STORYS.JP

溝部 拓郎

こんにちは!たくろーです!好きなモノはゲーム、本、お酒です!

ストーリーをリクエストする

溝部 拓郎の人生のストーリー

ピクシブでの開発 - 金髪の神エンジニア、kamipoさんに開発の全てを教わった話

爆速で成長していた、ベンチャー企業ピクシブ 面接の時の話はこちら=> ピクシブに入るときの話 そんな訳で、ピクシブでアルバイトとして働くこととなった私は、初出勤の日を迎えた。 (↑ピクシブのユニークなオフィス) ほぼ何も分からず始まった開発 プログラミングスキルはほぼ無く、やることも決まっていなかった私は、早速開発の統括をしていたCTOの青木さんからの指示を仰いだ。 私 青木さん、何をすれば良いです

かみぽさんのストーリー!!

僕とゲームと人生。

”私とは何か”という問いに答えるのは、とても難しい事だけれど、私を構成している要素は何か、と聞かれれば、それはもう少し簡単だと思う。 大切なもの、ゲーム。 私を構成しているものはいくつかあるけれど、その中で最も重要なモノの1つに、”ゲーム”がある。 私は小さい頃からゲームが大好きだった。 思えば、人生は全てゲームを中心に回ってきたと思う。 ゲームが僕に教えてくれた事。 ここから語るのは、僕とゲームと

まだ20年程度の短い人生ですが、振り返ってみると私の人生は、『ゲーム』を中心に回ってきたなーと思います。

ピクシブに入るときの話

ベンチャー企業で働きたい! ピクシブの面接を受けた時、私は大学2年生だった。 当時何もモノを知らなかった私は、1年生の頃、ある夢のためにベンチャーで働きたいと思い、色々なベンチャーに応募し、何回か面接を受けたのだが、落ち続けた。 (今思えば、これは単に時間の都合が合わないとか、そのぐらいの理由だったように思う。) しかし、それで自信を無くした私は、とりあえず技術系の取得し、その上でもう一度チャレンジ

人生を変えたpixivでのアルバイト。まだまだ語り足りませんが、まずは最初のストーリー。

Nintendo DS Software開発

ゲーム開発がしたくて、セミナーに参加 あるセミナーで、1年間かけてゲーム開発するプロジェクトに参画しました。 9人のチームで、1つのゲームをつくり上げるというセミナーで、企画から開発まで全ての工程を社員さんを講師に迎えながら行いました。 ここで、チーム開発の強さと、その難しさを深く学びました。 プログラマー3人、デザイナー3人、サウンド1人、ディレクター2人という構成で始めた開発は多くの困難と問題が

NDS開発の話。ゲームを作るのは最高に楽しかったな〜〜!

スマートフォン版開発

Webのスマホ版開発 プロジェクトチームで、新規企画の開発をしていく中で、私はそのスマートフォン版の開発を担当しました。 スピード感を最優先されたので、細部のクオリティよりもまずは全体が正確に動作し、スマートフォンで閲覧しやすくすることを目的に掲げました。 Androidの特殊機種バグ 当時はスマートフォン版の作成の仕方もまだ統一されておらず、幾つかのサイトの構成の仕方を参考にしながら、iPhone

pixivでの開発のお話。想い出に残っているプロジェクトです。

ゲームが僕に教えてくれた事。

僕とゲームと人生。 の続き 人生において大切な事を学ぶ場面は人それぞれだと思う。 ある人は偉大な先輩だったり、ある人は熱中できる仕事だったり、親友だったり恋人だったり。あるいは小説だったり映画だったり漫画だったり。 私にとっては、それはゲームだったと思う。 私は、大切なことの多くをゲームから学んだ。 ゲームから学んだ事を、大きく分けて3つに分けようと思う。 1. 兄弟との絆 2. 最適解を自分

さくっと適当に書いたストーリーなので、そのうち追加執筆します!

Storys.jp のストーリー (Startup Weekend編)

開発は5月から始まった storys.jpの前身となる物を作り始めてから、もうすぐ1年になる。 何かを始めた時、やっぱり強く印象に残るのは、それが"本気"になったときだ。 Storys.jpにとっては、それがStartup Weekendだったんだと思う。 F**k the boring resume 2012年5月、春の気温にも慣れ、草木が芽吹き、"始まり"の香りがする季節。 私とJames Ri

2012/05 STORYS.JPが始まった頃の話。

劇的ビフォーアフター!ゼロからサービスを作ってみた話。オンラインフリーマーケット『ekino』

ゼロからサービスが出来るまで。 約2年前、友達とオンラインフリーマーケット『ekino』を作りました。 ここでは、特に『 デザイン』 にフォーカスして当時の話を振り返りたいと思います。 Webサービスって、こんな感じで出来るんだな〜と楽しんで頂けたら幸いです。 下の方では、製作途中のデザインも公開します! 俺 ビフォーアフターをお楽しみください!\(^o^)/ 編集 作ったキッカケ 当時、忙しかった

