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丘 洋子

幼児教育に関わる仕事をしています。料理、丁寧に暮らす事、放射能のことを勉強したいと考えています。

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丘 洋子の人生のストーリー

子育てを通して感じる保育・教育

 3人娘の幼稚園は、人的環境、物的環境も申し分無く、毎日子どもらが帰ってくると毎日二人で競うように楽しかった事、悲しかった事、喧嘩した事、先生に抱っこしてもらった事、褒められた事、本当にいろいろ報告をしてくれるぐらい充実して過ごさせていただきました。 小学校は、なんの疑いも無く公立小学校へ。ここから我が家の教育観ががらっと変わりました。 図工の授業でたまたま、お気に入りのデニムのワンピースを着ていき

自分を変えるきっかけをもらった人との出会い

 末っ子が小学5年生になった初めてのクラス懇談会。隣のクラスの先生は、上の娘の担任の先生で「今年度もお願いします。」とママ友とご挨拶に。そしたら、「娘さんの担任は、今年2年目の先生で初めての担任だから、クラスの事もよくわからないだろうから、お母さん達が役員になってくれると有り難いんだけど・・・」と言われ、そのママ友と立候補がいらっしゃらなかったら私達がやります、とお返事させてもらいました。が、案の定

2泊3日の自分をみつめるワーク

 3年前にいろんな事がありすぎて気分的にとても落ち込んでいる時に「自分が参加していろんな事を感じてきたワークだった。是非、参加して自分と向き合う時間を持ってみたらどうか?招待できるから行ってみたら?」と仲良くしている方から誘っていただきました。最初は胡散臭いと思いました。どんなことを学ぶのか、どんなことを感じてきたのか全く教えてもらえず、ただ勧められました。でも、なんとなく行ってみたい気持ちになった

私立幼稚園と公立幼稚園を経験して感じた事

 私立幼稚園ではとにかく行事の多さに目の回る激務でした。行事だけではなく、製作やお絵描きも多く、毎日なにかしらやっていました。 新人は毎日があっという間に終了し、反省どころか明日がすぐやってくる!という状態で1年が過ぎていきます。  行事になると、毎日「練習しなければならない」という、遊びからの発展ではなく、「やらなければならない」雰囲気をつかみ取りやすい子は泣いていました。 先生達も疲れてきますが

Art of Hosthingで学んだ対話の大切さ

いろんな対話のワークショップに出かけていて、自分でも場が持てるようになるには対話そのものの手法をいろいろ知りたい!と思っていた矢先にメーリスで「aohに参加しませんか?」といった趣旨が流れてきました。2泊3日かあ。 家を空けるのは難しいか?!と思いましたが、意外に家族は「いってらっしゃい」と背中を押してくれた事もあって出かけてみました。 そもそも、自分が対話が面白いと感じたイベントのファシリテータ

ゴミとして処分されかけた我が家の愛犬

ペットショップにて 犬を飼い始めてしばらくしてもっとよく犬の事を知りたいと思い、近くのペットショップへ。私自身子どもが小さく仕事もしていなかったのでその店のオーナーが「勉強しがてら午前中だけでも手伝いにこない?」と声をかけていただいたのでそこで犬のお手入れ、散歩、体の事など教えていただく事がスタートしました。 犬の繁殖 当然の事ながら犬を販売するために繁殖をさせていました。私はこの事実を知らなかった

自分を語る言葉

 自分を説明をするための自己紹介。「職業は○○で、○○に住んでいます」というとてもわかりやすい紹介。世の中説明のつく事はいわゆる「わかりやすく」つい、説明をつけたがるし、説明を求める傾向がある。  最近、とても不快に感じる事は「説明がつかないところまで説明をつけてわかりやすくする事」だ。わざわざ説明をつける必要なんてそもそもないのでは?そんな気さえしている。  私は仕事だけしている訳ではなく、母だけ

読んでよかったストーリー

大塚 雄介
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世界を少し先へ進めるには、いつから始めても遅い事なんてない。

33才になって 一昨日で33才になりました。 10代の頃想像していた33才ってもっと大人びていて 落ちつていると思ったのですが、そんなことないものですね。 33才が若いのかおじさんなのか微妙ですが、 ”これまでにない新しい物を創りだし、少しでも世界を先に進めたい” そんな気持ちだけは昔から変わっていないです。 それこそ20代の頃は志だけで、何一つ形にすることもできなかったのですが、 今は仲間がいるこ
谷尾 薫
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独立など夢にも描かなかった自分が40歳で起業するまで

はじめに まず自己紹介をしますと、今年45歳。熊本県の天草の出身です。天草四朗という歴史的人物で有名ですが、最近イルカウォッチングが流行ってまして、芸能人の来訪が放映されて、少し全国に知れ渡ってきています。 私の両親はそこで30年ほど喫茶店を営んでいます。ぜひ天草に旅行に来られたら立ち寄っていただきたいです。苓北という町の国道沿いの緑の看板のお店です。 ここから、当時の自分がどういう職業を選んだかと
嘉村 賢州
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中学時代は完全に落ちこぼれ~追試赤点の日々

注意欠陥である僕ではありますが、小学校時代は本当に毎日が充実していまいた。マラソン大会で1位をとったり、兄と同じ塾に通ったおかげで小学校の成績はトップクラスで友達の勉強を教えてあげたりしていました。勉強も運動もすべてが楽しくて仕方なかった日々ですが、受験で通った高校は入学者の半分以上が京大・東大に行くような進学校で一気に成績は底に近いところにいってしまいました。もともと人見知りの性格も強いので部活も
淺田 雅人
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【NPO立ち上げ期】伝説の貧乏生活。パンを拾って暮らした秋のパン祭り。

旅行会社を辞め、仲間とNPOを立ち上げた貧乏シェアハウス生活。ある時、学生時代の経験を生かし、近所のパン屋さんへ行くと段ボール一杯に大量のパンがキレイに捨てられているではないか。 その日から始まった伝説の「秋のパン祭り」。食べきれない高級パンに囲まれ、パン三昧の日々は続いた。パン祭りは僕の公務員就職とともに終幕したが、3つのことを学んだ。 1.パンを3つ以上食べるとお腹をこわす確率が上がる。 2.持
嘉村 賢州
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天才の兄と、、、、

僕の原点は何といっても兄の存在が大きいと思います。僕と違って頭の構造が違う。小2の頃に百人一首を3日で覚え、小学校時代に公文式で微分積分をやっていたという強者です。僕なんて同じ学年の算数でヘロヘロいってましたからもう完敗です。でも兄に関しては尊敬の念しかありませんでした。すっごくやさしく僕をかわいがってくれたから。いつまでもあこがれの存在なのです。高校時代は株式博士グランプリに出場しウォール街に研修
嘉村 賢州
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のびのびと育まれていった小学生時代~発達障害も環境次第で伸びるのかも??

大人になって気が付いたのですが、僕は完全な注意欠陥障害(ADD)でした。(詳しくはhttp://p.tl/O4qQ)。いつも上履きは左右さかさまに履き、小学校は制服だったんですが、常にカッターシャツはズボンからはみ出している状態(今もそんな感じな気もしますが。。。) 。忘れ物もしょっちゅうという状態。小学校で何人かに一人いる机の中がぐちゃぐちゃな生徒、まさに僕がその一人でした。あまりにぐちゃぐちゃで

書きかけのストーリー

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