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亀貝 康明

请多关照!中国人ではありません。でも上海に住んでいます。できる限りバランスの取れた思考で物事を考え見るようにしています。その上での発信。

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亀貝 康明の人生のストーリー

日本の会社を辞めて中国上海で働くまでの経緯。

2010年の年末、一緒に住んでいた女に僕は言った。 「上海で働く。今の会社辞める。」 考えてというよりも、僕自身、突然自分の口から言葉が出た、そんな感じだった。 その後、年末実家に帰省して、地元の仲間にも言った。 「上海で働く。今の会社辞める。」 退路を断つようにコミットした。 それでもまだ親には言えなかった。 ただ自分の中で、完全に覚悟できていた。 あとはどうすれば実現できるか。 それを考えて行

第2回 日本の会社を辞めて中国上海で働くまでの経緯。

2011年2月。 上海で働く。これを実現するために、今出来ることは。。 資金確保のためにも家いらないな。 バカだけど、真剣にそう思った。 すぐに実行した。 大学時代の仲間に連絡。 「上海マジで行くから、3ヶ月ぐらい一緒に住んでもよいっすか?」 仲間は、快諾してくれた。 結果、6畳部屋に男2人という奇妙な生活が始まった。 僕はもちろんゲイではない。もちろん相手も。 それでも大学時代に一緒にインド旅行

第3回 日本の会社を辞めて中国上海で働くまでの経緯。

僕は4月下旬上海に飛んだ。 大学生の時、僕は初めて海外に行った。 中国北京だった。 電波少年の猿岩石の影響が強く自由に放浪するような旅にあこがれていた。 そのためツアーではなく、地球の歩き方を持って自由きままに仲間と2人旅をした。 そのときの印象、北京はエネルギーあふれる街だなということ、 そして留学してもよい、住んでもよいと思ったぐらい肌に合った。 その後大学在籍中に中国で言えば、上海、杭州にも訪

第4回 日本の会社辞めて中国上海で働くまでの経緯。

市内に入ってタクシーに降りた。 間違いなくここは上海。 僕とLLキャリーバックとかばん。 もちろんだいたいの位置は把握しているけど、自分がどこにいるのかさえよくわからない。 大学時代の先輩(以後ジョーと記載)と彼のオフィスで待ち合わせしている。 目印のポルシェのディーラーがあるビルに入る。 オフィスの前で電話するとジョーが登場。 「よくきたなカメ(自分のこと)。メシでも食べに行こう!」 僕はLLのキ

第5回 日本の会社辞めて中国上海で働くまでの経緯。

LLのキャリーバックを引きずるように持ちながら上海のKTVで個室に案内される。 20人ぐらいの小姐が個室に入ってきた。 それぞれの服には番号が付いている。 ジョー(大学時代の先輩)が言った。 「日本語話せる人は手を上げて」 ここは日本人を相手にしているKTV。 とはいえ彼女たちの中でも日本語を話せない子、自信のない子もいる。 中国語が話せるなら逆にそういう子を選ぶ日本人もいるだろう。 とはいえ僕はほ

第6回 日本の会社辞めて中国上海で働くまでの経緯。

海外にいれば、日本では普通にできることにハードルの高さを感じたりすることは少なくない。 例えば、銀行口座開設、携帯電話のプラン設定、 いやいやもっとリアルに言えば僕の当初のレベルでは、タクシーに乗って行き先を伝えたりすること、コンビニで袋や箸をもらったりすることさえハードルを感じたしドキドキした。 だから僕は出来る限り早い段階で、僕が困ったときに助けてくれる人を探したいと考えていた。 もちろん、海外

第7回 日本の会社辞めて中国上海で働くまでの経緯。 【完】

KTVで出会った多多という女性とデートした。 上海のいわゆる観光地を見てまわる。 中国人は声がでかいなーとかエネルギッシュだなとか日本人が上海を観光すればおもうようなことを僕も一通り思った。 でも今思えば実は日本的な見方に偏っていたなと思う。 多多は僕の状況を非常に理解してくれていた。 別に仕事がなくて上海にきたわけでもないけど、 そのときは多多の言う本質を理解できていなかったけど、 「あなたかわい

