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Sakai Tomoko

バイリンガルなwheelchair-erの夫を持ち、08年生まれの息子、10年生まれの娘の二児の母で、フリーでライターやってます(子育てのため現在はほぼ休業中)

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Sakai Tomokoの人生のストーリー

高校生で脊髄損傷になって、軌道修正した夫の人生

事故 高校2年生の夏休み、アルバイトの帰りに友人とバイクで走っていたとき、青で直進していた夫の前に工事現場からトラックがバックで出てきた。雨の夜だったためにトラックが出てきたのがよく見えなかった。ブレーキをかけたが遅く、トラックに突っ込んで下にもぐり込んだ状態で止まったらしい。1週間意識不明で、事故から1週間後に病室のベッドで目が覚めた。ケガは胸椎の骨折のみで、内蔵へのダメージはなかったらしい。目を

車いすの男性と出会って結婚するに至るまでの5年間の話 プロローグ

その人とはテニスコートで出会った。 初めて会って、少し話して、そして確信した。この人と、結婚するんだろうな、と。私の結婚相手は、こんなところにいたんだと思った。 その人は、私が思い描いていた結婚相手の理想像にとても近かった。話し方が穏やかで、懐の深さが感じられた。しっかりした企業に正社員として勤めていて、ただ留学経験があるだけじゃなく、アメリカの大学を卒業していた。そしてスポーツ、私と共通にできるテ

コネで適当に決まった就職がその後の生き方を変えた その1

ぼんやり過ごした学生時代 学生時代は、特別に活動的なことはしてこなかった。5月生まれなので、学年では早く生まれたほうだったので、学級委員などは推薦されてよくやっていたけど、自分から生徒会に立候補するとか、そんなことにはまるで興味はなかった。 高校時代もそうだったし、大学に入っても普通に授業に出て、クラブ活動も普通にやっていて、でもそれだけだった。 大学は実家から通っていたのだが、父の仕事の都合でひと

車いすの男性と出会って結婚するに至るまでの5年間の話 その1

出会い その当時、私はライターや編集者を養成するための専門学校2年生だった。といっても、大学卒業して4年会社員として働いて、それから仕事を辞めてから専門学校に通っていたので、いい歳した専門学校生だった。 私が所属していたのは、スポーツに特化したライター養成のコースだった。2年生になると、長期的に何かのスポーツを取材してリポートにまとめるという課題が与えられる。何を取材しようかと考えていて、なぜそれを

コネで適当に決まった就職がその後の生き方を変えた その2

衝撃のガソリンスタンド研修 新入社員は4〜5人に振り分けられ、本社からガソリンスタンドの所長に連れられて、所属先のガソリンスタンドに向かった。私はほかの4名の男性新人と一緒に、例のいちばん怖そうな所長の後をついて歩いていった。車の前で所長は、「荷物車に乗っけろよ。電車賃だけは持っていけよー。んじゃーなー」。リクルートスーツの新人5人は、手ぶらで地下鉄に乗って所属先のガソリンスタンドに向かった。みんな

車いすの男性と出会って結婚するに至るまでの5年間の話 その2

プロローグの話題入りありがとうございます! たくさんの方に目を通していただいているみたいで、うれしいです。 10年以上前のことを思い出しながら書いているので、戻って修正したりしています。前回、連絡先を交換したと書きましたが、もう少し後のことでした。「その1」も訂正してあります。 すれ違い 翌週から、毎週日曜日はそのテニスコートに出向いて取材を重ねるつもりでいた。しかし、次の日曜日、入院していた父のと

コネで適当に決まった就職がその後の生き方を変えた その3

できることを少しずつ 6月になり、本社勤務が始まった。私が配属されたのは、ホームセンターの事務の仕事。バイヤーさんたちの仕事をサポートするというような業務内容だった。フロアには40〜50人ほどの社員がいて、人の顔を覚えるのが得意な私でも、一度に40〜50人を覚えるとなるとひと苦労だった。 最初に教えられたのは、もちろん電話応対。これは恐怖だった。自分が敬語をうまく話せないという自覚があるから、電話に

車いすの男性と出会って結婚するに至るまでの5年間の話 その3

取材じゃなかったらよかったのに 毎週日曜日、“取材目的”でテニスコートに通うようになった。ただ、テニスをしている間は、やっぱり他の人の目が気になって、あまりいろいろ話せなかった。気軽に話せるのは、帰りの車の中。あの雨の日、お互いに送り&送られそびれた反省から、帰りは車で駅まで送ってもらうのが約束事のようになった。最寄り駅までだったので、短い時間だっけれど、気兼ねなくいろいろ話せるので毎週楽しみだった