大学生活の集大成に、友達と協力して本気でWebサービスを作った話。

資本主義は富の格差を、ソーシャルメディアは幸せの格差を生む。

意外に『詳しく聞きたい!』が押されたので、ぱぱっと書いてみます! SNSがもたらしたもの 皆さん、今日も元気にソーシャルメディアを利用していますか?(^^) Twitter, Facebook, mixi, etc....沢山のソーシャルメディアの台頭によって、私達は世の中の情報を瞬時に共有する事が出来るようになりました。 しかし、とは言っても、ほとんどの人の使い方は、ボストンで発生したテロの最新情

たまにはオピニオン的な何かを書いてみました。

東工大で食べていたTABLE FOR TWO(TFT)メニューは、実は壮大なビジョンと卓越した事業戦略が織り成す究極の社会貢献ビジネスの一環だった話。

何かと縁があったTABLE FOR TWO 私のTABLE FOR TWO (TFT)とのちょっとした繋がりと、その思いについて書いてみようと思います。 特に人に語れる程のストーリーでもないのですが・・個人的にTABLE FOR TWOの理念・組織・活動は本当に素晴らしく、敬服させて頂いておりますので、応援する気持ちで綴らさせて頂きます。 なお、タイトルが気になった人は下の方まで読む進めると分かりま

25歳のストーリー

\(^o^)/拓郎!25歳!誕生日おめでとう!\(^o^)/ ドッキリメッセージーーー! 大塚 雄介 拓郎 25歳、誕生日おめでとう!和田と拓郎、この絶妙なコンビがいるからSTORYS.JPが心から誇るサービスになっているとオレは思ってる。今年もSTORYS.JP一色の最高の1年にしよう! 和田 晃一良 ぼくの.vimrcをプレゼントします Megumi Ishiyama たくちゃん、お誕生日おめ

人生で大切なものは、ゲーム、酒、本。 - ゲーム編

将来なにやりたいの? 『将来何やりたいの?』  とか  『人生で大切なものは何?』 って聞かれて、パッと答えられる人って実はそんなにいないと思うんですよね。 友達!とか家族!とか、その辺りのものは勿論、当たり前に大切なのですが、”人とは違い自分はこれを大切にしている!”と言えるものをパッと答えるのは中々難しいものです。 私の場合も、振り返ってみると随分適当でした。 子供の頃->高校生 小学校の頃は、

考え方、価値観の変化 - (1) 考え方の変化

生きていると、考え方や価値観が変わっていく 25年間も生きていると、ふと気付いたら以前と考え方や価値観が変わっている事に気付く事が有ります。 私が気付いた中では、大きく分けて2つのバリエーションがあり、 ■ 価値観の変化 ■ 考え方の変化 の2つがあります。ここではまず、考え方の変化について記したいと思います。 考え方の変化 思考の種類 私達は物事を考えるとき、 1. 垂直的思考 2. 水平的思考

読んでよかったストーリー

Handa Naoto
219
2

桜が舞うと、母のことを思い出します

「これが最後の海外旅行になるね。」 母は、そう言っていた。 19歳の冬。 その、3か月後だった。 ---- 「とうちゃんの夢、決めたよ。」 お風呂の天井を見上げて、6歳の息子に話した。 30代の父となり、「将来の夢=職業」に、違和感があった。 「やっぱり、家族でたくさん海外旅行に行きたい。」 ---- 喫茶店を営んでいた両親は、休日もなく働いていた。 物静かな母は、趣味もなく、友達と遊ぶこともない中
阪口 ユウキ
39085
211

あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。

どんな仕事を選んでもええ。ただ、○○がない仕事だけはしたらあかんで! こんにちは! 個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口といいます。 僕は今の仕事をはじめてまだ稼げなかったとき、2011年9月~2012年4月まで、 大阪・あいりん地区のドヤ街で暮らしていたことがあります。 (詳しい経緯は「 鬱病で半年間寝たきりだった僕が、PC1台で世界を飛び回るようになった話。 」で書いてます)
Sakai Tomoko
57
1

下心バリバリでSTORYS.JPに投稿したら本当に書籍化されちゃった話 その3

えっ……書き直し? とにかく締め切りまでに間に合わせようと、記憶を掘り返しながら原稿を書いていった。本当に、文字数を増やすためだけに、文章を書いている感じだった。第1章〜第5章まで、それぞれ20〜40ページほど埋めて、それにプラス、コラムを5本ほど書いた。 なんとか締め切りまでに間に合わせて原稿を送り、やれやれこれでひと段落と思ってはいたけれど、事実を羅列しただけだな、という感じはしていた。 1カ月
大西 明美
960
5