第1回 ジョーと僕との上海生活。

※先に【日本の会社辞めて中国上海で働くまでの経緯】を読んでいただけるとわかりやすいです。 ジョーとの出会いは大学のサークルだった。 ジョーは僕より1つ学年が上。 でも僕は大学入学までに2浪しているので、僕の方がジョーよりも年齢は1つ上。 といった先輩後輩よくわからない関係。 ただ基本的には、学年にしたがって、ジョーが先輩。僕が後輩。 2人は大学のサークル、英語研究会で出会った。 英語が得意かというと

第2回 ジョーと僕との上海生活。

ジョーが上海で働くということで、 大学のサークルメンバーが久しぶりに集まった。 ジョーのことをベンチマークしていた自分は親しく話すような仲とまでは言えなかった。 それでも気になったのでジョーにの横に座って聞いた。 僕「上海で働くんですか」 ジョー「そうだよ」 僕「すごいっすね」 僕「言葉はどうするんですか」 ジョー「なんとかなるでしょ」 僕「まあジョーは英語も話せますもんね」 僕「ジョーが一番面白

第3回 ジョーと僕との上海生活。【完】

※先に【日本の会社辞めて中国上海で働くまでの経緯。】を読んでいただくとわかりやすいです。 2011年7月30日から上海生活がスタートした。 僕は当面の間はジョーの家のソファーで過ごすことにした。 結果的には、2ヶ月間もの間、お世話になった。 快く受け入れてくれたジョーには本当に感謝している。 と言っても、これだけでなく僕は今現在2013年9月までジョーに何度感謝しただろうか。 ジョーと言う人物は、非

中国語を話せないけど、いきなり上海で働き始めて3年目の人が思う、語学面について。

思い込み。 これ重要だと思うんです。 恋愛の始まりもそうですよね。 もしかしたらこの子は自分のこと好きなのではとか思い込んで。。 それと同じように僕は自分は中国語話せると思い込んだ。 少なくとも話せるようになると思い込んだと。 大学の第2ヶ国語で中国語を学んだ。 人生初めての0点を取ったのは中国語だった。 僕はこのとき発音だけ学んでおけば大丈夫、旅行をするとき本を見ながら話せれば良いんだからと考えて

第1回 中国語を話せないけど上海に2年間住んでみた結果語学力はどう変化したか。

2011年7月30日から上海に住み始めた。 中国語レベルは初級。 もう少し正確に言うと, 大学の1年生の時に第2カ国語で中国語を受けていた。 とは言え所詮大学の第2カ国語の授業なわけで、 強制的に頑張らなければいけないような授業ではない。 単位を取得するのに重要なのはとにかく出席することだった。 ただ僕は大学に入る前に実は中国語の初級レベルの本を買っていた。 さらには中国語も検索できる電子辞書を購入

日本人が思う中国について

はじめに僕は左でも右でもない。 常に客観的にバランスよく考えることを心がけている。 そんな自分が思うこと。 中国や韓国の歴史教育はおかしい。 よく言われる話。 確かにおかしいと思いますよ。 でもね、実は日本も同じ。歴史教育というよりもメディアかな。 僕は今上海に住んでいる。3年目。 上海のほかにも北京、西安、杭州、深圳などにも行ったことがあります。 結論から言えば、日本人が思う中国は非常に偏っている

仲間と一生仲間でいるために。

最近は漫画ワンピースなどを読んでいると仲間という言葉を目にする。 僕が仲間ということを意識したのは、 小学生のときにスタンドバイミーという映画を観たときだった。 観ていてすごくワクワクした。 そして僕もこんな仲間がほしいと思った。 ひとつだけ残念だと思ったのは、 この映画のエンディングで仲間は大人になってそれぞれの道を歩んでいるというナレーションが入ることだった。 僕は思った。 大人になっても仲間で