コネで適当に決まった就職がその後の生き方を変えた その4

異動、そしてまた異動 先輩たちと冗談をいいながら仕事をできるようになった。いつものようにコピー用紙の段ボールを抱えて運んでいると、バイヤーさんたちが手助けしてくれるようになった。面白い上司をいじって雑談できるようになった。そして気付けば、お茶出しの制度は廃止されていた。入社1年経つころには、確実に自分の居場所ができたと実感できるようになっていた。本社勤務になって9カ月のころだった。 そのころ、ガソリ

車いすの男性と出会って結婚するに至るまでの5年間の話 その4

たくさんの方に読んでいただいているみたいで、とても励みになります。ありがとうございます。詳しく書き過ぎてしまって、長くなりそうですがお付き合いいただければ幸いです。 ついにきた、Xデー 「オレは取材対象ですか?」と聞かれて「はい。取材対象者です」と答えて、少し後悔していた。でも、その答えは間違っていないと思っていた。目的は、テニスのことで取材させてもらうためだったから。いつかお付き合いする日が来るの

コネで適当に決まった就職がその後の生き方を変えた その5

勉強をしよう 仕事にも慣れて、お金も貯まってきて、さて、何に使おうかと考えたとき、勉強をしようと自然に思えた。何かの資格でもとろうかと考えるようになり、ガソリンスタンドでの強烈な影響のせいで、危険物の免許なんていうのも考えた。でも、それは違う。経理だから簿記? 今さらのような気もするし、どうにも私に向かないと思った。どれも今ひとつ、行動に移すほどの魅力は感じられなかった。 いろいろ考えているうちに、

車いすの男性と出会って結婚するに至るまでの5年間の話 その5

素直になれず 「はい!」と言えばいいのに。それ以外の返答なんてないのに。「はい! 私も最初出会ったころから好きでした! よろしくお願いします!!」くらい言ってもよさそうなものを、なぜかうまく答えられず。いつ言われてもおかしくないと思っていたし、そういう場面を妄想してたこともあったはずで、自分でもそう言えると思っていたのに。 「付き合ってください!」と言われた私は、「あー、えー、うー、えっとー、そのー

コネで適当に決まった就職がその後の生き方を変えた その6

めげずに再挑戦したが 産業カウンセラーの資格にトライして、1年目は1次試験は通過したが、2次の面接で落ちてしまった。一緒に勉強していた歳の近い女性は合格したと聞いて、さらに落ち込んだ。2年目は1次試験は免除されるが、何もしないで、翌年の2次試験に通るとは思えなかった。 調べてみると、不合格だった人たちのための補講の講座があることが分かった。筆記対策、小論文対策、そしてもちろん面接対策もしてくれるとい

車いすの男性と出会って結婚するに至るまでの5年間の話 その6

大誤算 私の両親は、体にハンディを持っている人たちに対して差別意識なんて持っていなかった。私が幼いころに2年弱アメリカで暮らしたこともあって、当時の日本国内の意識よりも高いくらいだった。車いす専用の駐車スペースに、必要のない人が止めていたるのを見ると「あれはダメだ」と言うような人たちだった。 私が車いすテニスを取材しているのも知っていたから、少し抵抗はあるだろうけど、まあ受け入れてくるんだろうな、と

コネで適当に決まった就職がその後の生き方を変えた その7

夢に向かって 大学卒業時に、なんとなくイメージでマスコミを目指していた私。でも、たとえマスコミ系の会社に入っていたとして、何がしたかったんだろう? 大手の新聞社、出版社を受けるだけ受けていたけど、入社することしか考えていなかった。入った後のことなんて、そういえば、考えていなかった。ライター&編集の専門学校の広告に「スポーツ科」という文字を見つけたときに、「これだ! これだよ!!」と思った。「そうだよ

車いすの男性と出会って結婚するに至るまでの5年間の話 その7

苦しみから逃れたい 実家暮らしをしながら、両親に反対されたまま彼との付き合いを続けることは、本当に苦しかった。この時期のことは、霞がかかったようにあまり思い出せない。思い出そうとすると、頭が重たくなるような気分が沈むような感覚になってしまう。 彼と電話で揉めて、翌日からメールをしても電話をしても何も連絡をくれなかったりしたことも何度もあった。そうすると、仕事帰りに彼の家までいって待ち伏して、とにかく

