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岩野 亨

なんかよーわからん。

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岩野 亨の人生のストーリー

アメリカンホモのその後

彼にバイセクシャルの告白をされてから数ヶ月後の事。 「いわのー、今からお前ん家行っていいかぁ・・・」 (かなりテンションが低い) とアメリカンホモから電話。午後8時くらいだったと思う。 またまたかなり酔っている風。危険。 強行にお断りしたが、話しが通じない。 「冷たいこというなよーーー。とにかく今から行くからよぉ・・・」 といって電話が切れた。 約30分後、彼は我が家にやってきた。 飲みかけの1升瓶

ある日の飲み会 男同士

大学時代のある日、仲間内8人くらいで友人宅にて飲んでいた時の事。 誰かが「カラオケ行こうぜ」と言いだした。  自分はカラオケが嫌いなので部屋に残って飲むことにした。もう一人カラオケ嫌いがいたので、そいつと二人で飲んでいた。  しばらくして、そいつがボソッと「実はおれバイなんだ・・・」     意味がわからなかった。「梅毒?」かと思った。 「病院行ったら?」と言ったら、そいつおこったね。  「おまえバ

早慶戦の思い出(普通に昔の話です。アメリカンホモ話は終わり)

この季節になるといつも思い出す事。 それは大学に入学してまもなくの早慶戦。 早慶戦は土日で行われる。  その2試合が1勝1敗だと、月曜日に第3戦が行われる。  その場合、月曜日の授業は全て休講になる(春期リーグに限る)。  だから多くの学生は勝敗が第3戦にもつれ込むと喜ぶ。   そして早慶戦による休校にはこんなドラマもあるのだと言うことを知って欲しい。  当時(約20数年前)私は、コンパで知り合った

中野の女

私はかつて、高校受験に失敗し暗黒の男子高3年間を送った。  更に高校3年時には大学受験の2ヶ月前に右手首骨折という失態を犯してしまい1年浪人。  なので大学に入学した時は「失われた青春」を取り返すべく必死であった。  まずは普通に異性と会話する。というか会話してみたい。  その事が当時に於ける人生最大のテーマであった。  まずは軟派なサークルに沢山入会した。 テニスサークルとかテニスサークルとかテニ

東京キャンパスライフ

今から20年以上前、私は大学進学のため福岡から上京した。  前回の話でも書いたが自分は高校を卒業するまでほとんど女子と会話をしたことがなかった。  高校が男子校だった為もあるし、中学校では女子と会話をしてはならないという鉄の掟が存在していた為もある。  そんな自分が東京で学生生活を送るのは困難を極めた。  東京人達は男女がとても仲がよく、そして会話がスマートだった。 だから自分は最初無口な男になった

シェイク・シェイク

以前酔っぱらって街を歩いている時、向こうからおしゃれなカップルが抱き合うようにして歩いてきた。 そして2人の手にはファーストフード店のシェーク。 なんかかっこよくみえた。  「おい。おれらもマネしようぜ」 酔っぱらった男3人で閉店間際のロッテリアに入った。  メニュー表には、 ロッテシェイク バニラシェイク  ストロベリーシェイク チョコレートシェイク バナナシェイク ・・・・・・(他にも続いてい

中野区のロミオとジュリエット

自分が学生時代住んでいたアパートは窓を開けると40cm向こうは幅4mの道路という環境だった。  大学1年時はクーラーの無い生活だったので夏場は窓開けっ放し。  暑すぎるので常時パンツ+Tシャツ(たまにTシャツは省略)で居住。  歩行者からは「覗かれ部屋」状態でした。 そんなある日の午前0時ごろ。  「キャー」という女性の悲鳴。     開けてある窓からすぐさま身を乗り出して辺りを見回す。  目の前を

アデランスの思い出

世間は運動会シーズンらしいですな。  この時期に「飲みにでも・・・」って話しが出ても「あ。次の日子供の運動会で早起きしないといけないから・・・」ってなることも多い。  自分の親なんかもそうだったのだろうか?と思う今日この頃。  で、記憶を呼び覚ましてみる。ってかあんまり覚えてないので自分が園児だった頃の運動会写真を思い出してみる。  あ。そういえば・・・親父(昨年没)のその頃の写真、ハゲてたな・・・

共産圏の憂鬱

日本国の総理ってまた変わっちゃうのかね? なんかもうこんなバタバタが続き過ぎてみんな慣れちゃった感じ? まぁ歴代総理たくさんいるが、私が忘れられないのが海部俊樹である。 誰だっけ?って人も多いかもしれない。(字も間違ってるかもしれない) ちと古いですよね。なぜ忘れられないか?って、これから語ります。 今から25年程前、ボウリングが「紙に手書するスコア」から「コンピューターによる自動計算」に変わりつつ

禁じられた遊び

えー。。。私のストーリーは2005年から2010年までひっそりと書いてた昔の思い出話+その日起きたことブログの再掲です。 ただ5年間結構頻繁に更新した(たぶん記事数は何百ってレベルではない。もっと。)にも係わらずあまりにも反響が少なくてもうやめてました。 が、1年ほど経った頃ツイッタで「このブログを埋もれさせるのは勿体無い」という奇特な方からの意見を頂き、昔話を中心に画をつけて描いたら少しは読まれる

営業いろいろ

独立当初、私は普通の一般住宅の1室を借りて事務所にしていた。  知人のお姉さんが住んでいた家だったらしいのだが、そのお姉さんが病気で長期療養してて空き家になっていた為「応接室が荷物も無いので使って良いよ」って話しで格安で使わせて戴いていた。  だからまぁ、目立たない事務所だった。 営業の方々は「こんな所で事務所?」って戸惑った事だろう。  そして私は独立当初から結構建設新聞に載るような大型物件をやら

580円の代償

今から7年程前のある夏の物語。  事務所から約2km離れた土木事務所まで歩いて行った。  用事を終えて外に出ると雨がぱらついていた。  すぐに止むであろうと思い、遅めの昼食も兼ねうどん屋で雨宿り。  のつもりが、雷雨になってしまった。      傘がない・・・ つい陽水の歌を口ずさみそうになる。   店の軒先で佇む事約10分。  タクシーに乗るかどうか悩んだがどうしても腕があがらなかった。  580

ある朝のガソリンスタンド

8年前のお話。 自宅から駐車場まで歩いている時に便意をもよおした。 危険を感じた場所から駐車場まで歩いて30秒。 最寄のコンビニまでは反対方向に同じく30秒。 あなたならどうする? で、自分の選択。目の前にあるガソリンスタンドに徒歩で駆け込む。 そんくらい危機的状況でした。    ガソリンスタンドに徒歩で(かつポリタンクも持たずに)「ずいずい」立ち入ったのは初めて。  しかもお尻ぷりぷりさせながら。

眠らない男

もう何年前の事か忘れたが生まれて初めて上部内視鏡検査を受けた時のお話。 上部内視鏡検査とは、口からカメラをお腹の中まで入れるという荒行である。 荒行と思っていたが、現在の医学の進歩は目覚ましいもので、今は麻酔で喉の感覚を麻痺させた上に眠くなる麻酔も打ってくれてほんとど苦痛無く出来るそうである。 そうなっているらしい。 自分の初体験は違いました。 まず喉の麻酔ということでコーヒー味のシャーベットを食す

読んでよかったストーリー

書きかけのストーリー

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