2013年10月に中国の鉄道の中で考えた事。

10月はほとんど上海にはいなかった。 30歳一人旅だった。 中国のGWである国慶節には上海から西安へ。そしてさらに北京へ。 下旬には2週間ほど湖南省へ。 上海に住み始めた頃は、 僕は上海は知っているけど、中国を知らないと感じていた。 それだけ中国という国は大きい。 今の時代、ネットで検索をすれば情報も写真も手に入る。 しかしながら、それではホンモノではないような気がした。 特に中国に住んでいれば、否

第1回 富士山より高い場所にある、中国のラルンガルゴンパに行ってみた。

旅と旅行の違いはなんだろう。 沢木耕太郎さんもエッセイに書いていたが旅へ行く前はめんどくさいと感じることがある。なんでこんな選択をしたのか行かない為の理由は無いかと。 まさにこう感じるかどうかが旅と旅行の違いなのではないだろうか。 めんどくさいと感じるのは、自分の範疇以上の事を行うからだろう。 旅は仕事に似ている。 行ける場所ではなく、行きたい場所という目的地という目標を立てる。 いくら事前準備をし

第2回 富士山より高い場所にある、中国のラルンガルゴンパに行ってみた。

結論から言えばこれがラルンガルゴンパだ。 成都からバスで15時間ぐらいにある色達という町へ行き、 そこから30分ぐらいワゴンに乗ってたどり着ける。 通称東チベットと言われる地域のひとつ。 東チベットとは、チベット自治区の東側の地域でチベット人が多い場所。 青海省、四川省、雲南省の一部が東チベトにあたり、観光開発はされていない。 標高は富士山の3776mより高く、4300m。 標高が標高だけに気温は氷

第3回 富士山より高い場所にある、中国のラルンガルゴンパに行ってみた。

成都に入った。 成都の空港からはバスを利用して市内に入る。 2年半ほど上海に住んでいたので中国の文化慣習そのものに新鮮みはない。 それでも中国のことならなんでも興味がある僕にはラルンガルゴンパへの不安もあったが、 初めての成都に少しワクワクしていた。 成都という都市。 成都の人口は1400万人。東京で1300万人。 成都と上海の距離はちょうど東京と上海のそれと同じぐらいである。 つまり上海を中心に位

第4回 富士山より高い場所にある、中国のラルンガルゴンパに行ってみた。

ラルンガルンゴンパは、 自分が思うに中国で最も精神的に遠く、物理的にも交通手段を考えれば遠い場所。 ここに行ければ、中国のどこにでも行けるのではないかとも思った。 “中国は”と一括りにしがちだが、 実は非常に多様性のある中国を、ラルンガルンゴンパに行くことで、 頭ではなく自分自身の身体で体感できるのではないかとも思った。 そして何よりも興味喚起された。 ただ調べれば調べるほど本当に恐かった。 チベッ

第5回 富士山より高い場所にある、中国のラルンガルゴンパに行ってみた。

起きれなかった。 いや、逃げたのだ。 不確定要素が多くて、純粋に恐かった。 以前の自分であれば必要以上に自己否定してしまっていただろう。 成長したと言えば良いのだろうか。 とにかく今は逃げてしまった事実だけを受け止めて、 必要以上には自己否定しないように思考をコントロールしている自分がいた。 再びバスターミナルへ行きチケットを購入した。 次の日、再度出発の朝。 目覚まし時計がなる。 行くか行かないか

第6回 富士山より高い場所にある、中国のラルンガルゴンパに行ってみた。

過酷な旅だった。 いやもっと正確に言えば、やはり想像よりも過酷だった。 チベットの坊さんがとなりに座る。 気付けば前も後ろも。 漢民族っぽい人達もいるようで少し安心した。 でも僕は漢民族ではなく日本人なのだけれど、それでもなぜだか安心した。 バスが走り始めて2時間後には雪道に変わる。 チベット文化も景色の中には見えてきた。 このバスはスタットレスタイヤなのだろうか。 細い崖道も多い中、万が一もあるな

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