コネで適当に決まった就職がその後の生き方を変えた その8

夢の実現 ※一度投稿したのですが、手違いで本文を削除してしまい、再度投稿しています。「読んでよかった」を押していただいた方、すみません! 少し内容が異なってしまうかもしれないです※ 4月からライター&編集者養成の専門学校へ通い始めた。もちろん学費は全額自分で出した。高校卒業して進学してきた子たちが多く、その中に27歳の私が混じっていた。でも、大学卒業してから入学してきた人、一度仕事をしてから入学して

車いすの男性と出会って結婚するに至るまでの5年間の話 その8

そして状況は一転する ひとり暮らしをするようになってからは、平日の夜は彼と一緒に夕飯を食べたり、週末も気兼ねなく一緒に過ごせるようになった。一緒には住んでいなかったけれど、脊髄損傷という障害の大変なところなども深く理解するようになっていった。 車いすを利用する理由は、人それぞれ違う。彼の場合は交通事故による胸椎骨折のために、胸から下の感覚が全廃している。歩けない、立てない、そして、排泄のコントロール

コネで適当に決まった就職がその後の生き方を変えた 最終回

新たなる夢の実現へ 専門学校2年生のときに、車いすテニスに出合った。これがきっかけで、将来夫となる人と出会うことになるわけだけれど。 8月のある日、有明テニスの森のテニスコートで、国内トップの選手の試合が見られるという情報をもらい見に行った。一般のテニスコートで決勝が行われたのだが、ひとりはいろいろな本でも目にしたことのある、国内ランキング1位のS選手だった。シドニーパラリンピックにも出場したのも知

車いすの男性と出会って結婚するに至るまでの5年間の話 その9

祝福されて 両親に結婚の許可をもらったのが3月。母の誕生日の少し前だった。母の好きなフリージアの花束も持っていった。正式に結婚の許可をもらった後に、花束を渡した。でも、自分たちが何と言って、両親に何て言われたのか、全く覚えていない。緊張していたのかな。 4月に親族の顔合わせと婚約を兼ねて食事会をした。と言っても、彼のほうは母親だけで、こちらも両親と姉家族(義兄と姪ふたり)だけなので、本当にささやかな

高校生で脊髄損傷になって、軌道修正した夫の人生 後日談

昇進 夫についての文章を、たくさんの方に読んでいただき大変驚いています。目を通してくださった全てのかたにお礼申し上げます。ありがとうございます。 今回のストーリは、わざわざご報告することでもないのは分かっているのですが、「このタイミングで!?」と思ったので書かせていただこうかと思います。 4月1日付けで、夫が3階級すっ飛ばして昇進いたしました。先月の中旬頃に上司から伝えられて、そしてその夜、帰宅して

車いすの男性と出会って結婚するに至るまでの5年間の話 エピローグ

誓い クライマックスは新郎の挨拶だった。新郎の挨拶については、「ここで最後に挨拶するんだよ」としか打ち合わせしていなかった。常識的に考えて「本日はお集りいただき、ありがとうごあいました」というくらいなものだと思っていたし、彼も当然それを知っていると思っていた。だが、結婚式への参列の経験が少なかった彼は、どんなことを言うものなのか、実はよく分かっていなかったらしい。 新郎がマイクを手にして、最初に言っ

車いすユーザーあるある ※ただし、うちの夫の場合に限る

“車いす”のイメージと違って驚かれる 私もそうだったのだけど、車いすを使用している人なんて、病院にでも行かない限り見たことがないと思う。最近は、街中でもよく車いすの方を見かけるけど、少し前まではかなり少なかったと思う。それだけ、生活しやすい世の中になってきているのかもしれないけど。 病院とかで見る“車いす”のイメージがついてしまっているので、車いすを必要としている人って、後ろから誰かに押されて移動す

車いすテニスに出会って感激して、このスポーツを報道したいと思っていたら念願が叶って、気付けば世間に追い抜かれてた話 第1章:チャンスを待つ

この1試合で道が定まった ある年の夏、車いすテニスの国内トップ2の試合を見て、これは障害者スポーツなんて枠には収まらないと思った。これはテニスだ。純粋にテニスとして楽しめる。これを少しでも多くの人に伝えたいと思った。 当時私は、大学卒業後に就職した会社を退職して、ライターや編集者になることを目指して専門学校に通っていた。大学卒業する際も、一度はマスコミに就職することを目指したけれど、無名の地方の大学