交際期間1年以上でアラフォーを振ってしまう年下男たち

ふんふんふーんと、結婚についての国の統計を調べていたら、衝撃的なことが発覚した。 2010年のデータだが、 交際してから結婚するまでの平均期間はなんと約4年半 なのである。 例えば今24歳の子が交際を始めたら、結婚するのが、28歳か29歳となる。あれ、24歳でも平均で30歳手前の滑り込みセーフになる。でも、これはあくまで平均だから、24歳から付き合って30歳を超える子も結構いるのではないだろうか。
池森 裕毅
54

ダメ人間が逆転サヨナラ満塁ホームランを打つまでの経緯

池森です。 前回はRMTで起業して成功した後の事を主だって書ききましたので、今回は起業した経緯や成功までに行った戦略等について語ろうと思います。 最初に僕が起業したRMTとは何かについて説明します。 RMTとはReal Money Tradeの略です。 オンラインゲームの中で獲得した通貨やアイテムを、日本円で売買する行為を指します。 例えば、ゲームの中で大変性能の高い「剣」を手に入れたプレイヤーがい
山崎 理恵みりえ
288
16

22歳で無計画に会社を辞め、無資金で学習塾を開いた、【無謀女子な結末】は○○

星が落ちてきたわけでも、 胃の弱いお局様に意味のないことをねちねちと言われ続けたわけでも、 前頭部がまるで発光しているような上司に セクハラされたわけでもない。 ただ、 みりえ あきた。 【☆彡1、ただ、あきた】  30年前、その頃ちょうど男女雇用均等法なるものができた時代だった。  女の子は短大に行くのがふつうで、その後事務OLになるのがあたりまえだった。  短大を卒業して勤めたところは、会社の頭
小泉 ヒロカ
295
3

地方で起業したIT開発会社が、VCからの資金調達に成功、パブリッシャーに業態転換を果たした後、倒産するまでの生々しい話。

このお話は、東北で起業したIT開発会社が、3年後に自社サービスを始めて、VCからの資金調達を成功させてパブリッシャになり会員70万人達成した後、倒産するまでの生々しい記録です。 システムの請負開発を事業とする開発会社(デベロッパ)にとって、自社ブランドのサービスを配信する会社(パブリッシャ)になることは、会社を大きく成長させるための夢であり、何かを失うかも知れない恐怖と背中合わせの賭けでもあります。
Kurosawa Yuko
614
16

お寺で育った幼少期、異国での日々、3.11での被災、ライターで食いつないだ東京でのじり貧生活...こわがりだった私の半生の中で、唯一ゆずれなかったもの

黒澤優子。 子供のころの夢は、作家になること。 それは、自分のイメージとして、ずっとあったこと。 だけど、どうやって作品を書いていいのか、 どうやって作家になったらいいのか、 まるでわからなかった。 ◇ 見ためもふつう、勉強もふつう、運動もふつう、 平凡を絵に描いたような子供だった私の、 唯一の特徴といえば“こわがり”だということだった。 そんな私が生まれそだった場所はお寺。 母の実家もお寺で、寺
パイレーツ 大阪
138
2

永い準備期間を経て、とある孤高の作家と出会い、本当に好きなものが仕事となった話

私が株式会社パイレーツ大阪の一員となってから現在までの出来事は、幾つかの欠けていたピースがピタリ、ピタリと嵌まっていく過程だった。弊社代表・長谷川崇に入社を打診されたのと、孤高の作家・黒澤優子に出逢ったのとは、ほぼ同時だったと思う。 15年間、俺は三和プロセスという製版会社で進行管理をやっていた。Dという日本で一番大きな印刷会社の下請けをメインにやっていた小企業だ。創業社長が発明と貿易をやりながら大
みかみ いちろう
189
4

俺が詐欺師に騙された話…しかも海外で(後編)

200万円分のロレックスを購入された俺は、詐欺師とコミュニケーションをとりづらくなってしまった。 だって、1時間前は普通だったのに、突然200万円なくなったんだからね。 そりゃあ、寡黙にもなるよ。 そりゃあ、笑顔もひきつるよ。 詐欺師のカバンにロレックス。 俺のカードはすっからかん。 まあ、むかつくよね。 ところが、最高に頭に来る瞬間、というか「こいつ何者??」という瞬間が来るのである。 詐欺師は俺

書きかけのストーリー

溝部 拓郎さんにもっと聞きたい話リクエストする

|