&co.創業記 VOL.1: ペパボ創業からバイアウトまで

12年前、22歳の時に福岡の片田舎で、 ペパボ ことpaperboy&co.を立ち上げた。その時は別に会社を大きくしたいとか全く考えてなかった。家で仕事が出来て、仕事をしながら子育て出来ればそれでいいやと思ってた。当時サラリーマンをしてたんだけど、中学2年から引きこもり、対人恐怖症気味だった僕には、定時出社や同僚とのコミュニケーションが苦痛でしようが無かった。サラリーマンを辞めたいが為の起業。どちら

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