車いすテニスに出会って感激して、このスポーツを報道したいと思っていたら念願が叶って、気付けば世間に追い抜かれてた話 第2章:アテネへ

念願のパラリンピック取材 国別対抗戦で日本チームが優勝したその年末に、国内のランキング上位の選手たちが出場するシーズン最終戦を取材させてもらえることになった。編集長は車いすテニス自体にあまり興味がないようだったけれど、編集部の他のスタッフは車いすテニスを積極的に取り上げることに賛成してくれていた。日本チームが世界一という成績を残してくれたことで、記事にしやすくなっていった。 その翌年の9月にアテネパ

車いすテニスに出会って感激して、このスポーツを報道したいと思っていたら念願が叶って、気付けば世間に追い抜かれてた話 第3章:地位確立?

アテネに行った効能 アテネパラリンピックに取材に行ったのはテニス関係のメディアの中では私だけだったので、帰国してから「写真を貸してほしい」「原稿を書いてほしい」という仕事がいくつか舞い込んだ。ギャラは微々たるものだったけれど、金銭的な面以上に、“車いすテニスの記事は私に”と思ってくれる人が増えたのがうれしかった。“地位確立”なんておこがましいのだけど、でも長年テニス記者としてやってきた大先輩たちの中

車いすテニスに出会って感激して、このスポーツを報道したいと思っていたら念願が叶って、気付けば世間に追い抜かれてた話 第4章:北京で搾乳

北京への準備 子供を両親に預けて北京に取材に行った。子供なんて、誰かに預ければいいんでしょ? と思われるかもしれないけれど、それがそんなに簡単ではない。私の場合は、息子が6カ月のときに1週間実家に預けたのだけど、7カ月ってどういう状態かというと、普通だとまだおっぱいを飲んでいる時期。そして、離乳食が少し進んでくるころ。息子はそれまで完全に母乳で育てていたので、まずミルクに切り替えなくてはいけない。6

車いすテニスに出会って感激して、このスポーツを報道したいと思っていたら念願が叶って、気付けば世間に追い抜かれてた話 第5章:「徹○の部屋」に夫婦で競演!?

どんどん有名になっていく 有名になっていくのは、もちろん私じゃなくてK選手。メディアにも多く取り上げられるようになっていき、テレビ出演も増えていった。北京でシングルス金メダル、ダブルスで銅メダルを獲得して、さらにプロ宣言したのだから、注目されるのもうなずける。 そういう姿を見るのは、記者冥利につきるのだけれど、でもちょっと複雑だったりもする。すごくうれしいんだけど、寂しいなあ、みたいな。 そんなとき

車いすテニスに出会って感激して、このスポーツを報道したいと思っていたら念願が叶って、気付けば世間に追い抜かれてた話 第6章:行くぜ、ロンドン!!

ハードルが高過ぎる旅行手配 ロンドンパラリンピックのアクレを申請したものの、どうしよう。子供ふたりは連れていくのか置いていくのか? 夫ひとりに子供ふたりの面倒を見てもらうのはたぶん無理。特に下の子はロンドンパラ開催期間中は1歳9カ月になるので、母親と離れて寝るということができないレベル。北京のときは、上の子がまだ1歳前で、よく分からない時期だったから置いていけたけれど。 子供たちを連れていくとしたら

車いすテニスに出会って感激して、このスポーツを報道したいと思っていたら念願が叶って、気付けば世間に追い抜かれてた話 第7章:例の夫、大活躍過ぎる

予想以上にサバイバル そう頻繁に海外に行くほうではない私は、自分ひとりの準備だっててんやわんやなのに、自分の用意+子供ふたり分の準備までしなくちゃいけない。私が好きで子供たち連れていくんだけどさ。でもさ……。最初の難題はオムツ! ロンドンなんだからなんでもありそうだけど、やはり紙製品は日本製に勝るものはないみたい。もちろん値段も日本は格安らしい。他にもいろいろ持っていきたいものはあるのに、トランクの

ものぐさな私が、なぜか「ハンドメイドが得意なママ」に昇格した話 1

人生で大切なのは5教科以外 母は、姉と私が中学生だった頃、よくこう言っていた。 「人生で大切なのは、主要5教科以外よ」 国語、数学、理科、社会、英語は、最低限できていればいい。それよりも、音楽、美術、家庭科、保健体育をしっかりやりなさい、と言われた。 高校受験の際の大切な時期の通知表で、母のいいつけどおりに、音楽、美術、家庭科、保健体育=5 国語、数学、理科、社会、英語=4 という評価をもらった。姉

車いすテニスに出会って感激して、このスポーツを報道したいと思っていたら念願が叶って、気付けば世間に追い抜かれてた話 第8章:ロンドン・サバイバルは続く

奇跡が続いた取材初日 ロンドン到着の翌日、この日の任務は私のアクレディテーションカードの取得と夫&子供たちの車いすテニス観戦チケットの入手。これさえ手に入れば、私は取材ができるし、夫&子供たちは試合が観戦できる! 第4の難関 駐車場がない!? イギリスって、さすが福祉先進国だけあって、車いすマークのある駐車場にやたらと車を止めることはできないことになっている。ブルーバッジというものを発行してもらって

車いすテニスに出会って感激して、このスポーツを報道したいと思っていたら念願が叶って、気付けば世間に追い抜かれてた話 第9章:幸せな時間

家族と一緒の休息日 私が取材に入ったのは、車いすテニスの競技が始まって5日目だった。その取材初日に、残っていた日本勢はほとんど敗れてしまい、残るはK選手のシングルスのみとなってしまった。残念ではあったけれど、K選手のシングルス優勝が最大の注目だったので、なんとかK選手に頑張ってもらうしかない。 仕事的には、K選手以外の選手が負けてしまったのは本当に残念だったけれど、家族との時間を考えると、実はちょっ

車いすテニスに出会って感激して、このスポーツを報道したいと思っていたら念願が叶って、気付けば世間に追い抜かれてた話 第10章:3度目の金メダル

王者ははやり王者だった K選手は、ずっと肘の痛みを抱えながらプレーを続けてきていた。パラリンピックイヤーの前年の年末には、それでもオペはしないと言っていたけれど、年が明けてからオペを決断した。ラケットを持ってボールを打ち始めたのが4月、5月にツアーに復帰して、ギリギリで9月のパラリンピックまでに間に合わせた。 K選手なら、きっと間に合わせるだろうとも思ったけれど、本当に完璧に調整してきた。アテネでは

車いすテニスに出会って感激して、このスポーツを報道したいと思っていたら念願が叶って、気付けば世間に追い抜かれてた話 第11章:涙の再会

家族とつながらない不安 K選手の金メダルという最高の結果を得て、取材の全日程も終了して、さあ、夫と子供たちと合流しようと車いすテニスのメディアルームから出てみると……夫も子供たちもどこにも見当たらない。時刻は夜の9時ごろだったか。 表彰式後、取材で時間がかかるのは分かっていてくれてると思っていたけれど、観客席で待っててくれているものだと思い込んでいたのだが、どうやら追い出されたらしい。そりゃ、イベン

車いすテニスに出会って感激して、このスポーツを報道したいと思っていたら念願が叶って、気付けば世間に追い抜かれてた話 最終章:“有識者の方”

怒○○党で名前が 3度目の金メダルの瞬間も見られたし、家族で家族旅行もできたし、確かに満足感はあったけれど、ほとんど収入につながらなくて消化不良というか……。でも、ずっと追いかけてきた選手が本当にビッグになって、全国的にも世界的にも名前を知られるようになって、私の仕事ってきっともう終わりなんだなーなんて思いながら過ごしていた。 そんなころに友人たちから連絡があった。某テレビ局の某番組関係者が、私と連

車いすテニスを追いかけ続けていたら、お正月からテレビに出ることになってしまった話

なにかの冗談かと思った もしかしたら、ご覧になって気付いた方もいらっしゃるかもしれない。「これって『車いすテニスに出会って感激して、このスポーツを報道したいと思っていたら念願が叶って、気付けば世間に追い抜かれてた話』書いた人?」と思った人もいるかもしれない。……いや、いないか。 年末の足音も聞こえようかというころに、テレビ局から電話がかかってきた。「車いすテニスのK選手について、スタジオで話してもら

ものぐさな私が、なぜか「ハンドメイドが得意なママ」に昇格した話 2

浴衣作ろうかな 息子が小さかったときは、手作りをする気持ちの余裕もなかった。それでも、息子に手作りのものをプレゼントしたことがあった。息子が2歳10カ月で迎えたクリスマスは、娘の出産のために入院していた。息子はまだクリスマスの意味もよく分かってはいなかったけれど、クリスマスに母親がいない状況を迎えさせるのがなんとなく不憫に思い、フェルトなどを使って新幹線のおもちゃを作ってやった。思いつきで、なんとな

下心バリバリでSTORYS.JPに投稿したら本当に書籍化されちゃった話

プロローグ そのメールがSTORYS.JPから届いたのは、14年の8月だった。STORYS.JPに初めてストーリーを投稿してから、7カ月が経っていた。 「あ……、あら……、本当にこんなメールが来ちゃったわ」と思った。 私が投稿したストーリーを書籍化したいと出版社から連絡が入ったので、連絡先を教えてもいいですか、という内容だった。 その年の1月から投稿し始めて、意外と早かったようにも思うし、ようやく来

下心バリバリでSTORYS.JPに投稿したら本当に書籍化されちゃった話 その1

自費出版レベルかと思ってたのに STORYS.JPから、「書籍化の話が来ているので、出版社に連絡先を教えてもいいですか?」という問い合わせをもらって、しばらくはソワソワして待っていた。 でも、本当に書籍化されることになったら、旦那に話さなくちゃいけなくなるしなあ、と、それはそれで面倒だな、という気持ちも強くなっていた。 出版社からの問い合わせはなかなか来なくて、頭の片隅からも消えてしまいそうだった。

下心バリバリでSTORYS.JPに投稿したら本当に書籍化されちゃった話 その2

楽勝だと思ったのに 9月の上旬に編集の方と初めて打ち合わせをして、本当に書籍化されるんだと実感した。 すでに投稿したストーリーがあるのでそれに多少手を加えて、11月くらいに発売する予定というような話だった。 「車いすの男性で出会って結婚するまでの5年間の話」が11話 「コネで適当に決まった就職がその後の生き方を変えた」が10話 「高校生で脊髄損傷になって、軌道修正した夫の人生」が後日談と合わせて2話

下心バリバリでSTORYS.JPに投稿したら本当に書籍化されちゃった話 その3

えっ……書き直し? とにかく締め切りまでに間に合わせようと、記憶を掘り返しながら原稿を書いていった。本当に、文字数を増やすためだけに、文章を書いている感じだった。第1章〜第5章まで、それぞれ20〜40ページほど埋めて、それにプラス、コラムを5本ほど書いた。 なんとか締め切りまでに間に合わせて原稿を送り、やれやれこれでひと段落と思ってはいたけれど、事実を羅列しただけだな、という感じはしていた。 1カ月

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村上 奈美
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お父さんは白血病、私は出張先で痔瘻になって死にかけたけど今はふたりとも元気です〜手術・入院編〜

前回までのあらすじ 会社と家庭の都合により、痔瘻ステージ4(死の直前)にもかかわらず完治を拒み応急処置で家に帰ろうとしました 応急処置 さてこれから応急処置の手術です。ということで医者から説明を受けます(瀕死です) 医者 どちらにせよ、今体内にある膿を取り出さないといけないので、切開はします 村上 どんと来いです。いつ帰れますか? 医者 明日には…でも切開してますからね、しかもその部分を塞いてしまう
mamita .
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【第3話】10年間で4回半同棲に失敗した【帰宅すると家具が無い!今度はチャラ男に浮気→夜逃げされちゃったテヘペロ】

3回目なのでかなり反省して慎重に人選した ホスト、自称DJ、売れないバンドマン。言わずと知れた「3大付き合ってはいけない男」である。こと恋愛に関して、私は壊滅的に間違った選択をする。 今度は売れないバンドマンをチョイスしたので、やっぱり面倒くさいことになった。なぜその人選に至ったのか。理由は以下の2つ。 理由1:衛生観念度が合う人にしよう! これまでの2回の失敗から、私が一緒に住む相手を選ぶ基準とな
笠井 レオ
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僕が外国人に間違えられたエピソード7つ

【序章】僕は決して、スペイン人ではない 僕、笠井レオ(本名・写真右)は生まれつき、出逢った人ほぼ全員に 外国人と間違えられる という才能を持っています。よく間違えられる国々は、スペイン、ブラジル、アメリカ、アルゼンチン、ペルーです。こちらの国々の皆様、ご迷惑おかけして申し訳ありません。 ちなみに、よく言われる一言は 「日本語上手いね!」 です。 今日、このstorys.jpで発表させていただきます。

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